lds教会では教徒がミズーリ州でひどい迫害に遭ったことが説明されるが、当時の辺境における状況や考えられる軋轢の理由について語られることはあまりない。以下に記すのは、2009年7月私が大阪府高槻市の教会で担当した日曜学校「福音の教義クラス」のために用意したメモの転載である。資料はウィリアム・E・ベレット「回復された教会」、モルモニズム百科事典である。
ミズーリ州におけるモルモン教徒と地元住民との軋轢の理由
1 両者は文化的に著しく異なっていた。末日聖徒はニューイングランド出身であったのに対し、地元ないし周辺住民は南部諸州出身であった。例えば、地元民は奴隷制を支持し、北部の人々に不信を抱いていた。日曜日の過ごし方ひとつをとっても、末日聖徒が礼拝に向かったのに対し、鶏の格闘に興じる習慣があり、飲酒、けんかが珍しくなかった。また、学校を建設することもなかった。
2 末日聖徒はシオン確立に燃えていたが、それは周辺の住民から理解されず異端視された。教徒は信仰を明確に公然と語り、受け継ぎの地シオンは神から与えられたと宣言した。
3 末日聖徒は離れて一団となって住んでいて、社会的に孤立し、経済的に排他的に見えた。教徒は大きな共同農場を持ち、物品の購入は一括して行い、取引は身内内で行なわれた。
4 地元の奴隷所有者は、大勢の東部人の移住に不安を覚えた。最初の2年間に千人以上が移り住み、移住が増え続けた。
5 地元民は末日聖徒の集合が続けば、政治的優位が脅かされると恐れた。郡の政治が教徒に牛耳られると感じた。警察、判事の職などにおいても。
[参考] ミズーリ時代の主な出来事
1831 夏 ミズーリへの移住 NY州コールズビルの会員が全員ミズーリ州ジャクソン郡へ。
- - - - - - - - -
ミズーリ州での初期 非常に貧しかったが、土地を開墾し、農業に従事、開拓していった。
ジャクソン郡での迫害 1833年後半10の支部があった。千人が大会に出席(4月) 地元民、ldsの流入に不安
1833 夏 「誡めの書」に対する破壊活動(印刷所に対して)
パートリッジ監督への迫害。捕まえ、出ていけ、と嫌がらせ。リンチを受けた。
1833.7.23 ビッグブルーの戦い。衝突、暴徒2人死亡、会員も。
1833. 暮 教徒、クレー郡へ移動(避難)1,200人、203戸が破壊された。
1834.6 シオンの陣営到着。
- - - - - - - - -
1838.3月~ファー・ウェストに教会本部
1838.10 クルッキドリバーの戦い
1838.10 ハウンズミルの虐殺 15人の男性が殺害され、別の15人が負傷。
1838.暮 JS、監獄に拘留される
イリノイへ脱出
(以上 「わたしたちの受け継ぎ」pp. 34-46の見出しから。一部補充。)
日曜学校、「福音の教義クラス」27課の読書課題に教義と聖約101, 103, 105章があげられている。その一部についてふれると、ジョセフ・スミスは1833年理不尽な要求をしてくる相手に何度まで譲歩すべきなのか、主に尋ねている、そしてそれは三度までという答えを得る。(D&C98:41-44)。それまでは平和主義的で抑制していたが、4回目に至れば報復(avenge)せよとの言葉を得ている(103:25)。
「シオンの陣営」はそのような文脈の中で組織されている。「シオンの贖い」のためにカートランドからミズーリへ行軍したのであった。その意義を今日風に言えば「対外安全・治安対策のために組織された軍事的行軍」であった。ここで言う「贖い」(redemption)は英語でto get back, recover 取り返すこと、であり、OTのヘブライ語ga:al は拘束されていたものを放つこと、に通じる意味である。
なお、教会側もミズーリ州で軋轢に遭った時期、自警団を組織して対応したこと、中には「ダナイト団」のような過激なものも生じたため問題が複雑化したのであった。
そして、101:4にある、ミズーリの聖徒が受ける「懲らしめ」chasteningの意味は、日本語の「制裁を加えて懲りさせること」という意味だけでなく、「矯正、訓練」(ヘブライ語)、「しつけ」(ギリシャ語、中国語)、「正す」(英語)、「教え込む」(中国語)などの意味が含まれることに注目したい。(箴言3:11, 12, ヘブル人への手紙12:5-7参照)。
註
英語 chasten 「正すために罰する」の語源
[L castigare, to punish < castus, pure + agere, to lead]
ヘブライ語 מוּסר [mu:sar] 矯正、叱責、訓練
ギリシャ語 παιδεία[paideia] 子供に対する訓練、しつけ、矯正
参考文献
ウィリアム・E・ベレット「回復された教会」(The Restored Church) 末日聖徒イエス・キリスト教会 東京ディストリビューション・センター、1975年11月20日
