モルモン書が読書課程にあがっている今年度最後の12/20日にかけて、故スぺリーBYU教授があげたモルモン書の9つの普遍的な特徴ないし教えを紹介したいと思う。(Facebookの「聖書を原語で学ぶ会」に掲載済)。
1 「万国の民にご自身を顕す」(扉の頁)。ここには何らの偏狭さも、排他性もなく、特定の人種、肌の色、教派を対象としたものでもないことが謳われている。「顕す」の名詞形は manifestation (英語) で、ギリシャ語起源の epiphany [epi, upon + phainein, show]につながってゆく。狭義には「神の顕現」を意味する言葉である。
2 「罪と抑圧を厳しく非難」。人の魂を破壊する全体主義や人権蹂躙の状況がなくならない今日、自由意志と民主主義の精神がモルモン書に見られる。
3 「自由意志(選択の自由)と民主主義」。次の聖句がそのことを示唆している。「現世の人は自由にして、・・自由と永遠の生命とを選ぶか、・・束縛と死とを選ぶか、これ人の随意なり」(IIニーファイ2:27, 明治訳)。現在、「自由意志」(free agency)という言葉は、moral (free) agency* と言われるようになっている。そして民主主義の精神はモーサヤ29:38に見ることができる。「彼らは王を持とうとする望みを捨て、国中のすべての人が平等な機会を得ることを非常に切望するようになった。」
4 「全ての人は神の前に平等である。」スペリーはこの点についてIN17:35を引用している。「主はすべての人を公平に重んじられ、義にかなった者は神から恵みを受けます。」
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モルモン書に時空を超えた普遍的な原則や教えが記されていることを改めて知ると、それだけ読む意義を感じ、人にも紹介する気持ちが湧いてくると思う。
*free には「代価を払わない、ただ」とか「義務を負わない」などの意味から遠ざけられたものと思われる。しかし、「制約を受けない、他者の力に抑えつけられることのない、自立した」といった意味から問題ないとする立場もある。
ここにあげる9つはスペリー著第32章から要約したものである。
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5 「国々の間に神の教えと見られるものが散見される。」それは次のアルマ29:8の聖句からくみ取ることができる。「主はいずれの国においてもその国の人をして、その国の言葉で、御心に適う程度に主の言葉を教えしめ給う。」スペリーは孔子、仏陀、ムハンマドなど優れた指導者が、いわば神の言葉を程度の差こそあれ、人々に教えたのは偶然ではない、と見る。
[左からイスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンズー教、キリスト教の象徴]
6 「教えは実行し、試してみるとよい。」 試して確かめることを勧めるというのは、普遍性があり、理に適った言葉である。ヨハネ7:17にもあるが、アルマ34:4に「み言葉を心に植え・・そのみ言葉の良さを試してみるように」と記されている。そしてモロナイ10:4では、彼に託された記録(モルモン書)が真実であるかどうか、誠心誠意神に問うよう勧めている。
7 「すべてのものには反対のものがある。」リーハイが述べたこの言葉(IN2:11)についてスペリーは、モルモン書の中で最も深く考えさせる部分ではないか、この部分は善悪の問題に対するニーファイ人の対処法を示していて興味深い、と言う。
8 「人類は幸福を得ん為現世に在るなり。」(明治訳, IIN2:25)。アメリカ人、英国人、ロシア人、仏、独、日本の国民など、いずれの国民であれ、全ての人類は喜びを得るため地上にいるのである。ここで言う「喜び」joy は普通の限られた意味合いに留まるのではなく、「神の御前にあって永遠の至福の喜びに導くような生き方」を意味している、と著者は解説する。
9 「同胞のために務めるのは、まさに神のために務めているのである。」(モーサヤ2:17,試訳)この句以上に素晴らしい考えは聖典全体の中でもあまりないのではないか。神に仕えるには、手助けする隣人を捜してその人のために尽くしさえすればよいのである(スペリー)。ここで only という語が見えるが、「結局・・」「とりもなおさず・・」と訳せる場合で強調に取れる用法であると思う(投稿者)。
モルモン書を終えるに当たって(教会の2020年度読書課程)、そこに見出される普遍的な教え(universals)を振り返って見ることができて幸いである。最近、重きをなしている新しい世代の研究者グラント・ハーディは、文化の異なる多くの地域に翻訳され信徒を得ているモルモン書は、今や「世界的な聖典」のひとつと見てよいのではないかと書いている。
参考・Sidney B. Sperry, “Book of Mormon Compendium” Bookcraft, 1968
・Grant Hardy, “Understanding the Book of Mormon: A Reader’s Guide” Oxford University Press, 2010
何故かログインできないことシバシバ。
日頃の行い、悪いんでしょうねw
ローマ2:6
神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
スペリーさんの著作紹介いただきありがとうございます。
探して読んでみます。(翻訳サイト駆使してですが)
>モルモン書に時空を超えた普遍的な原則や教えが記されていることを改めて知ると、それだけ読む意義を感じ、人にも紹介する気持ちが湧いてくると思う。
素晴らしい!大変共感します。
モルモン書が創作か否か?に囚われるなど田舎者です。
なので時々囚われますw
>8 「人類は幸福を得ん為現世に在るなり。」(明治訳, IIN2:25)
天台宗の尼僧様も同じ説教をされてました。
真理ですね
子ども騙しのウソはお止めになりませんか?みっともない。
民主主義って、神からの啓示ではなく人の判断で意識決定することです。啓示を受ける預言者を頂点とするモルモン教会の神権ラインとは相反するものです。
民主主義とは多数決と選挙が行われるものです。そんなものはモルモン教会にはありません。モルモン教会に全会一致の挙手ならありますが、それは北朝鮮の金正恩が支持率100%であるのと同じこと。
モルモン教会では、自分の責任の範疇で判断し意志決定できる、だから民主主義だと屁理屈をおっしゃるかも知れませんね。でもそれは黒人奴隷が今日の晩飯をポテトにするかオートミールにするか意志決定できるレベルでしかありません。
まぁそうですねこのブログにコメントしている老獪なモルモン会員なら、他人から文句を言われないように「うまいこと」やってるかもしれません。それは世渡りが巧いだけで、モルモン教会が民主主義とは言えません。
民主主義があるなら公然と指導者批判ができなければなりません。モルモン教会では戒めを守らなくても、神を信じていなくても許されますが、指導者を批判することだけは絶対に許されないじゃないですか。
>>そして民主主義の精神はモーサヤ29:38に見ることができる。
>子ども騙しのウソはお止めになりませんか?みっともない。
えーと。njさんの主張ではなく。。スペリーさんの本の要約ですけども。
Google翻訳エンジンがまたもや進化でしょうか。
Deepleよりもこなれた感じです。
ループの1つは、リーハイという名前の預言者の指導の下、
キリストの誕生の約600年前にエルサレムを去りました。
それは主にエフライムとマナセの部族の人々で構成されていました。
もう1つのグループは、紀元前590年頃にエルサレムを離れた難民で構成されていました。
(モルモンの年代学の書)ユダの王ゼデキヤがバビロンに捕らえられたとき。
これらの難民の一人は、聖書に言及されていないミュレクという名前のゼデキヤの息子でした。
ゼデキヤの他の息子たちがバビロニア人によって殺されたことは記憶に残るでしょう。 (列王第二25:7)
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やはり本家の著作というのは保守であれリベラルであれ様々興味そそられます。
PDFやKindleなどのデジタル書籍からコピペして翻訳サイトで。
英語苦手な方は便利です。
オムナイくん、キミはそうではないのかも知れないけれどNJさんは書籍を紹介する場合は、少なからずそれに共感する部分があるというごく普通の感覚をお持ちの方だよ。
特にNJさんがその中から一部を抜粋したり要約してブログの記事にする場合は、その内容を読者に分かち合いたいからというごく一般的な理由によるものだ。
そしてもしそれ以外の理由で書籍を紹介するのであれば、読者が誤解しないように説明を加えるという、これまたごく当然のことをしてくれるのがNJさんという人物だ。
キミのように、原文の意味も理解せず日本語にすらなっていないDeepl翻訳文を引用して「ここ参考になります」なんて風に、どこにも存在しない自分の手柄をドヤ顔でひけらかすような愚かな行為をNJさんは決してしない、という信頼の下でNJさんの記事に対して反論を書いているわけなので理解していただきたい。
