「註に注 神学進化 そこに見ゆ
徐行で歩む 末日聖徒」
2022年旧約聖書を学ぶための手引き「私に従ってきなさい」p. 96に、旧約聖書の歴史書を読む上で知っておくとよい点として注が記されている。
「聖書に記されている歴史の物語は、おもに多くの無名の記録者や編纂者によるもので、・・時に述べられている内容の時期から何年も後、さらには何世紀も後にその作業を行なった。彼らは様々な歴史資料をよりどころとし、何を含めるべきかについて判断を下した。」
また、列王記がイスラエルとユダ両王国の興亡を描いているのに対し、歴代誌が北王国イスラエルの歴史を省略してユダ王国に焦点を当てるなど、編者によって視点が異なること、そして列王記がバビロン捕囚の間に完成し、歴代誌が捕囚から帰還後に編纂されたことを注記している。
以上、ごく当たり前の注に見えるが、聖書学で言う「文書資料説」に通じるものとして注目した。年月を経た後世に、視点を異にする複数の編集者によって書かれたことを認める点で共通していて、批判神学に近づく前進の兆しを感じる。
関連して、ジョン・W・ウェルチが批判神学を含む聖書学が末日聖徒の聖書理解に大いに資することになる、と述べていることに注目したい。(デイビッド・ボコボイ、「旧約聖書を批判的に読む」Authoring the Old Testament : Genesis – Deuteronomy, 2014 への前書き)。
教会幹部でジョセフと同じように啓示を受けてるというのは無しでしょうかぁぁ・・
「70:14 それでも、現世のものについて、あなたがたは平等でなければならない。
しかもそれが不承不承であってはならない。そうでなければ、豊かな御霊の現れは
与えられないであろう。
」
80年代初のキンボール管長時代での聖典化・canonizationが、今のところ教義と聖約
138章を最後に、約40年音沙汰無し・・(内容も1910年代、ジョセフの時代の)
アロン神権・・天使の導き・恵みを受けれる
メルケゼデク神権・・顔と顔を合わせての神の御子イエスの顕現、訪れを受けれる
後者は幹部には無し・・オークス副管長は幹部でそのようなことは聞いたことがない発言
> 神社
今や末日の時代、回復で、ありとあらゆる神社の祭神は歴史上の人物に比定できるように
なって来たんでしょう・・たとえば日本武尊・ヤマトタケルノミコトは慕容儁(319 - 360)
武尊 慕容儁 ”小林惠子”
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%AD%A6%E5%B0%8A%20%E6%85%95%E5%AE%B9%E5%84%81%20%E2%80%9D%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%83%A0%E5%AD%90%E2%80%9D&ei=UTF-8
なんか、「99 これらは、パウロにつく者であり、アポロにつく者であり、またケパにつく者である。」
思い出し・・それを思うと、あらためてキリスト教徒は少数、況やモルモン・・
いかにアンモンPが重大だったかと・・んが、95年以降のインターネットの情報流通・普及でどうだったかぁ??
ワクチンでの有害事象は0.5%??
https://indeep.jp/urf-for-miscarriages-using-the-dmed-data/
>徐行で歩む 末日聖徒」
アメージング!!
なるほど、徐行をチョイスですかぁ。
なんでも俵万智さん以来の短歌ブームなんだそうで。
七五調は神のリズムと言われているそうです。
きっとヘブライ語の旧約聖書も韻を踏んだ心地よいリズムで読まれていたんでしょうね。
>デイビッド・ボコボイ、「旧約聖書を批判的に読む」Authoring the Old Testament : Genesis – Deuteronomy,
紹介ありがとうございます。
最近はiPhoneでキンドルで洋書読んでます。
縦スクロールにすると超便利。
会員もそれ以外の知識が全くない、今クリスチャンが読んでいる聖書の構成が七十人訳聖書がベースになっているとか、その後ルターが再構成したからカトリックとプロテスタントで構成が違うとか、そんな初歩的な知識もないんですよねぇ
聖書から重要な部分が多く抜かれているって念仏のように言うけど、じゃどこよ?って聞いても誰も答えられないし、そんなこと考えもしない、どっちかと言うとモルモン教義と聖書の矛盾が出てきたときだけ『聖書はいろいろ抜き取られているから』って言い訳に使うのな、ホント、馬鹿馬鹿しいです・・・
「批判進学」に近づく前進の兆しを感じる。
私も関心を持って読んでみました。ただ、NJさんのような方向性は考えて
いません。ただ、原資料の存在と(例 モーセの五書の基本的な部分は彼自身による)、後の時代の編集者の存在と彼らによる編集作業(これも彼らの伝統として原文にできる限り忠実に保存・編集する)があったことを述べていると思いました。
「文章資料説(仮説)」がウ”ェル・ハウゼンに代表されるものであるとしたなら、「文体、神名、重複記事」を基準に文書資料を区分けしていますので、この方法に通じるものとは言い難いと思います。
批判神学(=自由主義進学)であるなら、それらの神学の特徴とは相容れないのが現状だと思います。(自由主義神学・リベラルの立場についての詳細はここでは書きません)
一例として、基本的な態度としての「文明の進歩」に対する楽観主義の限界と歴史的事実を理解と確信の基盤とする方法論はすでに失敗しています。
モルモン書3N 5:8−19でモロナイは自分の立場と役割について
●ニーファイの記録に従って、これまでこれらのことを記録
●わたしは神の御子イエス・キリストの弟子である。
●すでに世を去った聖なる人々の祈りが、彼らの信仰に応じて叶えられるように、これまで起こったこれらのことを、神の御心に従って記録することは望ましいことである。
●簡潔に記録する。
●私より前に生きていた人々が記してきた記事から取って記録
●私自身の目で見てきたことを記録
彼と同じようなことが行われたことが書かれてあるように理解しました。
・・
私たちの聖典へのアプローチは、過去の世代によって記録されたものをいかに文字通りに受け入れるか、
そして現代の学問が歴史や科学に照らしてそれらの過去の世代をいかに理解するかということのバランスを見いだす必要があります。
バランスが取れていないと、私たちの霊的成長が妨げられ、証が危険にさらされる可能性さえあります。
末日聖徒は聖典に対して不謬主義的な見方をしてはいけません。
預言者は神の召しを受けた間違えやすい人であり、聖典には間違いがあることを知っているからです。
聖典に書かれていることをすべて文字通りに読むと教会の内外で最も優れた学者が文字通りの読み方は成り立たないと主張していることに気づいたとき,
証に損害を与える可能性があります。
・・・
聖典の多くは科学以前の時代に書かれたもので、聖典を記録した人々の批判以前の仮定が盛り込まれているだけでなく、
神の原理を伝えるために空想的な物語が含まれていることもあります。
ジョセフ・フィールディング・スミスはかつてこう書いています。
「聖書を最も敬虔で誠実に信じている人たちでさえ、他の多くの本と同じように、聖書には比喩、類語、寓話、たとえ話がたくさんあり、
知的な人なら文字通りの意味で受け入れざるを得ないものであることに気づいている。
・・・
「主はその言葉を信じる人々から理性の力を奪ってはいない。
主はその "くびき "を負うすべての人に、言葉のあやをその適切な設定で受け入れるだけの常識を期待し、
聖典には寓話的物語、信仰を築くたとえ話、芸術的表現があふれていることを理解するよう求めておられるのです。...」
・・
「神の霊感とはいえ、聖書のテキストは人間の言葉の影響を受けずにはいられないし、
人間環境からの悪影響も受けずにはいられない。
したがって、聖書の批判的研究は、古代の記録の定式化、伝達、翻訳、解釈における人間の誤りを許容し、
その修正を示唆するのに役立つことが保証されている」
・・・
末日聖徒の使徒、ジョン・A・ウィッドソー長老も同じように書いています。
・・・・
「現代思想の分野では、聖書のいわゆる高等批評が重要な役割を担っている。
歴史、言語、文学形式に関する我々の最善の知識に照らして聖書を注意深く調べることによって、聖書の普通の読者には感じられなかった多くの事実が明るみに出たのである。
このように集められた事実に基づいて、学者たちは通常の科学のやり方で、あるものはかなり、あるものは低い確率で真実であるという推論を進めてきました。
末日聖徒にとって、古今東西の聖典を注意深く批判的に研究することに異論はないでしょう。
・・・
ーーーーーDeepel---
NJさんが言われていることと共通するところが多く、大変共感しました。
末日聖徒の聖典に取り組むべき姿勢、本当は奥深いんですよね。
By Tad Walch, Deseret News| Updated - June 9, 2022 at 7:38 a.m.
| Posted - June 8, 2022 at 8:49 p.m.
SALT LAKE CITY - 水曜日の午後、ニューヨーク州マンチェスターにある末日聖徒イエス・キリスト教会
のヒルクモラ・ビジターズ・センターを、犯人が木立から二十数発もの銃弾を発射し、二度も襲った、
とフィンガーレイク・タイムズが報じました。
報告書によると、銃撃があったとき、約80人がビジター・センターにいたという。同ニュースでは、
この銃声がSWATチームを含む大規模な警察の反応を引き起こしたが、犯人は見つかっていないという。
ニューヨーク州警察は、1発がセンターに命中し、水曜日遅くに1人が拘束されたが、その人物の
「意図は悪意ではないようだ」と、チャンネルニュース8WROCが報じた。その人物が本来のガンマンで
あるかどうかは、すぐには明らかにならなかった。
オンタリオ郡保安官当局の発表によると、警察の無線通信によると、22発以上の銃声が建物に向けられた
と、タイムズ紙は報じている。
ニューヨーク州警察はこの事件を管轄している。
「今日の午後、ニューヨーク州パルマイラにあるヒル・クモラ・ビジターズ・センターかその付近で
数発の銃声がした」と、教会のスポークスマン、エリック・ホーキンスは声明の中で述べた。
「幸いなことに、負傷者は出ていません。この時間帯には、ほとんど情報がありません。詳細についての
お問い合わせは、地元の法執行機関へお願いします。
クモラの丘は、ジョセフ・スミスが1823年から1827年まで天使モロナイと毎年会っていた場所です。
教会の初代会長兼預言者は、天使のおかげで、1827年9月22日にモルモン書が翻訳されることになる黄金
の板を手に入れることができたと述べています。
丘の頂上には、そこで起こった出来事を記念するモニュメントがあります。
ニュースメディア各社が現場に集まり、写真や動画をツイートする記者もいた。
ある女性はEast Idaho Newsに、銃撃があったときビジターセンターにおり、ツアーでビジターセンター
周辺の広大な敷地に100人の子供たちのバスが一台あったと語った。
また、ツイッターでは、娘が今日、ビジターセンターで任務の初日を務めていたと発言している人も
います。彼は、センター内の訪問者がひざまずいて一緒に祈ったと言いました。
クモラの丘は,スミス家の住宅と,ジョセフ・スミスが1820年に父なる神とイエス・キリストが訪れた
と報告した聖なる木立ちから約3マイル(約9キロ)のところにあります。
寄稿 アシュリー・イムライ、KSL.com
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
」
https://www.ksl.com/article/50419881/gunman-at-hill-cumorah-fires-22-shots-no-one-injured-at-latter-day-saint-visitors-center
容疑者は捕まったな・・
https://www.fox13now.com/news/local-news/shots-fired-at-or-near-lds-hill-cumorah-visitors-center-in-new-york
ーーーー
とNJが紹介されている
Authoring the Old Testament : Genesis – Deuteronomy
旧約聖書の起源:創世記から申命記まで (現代聖書研究) (英語版) Kindle版 ¥2,630
のレビューです。
ケリーシャツ
5つ星のうち4.0 ボコボイは失望しません
2017年7月8日にアメリカ合衆国でレビュー済み
Amazonで購入
ボコボイは失望しません。家長が読み書きができる可能性に関する彼の資料は、本の価格に見合う価値があります。
彼らができたはずの方法はありません。
これは高価な真珠に深刻な問題を引き起こします。
彼のアブラハム書と重大な問題の扱いはかなり穏やかでした、
私は認めなければなりません。全体的に、良い読み物。
タミー
5つ星のうち5.0 末日聖徒の聴衆のための「文書仮説」の優れた入門書です。
2020年12月29日にアメリカ合衆国でレビュー済み
アマゾンで購入
この本は、難しいトピックから逃げたり、パンチをしたりしません。
この本は、文書仮説の優れた概要を与え、それがどのように末日聖徒の聖典に関連するかを説明する素晴らしい入門書です。
魅力的です。彼の信仰の結論に同意しないとしても、良い教育であり、興味深い視点です。
Mhalky Dalton
5つ星のうち5.0 素晴らしい本です。
2016年9月7日アメリカ合衆国でレビュー済み
アマゾンで購入
この本は、LDSの聴衆のために、文書主義的な仮説に入るために、よく書かれた素晴らしい本です。
このテーマは、末日聖徒の多くの人にとって新しいかもしれませんが、この本は、非常に信仰を促進する方法でそれを提示します。
ボコボイはうまく説明し、何年もの学校教育を必要とするようなテーマを、私のような者にも非常に理解しやすいレベルまで下げてくれます。
聖書、モルモン書、その他の宗教のテキストがますます学術的な研究の対象になってきているので、
すべての宗教団体のメンバーは、少なくとも何が言われているかを基本的に理解して、
知的に議論に参加できるようになる必要があります。
本書はそのための素晴らしい資料となるでしょう。
・・・・
つまりですね。
現代的な聖典研究は創作だからダメとか寓話だからダメとかにこだわっていてはダメなんでしょうね。
現状維持は最大のリスクであります。(新幹線の無料冊子に載ってました。;;;)
クリストファーソン長老は、モルモン書の文献としての影響力についても言及し、
全米中の大学レベルの英語講義でモルモン書が読書課題として使用されていると述べた。
そのような講義では、ジョセフ・スミスの翻訳方法やその翻訳の信憑性が議論されるよりも、
モルモン書そのものが語る機会を得ている。
クリストファーソン長老は、デビッド・ボコボイ教授の言葉を引用して、
「文献としてのモルモン書の価値を評価する際に、歴史的な正当性を問う必要はありません」、と述べた。
最も注目すべきことは、モルモン書が世界中の末日聖徒の人生に与えてきた霊的な影響力であろう。
クリストファーソン長老は、聖書やほかの聖典に対する価値観を高めてくれたモルモン書のもつ影響力について次のように述べた。
「モルモン書の研究は、聖書に対する感謝の気持ちを高めてくれました。
モルモン書の記録を綴った一人であるニーファイは、聖書とモルモン書が『一つに合わされて、偽りの教義を打ち破り、
争いを鎮め、平和を確立する』と述べています。わたしにとってこれは真実です。」
クリストファーソン長老は、2011年のモルモン書ミュージカルの上演以来有名になった広告のフレーズを引用して演説を終えた。
“You’ve seen the play, now read the book. The book is always better.”
(ミュージカルをご覧になりましたね。では、本を読んでみてください。ほとんどの場合、本の方がいいですから。)
私がバプテスマを受ける前に言ってほしかったですーーー~。
古代アメリカの歴史とか言ってなかった??
モルモン書の序文には、「レーマン人がアメリカインディアンの主な先祖である」って書いてありますよ。今でもね。
ま、もうどうでも良いけど。
>古代アメリカの歴史とか言ってなかった??
誤解のないように宣言しておきますがオムナイはモルモン書は古代アメリカの歴史だと信じてます。
>クモラの丘は、ジョセフ・スミスが1823年から1827年まで天使モロナイと毎年会っていた場所です。
天使モロナイが実はモルモンの子孫の意味で、連綿と金板を守り続けてきたんではないでしょうか?
4年間口伝でモルモン書の物語、アブラハム書の物語を聞かせたんでしょうね。
でないと、リアホナ・ネホム・デゼレトなのどの古代と一致する発音を音訳できるはずがありません。
>私たちの聖典へのアプローチは、過去の世代によって記録されたものをいかに文字どうりに受け入れるか、そして、現代の学問が歴史や科学に照らして、それらの過去の世代をいかに理解するかと言うことのバランスを見出す必要があります。
ここでは末日聖徒の神学について書かれていますので、「聖典のアプローチ」(考古学や言語学などの研究を含みます。)の中でどのように「バランス」を見出しておられるのか教えていただければ嬉しいです。例えば、「キリストの墓からの復活」をどのように理解しバランスを取られていますか。
18世紀からこれまでの神学上の研究成果は残念ですが「神学はそれがすでに理性(例ギリシャ哲学を基とする哲学・科学)のうちに備えられているものに対応する限りにおいてのみ、正当性を持つとみなされた。生きた宗教と神学は、しばしばこの新しい状況に対応できないように見えたため、多くの人々が教会を離れていった。特に20世紀になると、共産主義と国家社会主義においてこのような動きは歴史的現実になった。それらの運動は、19世紀の極端に反キリスト教的ないし無神論的イデオロギーに基づいており、教会と神学を非常に苦しめた。(キリスト教神学の主要著作243p)人々のイエス・キリストへの信仰を強めることにはあまり役に立たなかったと理解しています。
「批判神学を含む聖書学が末日聖徒の聖書理解に大いに資することになる」を私個人として書き換えれば「批判神学を含む聖書学を批判的に学ぶことにより末日聖徒のモルモン書の理解に大いに資することになる」と思っています。
前のコメントでモロナイと書いてあったのはモルモンの誤りです。訂正いたします。
「・・さらに、茨の中に落ちる種もある。芽は出て成長もするけれども、周囲にある茨も一緒に伸びて覆いかぶさり、実を結ぶまでには至らない。 けれども、それら以外の種は良い土地に落ちた。生え出て成長し、やがて百倍の実を結ぶに至った。
」
学者さんたちは、当てはめれば、100倍の知識を得たということで、いわば学問の神に(神の領域に)近づいたみたいなことで、ジョセフに御姿を現した神ではないんでしょうかねぇぇ・・
>古代アメリカの歴史とか言ってなかった??
