この頃、あまり見かけないように思われるが、以前一部のキリスト教会の「A,B,C教会とは一切関係がありません」という断り書きのあるチラシや週報などを見かけたことがあった。
この中に末日聖徒イエス・キリスト教会が通称モルモン教会として含まれていて、末日聖徒としてはよい印象を受けなかった。この表現が用いられることについて二三述べたい。
1) 「・・とは一切関係がない」という文言は原理(または根本)主義、あるいは福音主義の教派がよく使うようである。彼らは聖書に忠実で、特にパウロの言葉を根拠にしていると思われる。例、エペソ 5:11-13。ここに見られる表現は末日聖徒にとって大変直截できつい、と感じられる。ほかにも数カ所同様の聖句が見られる。彼らは聖書に忠実なのである。他の聖句に Iコリ6:14, 申命7:6-15, エペソ5:7-9, 11-13, IIテサ3:14, (Iテモ4:7-16), テトス3:10, 箴言4:15などがある。
2) こういった聖句を忠実に現代実践する結果がくだんの表現になるわけであるが、ひるがえって別の視点から見れば、「・・とは一切かかわりがない」という態度は「愛、理解、共存、協力」などの概念と対局にくるもので、現代ではきわめてクリスチャンらしからぬ言葉ということになる。
[「一切関係がない」は「無関心」に似ていて、むしろより強い語ではないか。画像は生コン]
私は日本の単立教会の牧師とこの表現をめぐって昔やりとりしたことがある。強力なカリスマ性のある女性牧師であった。(母がその教会に通い、土地をその教会に譲渡するということになり、息子である私も相続した土地を結局その教会に売却した。)くだんの文言で抗議したところ、週報とチラシから消えたようであるが、その後どうなったか確認していない。手紙の返事はいただけていない。
3) もう一つは末日聖徒にとっては控え目な言い方に響くかもしれないが、私は前からこの聖句を原理主義的宗派の人はどう受け止めるのだろうかと思っていた。それは、マルコ 9:38, ルカ9:49- の「逆らわない者は味方」という箇所である。「わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である」とイエスは言われた。
ὃς γὰρ οὐκ ἔστιν καθ’ ἡμῶν, ὑπὲρ ἡμῶν ἐστιν.
for who is not against us, for us is.
(of us)(he is)
救い主は予言者にこのように答えられたのです。
”それらのどれにも加わってはならない、すべて間違っているからである”
また救い主は世のキリスト教会と呼ばれるものに対してこうも言われました。
”彼らの信条はことごとくその目に忌まわしいものであり、信仰を告白するそれらの者たちはすべて腐敗しており、「彼らは唇をもってわたしに近づくが、その心はわたしから遠く離れている。彼らは人の戒めを教義として教え、神を敬うさまをするけれども神の力を否定している」”
このようにLDSの方から彼らと絶縁しているのですから、彼らとLDSとは一切関係がないのは当然だと思います。
私は何十年もLDS教会におりますが、他のキリスト教会と交流は全くありません。合同で礼拝行事を行うこともなく、相互にバプテスマを認めているわけでもありません。厳然たる事実として「一切関係がない」のです。
キリスト教会側にしてみればLDSがキリスト教が関係あると見なされるのは、未だに多妻結婚を隠れて実施している原理主義モルモンとLDSを関係があると見なされるのと同様に迷惑な話だろうと思うのです。
・・・
使徒時代からジョセフ・スミスまでの教会には、非連続性や絶対的な距離があると明確に主張するものなのです。
・・
ジョセフ・スミスが19世紀初頭に創始したモルモン教は、聖書の他に『モルモン書』などを独自の聖典として持ち、三位一体を否定するなど、正当なキリスト教ではない異端とされている。
・・
アメリカ本土では会員の社会での活躍によってだいぶ異端色は薄まりつつあるようですが、日本ではまだまだですね。
日本の社会特有の宗教嫌いを逆手に取られている感じがします。
福音主義を掲げる保守的なキリスト者はほとんどマインドコントロールされてる感が。。
悲しいかな日本の聖徒の社会的活躍が差別的異端審問からの脱却には必要なのでしょうね。
モルモン書等も創作はてまた偽典に類するといった理解を持っているわけで、
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/58b9e94b384d8559d5e7604ccfb83cd2
原理主義の福音主義派への感想ということなんでしょうね。
それはそれでたいへん貴重な御仁ということに・・・
大変参考になる記事だと思います。
ただクリスチャンの中にはそうした文章をわざわざ表記する必要は無い、と苦言を呈する方々もおられるようです。とは言え、LDS教会に対して失礼だからというよりは、記載することで返って印象が悪くなるとして自省を求めているような意見でした。
そしてあれこれ検索しておりますと、以下の記事を見つけました。
『米テキサス州の教団『FLDS』(末日聖徒イエス・キリスト教会原理派)は一夫多妻制を主張することで知られているが、同州西部サンアントニオの北西約260キロにある施設内で16歳少女が暴行され、別の16歳少女が出産、子どもが生後8か月になるとの情報を受け、州の児童保護局などは4月3日、施設を調査した。
(中略)
FLDSは、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)が1890年に一夫多妻制を放棄したことから分派した。
(中略)
モルモン教会は現在、一夫多妻制を実行する信者は破門し、FLDSとの関連を一切否定している。』
https://www.christiantoday.co.jp/articles/2166/20080408/news.htm
LDS教会にとっても「一切関係ない」と言わねばならない存在があると言うことなのですね。
「愛、理解、共存、協力」などの概念=クリスチャン
と言う見方が間違っているんじゃないですか?
それは、NJさんの願望であり、失礼ながら幻想でもあると思います。
キリスト教を土台にした国家であるアメリカが、「愛、理解、共存、協力」とは全く相いれない政治や外交を行っている。
その政策を多くのクリスチャンが支持している。
そんなのは、お題目(って言うと日蓮宗に叱られますが)でしかない。
「愛、理解、共存、協力」を本当に思っている宗教が、十字軍を指し向けますかね?
モルモンにしても、台湾の信者を見捨てて習さんと仲良くしようというどこかのキリスト教教団も、「愛」なんて言う物より優先するものが有るんじゃないですか?
つまり会社組織などで過去関係があったが、犯罪的な何か(横領や暴力事件などの行為など)で組織から追放されていますのでかかわらないでくださいという意味の通達に使われる表現。
彼らはとぼけながら、わざと使っています。
日頃宗教関係の動画を巡回するせいなのか。。
こんなのがオススメにありました。
個人的に同調できます。
アレフ
統一教会
顕正会
エホバの証人
法の華
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もっと笑うのが「当教会は正統派のプロテスタント教会です……とは一切……お困りの方は……」と書かれたものでした。知識がなくてすみません