そういうことは頼んでいませんけれど。
故スぺリーBYU教授があげたモルモン書の9つの普遍的な特徴ないし教えを紹介したい
」
学者仲間で、フィーリング的に波長が合う?ということでかつ学識者としての自尊・見識に反しない内での、紹介なのかも・・
モルモン・一般クリスチャン両者間の橋渡し・取り持ち・仲介を率先・自任してるふうなのがNJさん、学者の世界限定なら、クリスチャン学者も含め得、彼らの理解をも得られると見込んでのことでしょうかね。
”1 「万国の民にご自身を顕す」(扉の頁)。”
「モルモンがニーファイの版から取って自分の手で別の版に書き記した記録
したがってこれは、ニーファイの民とレーマン人についての記録を短くまとめたものである。――イスラエルの家の残りの者であるレーマン人、ならびにユダヤ人と異邦人にあてて書き記されたもの――戒めにより、また預言と啓示の霊により書き記されたもの――書き記され、封じられ、主に託して隠され、損なわれることのないようにされたもの――神の賜物と力によりもたらされ、翻訳されるもの――定められたときに異邦人によって伝わるように、モロナイの手により封じられ、主に託して隠されたもの――また、神の賜物により翻訳されるものである。
これには、エテル書から取って短くまとめたものも含まれている。エテル書はヤレドの民の記録であり、ヤレドの民は主が民の言語を乱されたとき、すなわち民が天に達しようと一つの塔を建てていたときに散らされた人々である。――これはイスラエルの家の残りの者に、主が彼らの先祖のためにどのような偉大なことを行われたかを示すものであり、また、彼らはとこしえに捨てられないという主の聖約を、彼らに分かるように示すものである。――また、ユダヤ人と異邦人に、イエスがキリストであり、永遠の神であり、すべての国民に御自身を現されることを確信させるものである。――ところで、もし誤りがあるとすれば、それは人の犯した間違いである。したがって、キリストの裁きの座で染みがないと認められるために、神にかかわるものを非難しないようにしなさい。
諸版よりの英語への原訳
ジョセフ・スミス・ジュニア
英文初版発行
1830年、
アメリカ合衆国ニューヨーク州パルマイラ
」
モルモン書端書・前書きにあるモルモンの言葉を必ずしも字義通り、信じ受け入れては・・??ということではどうなのかな? やはり、基本、ジョセフの創作との理解なのでしょう。とすることでクリスチャン学者仲間から受け入れられやすいか・・
あくまで学者間での情報処理・伝達可能な解釈、垣間見れる許容範囲に限られると。
「見よ、その道は人にとって狭いが、人の前にまっすぐであり、門を守る者はイスラエルの聖者である。聖者はここには僕を使われない。またその門を通る以外に、ほかの道はない。そしてその御方を欺くことはできない。その御方の御名は、主なる神だからである。
」2ニーファイ9:41
>学者仲間で、フィーリング的に波長が合う?ということでかつ学識者としての自尊・見識に反しない内での、紹介なのかも・・
うーん。どうなんでしょうか。
少し読み進めた感じでは「モルモン書は偽典」というNJさんの見識とは少し距離を感じます。
もう少し読み進めると「同じかな?」と思うかもしれませんが。
保守・リベラル関係なく宗教的良い価値観を見出せる。
ということかなと思います。
>モルモン書端書・前書きにあるモルモンの言葉を必ずしも字義通り、信じ受け入れては・・??ということではどうなのかな?
良いと思います。
というか伝統的キリスト教でも字義通り、信じ受け入れている人の方が多い気がします。
もちろん、そうでない信者さんも多くなるつつありますし末日聖徒は先人である
伝統宗教の後追いをしているわけですから、今後はリベラルな末日聖徒も増えるんでしょうね。
伝統宗教でも様々な立場が受け入れられて来たように末日聖徒でも、そうなるべきでしょうし、そうなるでしょう。
>そういうことは頼んでいませんけれど。
kizukaさんへ
すみません。オムナイくんがまた変なこと言ってるなぁと思って反論をノリノリで書いていたら、いつの間にか私のコメントに対するオムナイくんのコメントに反論しているみたいな文章になってしまって・・・
そのことは送信してから気づいたのです。それでkizukaさんのコメント、オムナイくんのコメント、私の横入り、だと言いたかったのです。
ですが、さらにまた後で考えたら「kizuka氏の代弁」という表現も良くなかったです。ただの横入りコメントです。
すみません、ご迷惑をおかけしました。