以下の記事を思い出しました。
モルモン書が歴史であると信じられなくなることが教会を離れる最大の理由のようです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ex-Mormon
元モルモン(Ex-Mormon)
元モルモン、またはポストモルモンとは、総じて「モルモン教」と呼ばれている末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS教会)またはその分裂組織からの離脱者を指します。元モルモン(エクスモまたはポストモと呼ばれることもある)はLDS教会を信じず、所属していない場合があります。これとは対照的に、ジャック・モルモンは信じていても所属しておらず、文化的モルモンは所属していたり、いなかったりであるが、LDS教会の特定の教義や実践を信じているわけではありません。この区別は元モルモンの多くの層にとって重要であり、彼らの多くは脱会の決断についての道徳的な否応無さと社会的リスクを熟慮しています。2014年のピュー調査機関のデータによると、末日聖徒の成人の約1/3はもはや信仰を持たず(70年代と80年代の約10%から上昇)、2008年には末日聖徒の若年成人の25%のみが活発に関与している。 多くの元モルモンはまだモルモンの教えに従っている家族とトラブルを経験している。元モルモンの集合体は社会運動を構成することがあります。
離れた理由
ほとんどの元モルモンがモルモン教とLDS教会から離れる理由は、特定の知的または霊的な理由によって、この宗教が偽りであると確信するようになったからです。最も大きな理由は、預言者としてのジョセフ・スミスと宗教的・歴史的文書としてのモルモン書への不信です。この不信の理由には、新世界でのモルモン書に対する人類学、言語学、考古学、遺伝学の証拠に関する問題点が挙げられます。このような理由でモルモン書を拒否するだけでなく、アブラハム書や他のモルモンの宗教文書も同様の理由で拒否されています。 かつて末日聖徒イエス・キリスト教会に属していた3000人の調査では、74パーセントが教会の教義や神学への不信を離会の大きな理由として挙げていますが、他の教会のメンバーとの対立を大きな理由として挙げた人は4パーセントに過ぎなかったことが報告されています。このことは、多くのモルモンが末日聖徒の教会生活の共同体的な側面や特質に満足しているという主張を裏付けるものです。
“預言者としてのジョセフ・スミスと宗教的・歴史的文書としてのモルモン書”への
不受容、否定の後は、元々のクリスチャンとして日々を送るみたいになるんでしょうかね。
また、教会内側に残って、切り崩して行く、クリスチャン化に勤しむみたいな??・・
「悔い改めというのは、毎日毎日軽く扱ったりするようなことではありません。日々、間違いを犯し、
そのたびに悔い改めるといったのは、神の目にかなうことではありません」
(管長たちの教え ジョセフ・スミス [2007]、73」
“今日このたった今から新たなスタートを切ろう。今こそ心をつくし全力で罪を捨て去り 正義の道を歩もう”
ジョセフ・スミス言
deepl ++
「ネルソン大管長は次のように教えています。「人生における究極の目的は,わたしたちの創造主に
お会いする備えをすることです。わたしたちは救い主イエス・キリストに似た者になれるよう毎日努力して,
この備えをします。また,毎日悔い改めて,清めと癒しと強さをもたらす主の力を受けるときにそれを行います。
そうすれば,荒れ狂う時代にあっても,永続する平安と喜びを感じることができます。」
「日々欠かさず悔い改めに取り組むことほど,霊を自由にし,気高くするもの,言い換えればわたしたち個人の
進歩に不可欠なものはありません 2019 4月総大会
」https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2019/04/36nelson?lang=jpn
president nelson daily repentance
https://search.yahoo.co.jp/search?p=president%20nelson%20daily%20repentance&ei=UTF-8
たまWEB的には、教会幹部は、学者さんの説になびいたりではなく、神と顔と顔を合わせて語った
預言者ジョセフを強調し、彼の言葉を重んじ、フォーカスして教えを述べてほしいような気が・・
【 80年代初のキンボール管長時代での聖典化・canonizationが、今のところ教義と聖約
138章を最後に、約40年以上音沙汰無し・・(内容も1910年代、ジョセフの時代の)
アロン神権・・天使の導き・恵みを受けれる
メルケゼデク神権・・顔と顔を合わせての神の御子イエスの顕現、訪れを受けれる
後者は幹部には無し・・オークス副管長は幹部でそのようなことは聞いたことがない発言 】
「84:22 これがなくては、だれも神、すなわち父の御顔を見て、なお生きていることはできないからである。
23 さて、このことを、モーセは荒れ野の中でイスラエルの子らに分かりやすく教え、その民が神の顔を
見ることができるように、彼らを聖めようと熱心に努めた。
24 しかし、彼らは心をかたくなにし、神の臨在に堪えることができなかった。そのため、主の怒りは
彼らに向かって燃え、主は激しく怒って、彼らは荒れ野にいる間神の安息に入れないと誓った。
この安息とは、主の完全な栄光のことである。
25 それゆえ、主は彼らの中からモーセを取り去り、また聖なる神権も取り去った。
」
同じくあれから40年以上も、教義と聖約の続きがなかった・・この間、最終的にシオンに入れる準備は
個々人に任されたまま・・そして、今や幹部は主イエスの臨在は経験してないと認めてる・・
霊的荒野での危険性、試練?!・・この試しで霊的にサバイバルできるには?!
イスラエル 荒野 40年
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%20%E8%8D%92%E9%87%8E%2040%E5%B9%B4&ei=UTF-8
>「聖典のアプローチ」(考古学や言語学などの研究を含みます。)の中でどのように「バランス」を見出しておられるのか教えていただければ嬉しいです。
>例えば、「キリストの墓からの復活」をどのように理解しバランスを取られていますか。
キリストの復活の史実を論理的に信じている、というよりは周りの信頼できる兄弟姉妹の生き方を信じているという感じでしょうか?
尾崎神父という方が既知に富んだ説明をしています。(ハッと気付かされtました。)
http://www1.cncm.ne.jp/~toguchi/ozaki_philosophy/45.htm
人が他人の言うことを信じるのには、二つの理由がある。
一つは話している内容が信じられること。
例えば、「昨日三山で宇宙人にあって一緒に遊んだ」なんて言っても誰も信じないでしょう。それならば、「ナザレトのイエスは十字架で死に三日目に蘇った」というのも同じように信じられないことですね。
でも信じる理由はもう一つある。それはそのことを話す人が信じられるということです。
イエスの復活を教えた人たちは、その教えのために自らの命を落とすこともあえてした。
これを見て人々は、「これはひょっといたら本当かも知れんで」と考えたわけです。
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オムナイは神社巡りが好きで出張先で神社を見つけると末日聖徒の神殿を思い浮かべたり、信仰について考えたりします。
あまり、家内安全的な願い事はしませんね。
お寺にはあまり行きません。説教されるイメージのせいでしょうか、神社のように来るもの拒まずの雰囲気があっているのかもしれません。
近くの小さな神社でさえ道ゆく人はほんの数秒、歩きながらお辞儀をし、手を合わせる人々が沢山います。
日本人は真面目で落とした財布が高確率で、そのまま戻ってくる国。
誰も見ていなくても神様が見ていると無意識に信じている民なのかも。
エレミヤ31:33-34
しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。
すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。
それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。
わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。
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日本人はあーするなこーするな、あーしろこーしろ。
という宗教はあまり向かないのかな。
ただ、祈り、より良い生活をすればいい。
すべての問題の原因は自己中心、人間中心にあり、神様に立ち返り、
神様を中心にして生きるなら、どんな問題にも解決があること、
それは古代イスラエル系、ユダヤ系渡来人によってもたらされ、
今も聖書の中に見出すことができる「日本人の心」であることをお伝えしています。
今回は「聖徳太子とキリスト」というタイトルで、聖徳太子とイエス・キリストの関連について、坂東誠著「秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説」からご紹介いたします。
ぜひご視聴ください。
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と・するとですよ。
日本は実はもう既に世界最大のキリスト教国なのかもしれませんね。
ありがたや、ありがたや。
はい!これはごもっとも
だから私が信じないのは、思い付きで勝手なことを無責任に言い広めて、内容の齟齬を指摘されると、理解してないから矛盾に見えるのでしょうと言い訳するような頭の悪い人とその宗教です
中小企業庁によると持続化給付金の不正受給は、1247件らしいですね
ちなみに私、ベトナムへ旅行した時に携帯電話を落としましたが、無事に戻ってきました、ベトナムって国は日本がとっくに失ってしまった、高度経済成長期のようなパワーがありますね、
…(中略)…
>日本は実はもう既に世界最大のキリスト教国なのかもしれませんね。
いやぁ自己中心の見本のようなお方に言われると笑いを禁じ得ません
高等批評(こうとうひひょう、英語:historical criticism、higher criticism)は、文学分析の一分野で、文書の起源の批判的調査である。近代聖書学によって使われた手法で、聖書を対象とする。上層批判または高等批判ともいう。
ーーーー
>聖書の批判的研究は、古代の記録の定式化、伝達、翻訳、解釈における人間の誤りを許容し、
その修正を示唆するのに役立つことが保証されている。
>聖典に書かれていることをすべて文字通りに読むと教会の内外で最も優れた学者が文字通りの読み方は成り立たないと主張していることに気づいたとき,証に損害を与える可能性があります。
NJさんの開かれている研究会でも「信仰の危機」を迎えたがこの会に救われた。的お話を聞きます。わたしもそうです。
さすが本家だけあってアメリカには紹介してくださったダイアログ誌をはじめ読みきれない程のレポートが多くあります。
日本ではまだ、教会の表の主張(原則)の情報しかありませんが、
聖典の高等批評は末日聖徒の良き伝統になつつあると思います。
高等批評とは、英語の Higher Criticism を訳した言葉であろうが、しかし訳語としても、人を甚だ惑わし易いものである。
Higher(より高い)と言う以上、その下に、あるいはその前に、より低いものがなくてはならない。
もし字義なりにより高い批評と訳したならば、錯誤はやや少なかったであろう。
私は高等批評が何であるかについて論じる前に、先ずその名称改善の必要を感じる者である。
・・・
ダーウィンが進化論の開祖であるように、ヴェルハウセンは高等批評の開祖である。
そして彼は、決して懐疑の人ではなかった。信仰の人であった。
全ての高等批評家がヴェルハウセンのようになれば、
高等批評は信仰の建設者であって、その破壊者ではなくなるのである。
高等批評とはそのようなものであるから、私達は何もこれを恐れるには及ばない。
恐れるに及ばないだけでなく、反ってこれを歓迎すべきである。
高等批評によって、多くの迷信は取り除かれた。高等批評によって、
教会はその多くの不道理な主張を維持することが出来なくなった。
高等批評によって、聖書は奇怪な書ではなくなった。
高等批評は、聖書研究を常識の範囲に移した。
高等批評は、確かに聖書の改造者である。
そしてこれによって改造された聖書は、旧来の聖書より、遥かに深い、遥かに貴い書であるに至った。
ーーーー
末日聖典にも同じ事が言えるのでしょうね。
NJさん訳の「モルモン書は現代の偽典」が日本における先鞭でありますように。
https://peraichi.com/landing_pages/view/00hiz/
「阿弥陀如来が存在するとはどうやってわかるのですか」
それに対する答えは
「阿弥陀如来が存在するかどうかは問題ではない。
阿弥陀如来が自分を救ってくれると信じることが大切なのだ」
ーーーー
キリストが復活したかどうかは問題ではない。
キリストが自分を救ってくれると信じることが大切なのだ。
現代的聖典研究はこのような意識に導いてくれるのではないでしょうか。
「今週14日は射手座満月。同日、水星が双子座へ入ります。また満月の一週間後(6/21)は夏至です。
今は何かがあらわれていきながらも、夏至&蟹座新月(6/21)へ向かっているときと言えます。
満月のサビアンシンボルは「家のドアにとまっている青い鳥」。このあたりの度数は射手座らしさが
充実しています。知的向上心、高みを目指す精神性、知的な明朗さ・おおらかさなどが豊かで
素晴らしいのです。
「青い鳥」は幸運の象徴と言え、またそんな鳥が家のドアにとまっているさまは明るい可能性へ
と開かれている聡明さをあらわしているのかもしれません。
射手座さんは、自分があまり知らないことや自分と異なる意見をうれしそうに聞く人が多いように
感じます。自分とは違う意見を「不快だ」とシャットアウトする人が多い中、射手座さんは
多様な見解をリスペクトできてすばらしいといつも思います。またナチュラルに前向きなんですよね。
いつも明るい方へまなざしを投げかけている……射手座さんにはそんな明るさとかしこさがあります。
開明(知識が開けていて、物事がよくわかること。聡明なこと)といった感じなのかもしれません。
今週のサビアンシンボルはそういう度数で満月となります。いろんな見解、さまざまな可能性に
対して自分(の意識、まなざし)を開いていくことがテーマになるのかな……と感じます。
自分の見解はあれど、それとは違う見解・さらなる可能性にも自らを開いてみるときなのでしょう。
」
https://ameblo.jp/maya-star/entry-12747852697.html
さて、今朝は例によって、パンと水は自前で用意、聖餐の祈りをして
【“いつも御子の御霊を受けられるように”の菊地訳は、避け、
“いつも御子の御霊が共にましますように”にかえて】
取ったわけですが、用意に取り掛かってる時、賛美歌のメロディーがたまWEBの頭に降りて来ました。
『山の強さのため』でした。
"山の強さのため" lds
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E5%B1%B1%E3%81%AE%E5%BC%B7%E3%81%95%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%22%20%20lds&ei=UTF-8
“For the Strength of the Hills 22,450 回視聴 2011/04/03”
https://www.youtube.com/watch?v=nfoD_l7Nn_I
ロッキー山地に、移った初期の末日聖徒たちの子孫ですが、彼らがモルモン書や教義と聖約に十分
注意を払い欺かれなかったなら(49:23)、いつかシオンの回復に召されるのかもしれない・・
「101:37 それゆえ、体も体の命も心にかけてはならない。霊と霊の命とを心にかけなさい。
38 また、あなたがたは忍耐することによって自分の霊を保つために、常に主の顔を求めなさい。
そうすれば、あなたがたは永遠の命を得るであろう。
39 人々がわたしの永遠の福音に召され、永遠の聖約を交わすとき、彼らは地の塩、また人の味と見なされる。
・・
52 さて見よ、身分の高い人、すなわちその果樹園の主人は僕たちのところにやって来て、彼らに言った。
「どうしたことだ。この大きな災いの原因は何だ。
53 おまえたちはわたしが命じたとおりに行うべきではなかったか。おまえたちは果樹園で植え付けをし、
垣を巡らし、その防壁の上に見張り人を置いた後、敵から襲われることのないように見張り台も築いて、
その見張り台の上に見張り人を置き、わたしの果樹園を見張って寝入らないようにすべきではなかったのか。
54 そうすれば、見よ、敵がまだ遠くにいる間に、見張り台の上の見張り人は敵に気づいたことだろう。
そして、おまえたちは備えをして、敵がその垣を壊すのを防ぎ、滅ぼす者の手からわたしの果樹園を
救うことができたであろうに。」
55 果樹園の主人は僕の一人に言った。「僕たちの残りを集めて、とどまるようにわたしが命じた者たちを
除くわたしの家の勇士全員、すなわち、わたしの戦士たち、わたしの家の勇士であるすべての僕たちの中の
若者たちと中年の者たちを率いて行きなさい。
56 そして、すぐにわたしの果樹園の地へ行き、果樹園を取り戻しなさい。それはわたしのものだからだ。
わたしはそれを金で買ったのだ。 ・・
」
見張り人、中央幹部に背きが起こるということでしょうかね・・蓄財の誘惑・いつわりで敵に唆され合体??
老年ではなく、中年や若者が召されてるね・・
第1巻より抜粋
現代科学小説
世の中には哲学が溢れている。ある著名で知的な作家は、これらの理論を "サイエンティフィック・フィクション "と呼んでいる。その通りだと思う。進化論や高等批評など、わが国各地の学校で広まっている思想は危険であり、イエス・キリストの福音の根本を打ち砕いて、学校に通う生徒の心の中の信仰を破壊しようとするものである。私たちの州でもある程度問題があります。国中の大学はこのような考え方に満ちており、教授たちはそれを教えています。彼らはこの考え方を信じており、少なくとも信じていると公言しています。
第3巻より抜粋
後世の啓示によって承認された聖書
今日、聖書、特にモーセの書物に対して、以前のどの時代よりも多くの批判と疑いが投げかけられている。高等批評はモーセ五書の信憑性を破壊し、その執筆をかなり後の時代に位置づけようとしています。ジョセフ・スミスへのこの啓示はモーセの言葉の信憑性を立証し、すべての真の末日聖徒にとって、創世記とその他の聖典の有効性と著者に関する問題は解決された問題である。主は時が満ちるとともに新たな啓示によってこの問題に決着をつけられたのです。
伝統的な立場に立つ末日聖徒にとって高等批評の適用は、受け入れ難く重い問題提起であると思う。
しかし、理解して採用する人にとっては聖典に接する時に余分なつまづきが取り除かれてすっきりし、遙か遠くの地平まで見通せる心境に達する。
この自由と、真実の姿がそれだけ把握できたという気持ちは得難いものである。
そして私は矛盾をかかえているとしても依然末日聖徒であると意識している。
------以下コメント欄----9
教会員R
2018-02-21 07:36:38
モルモン書、教義と誓約、高価な真珠が高等批判できるようになって、
伝統キリスト教だけでなく、LDSの教会自身を高等批判できるようになって、大人の宗教としての完成を遂げるのでしょう。
巨大組織のカトリック教会も2000年頃を境に(基本教義は継承しつつ)急速に脱カルトして、現在に至ると私にはそう見えます。
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モーセ書とアブラハム書を何とかして欲しい (豚)
2018-02-21 10:17:11
長いタイトルですみません。
高等評価なんて言ってもね・・。
なんせ、旧約聖書の勉強が、いきなりモーセ書とアブラハム書で始まる。それも、1か月半引っ張る。(今年の日曜学校)
旧約聖書の研究なんてどうでもよくて、モルモンの教義を教え込むのが、モルモン日曜学校の目的だとは心得ていますが、それにしても、天地創造から、ノアまでを、ほとんど旧約聖書を見ないで済ませるのは、いかがなものでしょうか??
確かに、創世期の最初の部分は、「神話」の要素が大きく、事実認定が困難な(不可能な)部分ですが、しかし、その中には、現代にいたる西洋文明の根幹をなす思考要素が含まれている。
それをバッサリと切ってしまって、アダムとイブの解説書の様なモーセ書とアブラハム書を張り付けるのは、もはや旧約聖書の勉強とは言えない気がする。
高等評価なんて言う高尚な言葉は、この様なモルモンの日常を何とかしてから使ってほしいもんです。
うちのワードの日曜学校の会長に一言言ってやらんといかんな~
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お返事感謝します。 (Unknown)
2018-02-22 07:41:45
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聖書に対する高等批評が盛んになってきたころ当時のキリスト教会は非常に警戒しましたが、
それでもキリスト教自体が滅びるようなことにはならなかった。むしろより科学的な目線での理解が深まったと言える、と私は思います。
高等批評により滅びたものがあるとすれば「聖書は完全な事実でありその上に成り立つしていた教会と聖職者の権威」ではないかと。
モルモン書に対する高等批評が進むことが、聖書に対するそれと同等の結果をもたらすのであれば非常に興味深いことだと思います。
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おー。素晴らしい議論。
カトリックでもちょっと前までは高等批評に批判的でした。
https://peraichi.com/landing_pages/view/00hiz/
インテリが奇跡を信じなくなった近代ヨーロッパで、プロテスタントの聖書学者の中から次のような解決策が生まれてきました。
すなわち、福音書の描く奇跡を行うイエス・キリストは初代教会の信者たちが信仰によって作り上げた人物(「信仰のキリスト」と呼ぶ)で、
これとは別に現実に存在したイエス(「歴史のイエス」と命名)がいた。
聖書学者の使命は、この「信仰のキリスト」から信者のでっちあげた部分を取り除き、
「歴史のイエス」を復元することである、と。
実は、こうして、「これは歴史、これはフィクション」とか言って各自が好き勝手に聖書を切り刻んでいった結果、
最終的にはイエスは存在しなかったという結論まで出てきて、
彼らの間でさえこの考え方に見切りをつけた人が出ました(1)。
(1)この考えは18世紀末にドイツの自由主義プロテスタントから生まれたもので、聖書の高等批評とも呼ばれる。
岩下神父は、『カトリックの信仰』において何度もこの仮説に言及し鋭い批評を加えている。
また、イエスの歴史性については、前述の『イエスの仮説』の他に、前教皇ベネディクト16世の『ナザレのイエス』、春秋社の「はじめに」も参照。
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神の生ける預言者にこう断言されてしまうとどうしようもないですねぇ・・・。
神殿の面接で、大管長が神から鍵をさずかったただ一人の人物と認めますか?って質問にハイと答えながら、大管長の勧告や指示に従わないことに平気でいられるような精神構造の人ならともかく、普通のモルモン会員は『神の預言者が言ってるから真実』と考えるのでは?
そりゃ何万人もいる末日聖徒の一部には、神の預言者に耳を傾けないで、進化論や高等批評を受け入れている不届き者(私のような)もいるでしょうが、モルモン会員に広がることはないでしょうね
だって神の預言者が、福音の根本を打ち砕くものだって勧告していますので
批判神学って言うから、本当に神学を批判してるのかって思ったら、そんな話ではない。
旧来の神学やキリスト教会派が主張する神学を批判してるだけの話。
根本的には「神学」ですから、キリスト教の教えを肯定しているにすぎません。
ネットで数少なくざっと読みですが、どれも「神の存在を否定していない」「神の能力を否定していない」「キリストの存在と意義を否定していない」
これって、「何処が批判なの??」って強い突っ込みを入れたいです。
ボクシングみたいなもので、決められたルールの上で安全に戦っている、スポーツ。
私から見れば、キリスト教者の言い訳の産物に過ぎない。
「批判」とか「自由主義」って言うのを頭につけて「神学」を肯定してるだけですね。
真剣に「神は存在するのか?」って問いを自分の信仰にぶつけてみる勇気が無い人たちの遊戯に過ぎない。
結局「キリスト教が好き」なんでしょう。
>根本的には「神学」ですから、キリスト教の教えを肯定しているにすぎません。
さすが豚師匠~、あ、この言い回しはあの人のパクリになっちゃう、やめ、やめ
しかし豚さん、ここんところ冴えてますね、ぐんと理解力アップしてらっしゃる!豚さんのおっしゃる通りです
しかし、じゃぁなぜ末日の生ける預言者は、高等批評が福音の根本を破壊するって言ったのでしょうねぇ・・・(笑)
神学なんてほとんど知らない私が思うには、
末日聖徒の預言者は、神から直接お告げを受けるのですから、聖書の研究なんて面倒な事は必要ない。
神学が何を唱えているのかなんてどうでも良い、って事で、ま、難しい話はほとんど理解してない様な気がします。
話もしたことが無いのに、批判するのは良くないですが、私の周りにいる「教会指導者」って方々がそうですから、その中から選ばれた人達もそうじゃないかって思ってしまうわけです。
モルモンの教会員は、ほとんどが「御霊の導き」が頼りで、それが有れば神学なんて無くても良いわけですからね。
まして高等評価なんて、神学が他の学問と整合性が有るかどうかって話には、モルモンでは成りそうにないですね。
「御霊」最強!!!
そうですね
モルモン教義的には「御霊はすべきことをみな教えてくれる」ですからね!
でも何もかも教えてくれる人生ってつまらないんじゃないかなぁ・・・って思います
ま、私もとっくに人生終盤へ向かってる一人ですが
質問:文書仮説とは何ですか?モルモン教の批評家は、回復経典に関してそれについて何を主張していますか?
文書仮説は、創世記から申命記までのモーセの書が、イスラエル国の創設神話に関する4人の著者と4つの異なる視点の産物であるという主張です。
学者のリチャード・N・スーレンとR・ケンダル・スーレンが説明したように、文書仮説(一般に「DH」と呼ばれる)は、
「五書(モーセの最初の5冊)の起源に関する理論であり、
[五書はさまざまな情報源で構成されていると主張している]
数世紀にわたってさまざまなものから組み合わされて改訂された歴史的および神学的観点。」
ーーーー
https://green.ap.teacup.com/lifework/842.html
非常に難しい研究であることは、言うまでもない。
原著者の時代を考え、その特異性に注意して、その時代通有の思想文体から推して、
原著者の地位と価値とを定めることである。
ゆえにいやしくも高等批評家になろうと思う者は、先ず第一に言語学者でなくてはならない。
第二に歴史家でなくてはならない。
第三に哲学者でなくてはならない。その他彼は、考古学、心理学、審美学、社会学等の諸学に達していなければならない。
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高等批評家の資格がある人はNJさんくらいなものですかね。
一般信徒は研究成果を模様眺め的に聖典理解に活用させていただく。そんな姿勢で良いのではないでしょうか。
「そうなのモーセの5書ってモーセ自身の作ではないんかーい」って驚いたのは四半世紀以上も前かな。
文書仮説にしても近年は否定されたり見直されたり。
どちらにしても聖典は民の幸福への提言を願って人類最高の賢者が提供したものでしょう。
モルモン書や聖書が人を幸福にする神様からの提言と信じるになんの躊躇いがあるでしょう。
もちろんそう受け止めるのは自由だけど、モルモン書はジョセフ・スミスの著作だと考える方が合理的ではある、と思う
ただジョセフ以降の末日聖徒たちが、それを聖典として崇められることができるような読み方を、たくさん編み出して来たのだと私は見ている
聖書も同じく、ね
聖書もモルモン書も最初から聖典としての価値はそれほどなかった、後世の信者たちが発見(あるいは発明)した「聖典としての読み方」こそが偉大な宗教遺産なんだと思う、それは今でも信者たちによって続けられている
まぁ、ぶっちゃけ、少年ジャンプやスター・ウォーズやマーベル映画でも同じような「読み方」ができてしまうのだけれど(笑)
私はモルモン書はジョセフ・スミスの創作だけどそれでいいじゃないか、創作物が聖典で何が悪い?構わないでしょ、と言う立場
だからモルモン書に込められた神様からのメッセージを探そうなんて思っていない、そんなものは無いと思っている、けれどもモルモン書どう読み、どう解釈したら、普遍的なメッセージを抽出できるかな、と考えながら読んでいるのです
そっちの方がずっと面白いので
素晴らしい!
それは宗教書としてモルモン書を読んでいるとしか思えません。
https://newsphere.jp/national/20210924-1/
アメリカの経済情報ウェブサイト『Wallethub』が、毎年恒例の「Happiest States in America(アメリカで最も幸福な州)」を発表した。・・・
その結果、2021年の幸福な州1位は、総合得点72.94点を獲得したユタ州だった。
・・・
◆ユタ州民が幸せな理由とは?
アメリカ50州のなかでも、ユタ州は異彩を放つ州と言っても過言ではないほど宗教色が強い。
元々、同州は数あるキリスト教宗派のなかでも異端視されることが多い
「モルモン教」信者が集まって作られた州であり、いまも同教徒人口が集中している。
ワールドアトラスによると、同州のモルモン教徒率は州人口の67.70%と7割近い。
・・・
では、なぜユタ州民は幸せなのだろうか。
その秘密はこのランキングに隠されている。
ユタ州は、3つに分かれたランキングのメイン項目である「精神的・肉体的な健康」で9位、
「仕事環境」で1位、「コミュニティと環境」で1位となっている。
また31個の小項目のうち、同州は「スポーツ参加率」「勤務時間が少ない」「ボランティア率」「離婚率が低い」で1位なのである。
このランキングから見ると、宗教によるコミュニティ意識が強く、
積極的にボランティアに参加し、仕事環境はいいがそれよりも家庭生活を大事にする
……というユタ州民のイメージが見えてくる。
ーーーー
昔、豚師匠の師匠に兎師匠という尼僧様(日蓮宗)の掲示板に出入りしていた事があって、
「極楽浄土は生きとし生けるこの世に出現するもの、私(兎)は日蓮宗の教えを広める事できっと極楽浄土が出現すると思ってます。」という意味の事を仰ったことがあります。
スンバラシイ!とえらく感銘しました。
末日聖徒の信条は極楽浄土を具現化してきた実績ある教え。
そんな宗教を私は他に知らないのであります。
もしあるとすれば、神道を無意識に信じている日本国民でしょうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9eba24cf33ddc6b38b9889af82e7029497d30031
■「観光魅力度」日本が世界一に! 2007年の調査開始以来「初」
・・・ちょっと脇道へそれまーす・・・
一方で、意外と低評価だった項目もあります。
「気候変動への対応」は107位で、「脱炭素には後ろ向き」だと見られています。
ーーーー
アホ言いますなぁ。
地球温暖化、脱炭素運動なんてコロナ以上に虚構です。
世界一の効率とクリーンさを誇る日本の石炭火力発電所。
バンバン輸出するべき。円安だし。
■Best Places to Live in the U.S. in 2022-2023
ユタ州ソルトレイクは23位
https://realestate.usnews.com/places/rankings/best-places-to-live
■America’s best places to live in 2022
ユタ州はランク外
https://www.bankrate.com/real-estate/best-places-to-live/us/
■Americans flocked to these 10 cities last year — and none are in New York or California
ユタ州はランク外
https://www.cnbc.com/2022/05/08/the-cities-americans-moved-to-the-most-in-2021-according-to-penske.html
■The best places to live in the U.S. in 2022
ユタ州ソルトレイクは48位
https://www.cbsnews.com/pictures/best-places-live-united-states-america/
■Redfin: Here are the top 10 U.S. cities everyone wants to move to
ユタ州はランク外
https://fortune.com/2022/02/11/where-are-americans-moving-redfin-top-10-cities-miami-florida-texas/
■The 50 best places to live in America, ranked
ユタ州ソルトレイクは24位
https://www.businessinsider.com/us-news-best-places-to-live-in-america-2016-3
■2021 Top 100 Best Places to Live in America
ユタ州ソルトレイクは30位
https://livability.com/best-places/2021-top-100-best-places-to-live-in-america/
■Happiest Cities in America 2022
ユタ州はランク外
https://worldpopulationreview.com/us-city-rankings/happiest-cities-in-america
■These are the 50 happiest cities in the United States, according to residents
ユタ州ソルトレイクは12位
https://www.usatoday.com/story/news/nation/2021/09/21/50-happiest-cities-america-according-residents/5797222001/
■The 25 Happiest Cities in America
ユタ州はランク外
https://www.mentalfloss.com/article/655757/happiest-cities-america
■These 10 cities are the happiest places to live in America
ユタ州はランク外
https://www.today.com/money/travel/2022-happiest-places-live-us-california-cities-dominate-rcna18332
■Based on those weighted metrics, WalletHub determined the happiest cities in America to be:
ユタ州はランク外
https://www.fatherly.com/news/map-happiest-cities-in-america
■The 50 happiest cities in America, ranked
ユタ州はランク外
https://www.businessinsider.com/happiest-cities-in-america-ranked-income-employment-health-community-2019-3#2-irvine-california-49
■2022’s Happiest Cities in America – WalletHub Study
ユタ州はランク外
https://www.insidernj.com/press-release/2022s-happiest-cities-in-america-wallethub-study/
>アメリカの経済情報ウェブサイト『Wallethub』が、毎年恒例の「Happiest States in America(アメリカで最も幸福な州)」を発表した。・・・
とありますが、その元ネタのサイトへジャンプしようとしましたが IPブロックされており見ることが出来ませんでした。したがってユタ州が1位になっているというサイトの存在は確認できませんでした。
オムナイくんは預言者なので、その発言の真実性に証拠を求めてはいけません、ただ信じて受け入れるのみです
ま、私は偽預言者を信じてはいませんけど
ホントですね。アクセスが集中しているとか。
英語では2022年版も発表されていました。
ハワイ州返り咲きです。ユタは2位
https://worldpopulationreview.com/state-rankings/happiest-states
1.ハワイ
リストの一番上にあるのはハワイで、69.58のスコアで全体的に1位にランクされています。ハワイは、感情的および肉体的幸福で2番目にランクされています。ハワイは、どの州よりも成人のうつ病の割合が2番目に低く、所得の伸び率が5番目に高く、離婚率が4番目に低い国です。ハワイの住民は、太陽の光と健康的でアクティブなアウトドアライフスタイルを何日も楽しんでいます。さらに、州の平均寿命は米国で最長の81。48年です。
2.ユタ
ユタ州は、米国で2番目に幸せな州です。ユタ州は、職場環境で1位、コミュニティと環境で1位にランクされています。ユタ州の住民は勤勉で、他のどの州の住民よりも仕事を楽しんでいるだけでなく、最も少ない時間で働いています。ユタ州はまた、ボランティア率が最も高く、離婚率が最も低く、4番目に安全な州です。ハワイの住民のように、ユタの住民は非常にアクティブなアウトドアライフスタイルを楽しんでおり、精神的および肉体的に健康を保っています。
3.ミネソタ
ミネソタ州は、米国で3番目に幸せな州であり、感情的および肉体的幸福度で4位、職場環境で4位にランクされています。ミネソタ州は、国内で3番目に安全な州であり、離婚率が3番目に低く、ボランティア率が2番目に高い州です。ミネソタ州の住民は、最も厳しい冬がいくつかあるにもかかわらず、国内で最も友好的で包括的な人々であることが知られています。
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ちなみに偽預言者は本物のオムナイの住んでいたアメリカに住みたいとは思いません。
海外ならフランスのパリ。ミーハーなので。
https://www.churchofjesuschrist.org/temples/details/paris-france-temple?lang=jpn
パリ神殿は未だ閉館のまま。。
ユタ州は教育熱心な州として知られ、州予算のおよそ7割を教育に費やしており、高校の卒業率・大学進学率は全米1・2位を争う。
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末日聖徒の様々な分野での活躍は至極当然で、宗教的神秘でも選民だからでもない。
高等評価を成し得る学者が多くいるのも納得です。
信仰箇条の最後の一節にはこうあります。
どのようなことでも,徳高いこと,好ましいこと,
あるいは誉れあることや称賛に値することがあれば,わたしたちはこれらのことを尋ね求めるものである。
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それにしても7割教育に。。すごい。
家庭や地域、国の予算編成の参考になりますね。
高等評価? 話の流れから鑑みて「高等批評」の意味を理解せず勘違いしてるだろ?
