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ロバート・A・リーズ「私の心は教会にある」、翻訳終了。

2016-01-29 23:34:48 | モルモン教関連
Robert A. Rees

1月中旬に翻訳を終え、ホームページtranslatedmaterials-for-jpselds.comに掲載した(翻訳文献5)ので、ここに発表します。

リーズはUCLAなど大学で教鞭をとり、2011年ユニオン神学大学院で教えている。文学を専門とし専門分野とモルモン学の分野で著書や論文を多数発表してきた。私は何度かアメリカのモルモン関連の研究会で見かけて、彼の明るく気さくな人柄に触れて、尊敬と親しみを覚えている。この度彼のエッセイを翻訳する機会を得て大変嬉しく思っている。以下、一部引用して、紹介したいと思う。

彼は「生涯にわたって、なぜ活発で熱心な末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であり続けるのかという問いについて考えてきた。この問いは、教会が公的に見せる行動がこうあってほしいと思う期待と衝突する時、殊に私を苦しませたようだ。それは公民権運動や黒人に神権が拒否されていた問題、男女平等憲法修正案(ERA)をめぐる戦い、そしてここ数十年では同性愛者に対する教会の扱いがそうであった」と述べている。

著者は教会に留まる理由として、「人々とのかかわり」「原則」「決意」の三つの点をあげる。

第一の点について。「回復された福音を通して人々の人生が変わるのを目にすることは、私の人生で最も価値ある経験である。私がモルモンの間で得た交友関係が、最も深く、価値あるもので、優しく友情のこもったものであった。私は友人として好かれ、愛されることがどんなことか、よく理解している。」

「私が留まるのは出会った人たちの中に、各地のワードで知りあった人々の中に、疎外されたと感じた人たちや自分は皆と違っている、あるいは教会との結びつきが希薄であると感じた人たち、質問があり疑問を感じる人たちのためである。『もし教会におかしい点があると思った人がみな去ってしまったら、教会の良心はどこに行ってしまうのだろうか。』 私は自分が教会の良心であるとうぬぼれたりはしないが、ほかの大勢の人たちと共に、私もその良心の一部であると信じている。」

教会が教える原則、教会が持つ機能について。「教会は私たちが自分の枠を越えて出ていく機会を提供してくれる。それは私たちの人格を鍛え、心を開く。・・教会に属していなかったら、人のために奉仕しようと自分の楽しみやしたいことを控えることもなかっただろう。小さな犠牲が私の人生をはかり知れないほど深め、豊かにしてくれた。」

「私が留まるのは、主が教会にもっとリベラルであることを望んでいると信じるからである。ジョセフ・スミスが言ったように、『天父なる神は、私たちが思う以上にその視野は遥かにリベラルで、慈悲の及ぶ範囲も遥かに広大である。』」

彼は敬虔で信仰熱心であると同時に、勇気のあるリベラル派でもある。彼は言う。
「主はご自分の教会が現状よりよくあってほしいと望んでおられると私は心から信じている。また、改善に向けて私にも何らかの小さな役割が果たせるのではないかという望みを持っている。教会員が黒人や同性愛者、知識層、あるいは多数派が「あの人たち」と考える人たちは主と食卓を共にする資格がないと見なす時、主は喜ばれないだろうと私は信じている。異なる意見を持つことや率直な対話を交わすことを抑制したり、禁圧したり、特に罰したりする時、神が喜ばれるとは思わない。女性が二級市民に格下げされていることも同様である。」

また、正直に心のうちを吐露している。
「時に私は「暫くの間」教会を離れ、「後で戻ってきて、また再び始め」ようかと思う衝動に駆られたことがあった。それでも私はこの教会が愛にとって至当な場所である。もっといい場所がほかのどこにあるだろうか、私は知らない。」

彼の証し(決意)。
「私がモルモン教会に留まる究極の理由は、キリストに従うと心に決めたからである。この教会はキリストの業がなされるべき場所の一つであると私は信じている。唯一の場所ではない、しかし私が選んだ場所である。あるいは、私を選んだ教会なのかもしれない。」彼は私が尊敬する末日聖徒のひとり(role model)である。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (教会員R)
2016-01-29 01:43:18
神ご自身がリベラルならば鬼に金棒と言ったところでしょう。
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Unknown (教会員R)
2016-01-29 02:22:28
私は唯一まことの教会が、まさにこの回復された末日の教会に存在していると信じている。しかしその一方、ジョセフスミスによって回復が完了したわけではなくて、彼は啓示と彼が許されたさまざまなアイデアを駆使して多くを回復したけれども、回復の引き金であって、いまだ主の福音は回復の途上にあるのではないかというイメージを持っています。

主が来られて王国が完成したとき、残念ながらおまえはここには入れないのだよ、と言われたときに、教会を憎む敵でさえ歯噛みして悔しがるというのだから、回復が完成された暁には、誰にとっても入りたいと思うような、不公平感のないすばらしい王国なのだろうとも妄想しています。
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ありがたし!! (たまWEB)
2016-01-29 10:39:30
とても健全な見解の持ち主の、識者の御仁のようで、こういった方と知己であるNJさん、エライなっ・・・一隅を照らす、これ国宝なり、訳者にも言えるですねっ。

そのリーズ氏が創設したとあります「リアホナ子供基金」【2008~、17ヶ国(アフリカ・東南アジア・中南米など)の教会員子供向け、教会米国教会員による食糧・教育支援ボランテア団体】の代表者と電話で聞いた人によると、2014・12月の話として、カンボジアでは栄養不良で餓死者も出てる、教会は米合衆国以外では、会員の福祉援助は、地元会員の断食献金だけが使用可、現地の会員の断食献金は援助するには全く不足。全世界から集まった断食献金の1%ほどの援助をもらえたら、17ヶ国の教会員子供の問題をすべて解決できるとのこと。しかし、教会からはほとんどサポートなしなんだそうな。そこで、教会管理本部の人道支援部に電話で尋ねたところ、会員のリクエストでどこどこの支援に使ってほしい等に対応はしない、他のボランテアに尋ねたらとの答えだということだぁ。
教会は献金の使用先は非公開ですかぁ、単に赤十字とかに金、回すだけ??直接の、しかも教会員によるボランテアがあるのにぃ。米合衆国の教会員であるビショップリックの一員は、献金から家のローン支援を受けたとかの話も・・・なんだかなぁぁ・・・本当に真剣な会員では、自分のお金が困ってる人の助けとなるのを実際に見届けようとする人もいるようで、そういった人たちがボランテアをしたり・支援したり・・・
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リアホナ子供基金の (たまWEB)
2016-01-29 10:41:40
サイトは、
http://www.liahonachildren.org/#/home

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Unknown (教会員R)
2016-01-29 12:35:30
たまWEBさん

モルモンは楽観主義がとりえです。

個人会員が教会管理本部の人道支援部にかけあって無理なことでも、きっと断食献金を「リアホナ子供基金」に流すうまいアイデアや組織を動かす手続きがあるのでしょう。

それなりの事情と条件と手続きなどの歯車がかみ合えば、普通は考えにくい、断食献金から家のローン支援を受けることもありえると思われます。
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コメントに啓発される (NJ)
2016-01-29 18:06:36
教会員Rさん、

> ジョセフ・スミスによって回復が完了したわけではなく、彼は啓示と彼が許されたさまざまなアイデアを駆使して多くを回復したけれども、・・いまだ主の福音は回復の途上にあるのではないか

私はそんな風に考えたことがありませんでした。そう言えばそうで、目が利いていますね。思い切った考え方の転換で、ldsとして極めて positive な見方だと思います。希望を感じます。Rさんが日本で果たす役割があるのでは、と思います。

たまWEBさん、

WEB上の探査、いつもながら旺盛ですね。助けられています。ところで、リーズのような働きは、Lowell L. Bennion も晩年実行しています。そのうち、彼についても取り上げたいと思っています。教会の働きに限界を感じて自分で福祉の活動に着手した例だと思います。
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