Daniel H. Ludlow ed., "Encyclopedia of Mormonism."Macmillan Publishing Company, 1992
ミズーリ州におけるモルモン教徒と地元住民との軋轢の理由
1 両者は文化的に著しく異なっていた。末日聖徒はニューイングランド出身であったのに対し、地元ないし周辺住民は南部諸州出身であった。例えば、地元民は奴隷制を支持し、北部の人々に不信を抱いていた。日曜日の過ごし方ひとつをとっても、末日聖徒が礼拝に向かったのに対し、鶏の格闘に興じる習慣があり、飲酒、けんかが珍しくなかった。また、学校を建設することもなかった。
2 末日聖徒はシオン確立に燃えていたが、それは周辺の住民から理解されず異端視された。教徒は信仰を明確に公然と語り、受け継ぎの地シオンは神から与えられたと宣言した。
3 末日聖徒は離れて一団となって住んでいて、社会的に孤立し、経済的に排他的に見えた。教徒は大きな共同農場を持ち、物品の購入は一括して行い、取引は身内内で行なわれた。
4 地元の奴隷所有者は、大勢の東部人の移住に不安を覚えた。最初の2年間に千人以上が移り住み、移住が増え続けた。
5 地元民は末日聖徒の集合が続けば、政治的優位が脅かされると恐れた。郡の政治が教徒に牛耳られると感じた。警察、判事の職などにおいても。
[参考] ミズーリ時代の主な出来事
1831 夏 ミズーリへの移住 NY州コールズビルの会員が全員ミズーリ州ジャクソン郡へ。
- - - - - - - - -
ミズーリ州での初期 非常に貧しかったが、土地を開墾し、農業に従事、開拓していった。
ジャクソン郡での迫害 1833年後半10の支部があった。千人が大会に出席(4月) 地元民、ldsの流入に不安
1833 夏 「誡めの書」に対する破壊活動(印刷所に対して)
パートリッジ監督への迫害。捕まえ、出ていけ、と嫌がらせ。リンチを受けた。
1833.7.23 ビッグブルーの戦い。衝突、暴徒2人死亡、会員も。
1833. 暮 教徒、クレー郡へ移動(避難)1,200人、203戸が破壊された。
1834.6 シオンの陣営到着。
- - - - - - - - -
1838.3月~ファー・ウェストに教会本部
1838.10 クルッキドリバーの戦い
1838.10 ハウンズミルの虐殺 15人の男性が殺害され、別の15人が負傷。
1838.暮 JS、監獄に拘留される
イリノイへ脱出
(以上 「わたしたちの受け継ぎ」pp. 34-46の見出しから。一部補充。)
日曜学校、「福音の教義クラス」27課の読書課題に教義と聖約101, 103, 105章があげられている。その一部についてふれると、ジョセフ・スミスは1833年理不尽な要求をしてくる相手に何度まで譲歩すべきなのか、主に尋ねている、そしてそれは三度までという答えを得る。(D&C98:41-44)。それまでは平和主義的で抑制していたが、4回目に至れば報復(avenge)せよとの言葉を得ている(103:25)。
「シオンの陣営」はそのような文脈の中で組織されている。「シオンの贖い」のためにカートランドからミズーリへ行軍したのであった。その意義を今日風に言えば「対外安全・治安対策のために組織された軍事的行軍」であった。ここで言う「贖い」(redemption)は英語でto get back, recover 取り返すこと、であり、OTのヘブライ語ga:al は拘束されていたものを放つこと、に通じる意味である。
なお、教会側もミズーリ州で軋轢に遭った時期、自警団を組織して対応したこと、中には「ダナイト団」のような過激なものも生じたため問題が複雑化したのであった。
そして、101:4にある、ミズーリの聖徒が受ける「懲らしめ」chasteningの意味は、日本語の「制裁を加えて懲りさせること」という意味だけでなく、「矯正、訓練」(ヘブライ語)、「しつけ」(ギリシャ語、中国語)、「正す」(英語)、「教え込む」(中国語)などの意味が含まれることに注目したい。(箴言3:11, 12, ヘブル人への手紙12:5-7参照)。
註
英語 chasten 「正すために罰する」の語源
[L castigare, to punish < castus, pure + agere, to lead]
ヘブライ語 מוּסר [mu:sar] 矯正、叱責、訓練
ギリシャ語 παιδεία[paideia] 子供に対する訓練、しつけ、矯正
参考文献
ウィリアム・E・ベレット「回復された教会」(The Restored Church) 末日聖徒イエス・キリスト教会 東京ディストリビューション・センター、1975年11月20日
Daniel H. Ludlow ed., "Encyclopedia of Mormonism."Macmillan Publishing Company, 1992
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます