1990年代初めに、東京町田ステーキ部で教会員に、「教会で喜びを感じるのはどのような時、悲しみを感じるのはどのような時か?」と尋ねるアンケートが取られた。寄せられた回答がまとめられて聖徒の道1995年11月号に掲載されていたので、その部分を引用したい。
1 喜びを感じる時
[マタイ18:20 二人または三人が・・。画像はLDS Scripture of the day.]
1)集う喜び(霊的な証、話、賛美歌に共感するとき。福音を学べる時)
2)成長の喜び(自らの成長を自覚する時。ほかの教会員の成長を見る時)
3)奉仕をする喜び(神と同胞に仕える時)
4)友と交流する喜び(歓迎、あいさつを受ける時。会話を交わす時。仲間意識を感じる時。感謝や称賛の言葉を受ける時。模範的な人に出会う時。)
2 悲しみを感じる時
1)対人関係から発生する悲しみ(無視されたり、無関心な扱いを受ける時。誤解されたり、強制されたりする時。うわべだけのつきあいを受ける時)
2)集会や活動での悲しみ(出席が少ない時。準備不足のために、よい話やレッスンを聞けない時。騒がしかったり、効率が悪かったりする集会や活動に参加した時)
3)人の欠点を見る時の悲しみ(自己中心的な人、よくない噂や陰口を聞く時)
4)教会から去っていく人を見る時の悲しみ
5)汚れた集会場を見る時の悲しみ
6)奉仕をしても報われない時の悲しみ
7)自己嫌悪に陥る時の悲しみ
末日聖徒イエスキリスト教会の評価をするのに、参考となる資料と感じたので転載させていただいた。(記事は坂井圭元町田ステーク会長がまとめたもの)。
問題は指導者がマイナス面を知った時に真正面から改善に取り組んだかということです。
本音を知って是正する方向がわかっていてもアメリカの方針が優先されますので、頓挫することもあったことでしょう。
私の場合、心身ともに会員に助けられた喜びと宣教師のレッスン内容と違う事実を知った悲しみが追加されます。
多分教会では、マイナス意見を取り上げ改善していく体力がないので、マイナス意見を見ないようにしているのでは、と思います。
http://scripturetools.net/periodicals/liahona?lang=jpn
https://media.ldscdn.org/pdf/magazines/liahona-JPN-1999-1957/1995-11-00-liahona-jpn.pdf
昔の有益な資料が見つけにくくなってますね。
柏倉長老の後を受けたステーク会長さんだったのですね。
ローカルページP2
LOVE IS ACTION(愛は行動である)とおっしゃった方がいまが,
わたしたちも「キリストの純粋な愛」(モロナイ7:47)を成就する行動を,
みんなで考えて,それらを個人と家族を中心に展開していきたいと思っています。
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素晴らしい。
さすが町田ステーク名門です。
「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。
11 見よ、主なるあなたがたの贖い主は、肉体において死を受けた。それによって、すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように、主はすべての人の苦を引き受けた。
12 そして、悔い改めを条件として、すべての人を自分のもとに導くことができるように、主は再び死者の中からよみがえったのである。
13 人が悔い改めるとき、主の喜びはいかに大きいことか。
14 あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶために召されている。
15 あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶことに生涯力を尽くし、1人でもわたしのもとに導くならば、わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。
16 さて、あなたがたがわたしのもとに導いてわたしの父の王国に入れるようにした、1人の人とともに受けるあなたがたの喜びが大きいならば、もし多くの人をわたしのもとに導くとすればその喜びはいかに大きいことか。
17 見よ、わたしの福音はあなたがたの前にある。わたしの岩、またわたしの救いがある。
18 与えられると信じて、信仰をもって、わたしの名によって父に求めなさい。そうすれば、あなたがたは人の子らに必要なすべてのことを示す聖霊を受けるであろう。
19 もしもあなたがたに信仰と希望と慈愛がなければ、あなたがたは何も行うことができない。
」
とすると、バプテスマ会なんかが・・?!
例によってあれですが、そのローカル面にはスティーブ・ヤングの記事も・・・英語ので少々見まし、彼は宣教師の召しを受ける選択もあったんだが、そうならなかった話があって少々面白・・・