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「戦前における末日聖徒イエス・キリスト教会の日本布教とキリスト界の反応」「神道研究集録」第29輯、平成27年、32-62頁。著者杉内寛幸氏は国学院大学大学院、(公財)宗教情報リサーチセンター研究員。
記述は学術的・客観的で、これまでの資料を総合・駆使し正確である。日本伝道開始間もない頃、高橋五郎と並んで教会に関心を示した人物として、キリスト社会主義を推進した木下尚江が厳しい視点で銀座会館で講演したことが紹介されている。
(2015年7月、著者が日本のlds教会のワード、支部にフィールドワークとしてアンケートを行なったことがきっかけで、これまでに論文を発表していることがわかったもの。現在も日本のlds教会に関連して論文を執筆中。)
PDF資料
「戦前における末日聖徒イエス・キリスト教会の日本布教とキリスト界の反応」 その他資料の11番目
紹介ありがとうございます。
NJさんの資料・書籍も重く参照されています。
アルマ・O・テイラーの活躍が垣間見えました。
高橋五郎さんとの関係は教会のサイトでも取り上げられています。
http://ldschurch.jp/2009-feb-01?signmeout
内田融にしても、生駒孝彰氏、この度の杉内氏にしても。立正佼成会もそうでした。
NJさん、その通りです。
他宗教の方々は、とっても寛容です。
ところで、他宗教の書籍は、読まれていますか?
面白いですよ。まったく、寛容です。上座部のスマナサーラ、チベット仏教のダライ・ラマ、真言宗の池口大僧正他、古神道の葉室大宮司他などの書籍をいろいろ読みましたが、わたしが読んだものに限って言えば、他宗教に対して「自分の宗教こそが正しい」「この宗教でなければ救われない」なんて主張は全くしてませんね。そして他宗教の「教え」に対して理解が深い。驚きます。そして、同じ宗教についても、批判的なことは書いてありませんでした。読んでいて、嫌な気持ちになることは全くありませんでしたよ。特にダライ・ラマがハーバード大学でおこなった講義はすごいです。アメリカ人聴講生が「釈迦の教え」をちゃんと理解するんですからね。分厚くて「ざっと読み」しかしてないけど、「人のこころってどんなものなのか」、心の動きがよくわかりますよ。(そこはがっつり読みました。)
それと、大管長は「自分の宗教こそが正しい」「この宗教でなければ救われない」、なんて言われてますか? 内外問わず、そういうことに神経質になっているのは、福音が理解できてない人だけじゃないですか、と感じます。
あと、一言。
彼らの教会についての研究は、目的は「学究」です。「教会が唯一真実」かどうかは関係ないです。
教会本部から許可をとってなされた第3者機関の調査・研究の結果が、教会にとってかんばしくないということもあるのです。でも、彼らの目的は「学究」ですからね。(当ワードがまだ支部の頃、本部から言われて調査に協力しました。研究者も日曜日にワードまで出向いて、会員にむけて調査の目的・方法などを説明しました。もちろんネット上でその論文は公開されてます。でも、リンクを貼ると、地域がかなり特定されてしまい、・・・ですので遠慮させて下さい。)
結局は、Aとって不利益になるなら、どんなに優れた研究でも、Aにとっては「良い資料」にはなり得ないかもしれないと言うことではないでしょうか。
いつも重厚なコメントをありがとうございます。ダライ・ラマについては、断片的ですが、多少読んで立派な宗教指導者であると好感、というより敬意を覚えたことがあります。中国が神経をとがらす理由が分かります。
他宗教の書籍、ほとんど読めていません。貴重な示唆を有難うございます。今、東竜著「異邦の予言者」という小説釈迦伝を英訳していて、仏教に少し触れています。
翻訳は実に骨の折れる仕事であると聞いています。の割には、収入が見合わないことがしばしばだとか。ある翻訳家の方は、それでもたくさんの情報が集まってくることで自分の視野が広がることが一番の報酬だと言っていました。
韓国?中国?だったかな。禅の話ですが、二人の禅僧が修行の旅の途中に一人の美しい女性に出会います。彼女は川を渡れず困っていましたので、若い方の修験者が彼女を助けて渡してあげました。その後旅は続くのですが、時がたってから若い修験者が、「あの時の助けた若い娘さん・・・」と切り出しました。別の修験者が言いました。「お前は、まだそんなことを覚えているのか。善行は為したらすぐに忘れてしまえ。(むしろ、当たり前のことをしただけじゃないか)」と叱責しました。という話なんですが、どなたか日本語に訳して下さったから、私はこの話を知ることができたんですね。
私たちキリスト者は、「右手の為す良い行いは、左手に知られないようにしなさい。」と教えられています。でも、「忘れなさい」なんですよね。精神性が高いなーといろいろ考えさせられました。
それで、こっちのワードの話ですけど、善か悪か、従順か不従順か、救いか滅びか、聖典の解釈、そういうものに傾きがちで、本来神が問われている人間の心のうち、奥底の心の動きが、あまり語られることが少ないかなーと思ったんですね。もっと、心について意識しようよ!(旧約聖書ってよく読むと、割と心の機微が記されてるんですよね)
一人の文筆者・翻訳家の作品を通して得た情報で、人の思考が動き出し、彼の価値観・人生観・世界観が再構築される、また何か新しいものが生み出されるかもしれない。
テーマとはかけ離れましたが、沼野さん、文筆・翻訳は素晴らしい仕事ですね!