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ジョセフ・スミス訳聖書(Joseph Smith Translation)I

2014-03-01 21:32:17 | モルモン教関連


昔、「霊感訳聖書」(Inspired Version of the Bible)と呼ばれ
ていた、ジョセフ・スミスによる聖書の改訂(Revision)について、
関心をもって多少研究してきたので改めてまとめてみたい。
(1990年モルモンフォーラム4号で8ページにわたって扱ったこ
とがあった。)ジョセフ・スミスは教会設立後間もなく1830年6
月に聖書の改訂に着手し、ほとんどを1833年7月に終わっている。
ジョセフ・スミス訳(以下JST)の権威、故ロバート・J・マシュ
ーズによれば、ジョセフ・スミスは少なくとも聖書の3410節に変
更を加えている(約10%)。特に創世記とマタイに集中しており、
また詩編、イザヤ、ルカ、ローマ人への手紙、コリント前書に多
くの変更が加えられ、逆にルツ、エズラ、エステル、伝道の書、
マラキ、ヨハネの手紙2,3、などには手が加えられていない。
彼はこの仕事を「私の召しの一つの分野」(「教会歴史」 1:238 )
と呼び、重んじていた。

ジョセフ・スミス自身が翻訳と呼んでいたが、この改訂は原文を
見て他の言語に訳す翻訳ではなく、欽定訳聖書を見ながら本来こ
うあるべきだろうと彼が思い至ったところをしたためた一種の注
解書であった。彼の手がけた改訂には次のようなものがあった。

1 欽定訳の英語を含めて古い表現を解りやすくした。例 my
master wotteth → my master knoweth (創世39:8)、Joseph died,
being an hundred and ten years old → Joseph died when he
was an hundred and ten years old (創世50:26) 。くちびるに割
礼のない者 → 私の唇はどもり、口下手な者(出エジプト6:30)、な
ど。

調整型の変更。前後の異なる表記や矛盾を解消しようとしたり、
教義的な視点からそんな筈はないと思われる箇所に修正を試みた
りしている。例、ふたりのみ使いは → 三人のみ使いは(創世18:2,
22, 19:1参照)、主は人を造ったのを悔いて、→ 主が人を造ったの
をノアは悔いて(創世6:6)、主という名では、彼らに知らせなかった
→ わたしの名は彼らに知られていなかったであろうか(出エジプ
ト6:3 )、など。この型の改訂では、主語が入れ替えられたり、動詞
が入れ替えられたり(アブラハムは笑った → 喜んだ 創世17:17)、
not が挿入され肯定が否定に変えられたりしている(へブル6:1
leaving the principles of the doctrine of Christ → not
leaving、notが挿入された他の例 創世19:8娘たちを差し出す、好き
なようにし → 共に否定に、申命14:21 他国人に食べさせてはなら
ない、外国人に売ってはならない、と肯定であったものが否定に。
死んだものは、他国人であっても食べさせてはならない、というJS
の判断が表れている。Iサムエル16:14 主から来る悪霊
→ 主のものではない悪霊)。

解説、解釈的な変更。難解な所、すっきりしない所を解りやすく
する試み、敷衍。例、出エジプト4:24で「主は彼(モーセ)に会っ
て彼を殺そうとされた」とあるが、唐突なこの言葉に読者は戸惑う。
それで、「彼が息子に割礼を施していなかったからである」と理由
をすぐ後に添えて唐突感を和らげている。また、情報が乏しく素性
の不明なメルキゼデクについて、ヘブライ人の手紙7:3で父も母もな
く、生涯の初めも終わりもないのはメルキゼデクではなく彼が保有
していた神権である、としている。ヨハネ4:24「神は霊である」と
いう句は、「まことの礼拝をする者に神は御霊を約束された」と文
を改めている。そのほか、「教会で語るのは、婦人にとっては恥ず
べきことである」(Iコリ14:35) → 「支配するのは」とし、「神を
見た者は、まだひとりもいない」(I ヨハネ4:12)は → 「信じる者
以外に」を挿入、「すべては信仰による」(ローマ4:16)は → 「信
仰と行いにより義とされる」としている。これらは末日聖徒の信条
に合うように改訂を試みた例である。

補飾、拡張的追加。メルキゼデクについて聖書に僅かな記載し
かないのに対して、生い立ちの部分が1節次のように加えられてい
る、「さて、メルキゼデクは信仰の人で義を行なった。子供の頃か
ら神を畏れ、ライオンの口を閉ざし、燃え盛る火を消しとめた」
(創世14章)。また、伝えられていない幼児期イエスの様子を、「ほ
かの人のようには語らず、教えられることもなかった。彼は誰かに
教えられる必要がなかったからである」と補足している(マタイ2:
23)。ほかにずっと長い、霊感により与えられた啓示と呼ぶべき拡
張的追加が、高価な真珠に含まれている。モーセ書でモーセの示
現と呼ばれた部分がそうであり、その中に旧約では数行のエノクに
ついて詳しく記された部分がある(6, 7章) 。以上のようなジョセ
フ・スミス訳をどう見るべきか、またその意義についてIIの記事で
まとめたい。


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