以前のコメントを振り返り、尾崎神父の言葉から多くのことを学ぶことができました。特に、「聖霊」に関しての言葉は心に残りました。それと共に、やはり、「ニカイア信条」と「カルケドン信条」に至るまでの経緯とアウグスチィヌスの「三位一体論」にまで戻って考えるようになりました。 「しかし同時に神学は、各個人の信仰的洞察からも区別される。この信仰的洞察は、自ら信じていることを確信できるが、神学はそれを超えて、他者の前で信仰を理性的に弁明し、また主張することができなければならない」(引用)
この「理性的に弁明し、主張するために」主に哲学的手法、その他、言語学、考古学、他などが用いられました。
その結果、各個人の信仰的洞察の中心になる「聖霊」の働きからくる啓示や経験は遠ざけられるものとなりました。
もちろん、パウル・ティリッヒにように「理性と啓示」として「存在論的問題提起」(引用)をしたりバルトとブルトマンの「二人の神学者がその神学において望んだのは「神の啓示における神の対象的ー存在」を熟考することに他ならなかった。もちろんバルトは啓示の可能性も神の内三位一体的存在のうちに基礎付けられていると考えているが、ブルトマンの場合は、この問いは禁じられている」(引用)ユンゲル・モルトマンのように聖書的思考をギリシャ的思考と対比させて両者を区別している場合もあります。また、彼は「キリストの出来事は、そのような「歴史過程が進行し、復活による生の支配において死が無(力)化されることを目指す」(引用)と述べています。(引用の多くは「キリスト教神学の主要著作ーオリゲネスからモルトマンまでから引用しています。)
このような神学への取り組みは聖書を学ぶときに、「歴史家の視点で見るときと説教の準備(或いは教会でのレッスン)のために読むときでは異なってくる」と言うことが起こっています。
話を最初に戻して、モーセの五書に対する「文書資料説」は様々な経過・仮説を経ており慎重に受け取る必要があると思います。また、「高等批判に近づくこと、理解を深めることが神学上の進歩であるとは思っていません。
コメントの中に「伝統的な立場に立つ末日聖徒にとって高等批評の適用は受け入れがたく重い問題提起であると思う」とありましたが、その過程、結果について学ぶとき全く重い問題提起とは思いません。むしろ、大切なことが失われたことに気づくことが多いです。一つの仮説に過ぎないのです。
「しかし、理解して採用する人にとっては聖典に接するときに余分なつまずきが取り除かれてスッキリし」新たな疑問が出てきますし、異なった視点で聖文を学ぶということが起こってきます。(このブログで常に蒸し返されている事柄です)
「遥か遠くの地平線まで見通せる心境に達する」残念ながら「的の彼方を見る」ことのないように気をつけるのが精一杯です。
"Study and reason can find the truth・・・but only revelation can confirm it"(学問と理論をもって真理を見出すことができるが確信を得るのは啓示をもってのみです。 オークス管長)
イエス・キリストに対する確信を与えることが聖霊の働きであり多くの場合啓示によって与えられます。高等批評(その中でも自由主義神学に代表される)は人々に確信を与えることはできなかったと受け止めています。
師匠の表現に準じたまでです。
>話の流れから鑑みて「高等批評」の意味を理解せず勘違いしてるだろ?
流れ的には、
内村鑑三さんの
ゆえにいやしくも高等批評家になろうと思う者は、先ず第一に言語学者でなくてはならない。・・・
そして高等批評家として名のある人は、実にそのような博学多能の人であった。。。。みな世界第一等の学者であった。
ーーー
から来てます。
ウェルチさんとか博学ですね。
>話を最初に戻して、モーセの五書に対する「文書資料説」は様々な経過・仮説を経ており慎重に受け取る必要があると思います。
おっしゃる通りです!多くの人による経過、仮説があり、学術的な吟味を経て文書資料説は成り立っております
かたや聖霊による確信は、祈った、いい気持ちになった、で成り立っております
どっちにより大きな信頼を置くかは、その人の「好み」だと思いますので、どっちが正しいと言う気はございませんが
私としては、言ったことをきちんと説明できる人、言ったことに責任を持つ人についてより多く信頼します
みたま、啓示、聖霊ばかり言う人にも、それがあればなぁ、と思うのですよ
>イエス・キリストに対する確信を与えることが聖霊の働きであり多くの場合啓示によって与えられます。
高等批評(その中でも自由主義神学に代表される)は人々に確信を与えることはできなかったと受け止めています。
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そこは、やはり過ぎたるは及ばざるがごとし、バランスですかね。
>過去の世代によって記録されたものをいかに文字通りに受け入れるか、
>そして現代の学問が歴史や科学に照らしてそれらの過去の世代をいかに理解するかということのバランスを見いだす必要があります。
>バランスが取れていないと、私たちの霊的成長が妨げられ、証が危険にさらされる可能性さえあります。
ーーー
例えばアダムとイブの存在やノアの洪水を事実と受け入れているクリスチャンも多かったわけですが、シュメール文明の神話の焼き直しの可能性が大きい。
新会員や子供たちに教える場合にそのことを知っている場合とまだ、絶対的な史実と思い込んでいる場合とでは教え方が違ってくるような気がします。
>師匠の表現に準じたまでです。
またまたぁ~
そうやってすぐ人のせいにしちゃってさぁ(笑)
いかにもモルモン会員って感じです
「そのことを知っている場合」と
「絶対的な史実と思い込んでいる場合」
これって教師の方が、ですかね?
そうです。
ちなみに内村鑑三さんは。。なんども引用すんません。
https://green.ap.teacup.com/lifework/842.html
学究が達する所は、蓋然性(プロバビリティ)であって、信仰ではない。
ゆえに批評によって神の存在にかかわる信仰は、否定されない。
キリストの神性と贖罪と復活と昇天とにかかわる信仰は、否定されない。
万一、批評によって聖書が壊されるとしても、そのためにキリスト者の信仰は壊されない。
キリスト者は、聖書によって神を信じる者ではない。
神を信じることによって、聖書を信じる者である。
ーーーー
うーん。深いっすねー。
オーストラリアでインフルエンザが急増 今シーズン日本国内でインフルエンザは流行するのか
・・
一方、世界の状況を見てみると、コロナ後に激減していたインフルエンザがやや増加してきている兆候が見て取れます。
ーーー
まぁ、コロナ禍インフルエンザが激減したのはウィルス干渉の影響でしょう。
冬に入りつつあある南半球のオーストラリアで流行ということは、まず間違いなく今シーズンは日本でも流行するでしょうね。
コロナは若者をほどんど殺さなかった、インフルエンザは多くの若者の命も奪います。
真に警戒すべきはインフルエンザ!
https://jp.reuters.com/article/pfizer-flu-idJPKBN2GN25A
ファイザー、季節性インフルエンザのmRNAワクチン試験を開始
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日本の超過死亡数がかなり増加。ワクチンの影響を疑う専門家も。
どちらにして治験はしっかりして欲しいものです。
>キリスト者は、聖書によって神を信じる者ではない。
むかし、昼あんどんって名乗っていた元モルモン会員で、プロテスタント信者になった人に、まったく同じことを言ったことがあるんですよね
『聖書が創作物だと分かってもクリスチャンは信仰が崩れるわけではないでしょ、でもモルモン会員はモルモン書が創作物だと分かったら信仰は崩れちゃうんです』と
すると昼あんどんさんの返事は『いいえ、聖書への信仰がなくなったらクリスチャンの信仰は崩れます』でした
私は、なんだよ、せっかくモルモンからクリスチャンになったのに、その程度かぁってがっかりしました、まぁあの人は福音派バプテストだったので、やや原理主義的に教えられていたんでしょうけれどね
とにかくね、高等批評を含む学術的な探求で崩れるのは、金版伝説や思い込み、根拠の無い教会指導者の権威ですよ
まぁでもそう言うのが好きな人もいるから仕方ないよね、ユタ州が何かのランキングで上位になればモルモンはスゴイ!、だからモルモン会員の俺はスゴイ!って言いたげな、無理筋三段論法かましてくる人とか(笑)
なんでも若きオムナイが集っていた鹿児島支部に宣教師として来ていたとか。あー恥ずい。
>すると昼あんどんさんの返事は『いいえ、聖書への信仰がなくなったらクリスチャンの信仰は崩れます』でした。
そういった一面はあるでしょうね。福音派やカトリックの危惧はあたっているとも言えますね。
>とにかくね、高等批評を含む学術的な探求で崩れるのは、金版伝説や思い込み、根拠の無い教会指導者の権威ですよ。
思い込みや根拠のない権威が崩れるのであれば万々歳ではないですか。
衰退するキリスト教会にあって末日聖徒の教勢はむしろニュースとのこと。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/13187/20140424/chinese-christians.htm
米パデュー大学の社会学教授で、『中国の宗教』などの著書がある楊鳳崗(ヤン・フェンガン)氏は、
「もうすぐ中国は世界最大のクリスチャンの国になる」と分析し、「この劇的な変化を多くの人が受け入れられないでいる」と話す。
米調査会社のピュー研究所によれば、中国のクリスチャン人口は1949年に100万人だったが、
2010年には5800万人まで急増し、4000万人のブラジル、3600万人の南アフリカを超えたとされる。
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ロドニー・スタークさんの予見をまたも超えるかもしれませんね。
トマトが甘いかどうかは「糖度」を測定すればわかる。
しかし、それが美味しいかどうかは個人の感覚であって、客観的には比べられない。
同じく「幸福の度合い」何て数値化も出来ないし比べようもない。
それを「幸福度」なんて言ってランキングするのは詐欺以外の何者でもない。
離婚率とか就業率、収入、就学率、等、それぞれの数値には意味が有るが、その集合に何の意味もない。
ま、「幸福度」等と言う物は無く、「それを口にする人はまやかしだ」って。 そんな事を考えない人は幸福だとは思いますがね。
この文章を読んで合点がいかない人は、戦時中の日本と高度繁栄期の日本とどちらが自殺者が多いのかって調べてみればわかる。
日本の自殺率はG7の中でトップだって。
https://mieluka.com/68/
私は、自殺率で幸福度がはかれるとは思いません。
「幸福度」何て無いんですから。
その崩れる思い込みと言うのが・・・
>衰退するキリスト教会にあって末日聖徒の教勢はむしろニュースとのこと。
わざわざ一例まで挙げて下さって感謝です!
豚さんの意見を読んで思ったのですが、
ゼロサム社会って言葉がありますけど、世の中の幸福の総和は、ゼロ、かどうかはわかりませんが、誰かが勝利の喜びを感じて幸福の陰で、敗北者は不幸になっているかも知れません。
福音的に言うと、自分が幸せになったらそれを他人にも分かち合いたいと願うものでは?と思いますが、俺たちは幸福ランクのトップだぞと自慢するって、どうなんでしょう・・・
幸福ランキングでモルモンはスゴイ!って喧伝するあの人は、良いところをアピールしようとして、逆にその精神性の歪みを披露しちゃってる気がします。
なる可能性大なるやも・・
「20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。
かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。
死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
」
「13 おお、わたしたちの神の計画の何と偉大なことよ。今語ったことのほかに、神のパラダイスは
義人の霊を解き放し、墓は義人の体を解き放さなければならない。そして、その霊と体は再び本来の
ものに回復され、すべての人は不朽となり、不死となる。彼らは生けるものであって、わたしたちの
ように肉にあって完全な知識を持つ。わたしたちが持っている知識は、そのときに完全になるのである。
14 それでわたしたちは、自分に罪があること、汚れていること、裸であることについて、すべて
完全な知識を得る。また義人は、自分の喜びと自分の義について完全な知識を得、潔白を、
まことに義の衣をまとう。
15 そしてすべての人は、この第1の死から命に移行すると、すでに不死となっているので、
イスラエルの聖者の裁きの座の前に出なければならない。それから裁きがあって、すべての人は
神の聖なる裁きによって裁かれなければならない。
16 そして、義にかなった者はそのまま義の状態にあり、汚れている者は、そのまま汚れた状態にある。
このことは、主が生きておられるように確かである。主なる神がそう言われたからであり、これは、
決して過ぎ去ることのない神の永遠の御言葉である。ところで、汚れている者は悪魔と悪魔の使いであり、
これらの者は、彼らのために用意された永遠の火の中に入る。彼らの苦痛は、炎がとこしえに立ち上って
消えることのない、火と硫黄の池のようである。
17 おお、わたしたちの神の偉大で公正なことよ。神は御自分のすべての御言葉を実行されるからであり、
神の御言葉がすでに神の口から出たもので、その律法は成就されなければならないものだからである。
18 しかし見よ、義人、すなわちイスラエルの聖者の聖徒たち、イスラエルの聖者を信じてきた者たち、
世の十字架を堪え忍んできた者たち、世の辱めをいとわなかった者たち、これらの人々は、世の初めから
彼らのために用意された神の王国を受け継ぐ。そして彼らの喜びは、とこしえに満たされるであろう。
19 おお、イスラエルの聖者であるわたしたちの神の憐れみ深いことよ。神は御自分の聖徒たちを
あの恐ろしい怪物、すなわち悪魔と死と地獄と、無窮の苦痛であるあの火と硫黄の池から救われる。
20 おお、わたしたちの神の聖さは何と偉大なことか。神はすべてのことを御存じであり、
神の御存じでないことはない。
」
極楽浄土・・ 昔、藤原三代の平泉・中尊寺におデートに行ったとです・・
今、ネット情報環境下、彼らは阿弥陀浄土信仰で福千年に復活とほぼ確信する気がしないでもなく・・
その学者さんらも、今や霊界で、福音に心を開き、信仰の祈りによって真理に導かれているのやも・・
「心を一つにしたあなたがたの信仰の祈りによって・・まことに信仰の祈りに応じて与えられるであろう。
あなたがたはわたしの言うことを守るならば・・信仰の祈りによって慰め主により教えられる・・
彼らが信仰の祈りによってそれを望んで・・あなたがたは祈りによって御霊を受ける・・
」
祈り 遺伝子 活性化
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A5%88%E3%82%8A%20%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%20%E6%B4%BB%E6%80%A7%E5%8C%96&ei=UTF-8
学者さん信仰は慈愛の欠如に??
>トマトが甘いかどうかは「糖度」を測定すればわかる。
>しかし、それが美味しいかどうかは個人の感覚であって、客観的には比べられない。
アメーラってトマト美味しいですよ。
https://www.amela.jp/
ヨーロッパで優秀味覚賞受賞
日経MJバイヤー評価で1位
静岡の方言「甘め〜ら」から命名らしいです。
このトマトなんと糖度が普通のトマトの倍の9.3。
美味しさの客観的指標のひとつは糖度ではあるでしょうね。
オーリーブの会って高齢者の集まりがあるんですが、
あれもオリーブオイル(老いる)から命名されたのかも。。。
絶対入らない。
>私は、自殺率で幸福度がはかれるとは思いません。
不思議な事にハワイやユタ州でも自殺率高いんですよね。
日本は火山国で災害が太古から多かったので「心配性」の民族になったとか。
集団ヒステリーを起こしやすい民族らしいですね。
なので、裕福で平和でも自殺しやすい。
幸福感というのは、ついつい周りと比べてしまう指標なんでしょうね。
汝、むさぼるなかれ。
おー。まさに天にも昇るようなひと時だったのでしょうね。
中尊寺には昔社員旅行で行きました。
夏草や 兵どもが 夢の跡
>祈り 遺伝子 活性化
これは科学的にも実証されている事象みたいですね。
脳科学者 中野 信子さんの、脳科学からみた「祈り」
Kindle版購入して読みました。
5つ星のうち4.0 著者との会話を楽しんでいるような書
2017年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自己のためだけではなく、他者の幸福を思い、祈り行動することこそ、脳に大きな喜びと平安を与える。
人間とはそういう生き物だという書。
自己のパフォーマンスを、利他的な行動に結びつけるような頭の働き、それをいつもぶれずに持ち続けられるための「祈り」というところか。
マンネリ化を防ぐために、祈りは2回と決める。朝は、なりたい自分、目標、今日1日をどう過ごすか、夜就寝前には、今日1日を評価、そして明日にどうつなげるか。要は、目標の設定とフィードバックか。
人間は横のつながりだけであれば、容易に流される、ぶれない自己を保つための、縦の軸としての「祈り」と、私は理解した。
ーーー
祈りを日常的に習慣としている末日聖徒。
幸せホルモンの分泌を促すのだとか。
祈りと行動大切ですね。
>幸せホルモンの分泌を促すのだとか。
今本当に幸福だって人は祈らないものだ。
自分の住む社会が反映して幸福を手に入れると人間は神を忘れ祈らなくなるって言うのが、聖書の主な題材です。
山中鹿之助だって幸福だったわけじゃない。 マゾだったのかもしれないけど?
苦しい時の神頼みって相場が決まってます。
>幸せホルモンの分泌を促すのだとか。
>祈りと行動大切ですね。
これって、祈りの大切さを説こうとして、かえって貶めてないかい?何でも思い付きで、反射的に書き込んでいると恥をかくと思うよ
なるほど、大好きな讃美歌の歌詞を思い出しました。
取り巻く闇の中を(2番)
かつて主の導きを祈らず
おのが道を選び,高ぶりし
そのとき,主は在まさず されど今導きたまえ
---
>山中鹿之助だって幸福だったわけじゃない。 マゾだったのかもしれないけど?
まぁ、あれは後世の創作って事らしいですけど自己犠牲の尊さを教えてくれますね。
仲間や部下に感謝の心を忘れず気遣いの名人だったとか。
シンボルマークがダサすぎたのが恥ずかしかったですが。
あれは良かった。
聖典の高等評価に脳科学者も入れると良いかもですね。
http://kyojokai.com/kantogen/kan2011/kan201108.html
聖書と脳科学 (2011年 8号) 角田 秀明
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
(テサロニケの信徒への手紙一 五章一六節―一八節)
最近の脳科学の進歩により、かつてはほとんど未知の部分が多かった脳の仕組みや働きが解明されてきています。
この脳科学の知見から、実に多くの事実が明らかになっていますが、最も驚かされたことの一つは、
「脳」は人間が幸せになるように既にプログラムされているというメッセージでした。
楽しいこと、嬉しいことを経験すると「快感ホルモン」が分泌され、
身体に良い影響が出たり、がん細胞をやっつけ、ストレスを解消し、老化を防いでくれるのです。
さらに、人間の行動の少なくとも九〇%は習慣によるものですが、
習慣的な考え方や気持ち、使う言葉や行動を何度も繰り返していくうちに、
轍が道になっていくように脳の神経回路が出来上がっていくのです。
ベネディクト会のある修道士は次のように言っています。
「感謝の気持ちに理由はありません。
一瞬一瞬を満たされた気持で生きること。
幸せだから感謝するのではなく、感謝するから幸せなのです。」
ーーーー
感謝を神に捧ささげん 予言者の導き
末日に福音を 光とたまいぬ
豊かなみ恵みに われらは感謝せん
喜び仕えつつ 戒め守らん
メンバーへの愛とサポートを訴えるデモが承認されました。
参加者はレインボーの服を着て、サインを持ち、BYUでのLGBTQの経験について話す学生や
教授からのメッセージに耳を傾けました。講演者たちは、キャンパスでサポートされ受け入れ
られていると感じる方法や、孤立していると感じることへの葛藤を表明しました。
RaYnbow Collectiveの創設者であるマディソン・テニーさんは、このイベントの企画を手伝い
ミッションで自分のセクシュアリティと折り合いをつけた後のBYUでの経験について、観客に伝えました。
・・
BYUのアカデミックアドバイザーであるシエル・サラザール氏は、学内のLGBTQコミュニティの
支援に尽力していることを語りました。サラザーさんには、クィアであることを認識する2人の
子供がおり、彼女がより良い親であり同胞であることを助けてくれていると言います。
サラザール氏は、キャンパスで学ぶLGBTQの学生たちが見られ、サポートされていると感じるための
4つの方法を紹介しました。安全な空間を作ること、学生のアイデンティティを完全に受け入れること
有意義な未来を描く手助けをすること、彼らに忠実であること、だそうです。
"私たちは生きていると感じるために、つながっている必要があります "とサラザール氏は言います。
"私は、学生が今、そして将来必要とするつながりを持てるように、そのコミュニティづくりの一端を
担うべく、最善を尽くしています。"
その他、BYU USGAのキャロリン・ガサート会長、Cougar Pride Centerのジュリア・サシーン会長、
Cougar Prideのデビッド・シル前会長らが登壇しました。
このイベントは、BYUが2022年初頭に実施した新しいデモポリシーによって承認されました。
このポリシーでは、キャンパス内でのデモは申請手続きによって承認され、参加者は特定の手続きと
基準に従うことが求められています。
USGAは、BYUの学生、教員、ゲストによる非公式グループであり、LGBTQとSSAのトピックについて
オープンで敬意ある会話をする安全な空間を提供することによって、BYUコミュニティの向上を目指す。
”
2022/06/12/byu-students-and-faculty-gather-in-first-ever-approved-lgbtq-demonstration/
”2021年4月30日 クィア会員を含むすべての女性が扶助協会に所属していると感じられるように・・
BYUの女性会議で末日聖徒の出席者が語った。・・ジーン・B・ビンガム会長
末日聖徒イエス・キリスト教会の750万人の会員からなる扶助協会のすべての女性は、歓迎され、
含まれていると感じるべきだと、・・
これは扶助協会会長ジーン・B・ビンガムと彼女の二人の顧問、シャロン・ユーバンクとレイナ・
アブルトが2021年女性会議の「帰属の場」と題する基調講演で語ったメッセージです。
"扶助協会の約束は、私たちがシオン社会になることです。"とビンガム氏は述べました。
"永遠の視点からお互いを見るとき、一人一人を永遠の姉妹として見ることができるのです"
しかし、「改善」の必要性があるとビンガム氏は述べました。"調査によると、人々が宗教から
離れる理由の第一は、批判されたり、歓迎されないと感じることだそうです。それは、
教義の不一致や信仰の欠如よりも多く挙げられています。
良いニュースは、"私たちが本当にすべての人に腕と心を開けば、そのような状況は実質的に
解消されることです "と、彼女は言いました。
そのために、教会の人道的部門である末日聖徒チャリティーズを率いるユーバンクは、友人の
ジェシカ…・ラ・ベガ(以下リブ)を招いて自称クィア末日聖徒としての体験談を語ってもらった。
彼女は「福音」によって傷ついたことはありませんが、会員から言われた言葉によって傷ついたことが
あるとリブは言いました。彼女はまた、肯定的な経験についても述べました。
彼女が若い独身成人ワードのビショップ(信徒の指導者)に自分のクィア・アイデンティティを話したとき
彼はこう答えました。・・どうしたら、ここが安全な場所だと知ってもらえるでしょうか?
20年近く、彼女は自分の同性愛指向のために「壊れている」と思っていましたが、今はありのままの
自分が神とイエス・キリストに愛されていることを知っていると、リヴは言いました。"私の永遠の
アイデンティティは、誰にも奪われることはないのです。"
ユーバンクは彼女の友人を賞賛し、直接の出席者とオンラインで見ている人々に、"このことを話す
ためにこのBYUのステージに立つために必要な勇気を認めてください "と伝えました。
扶助協会指導者トリオはまた、子供のいない夫婦、独身者、離婚した会員、あるいは伝道から早く
戻ってきた宣教師など、微妙な瞬間に言うべき良いことと悪いことについて話し合いました。
世界の扶助協会は「すべての女性を支援し、彼女たちが神聖な永遠の姉妹関係の一部であることを
常に感じられるようにする必要があります」とビンガムは結論付けました。イエス・キリストは
「一人一人をご自分の群れの中に入れるために、両手を広げて待っておられます。
イエス・キリストは、私たちがこの重要な努力に協力することを切に願っておられるのです」。
”
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
ユーバンク副は解任になった・・隠れレズの噂あったな・・一方、クローゼット/隠れホモの噂ある
ようなネルソン管長は、”今なお続く回復”されつつある福音の名のもと、同性愛者結婚が啓示された
とかっていつわりの教義発表の方向だったりしてな・・
https://u・・
HTTPS://UNIVERSE.BYU.EDU
2番目
https://www.sltrib.com/religion/2021/04/29/help-all-women-including/
世の流れに抗することを避けさせ、受け入れ方向で・・正を正、邪を邪と言えないようにしているんかな・・
“
🇺🇸Blah🔥MAGA Gang
6月14日
🏳️🌈🏳️⚧️全年齢対象のLAプライドイベントで、股間に巨大なモノをぶら下げて歌い踊るクリスティーナ・アギレラ。
何でLGBTだとこれが許されるのか?
プライドって、どういうこと?多様性ってどこまで受け入れるん?
LGBT:「普通に社会の一員でありたいだけ」
LGBT:「個人のプライベートに干渉しないでほしい」
LGBT:「ずっと偏見と闘ってきた」
大衆:「………😅」
子供:「………😫」
母親:「オラッ!何顔背けとんじゃ!しっかり目ん玉見開いて多様性を祝わんかい!」
子供にLGBTジェンダー洗脳する母親の多さときたら。
”
https://twitter.com/yousayblah/status/1536493224809971712
>教会幹部による洗脳教育下・・
>世の流れに抗することを避けさせ、受け入れ方向で・・正を正、邪を邪と言えないようにしているんかな・・
そうかな?そう言えば現在はそんな感じかもです
私らの若い頃は、やたらと世間との対決姿勢を求められていたような・・・
世にあって世のものとならず、とか
この世より高い標準を保つ、とか
まぁ、それも所詮口先だけの標語だったような気もしますが
しかし、今は社会人になっても酒タバコを強要されることが少なくなって、若いモルモン会員には良いことですね!
私らの若い頃は・・・あ、こう言う話題は止めとこ、また老人が昔語りしてると思われる
とにかくね、もうモルモンは世間よりスゴイのだ、エライのだ、言ってる時代じゃない、価値観の共存の時代ですよ、約1名、モルモンはスゴイ!って記事をコピペして悦に浸っているオジサンもいますけど(笑)
どんなことにも感謝しなさい。
宗教者は時に実現不可能な要求をする。
それに対して豚は叫ぶ
「そんなことできたらくろうせえへんわーーいい!!」
人間はそんなことが出来ないから、嘆き悲しみ苦労するのだ!
人は常に喜んでなど居られないから、小さなことに喜びを感じる。
人はどんなことにでも感謝するなんてできないから、さりげない思いやりに感謝する。
常に喜び、常に感謝しなければいけないなんて思うから、ストレスがたまるんです・・・。
脳科学者って、脳の事は分かっても「心」の事は分からない。
幸せが先か感謝が先か、鶏が先か卵が先か、
病気だから医者に行くのではなく、医者に行くから病気なのか
モルモン教会は正しいから私は信じてるのか、
私が信じているからモルモン教会は正しいのか
はてさて・・・
「不眠症を治すには、ゆっくり睡眠をとることが一番です」
って、言ってるような・・・。
>脳科学者って、脳の事は分かっても「心」の事は分からない。
おー。ちっちゃい「ツ」が挿入されたかのよう。
これも兎師匠から教わった言葉でございます。
人を見て法を説け
「法華経‐方便品」の「以二万億方便一随レ宜而説レ法」などによる) 相手によって、それにふさわしい助言をするべきである。
相手によって臨機応変の処置をとることが必要である。人(にん)を見て法説け。
※人情本・花の志満台(1836‐38)四「人(ヒト)を見(ミ)て法(ハフ)を説(ト)けとやらで、彼の人達が其様なことを為る人か仕ねえ人か、お前も大概察して見なせえ」
ーーーー
聖典の言葉を介して「みたま」はそれぞれに教えて下さるわけです。
感謝するものと共に感謝し、泣くものと共に泣きなさい。
僕も青鬼やりたーい。
彼女は、「福音によって傷ついたことはありませんが、会員から言われた言葉によって傷ついたことがある」とリブは言いました。と言うことを引用され、知っていながら、なぜ、
「ユーバンク福は解任になった。・・・噂があったな・・・偽りの教義発表だったりしてな・・・」の文章を書かれるのですか。これがあなたの本心ですか。残念です。
>人は常に喜んでなど居られないから、小さなことに喜びを感じる。
>人はどんなことにでも感謝するなんてできないから、さりげない思いやりに感謝する。
まぁ、モルモン教義的に言うと、幸福と不幸がないといけないらしいですからね、正義と悪、生と死、意識と無意識、がないと神も存在しないらしいので・・・
喜びがあるために、悲しみや苦しみもまたある?
不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。
" ユダの手紙
“不自然な肉欲”はどう解するんですかね??・・同性愛関連なんではと・・
”ユダの手紙” 同性愛
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9D%E3%83%A6%E3%83%80%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99%E2%80%9D%20%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B&ei=UTF-8
同性愛になりたければなったらいいね・・個々人にとやかく言いたくないです・・
たまWEB的に理解し難いのは、生ける管長は、予言者ジョセフや聖文の教えを否定することも、
改定、確定できるといったことです。 特に同性婚等・・
「31 人に頼る者、すなわち肉を自分の腕とする者はのろわれる。すなわち、聖霊の力によって与えられる
訓戒ではなく、人の訓戒に耳を傾ける者はのろわれる。
32 万軍の主なる神は言われる。「異邦人は災いである。わたしが日々腕を伸べているにもかかわらず、
彼らはわたしを拒むからである。・・
」
異邦人リーダーシップでは、人の訓戒を押し通そうとして主の教え・訓戒を拒んでいる可能性大・・
「CIAに喰われた野田政経塾内閣に日本は潰される! 暴走する”松下ホモ人脈・・
その一例が政治や諜報の世界におけるホモ人脈の問題です。英国のMI6とKGBの争いをはじめ、
CIAが使う脅迫の道具として、ホモ問題が活用されてきたのはインテリジェンスの世界では常識ですね。
・・
」http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/kaminobakudan201204A.html
藤原 同性愛 松下政経
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%97%A4%E5%8E%9F%20%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%20%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%94%BF%E7%B5%8C&ei=UTF-8
同性愛 スパイ ルカレ
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9D%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%E2%80%9D%20%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%20%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%AC&ei=UTF-8
「「フェミニズム」と「同性愛」が人類を破壊する
」を一読を・・・
フルフォード "同性愛" 陰謀
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%20%22%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B%22%20%E9%99%B0%E8%AC%80&ei=UTF-8
相手によっていう事を変えろ・・・って理解してる人が居るような気がする。
豚は「ブッタ」ではなく「ほっとけさま」の方が良いですな~
多分誤解です。
>彼女は、「福音によって傷ついたことはありませんが、会員から言われた言葉によって傷ついたことがある」とリブは言いました。と言うことを引用され、知っていながら、なぜ、残念です。
Webさんは占い好きなのと陰謀論大好き人間なので。
リンクしてある動画のコメント感想です。
・楽しそうにしている観客が一番の恐怖。
・お母さんが見たら泣くやつ…
・世紀末来たか
・動物の森へ帰すか、檻に入れるべき。
アメリカの行き過ぎたLGBT運動に陰謀論をかませて、危惧を表現した。とそんな感じだと思います。
私も現在のLGBTQの運動は加熱しすぎだなぁと思いますますが、ウーマンリブ運動も黒人解放運動も加熱してから徐々に中道に戻るのかなと。
銭持ってこいポーズをしている豚を想像してしまった。。。
https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/choukoku/item06/
>“不自然な肉欲”はどう解するんですかね??・・同性愛関連なんではと・・
はい。こんな箇所からそう解釈されています。
創世記19(リビングバイブル)
若者から年寄りまで町中の男たちがぐるりと家を取り囲み、 5大声でわめき立てました。
「やい、ロト! あの二人を外に出せ。うんとかわいがってやろう。」
ロトは彼らをなだめようと外へ出て、うしろの戸を閉めました。
「お願いだ。乱暴はやめてくれ。
うちには結婚前の娘が二人いるから、好きなようにしてかまわない。
けれども、客人に手出しをすることだけはやめてくれないか。私が責任をもってお泊めしたのだから。」
ーーー
おいおい、幾らなんでも生娘をさしだすなんて。。と思いますが、
ロトはわかってたんですね。
ちなみに客人を「うんとかわいがってやろう。」というのも男色レイプの表現です。
>
>相手によっていう事を変えろ・・・って理解してる人が居るような気がする。
いる!たしかに!
モルモンは万人救済論です、と言い出したり、内村鑑三やマルチン・ルターをほめたり、けなしたり・・・
あの人の場合、相手によってじゃなくて、話の流れでテキトーに言うこと変えてますけど、まぁ自分の主張に根っこの無い人なんだなって思ってます
ロトの妻が塩の柱になったって、創世記の筆者はどうして分かったの?
他の誰かが振り向くか、街に戻るしかそれを分かる方法が無いじゃん、でもそれをしたら、その目撃者も塩の柱になるはずでは?
これに回答できるモルモン教会員はいないんですよね
あと、ソドムとゴモラの罪が男色ってどこにも書いていないけど、それより父親に酒飲ませて近親姦で子供作るのはオッケーなんだ、って聞いても誰も答えられないんだよなぁ
ま、このあたりが意味するのは、創世記はほとんど神話で、伝承を纏めたものってことです、こんなにストーリーや倫理観の設定に穴だらけの本でも、神の言葉だって何千年も信じて来れたんだから、田舎者の無学なジョセフ君が書いたモルモン書だって神の言葉と信じたい人には信じれるのですよね
確かインステの資料に書いてありました。こんな感じ
ソドムとゴモラは死海の近くであり、死海の底には高濃度の塩の結晶が柱のようになっていた。
つまり、ソドムとゴモラが硫黄の火で焼かれた時、振り返るな(街に戻るな)という主の言葉を無視して、おそらく財産か何かを取りに戻って死んでしまった。それを「死海の塩の柱になった。」と表現してある。
つまり、神様の命令をちゃんと聞かないと大変なことになりますよ。という教訓話ですね。
あじフライ無学すぎる。
それ、推測ですね
しかし、その理屈が成り立つのなら、モルモン書はジョセフ・スミスが妄想で書いた本であるが、それを『古代アメリカの歴史』と表現している、と言うのと同じ
ウソってことです
誹謗中傷なら止めてくださいね、ネットの侮辱罪が成立する世の中になったんですよ
ちなみにジョセフが無学なものである、って彼は自分で言ってるんですから、これは誹謗中傷ではありません
はい!是非そうしましょうね。
これは正解です
聖書(特に旧約聖書)はたいていそう言うレベルの伝承や民話や昔話を集めたものです。
真実の歴史でも、記録でもなく、永遠の真理もありません、ただ読む人がそこから教訓を得てきた、それが何千年も続いたのでプレミアムな価値がついただけです
何かの教訓を学べるかな、と思いながら読んだら、今後もますます価値が出るでしょうけれど、永遠の真理を見つけようなんて読み方をしたら、怖いカルト宗教に騙されますよ
それはモルモン書も同じね
そう、推測。
史実はソドムとゴモラの民は退廃していなかったかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=9TRPn1F1hRQ
神の怒りに触れて滅ぼされたという背徳の街、ソドムとゴモラ。神は天から硫黄の火を降らせ2つの街を滅ぼした。聖書の中でも最も恐ろしいとされる物語は、教訓を伝えるための作り話か?それとも基になった出来事があるのか?物語の起源を探るため冒険家で科学者のアルバート・リンが聖地へ向かい宇宙からの視点で謎に迫る。
ーーー
地震か火事か、はたまた隕石による災害か。
いずれにしても教訓を伝えるための尊い神話の一部でしょうね。
>永遠の真理を見つけようなんて読み方をしたら、怖いカルト宗教に騙されますよ。
聖典は神様と人とがどのように関わってきたかを記した尊い記録です。
そいう視点の歴史書でもあるでしょうね。
史実の部分もあるし、神話の部分もある。ウソなんかじゃありませんよ。
まぁ、『「うんとかわいがってやろう。」というのも男色レイプの表現です。』なんて物知顔で嬉しそうに書き込んでいる人もいますけど(笑)
それよりアンタら、ちゃんと聖書読んでるかい?サムエル記のダビデとヨナタンの関係、あれこそデキてる男同士の関係だろ
そう言うところ、キチンと押さえた上で聖書を語れよな、って思ってます
>そいう視点の歴史書でもあるでしょうね。
旧約聖書の歴史的真実性?
ま、所詮は古事記、日本書紀レベルでしょう
戦前までは自国の歴史書だったんだぞ、今じゃ笑い話だけど、学校では神武天皇から今上天皇まで暗記させられたんだぞ
ちゃんと読んだことある?やたらと日本人はエライ、スゴイ、キリスト教国だぁって根拠もなく言ってるオジサン?
おやおや。。
アジフライくんが読み取れないだけだろうねw
直接的に書いてないだけで。
そもそもソドムの罪はヘブライ語でソドミーといって特に男色を連想させるらしいですよ。
ユダヤ人には言わずもがな、なわけだ。
そんな解説いくらでも出てくるよね?
それ言葉の成立順序は逆だから
旧約のソドムの街の名前から、ソドミーと言う言葉ができた
脳ミソあるなら調べよう
>直接的に書いてないだけで。
読み取る以前の問題として、モルモン書が創作物だというハッキリわかる事実を理解しようね
ほら、男色を連想させる書いてあるじゃない。
読みとれましたね。
>読み取る以前の問題として、モルモン書が創作物だというハッキリわかる事実を理解しようね
理性的な人は断定的に語らないものです。
わたしはこういう意見を持っているくらいの表現にするのが大人ですよ。
>読みとれましたね。
まずは他人が何を言ってるかを読みとるスキルが、キミには必要じゃないかと思うねぇ
主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたの妹ソドムとその娘たちは、あなたとあなたの娘たちがしたほどのことはしなかった。
見よ、あなたの妹ソドムの罪はこれである。すなわち彼女と、その娘たちは高ぶり、食物に飽き、安泰に暮していたが、彼らは、乏しい者と貧しい者を助けなかった。
彼らは高ぶり、わたしの前に憎むべき事をおこなったので、わたしはそれを見た時、彼らを除いた。
皆までいわせますかーw
ソドムという名からソドミーができたのなら、多くの人が男色を連想し読み取ってたからでしょうが。
5:ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。
「知る」というのは「性行為」を指す表現なのは常識。
よってここは
「お前んとこに来たよそ者をはよ出さんかい。カマほったるわ」
と言ってるわけだね。
それに対してロトは「生娘2人でどう?」といってるわけ。
男色明らかじゃない?
普通はそう読むと思うよ?
それを踏まえても「書いてない」と仰るあじフライくんの読解を披露していただけますか?
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-Sodom-and-Gomorrah.html
エゼキエル16:49-50は、あなたの妹ソドムの不義はこうだった。
・・・
ヘブル語の“忌み嫌う”は道徳的に何か嫌なもののことで、レビ記18:22で、
同性愛行為について言う時”忌み嫌うべきこと”と言っているのとまったく同じ使い方をしている語です。
同じように、ユダ7節は「また、ソドム、ゴモラ及び周囲の町々も彼らと同じように好色にふけり、
不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、見せしめにされています。」と宣言しています。
それで、同性愛はソドムとゴモラがふけっていた唯一の罪ではなかったのですが、一方その町の滅びを招いた主要な理由は同性愛だったように思えます。
「ソドムの罪」は同性愛か : 「他の肉を追い求める」(ユダ7節)をめぐって
関西学院大学キリスト教学研究
辻 学
上記PDFによりますと、ソドムの罪を同性愛と考える人の根拠についてはユダの手紙7節
「ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。」
の「不自然な肉欲」(=他の肉を追い求める)という言葉の解釈によるものだと言うことです。
英語圏の研究者はここに同性愛を読み取る者が多く、ドイツ語圏の研究者は天使との性交を読み取る者が多いとか。他にも偶像礼拝の意味であるとか、性的な意味ではないという解釈もあるとのことです。
ソドムの罪を同性愛と関連付けて考えるようになったのはアウグスチヌス(ローマ帝国時代の聖職者)の解釈によるところが大きい、と著者は説明しています。また著者によれば、ユダの手紙が書かれた時代性では「不自然な肉欲」という表現から同性愛を連想したとは考えにくい(ただし、神を恐れず、神に背いた性的放縦な生活に身を委ねていることを意味していた)としています。
なので聖書の言葉からソドムの罪=同性愛と直結するように考える必要はない、としています。
これは聖書に限らず、日本語の単語でもそうです。
たとえば「さわりの部分」というと「話の最初の部分」として使われることが多いですが、本来は「話の要点」と言う意味です。「そろそろ潮時」は「引き際」の意味でつかわれますが、本来は「一番良い時期」の意味でした。他にも「気が置けない」「うがった見方」「敷居が高い」など、本来と異なる意味になってきています。
しかし厄介なもので人間は最初に学んだことを、絶対に曲げられない真実だと思い込む傾向が強い。誰しもがそうですが。
キリストの生まれた年が西暦1年だという思い込みが未だに世界中に広まっています。これは530年頃、神学者ディオニシウス・エクシグスが算出したものですが、計算に誤りがあり、正確ではないことが歴史的には起きらかになっています。これを誤解している多くの人は、キリストの生まれた年からみんなで数えてきた暦だと思い込んでいます。そしてこの誤解は宗教的経験と融合してしまっているので、絶対に認められない、というわけです。私は比較的物分かりのよさそうな末日聖徒の何人にもこの説明をしましたが、いやそれは違う、キリストの誕生が西暦なのは啓示だから、教義と聖約20章や基督イエスに書いてあると頑迷に拒否されました。
さてソドムの罪が同性愛だと言うのも同様で、後代に作られた解釈の一つにすぎません。そして聖書には同性愛とは書いていないのです。しかし、自分の宗教的学びの経験と融合してその解釈を受け入れてきた人には、それは神の実在のごとく曲げられない真実なのでしょう。
ただ興味深いのは、後代に作られた解釈により本来の意味が変化することは、モルモン教義的なキリスト教史観である「人の知恵によって解釈し真実が失われてしまう」ことに類似していることと。この概念に人一倍敏感であろうはずの末日聖徒が、同様の轍を踏んでいる姿でしょうか。
あ。これ読んだことあります。
>しかし厄介なもので人間は最初に学んだことを、絶対に曲げられない真実だと思い込む傾向が強い。誰しもがそうですが。
まさに、だから高等批評は必要なんでしょうね。
聖典に書かれていることをすべて文字通りに読むと教会の内外で最も優れた学者が文字通りの読み方は成り立たないと主張していることに気づいたとき,証に損害を与える可能性があります。
Webさんが
>>“不自然な肉欲”はどう解するんですかね??・・同性愛関連なんではと・・
はい。こんな箇所からそう解釈されています。
と一般にはそう解釈されている部分に目がいってないなと思って紹介しただけです。
>私は比較的物分かりのよさそうな末日聖徒の何人にもこの説明をしましたが、
>いやそれは違う、キリストの誕生が西暦なのは啓示だから、
>教義と聖約20章や基督イエスに書いてあると頑迷に拒否されました。
まぁ、NJさんや師匠はむしろ肯定するでしょうね。
4月6日説もそうです。
これなんかは聖徒の道に「深入りすべきでない。」という記事が載ったのに同じような感じですね。
4月6日を肯定したと受け取れる指導者の発言が優先してしまう。
>この概念に人一倍敏感であろうはずの末日聖徒が、同様の轍を踏んでいる姿でしょうか。
まぁ、聖書の時代の人たちは同性愛を忌み嫌っていた。という情報を受け取れていればいいと思いますよ。
パウロだって明らかに現代から見れば女性蔑視なわけだし、今日の社会的な道徳感に聖書の字面から当てはめる必要はないでしょうね。
>私は比較的物分かりのよさそうな末日聖徒の何人にもこの説明をしましたが、いやそれは違う、
>キリストの誕生が西暦なのは啓示だから、教義と聖約20章や基督イエスに書いてあると頑迷に拒否されました。
私もこういう議論の場に遭遇することはありますが、「間違い」とは言わずに他の指導者の見解を教えることが多いですね。
公式ホームページとかfairとかには多様な意見があって参考になります。
https://www.fairlatterdaysaints.org/answers/Question:_Do_Latter-day_Saints_believe_Jesus_was_born_1830_years_before_the_Church%27s_organization_on_6_April_1830%3F
ブルース・R・マッコンキーは、救い主の正確な生年月日を決定することが可能であるとは信じていませんでした
ブルース・R・マッコンキーは、次のように述べています。主イエスのことは実際に起こりました。」[3]彼は脚注で観察を続けました:
私たちの主の誕生の日は何ですか?これは、賢明で学識のある人々が議論することを喜ぶ魅力的な問題の1つです。
評判と名声のある学者がいて、彼の出生日を紀元前1年から紀元前7年まで毎年配置し、
紀元前4年が一般的な見解であると結論付けることが許される場合は、それが一般的な見解です。
・・・
十二使徒評議会のハイラム・M・スミス長老は、教義と聖約の解説に次のように書いています。
私たちの救い主の誕生から長い間、彼らの計算に誤りがあり、キリスト降誕が私たちの時代の4年前、
またはローマ750の年に起こったことを確認しようとした人々。
教会は1830年に一般に受け入れられた年に組織されたということです。
AD"ローマ750は、示されているように、紀元前4年に相当します。
お返事ありがとうございます。
>聖典に書かれていることをすべて文字通りに読むと教会の内外で最も優れた学者が文字通りの読み方は成り立たないと主張していることに気づいたとき,証に損害を与える可能性があります。
オムナイさんがご自分に対してそうされるのであれば、どうぞ。
しかし他人に対しても、そうしてやろうとの思いで話しかけるのはお節介なのではないでしょうか?証を失っても、事実を知る方が大切と私は考えますので。むしろ事実ではないことを信じ込んで証を得た、と私は思いたくないです。
最初に知識や解釈を耳にすると、その目線で物事を判断してしまい、事実が見えなくなることがあります。ソドムの罪が同性愛であるとは聖書には書かれていない、これは事実です。しかしソドムの罪は同性愛だ、という解釈を先に聞いてから聖書を読むとそのようにしか読めなくなるのです。キリストの誕生が西暦1年という誤解もそうです。
>私もこういう議論の場に遭遇することはありますが、「間違い」とは言わずに他の指導者の見解を教えることが多いですね。
>公式ホームページとかfairとかには多様な意見があって参考になります。
歴史や聖書学について学ぶのに公式ホームページや護教サイトをなぜ薦めてこられるのでしょうか。歴史や聖書学の本やサイトから学ぶべきでしょう。
そもそもオムナイさんって新型コロナウィルスやワクチン接種について公式ホームページの記事を読んで参考にしているのでしょうか?ご自分がされてもいないことを他人に薦めてくることが不思議です。
1:25 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。
創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。
1:26 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、
その自然の関係を不自然なものに代え、
1:27 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、
男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
1:28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし
なすべからざる事をなすに任せられた。
1:29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と
悪念とに満ち、また、ざん言する者、
1:30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者
親に逆らう者となり、
1:31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。
1:32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら
自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている
」ローマ人
同性愛の起源 ギリシア
https://ch-gender.jp/wp/?page_id=30
将来の反キリストは同性愛者か・・
「ダニエル書11章37節は、アンティオコス・エピファニスと終末の反キリストに関する二重の預言である
と多くの聖書解釈者が理解している箇所である。反キリストが「女性の欲望を顧みない」という事実から
反キリストは同性愛者であると考える人もいます。
問題は、「女性の欲望」とは何を意味するのか、ということです。女性に対する欲望を指しているのか
それとも女性が欲するものを指しているのか。ヘブライ語テキストの訳としては、どちらでも可能です。
もし、「女性に対する欲望」が正しい理解であれば、反キリストがそれを見捨てることは、彼が同性愛者
であることを示すことになります。しかし、「女性が望むもの」が適切な理解であれば、この表現は
全く別の方向を示していることになります。
NASB、KJV、NKJVはこのフレーズを「女性の望み」と訳していますが、他の翻訳では異なる表現がなされています。
NIVとESVはこのフレーズを「女に望まれる者のために」(NIV)、「女に愛される者に」(ESV)と訳しています。
もしこの訳が正しければ、ダニエル11:37は、反キリストが "女性が愛する何か/誰か "を顧みないことを
述べていることになります。
NLTとCSBはこのフレーズを「女性に愛される神のために」(NLT)、「女性に望まれる神」(CSB)と訳しています。
もしこの訳が正しければ、ダニエル11:37は、反キリストが「父の神々、女たちが望む神、その他の神」を
顧みないと言っているのです。
基本的に、NIV、ESV、NLT、CSBはすべて、このフレーズが「女性が望む何か」を指していることに
同意していますが、NIVとESVはその何かを特定せずに、NLTとCSBはその何かを反キリストが放棄する
「神々」として特定しているのです。この表現は、おそらく最も理にかなっています。反キリストは
すべての神々を捨て、本質的に自分自身を神と見なすからです。"彼はすべての者の上に自分を高める"
さらに、文脈上、ダニエル11:37が同性愛への言及を挿入するのは、特にそのような不明瞭な方法では
奇妙なことでしょう。ダニエル11:37が反キリストが同性愛者であると言うなら、"彼はその先祖の
神々を顧みず、同性愛者であり、他のいかなる神をも顧みず、すべての者の上に自分を高く掲げる "
というような文章でなければならないでしょう。
ですから、反キリストが「女性の欲望」を無視することは、彼が同性愛者であることを示すかもしれませんが
それはダニエル11章37節の唯一の解釈ではありませんし、最も妥当な解釈でないことは明らかです。
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
」
https://duckduckgo.com/?q=antichrist+homosexual&t=h_&ia=web
たまWEB的には 将来の反キリストはゲイ社会と関係してると・・神に反抗するわけで・・
そのように受け取られたのならわたくしの表現の未熟さとしか言えません。
常に「私はこう思う」という心持ちで書き込んでいます。
>歴史や聖書学について学ぶのに公式ホームページや護教サイトをなぜ薦めてこられるのでしょうか。
>歴史や聖書学の本やサイトから学ぶべきでしょう。
はい。もちろん学んでますよ。
教会員にはこちらの方が説得力がありそうなので、そちらを引用することが多いですね。
ちなみに私は「護教」については尾崎神父の考え方に共鳴し
より好意的な認識をしています。
https://peraichi.com/landing_pages/view/00hiz/
教会の歴史を眺めると、教会が産声を上げたときから、その教えは様々な攻撃を受けました。
まずはユダヤ教徒から、次に様々な流れの異教の哲学者から。
これらの攻撃に対し、キリスト教が子どもだましの迷信ではなく、論理的にも説明が出来ることを証明しようとする試みが現れました。
これを護教学と言います。
ーーーー
fairな精神に通じますね。あいや、通じると思ってます。
はい、そうです!
聖書のどこにも、ソドムの罪は同性愛である、とは書いていませんね!
でも、吐いたツバは飲み込めない、なのであれこれ話題を変えようと必死なオムナイくん、ウケるw
最初に概念が作られてしまうと、その目線でしか見えなくなってしまう、これもその通りですね
で、モルモン教会が200年かけてやっているのが、全てのキリスト教会は間違っている、聖書からは重要な真理が抜き取られている、ていう嘘八百概念の喧伝ですわ
ただこの戦略はうまく行ってないですね、BYUの調査によると改宗者の3分の1が教会を去っているのだとか
ま、でも、真実より空想の方がお好きな方もいらっしゃるので、仕方ないかなぁー
なかなか極端な意見で興味深いですw
生物の性は実は移ろいやすく、途中から性が変化するもの、雄雌がそもそもないもの、様々です。
ホモサピエンスの場合も心と外見上の性が一致しない人が一定数いるようですね。
「産めよ増えよ地に満ちよ」は全ての生物の本能であるし、それを神様のご意志と信じても、なんの不都合もありません。
なので、人間社会の健全な形成はマジョリティーを基本としてマイノリティーを補完的に考えた方が全体的に健全な社会出来上がりそうです。
私はむしろ逆、女性や有色人種を受け入れ社会が成熟してきたようにLGBTQをうまく融和させる社会こそ天国に近づている証拠だと思います。
尻馬に乗ったーw
いやいや、私は戻してあげてるんですよw
>それよりアンタら、ちゃんと聖書読んでるかい?サムエル記のダビデとヨナタンの関係、あれこそデキてる男同士の関係だろ
ソドムとゴモラの場面が「同性愛の罪」というのが主流の一般的な解釈というのは認識できたんですかねー。
単に行間が読めなっ方ということ?
はい、もちろんです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html#:~:text=しています。-,新型コロナウイルス感染症の予防,いただくようお願いします。
国民の皆さまへ向けた関連情報を掲載しています。
新型コロナウイルス感染症の予防
風邪や季節性インフルエンザ対策と同様にお一人お一人の咳エチケットや手洗いなどの実施がとても重要です。
感染症対策に努めていただくようお願いいたします。
風邪症状があれば、外出を控えていただき、やむを得ず外出される場合にはマスクを着用していただくようお願いします。
ーーーーー
昨今は熱中症への懸念から屋外でのマスクを外すよう啓蒙していますが、なかなか外れませんね。
特に子供たちへのマスク強要については大変心配しています。
ワクチンも強制ではないはずなのですが、日本の同調圧力は異常だと思います。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA021SU0S2A600C2000000/
1~3月に国内の死亡数が急増したことが厚生労働省の人口動態調査(速報値)で分かった。
前年同期に比べ3万8630人(10.1%)多い、42万2037人に上った。
同期間に新型コロナウイルス感染者の死亡は9704人で、増加分を大きく下回る。
コロナ以外の要因があるとみられるが詳しい原因は不明だ。行動制限などの影響がないか検証が急務だ。
ーーーー
個人的にはワクチンの影響でなければ良いがなと大変心配しています。
国は「個人の選択」と保険をかけていましたが、情報開示が一元的ですからね。
多くの反モルモン派の批判は、次のような藁人形的な議論に依存しています。
末日聖徒の指導者「L」は次のように言いました。
"X". X "が誤りであることが示されたので、これはモルモン教が誤りであることを証明するものである。
モルモン教は偽りであるということです。
あることが「公式」の末日聖徒の教義であるかどうか?
総本部長や預言者が言ったからですか。
何が公式で何が公式」な末日聖徒の教義ではないのですか。・・・
ーーーーー
興味深い質問ですね。
これはPDFで提供されていますが、ロックがかかっているので引用は少しだけ。
DeepLやグーグル翻訳でPDFをドロップするとある程度の日本語訳が得られます。是非。
それ以前にオムナイくんは、文字が読めていませんね。
聖書には、ソドムの罪は同性愛である、とは書いてない、この事実は理解できたの?
解釈がぁ~、行間がぁ~って言ってるけど、それ言い出したら
>それよりアンタら、ちゃんと聖書読んでるかい?サムエル記のダビデとヨナタンの関係、あれこそデキてる男同士の関係だろ
となるのよ、ダビデとの関係はいろいろな絵画の題材になってるね
だから、聖書には「ソドムの罪は同性愛である」と書いていない、と言う事実を理解したうえで、私は「ソドムの罪は同性愛である」と解釈を受け入れる、ならば分かるけどね
キミのように、そう書いてあるだろー、わかんね~のか~、それ以外に読めないだろー、とか言うのは子供じみてるよ
少なくとも還暦迎えた分別のある人間の言動ではないわな
聖書に書いてない、って事実を認めるのが嫌でたまらなくて、話題変えようと奮闘中、ワロタ!
モルモン教会の公式な教義論争がなぜ起きたか?
そりゃ簡単ですよ、モルモン教会の間違いを指摘された時に、護教側が『あ、それ、公式教義じゃないんで』と姑息な言い訳をしたからですよ
それじゃ公式教義って何よ?って誰もが思うじゃない、で、聞き返すと、護教側が「ううん、批判者たちは藁人形論法で攻撃してきますねぇ~」って惚けてるワケ
もうね、アホかと思うわけですよ
ここの常連さんにもそう言う話術の大好きな人、いますよね?
「天使の様な・・・」って言うと、美しい女性を連想するのは私だけですか?
あじフライくにんは話の流れの中で意図を理解する能力が欠如してるみたいですね。
がんばりましょう。
>それじゃ公式教義って何よ?って誰もが思うじゃない、で、聞き返すと、護教側が「ううん、批判者たちは藁人形論法で攻撃してきますねぇ~」って惚けてるワケ
面白い読解力。
まだ公式の教義はどういうものか理解できませんかねぇ。
そんなに難しくないでしょう。
こんなのセミナリーの生徒れべるですよ。
話の流れがぁ~、話の流れがぁ~、って
必死ですねw
聖書の中には書いてない、っ言ってるだけなのに、どうしてこんな単純な事実を認められないの?
オムナイくんって自分の発言については『私はただの風邪と言ったことは一度もない、普通の風邪と言ったのだ』って、しょうーもないご飯論法で逃げ出す一方で、聖書に書いてない、って事実の指摘には、話の流れがぁ~、と、みっともない言い訳をするんだね
どこまでいっても自分本位な主張しかできないのね、いかにも、モルモン会員って感じです
>そんなに難しくないでしょう。
>こんなのセミナリーの生徒れべるですよ。
今度はセミナリーを貶め始めたよ、この人w
さてはキミ、青少年時代はサボってたな
お休みしてたんだっけ?
では具体的にはどうなのか?
① モルモン教会が公式に認めた聖典に書いてある事
② 教会の預言者等責任ある地位にある人が、教会の大会等公式の会で話した事
③ 教会が承認し発行されたテキストや機関誌に書かれた内容
世間の常識では、上記の事が考えられますが、モルモン教会では、このすべてを「公式教義」とは言わない。
結論として、モルモンに公式教義は無い。
つまりですな~預言者が言うことも、豚が言うことも大差ないって事ですな~ーーー。
屋根屋のふんどしですな~・・・。
聖書には書いてないんだよー。
そこだけ認めてよー。
もう、不自然な肉欲”は同性愛関連だぁなんて僕には関係ないんだよー。
どんだけですかw
>さてはキミ、青少年時代はサボってたな
>お休みしてたんだっけ?
いえ、今もお休み会員の認識はありませんよ。
まぁ、昔の青少年は預言者崇拝的な部分はありましたね。
私もですが。
あじフライ君もそろそろ脱皮していただかないと。
さすが、大正解!
そか。師匠はDeepLまだ習得していらっしゃらない。
少し、お待ちください。
オムナイがヒントになりそうなところをUPしますね。
>そこだけ認めてよー。
認めるかどうかの話ではないわね、
事実「書いてない」のだから
確認すればいいだけのこと
でもキミは絶対にしない、自分の間違いを認めることになるからね
そう言うところ、いかにもモルモン会員って感じですw
>不自然な肉欲”は同性愛関連
それは解釈だと何度も言ったぞ
人の話を聞く能力の欠如は加齢による症状ですか?
>結論として、モルモンに公式教義は無い。
それより、教会の中って「これが神様の方法です!」とか、「人間の考えはこれこれですけれども、神様の教えは違いますね」とかやたらと神様、神様言いすぎる人いませんか?
そっちの方が公式な教義より、問題は大きいかもです
私の経験では、神様の方法で、とか、神様の考えで、とかやたらと言う人はたいてい自分の主張にハクをつけたいだけで、裏返せば根拠がない、説得する自信がない、そんな感じだと思いますね
それを何故オムナイさんは「天使は男性だ」って思ったのか?
この辺から誤解が始まってるのかな?
>不自然な肉欲”は同性愛関連
同性愛を不自然な肉欲って言うのは良くないと思います。
同性愛の人にとっては自然な肉欲ですからね。
異性愛者が同性愛者から「不自然な肉欲」って言われると嫌でしょ?
神対応ってこの事?
そう言えば、この近くに「神対応」の人が居るけど
>確認すればいいだけのこと
ほー。
これは↓書いてないという認識ですか?
>ーーー
エゼキエル16:49-50は、あなたの妹ソドムの不義はこうだった。
・・・
ヘブル語の“忌み嫌う”は道徳的に何か嫌なもののことで、レビ記18:22で、
同性愛行為について言う時”忌み嫌うべきこと”と言っているのとまったく同じ使い方をしている語です。
同じように、ユダ7節は「また、ソドム、ゴモラ及び周囲の町々も彼らと同じように好色にふけり、
不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、見せしめにされています。」と宣言しています。
それで、同性愛はソドムとゴモラがふけっていた唯一の罪ではなかったのですが、一方その町の滅びを招いた主要な理由は同性愛だったように思えます。
>② 教会の預言者等責任ある地位にある人が、教会の大会等公式の会で話した事
これねぇ・・・「責任ある地位」で思うことですが、モルモン教会の幹部で自分の発言に責任持ってる人って皆無じゃないですかね、無責任だからこその『あれは公式な教義じゃない』論がでてくるわけですよ
会員が幹部の話を真に受けたがゆえに、とんでもない事態に陥っても、そこで振りかざされるのが『あれは公式な教義じゃない』です、もっと酷いのになると『会員が勝手に勘違いした』
こりゃもう無責任を通り越して、責任転嫁ですわ、こう言う論調で護教する人がいますけど、私ぁ大嫌いですね
それについては、関西学院大学の教授の論文を、好奇心さんが紹介してたろ
キミも読んだことあるって言ってたけど?ありゃウソかいい?
同性愛とは書いてないんだよ、文章読もうね、
もしかして漢字読めないの?
私?天使は男性ですって答えましたけ?
聖書の世界観では天使は一般に男性でしょうね。
末日聖徒の世界観だと広義には男女とも天使といえるかもですね。
>同性愛を不自然な肉欲って言うのは良くないと思います。
>同性愛の人にとっては自然な肉欲ですからね。
自然な肉欲という表現が妥当かどうかは別にして、聖書の時代
不自然な肉欲は同性愛同士の性的関係を表現していたんでしょうね。
>もしかして漢字読めないの?
はい、どうも。
書いてない。という認識ですね。
私は聖書にはソドムの罪は同性愛であると書いてあるという認識です。
天地雨土の初發はじめの時、高天(たかま)の原に成りませる
神の名は、天の御中主の神、次に・・・
この三柱の神はみな獨神(ひとりがみ)に成りまして・・・
ーーーー
モルモン書にも三位一体説ととれるところありますよね。
ただ、獨神(ひとりがみ)は性別のない神ということらしく、
神仏的なものには性別がないというのは世界の神話でも多そうですね。
ちなみにイスラム教のクルアーンではソドムの物語に出てくる街の人々の罪は「同性愛」と書いてあるらしいですね。
おそらく中東社会は男性中心主義なのが聖書にも影響しているのかも。
書いてあるか書いてないかは、認識によって変わるものでは有りません。
はっきりとした事実で結論が出ます。
>>それを何故オムナイさんは「天使は男性だ」って思ったのか?
>私?天使は男性ですって答えましたけ?
はい、ソドムの罪の時に。
6月15日21時47分33秒のオムナイさんの書き込みです。
>5:ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。
>「知る」というのは「性行為」を指す表現なのは常識。
>よってここは
「お前んとこに来たよそ者をはよ出さんかい。カマほったるわ」
と言ってるわけだね。
実に下品な表現で引用したくないのですが。
上記のロトの客人は天使ですから。
このオムナイさんの論理は、天使が男でないと成立しません。
しかし、聖書にはロトの客人が天の使いだと書いてますが、性別は書いてません。
でも、オムナイさんは「男」って決めつけています。
そもそも、天使に「カマほる」って表現はいかがなものかと・・・。
同性愛の方にも失礼な表現かと思いますが。
そんな事はありませんよ。
「書いてある」とは文字ばかりでなく内容のことも指しますよね。
>聖書にはロトの客人が天の使いだと書いてますが、性別は書いてません。
あ、そういう事でしたか。
ここでの
19:1そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、
19:2言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。
ふたりのみ使はいわゆるガブリエルなどの天使ではありませんよ。あー、末日聖徒的には(以下そういうことで)
神様からの使者的なみ使ですね。
男性なのは言わずもがな。
>同性愛の方にも失礼な表現かと思いますが。
そうかな。ソドムの退廃した民衆の発した言葉とは我ながら、うまく表現できたと思いましが。
品性の問題かな?
差別ってこういう人から生まれるのかもって思いました。
内容から「男性しかありえない」と認識なさった。
これと同じですよ。
>差別ってこういう人から生まれるのかもって思いました。
ん?聖書の時代はそういう認識の時代ですから。。。
それを仰るなら「カマを掘る」という表現が男性と思っていることも現代ではLGBTQへ失礼なんじゃ??
Webさんの紹介した動画は肉体上の性は女性同士だったんですよ。
>さすが、大正解!
ジョセフ・スミスは、自分が誤りを犯しやすいことを理解した上で、こう書いています。
「昔の預言者はそのように行動しているときだけ預言者であった」
私は一人の人間に過ぎないのだから、完全であることを期待してはいけない。
もし彼らが私に完全を求めるなら、私も彼らに完全を求めなければならない。
しかし、もし彼らが私の弱さと兄弟たちの弱さを忍んでくれるなら、私も彼らの弱さを忍ぶでしょう。
・・・
「ブリガム・ヤングはこう書いています。
「わたしたちは皆、間違いを犯す可能性があります。
多くの人は、私のような立場の人間は完璧であるべきだと思うかもしれませんかもしれませんが、そんなことはありません。
ーーーー
確か総大会でも現代の視点から見ると預言者の言葉でさえ間違いと思われる発言をすることがあると説教していましたね。
確かに現代の預言者たちは優れた霊的指導者ですが、救いの教義など個人的教義の一解釈と常識的に受け止めるべきでしょうね。
そして若者にも、そう教えるべきですね。
上のは
https://www.fairlatterdaysaints.org/wp-content/uploads/2012/02/What_is_Mormon_Doctrine.pdf
ここからの一部抜粋(DeepL)です。
>「書いてある」とは文字ばかりでなく内容のことも指しますよね。
じゃあ、文字には書いてないんだw
だけど、
>私は聖書にはソドムの罪は同性愛であると書いてあるという認識です。
こんな風に認識しちゃうんだぁ、これってヤバイよ、
女性「私、あなたのことはお断りって返事しました、好きなんて言ってません!」
ストーカー「文字ばかりではなく内容のことも指しますよね。
私にはあなたが私を愛しているという認識です」
オムナイくん、あなたの思考はストーカーのそれと同じだよ
内容には「書いてある」と認識していただきましたか?
>女性「私、あなたのことはお断りって返事しました、好きなんて言ってません!」
>ストーカー「文字ばかりではなく内容のことも指しますよね。
私にはあなたが私を愛しているという認識です」
>オムナイくん、あなたの思考はストーカーのそれと同じだよ
典型的藁人形論法じゃないwww
あじフライさん相当やばいよw
自動翻訳の限界で、ところどころ訳がこなれていませんが、ご容赦を。
ーーー
これには総大会で述べられた声明も含まれます。
総大会の講演は、確かに聖徒の霊的啓発に有益ですが、一般的に、明らかにされた公式の真理に焦点を合わせています。
総大会で行われる講演は、その性質上、「公式」教義を説明するものではありません。
ハロルド・B・リーが言ったように、「総大会の権威者が話すすべての言葉が霊感によるものであり、彼らが書くものすべてが聖霊によって動かされていると考えるべきではありません」
J・Fマッコンキーは「何を話したかではなく、何を真理の基準にしているか」だと指摘しています。
また、ある特定の役職に就いている人が言ったというだけで、それが教義になるわけでもありません。
真理は、聖職に就いた人や役職や地位に左右されません。
では、何が「教義」で、何が「教義でない」のか、どうすればわかるのでしょうか。
第一に、それは一般的にすでに啓示されていることに適合していなければなりません。
「J.フィールディング・スミスは、「何が書かれていようと、誰が何を言おうと、違いはない」と書いています。
標準的な著作は、「私たちがあらゆる人の教義を測るための物差し、あるいは天秤」であると彼は説明しています。
ハロルド・B・リーも同じような考えで、立場に関係なく、標準書に書かれていない教義は、「その人の私見に過ぎないことが分かる」と教えています。
彼は、預言者が新しい教義をもたらすことができると認識していましたが、「そうするとき、彼はそれを神からの啓示として宣言し」、
その後、教会の体によって支持されることになります。
預言者は聖典に追加することができますが、そのような新しい追加は大管長会が教会本体に提示し、
共通の同意によって(支持票によって)教会の拘束力のある教義として受け入れられます(D&C 26:2; 107:27-31 参照)。
しかし、その教義や意見が会議で支持票によって支持されるまで、それらは「拘束力がなく、教会の公式教義でもない」のです。
投票で決められたわけでもない教えが真実かどうか、どうやって知ることができるのでしょうか。
J. Reuben Clarkは、「私たち自身が『聖霊によって動かされる』とき、その講演者が真の教義を語っていることがわかる」と説明しています。
「ある意味で、このことは、彼らがそう語るとき、それを判断する責任を彼らから私たちに完全に転嫁しているのです」
主はそのしもべが間違いを犯すことを許しておられ、これからも許されると思います。
私たちは、自分が同意できない教えを受け入れることを強制されることはない。
その教えが神の教義であるかどうか、霊から確認を受けることになっています。もちろん、自分を祝福してくれるものを受け入れないと、自分を危険にさらすのは自分自身です。
ーーー
驚きですね。
その教えが神の教義であるかどうか、霊から確認を受けることになっています。
公式の教義かどうかは私たちの判断に委ねられてもいるんですね。
一方非常に理知的でスマートな教えだと思います。
皆さんはいかがですか?
キミが『俺はそう認識しているんだと主張している事実』は確かに存在するね、そして、それは「書いてある」のではなくて「解釈」だって、私は何度も言ってるよ
だけど、キミがそれを受け入れずに、文字に書いてなくても俺はそう認識してるんだー、認めろー、認めろーって駄々っ子みたいに繰り返してる
かたやキミは「ただの風邪」とは言ってない「普通の風邪」と言ったんだ、って文字に書かれた厳密性を振りかざして弁解するよねぇ
このダブルスタンダードw、いかにも自分勝手なモルモン教会員です
ま、キミはこのコメント欄というちっぽけな世界でマウントを取り続けたい、そう言う気持ちから意固地になってるんだろうなぁって思っています
公式でない護教サイトを読んで調べる
不思議さよw
確かにそういう事実は存在しますね。
「書いてある」というのは文字の場合もあれば「内容」を指す場合もありますよね。
書き込みの流れからいくと普通は「内容」を否定する意味だと思いますよ。
文字として書いてない。。。それで?ってなりますよね。
>ま、キミはこのコメント欄というちっぽけな世界でマウントを取り続けたい、そう言う気持ちから意固地になってるんだろうなぁって思っています。
まったくなしwあじフライ君とのやりとりで、マウントとる気はさらさらないですよ。びっくりするわー。
まぁ、おそらく「知る」という部分が性的関係を示すとういうのを知らなかったか見落としていたのをのを誤魔化したかったのかなと思ってます。
でなければ、あの場面は「そいう解釈ばかりではないですよ」的な指摘するのが普通でもんね。
そうですかー。フキシギですかーw
失礼。
公式から引用してれば納得なんですかーw
>J.フィールディング・スミスは、「何が書かれていようと、誰が何を言おうと、違いはない」と書いています。
そういや思い出したけど、新型コロナウイルスの感染者数をマスコミが報道していたときも、『あれは陽性反応者数であって感染者数ではない』とか、必死に言ったよね、オムナイくんはw
そんなもん陽性者数しか基準となる数値しかない状況なんだから、それを手がかりに報道するしかないってことも理解できずに、違うんだぁー、違うんだぁーって、喚いてたなぁ・・・彼
コロナの死者数が増えて来たときも『致死率と死亡率は違うんだぁー、違うんだぁー』って、やかましいのなんの まぁ、実際には新型コロナウイルス感染時の致死率はインフルエンザの10倍以上でしたがw
自分の都合の良いことにだけ、言葉の厳密さを求めたかと思えば、文字にななくても俺はそう認識しているんだぁと勝手に基準を引き下げるのな、この身勝手さよ
今までの人生で、こんなことばっかりやって来たのかなぁこの人、って思うわ、子供時代はこんな感じで駄々をこねて親を困らせ、職場では取引先に迷惑をかけ、これから先は子供や孫に、おじいちゃん、また勝手なこと言ってるよって思われるんだろうなぁって・・・そんな気がします
ダブルスタンダードでしか護教できないモルモン教会、暗澹とした未来が待っているのでしょう
オムナイ基準
『ただの風邪』と『普通の風邪』は違うんだぁー『感染者数』と『陽性者数』は違うんだぁー
『致死率』と『死亡率』は違うんだぁー
『文字に書いてない』と『俺が認識している』は同じなんだぁー
・・・無理ありすぎだろ
このアホらしい状況を理解させようと、たとえ話を利用すると、
『藁人形論法ですね』
ヤバ過ぎだろこの人w
まとめご苦労様って、こらこらw
偽預言者オムナイをまとめてどうする。。
ご自分の意見をおまとめくださいね。
ジョセフ・スミスは 、1842年にアブラハム書の翻訳の最初の部分 を教会の新聞Times and Seasonsに掲載しました。
ジョセフは1844年に亡くなりました 。
50年以上後、末日聖徒はアブラハムの黙示録として知られている文書。
教会は1898年に彼らの雑誌「 改善の時代」にそれを( 2回に分けて)出版しました。
研究者たちは、アブラハムの黙示録 はおそらく最初にヘブライ語またはアラム語で書かれたと信じていますが、
ジョセフ・スミスの時代には、世界全体がテキストの存在を知っていたことを示唆する記録を見つけることができません。
ジョセフの死から数十年後、ゲッティンゲン大学(ドイツ)のG.ナタナエルボンスウェッチ教授は 、
モスクワ大学で原稿を見つけた後、アブラハムの黙示録の唯一の(そして最も古い)既知の原稿を世界の注目を集めるのに役立ちました。
それはオールドスラヴ語(ロシア語の前身)で書かれました。
ジョセフ・スミスが 半世界(そして英語の翻訳から半世紀)離れたアブラハムの黙示録の存在を知っていた可能性は事実上存在しません。
それでも、2つのテキストの間には信じられないほどの類似点があります。そのうちの5つだけを取り上げます。
1.偶像崇拝の父親のために転居
2.統治機関への関心
3.前世の存在
4.神の創造物のビジョン
5.エデンの園とアダム/イブのビジョン
ーーーー
創世記の記述とモーセ書の前半部分の違和感が大きいのには、いつも閉口させられます。
アブラハム書の宇宙観も。
しかし、いくらジョセフ・スミスが創造豊かでもモルモン書の様な聖書との追尾性のある物語を書けるものだろうか?
また、聖書のJS訳を作るのに全く聞いた事のない世界観をモーセ書やアブラハム書として書けるものだろうか?
と思っているうちにアブラハムの黙示録につき当たります。
金版にはフリーメーソンのマークが記され、天使モロナイから金版を受け取ったのはユダヤ教のラッパの日。
そしてジョセフが見れるはずのないアブラハムの黙示録との共通点。
オムナイ探偵と致しましてはバックに古代史料を引き継いだユダヤ人の存在を感じるのであります。
いかが?
年取ると、記憶が曖昧になってくるのに、なんか意固地になるようですね。
それはさておいて、
どうもモルモン教徒は「天使は男」ってスリこみが有るようです。
原因は、ジョセフに訪れた天使の絵、と神権だと思います。
一般的なキリスト教では、「天使に性別は無い」と言うのが多い様に思えます。
エルグレコの受胎告知に描かれてるガブリエルは、女性にしか見えませんね。(性別は無いらしいですが)
天使に性別が無いって言う理由は、天使は性的行為をしないからって事らしいですね。
この辺を批判神学で論ずるとどうなんでしょうか?
男色でないと成立しない認識も文字がなくても書いてあることになりますね。
と諭しているのですが。。。年はとりたくないですね。
さて、近年発見された死海文書の発見もジョセフが知り得ない共通点があるようです。
https://thirdhour.org/blog/faith/scripture/dead-sea-scrolls-joseph-smith-book-of-remembrance/
末日聖徒モーセの書はエノクを「追悼の書」に結びつけていますが、
モーセ6:2-5から、追悼の書は実際には最初はセスとその息子のエノスに関連付けられていたことが明らかです。
死海文書での最近の発見は、この主張の詳細な裏付けとなる証拠を提供しています。
今日まで、ジョセフ・スミスが現代文学からこの情報にアクセスできたという証拠はありません。
ーーーー
1、ジョセフは非常に幸運な推測者でした。
2、ジョセフは未知の情報源からこの情報にアクセスし、それを故意に詐欺的なモーセの書に組み込んだ 。
3、ジョセフは、彼が主張したように、神の情報源からこの情報を受け取っていました。
オムナイ的には2です。
天使が女性だったら成立する話ですので、男色を認識する必要は全く無いです。
って書いても理解できないでしょうから。
>天使が女性だったら成立する話ですので、男色を認識する必要は全く無いです。
そうです
豚さんの思考力が柔軟で、様々な視点から考察なさっているのが分かります
モルモン教会で真理であると長年教えられてきたこと、自分が正しいと信じて来たことを一旦外して、全ての可能性を追及してみること、結構しんどいですし、勇気も必要です
私もそうだったので・・・
だからこそ、本当にあらゆる可能性を考えている人なのか、思考力にバイアスがかかっている人なのかは、区別がつきます
まぁ、そこまで思考力を拡大して何か良いことがあるかどうかは・・・その人次第ですかねぇ
人生のけっこう長い期間、そこに過ごしているので、ほとんど抜け切れていません。
モルモン教会員は、「神権者=男性」との概念によって、天の使い(神の使い)=神権者=男性、と言う図式が出来上がってるのではと推測します。
もう一つは、「人間が天使になる」との概念も固定化してる気がします。
「天使と人間は創造時から別の存在だった」と言う発想は浮かばないようです。
「復活の時には彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使いのようなものである。」
もし、復活後に人間が天使になるのなら、この聖句は意味が成り立たないですね。
いえいえ
>もう一つは、「人間が天使になる」との概念も固定化してる気がします。
>「天使と人間は創造時から別の存在だった」と言う発想は浮かばないようです。
と考えるようになられた、と言う点ですよ
天の御使いガブリエルはノアだ、って言うのがモルモン教義ですが、なんで復活してもいないのに天使?とか、ね
ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。
われわれは彼らを知るであろう」。
いきなり天使の性別の話しはじめるから心配したわ。
彼ら。。というのは男です。
男女共演の時に「ぶらぼー!」って叫ぶと、男性は良かったけど女性は良くなかった、ってとられることが有るそうです。
聖書の「天使」って言葉は寛容的に男性形が使われるのですが、それを持って天使は男性だとは解釈しないようです。
老人と言われて怒るほど若くはないです。
それを持って天使は男性だとは解釈しないようです。
おっ。さすが師匠。
物知りですね。
ロトは自分の娘2人を差し出すのですが。。
まぁ、天使がLGBTQという可能性もなきにしもあらずですね。
それ読んだことあります!と言って、実は何も読んでいなかったのがオムナイくん、自分が認識したものは、文字に書いていなくても『書いてあるんだぁー』と言うことみたいです
ま、彼がそう解釈してるってことなら、ハイそうですか、ってなりますけどね、『書いてあるんだぁー、書いてあるんだぁー』言われても、それは通じません
自分の解釈をごり押しして他人に強要するのは、分別ある人間の態度ではありませんね、ロシアが正しいと言い張るプーチン大統領みたいです
少し(大幅に?)脇道へ外れまーす。
青年オムナイはど田舎の鹿児島地方部で青春していたのですが、
お付き合いをはじめた兄弟姉妹は手を繋ぐべきか繋がざるべきか、という議論が真剣になされていました。
たいていは「崖のスレスレを歩くべきではない。」繋がない方が好ましい。となり、
こうなるともう、手を繋いでデートでもしようものならスタバでクシャミ並みの視線が注がれたのであります。
「都会の兄弟姉妹は姦淫の罪を犯し破門されることもあるんだって!」
芸能人のできちゃった婚が報じられると日本は将来ソドムとゴモラの様になる、
結婚するまでは純潔の律法を厳格に守り世の光となりましょう的な話が大半でしたね。
ミネルバのフクロウは夕闇に飛び立つ。
実際の事象は起こってみなくてはわからない。の諺なんですが、
オムナイが新たに生まれて半世紀、日本はあの頃の予想に反して、
戦後最低の犯罪率を更新し続け、
20代の男性の多くが恋愛経験のないとか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/23203b02df5bc597d47503795f5966aaf6a5c1f1
若者の“恋愛離れ”示す調査結果…20代独身男性「4割デート経験なし」
ーーーー
少子化につながる由々しき問題であります。
そこで提案いたします。
「産めよ増えよ地に満ちよ」に協力してきた末日聖徒。
「婚前交渉禁止を禁止」提案するものであります。
そもそも「姦淫」とは倫理にそむいた肉体関係。指す言葉
現代に日本にあって婚前交渉が倫理に反していると思うでしょうか?
姦通の罪に差し替えるべきであります。
バプテスマの面接の時に婚前交渉をやめてくださいなんて、
アホ言いますなぁ。。と変な宗教扱いされるのが関の山。
フランスでは未婚の子供の奨励が少子化ストップに繋がったと聞きます。
いかが?
公式の教義ではないでしょうねw
昔、このコメント欄でマリアに受胎告知をしたのは実際には
女預言者アンナではなかったか?(Rさん?)
と意見を聞いた事があります。
wiki/アンナ_(預言者)
アンナは新約聖書の『ルカによる福音書』2:36-38に登場する女性の預言者。
正教会で聖人。正教会での称号は預言女アンナ。正教会での祭日は2月3日(2月16日)。
アシェル族のファヌエルの娘で、若いときに夫に死に別れてからエルサレム神殿で神に仕える暮らしをしていた。
八十四歳のとき、イエスと両親が神殿をおとずれたのを見、救い主であるイエスをつかわした神を賛美して、
イエスのことをエルサレムの人々に告げた。
ーーーー
天使ガブリエルが中世の多くの絵画で女性に描かれているのはそれを匂わせているのかもですね。
預言者ジョセフ・スミスは,ノアは天使ガブリエルであり,救いの鍵を持つという点でアダムに次ぐ位にあると教えた。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/noah-bible-patriarch?lang=jpn
ヴェルハウゼンのモデルでは、この四資料は次のような出自を持つと考えられる。
J - Jahwist (ヤハウィスト)の略。紀元前950年頃にユダ王国で書かれた。
E - Elohist (エロヒスト)の略。紀元前850年頃に北イスラエル王国で書かれた。
D - Deuteronomium(申命記)の略。紀元前7世紀のユダ王国の宗教改革時に書かれた。
P - Priesterschrift(祭司資料)の略。紀元前550年頃のバビロン捕囚以降に書かれた。
この仮説を塗り替えようとする様々な新しいモデルが(特に20世紀後半以降)提案され続けているが、これら考え方や術語は、新しい諸理論になお、基本的枠組みを提供し続けている。
・・・・
一般にはヤハウィスト資料のアダムとエバの創造物語が有名であり、
中世においては、この部分の記述から「男のあばら骨は女より一本少ない」と真剣に考えられていた。
かつては(その解釈が聖書の著者の意図に沿っているのかどうかはともかく)女性蔑視の根拠となったこともあるが、
祭司資料においてはより人間賛美的・男女同権的思想であるといえよう。
ーーーー
つまり、聖書の成立過程でさえ社会的状況をどんどん取り入れて来たのでしょう。
末日聖徒もドンドン・ガンガン良きものを取り入れてシオンの完成を目指すべきであります。
先達の末日聖徒はそうして来たからこそ世界宗教へとなり得た訳ですしね。
恐れず来れ聖徒!
大変参考になります。
是非!
今回は天使ガブリエルについて引用してみます。
http://kurosaki-commentary.com/42contentsf.htm
2-1-イ ガブリエル、ザカリヤに顕る 1:5 - 1:25
註解: 5節以下1、2章はヨハネおよびイエスの誕生および幼時の歴史であって、
1-5節のギリシャ的文体は急にヘブル語的文体に変化していることに注意すべし。
この事実より、本書をルカの作にあらずとする説あれども、むしろルカがヘブル語による口伝または資料を採用して、でき得るかぎりそのヘブル的色彩を保有せんと努めたためであると考うべきであろう。
この部分が本書中に存在することは、マルコ伝、マタイ伝に比してイエス伝が一層広き世界に提供せられていることを感ぜしめられる。
すなわちヘブル的色彩の濃厚なるこの物語が、その特徴ある貌においてギリシャ、ローマの世界的舞台に登場せるごとき状態である。
これによりて本書の読者はイエスをその誕生以前の世界において見ることができるようになった。
もし福音書中にこの部分が存在しなかったならば、共観福音書は異邦人にとって、
あまりにも唐突なるもののごとくに感ぜられたことであろう。
・・・・・・
口語訳 御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、
この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。
註解: 当時ユダヤ人の間には神の前に七人の主要なる天使が立っていると信ぜられていた。
彼は多くの天の使の主長と考えられた(ダニ8:16。ダニ9:21)。
その名はガブリエル、ミカエル(ユダ1:9。黙12:7)、ウリエル、ラファエル等々である。
ガブリエルは「神の人」または「神は人なり」の意。神の意を人に伝うる使ならん。
・・・・・
2-1-ロ 受胎告知 1:26 - 1:38
註解: 26-38節はいわゆる受胎告示 annunciatio と称される一條で、
処女マリヤの懐胎を御使ガブリエルが告げ知らす記事である。
マルコ伝およびヨハネ伝にはこの記事なく、マタイ伝には聖霊によりて孕めることを記すのみである。
ーーー
・他の福音書を含めルカ伝にしか天使ガブリエルが登場しない、ヘブライ語の口伝又は資料からの引用の可能性というのは興味深いですね。
・御使がマリヤのところにきて言った、
「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
註解: シメオンと相対して女預言者アンナ(またはハンナ、恩恵の意)。
アンナの意味が「恵」というのも共鳴するものがあって、これも興味深いですね。
ジョセフ・スミスがモルモン書を作成する元となった文書としては
●ジェームズ王欽定訳聖書
●聖書外典
●イーサン・スミス『View of the Hebrews』
●ソロモン・スポルティング『Manuscript Found』
●ジョサイア・プリースト『The Wonders of Nature』
●E.T.A.ホフマン『The Golden Pot』
●ギルバート・J・ハント『The Late War』
などが可能性として挙げられると、研究者たちが指摘しています
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Origin_of_the_Book_of_Mormon
近年のテクノロジーの発達によってこうした研究成果にアクセスしやすくなったのは喜ばしいことですね
預言者ジョセフ・スミスはそう説明しました。これはモルモン教会の公式サイトにも説明されています。教会指導者も宣教師も年配のモルモン会員も(一部の天の邪鬼を除いて)全員がそう回答します
ガブリエルがノアであると言うことは、間違いなくモルモン教義です
しかし、この教義がどこから来たものか?それはモルモン書と同様に、ジョセフ・スミスの豊かな創造力による創作なのです
ですね。
モルモン書の高等批評につてはボコボイさんのこちらも興味深いですよ。
https://archive.bookofmormoncentral.org/content/higher-criticism-and-book-mormon-0
概要
高等批評の信条は確かにモルモン書にいくつかの挑戦を生み出します。
ただし、これらの問題は、単に却下されたり無視されたりするのではなく、
慎重に検討する必要があります。次の章では、学者が歴史的批評を通じて五書に得た洞察に照らして、モルモン書の基本的な紹介を提供します。
歴史的批評(ひいては高等/情報源批評)はモルモン書の主張にいくつかの困難をもたらしますが、
テキストを注意深く読み、啓示文学としての作品を検討することで、これらの問題のいくつかを解決できます。
ーーー
モルモン書は、他のあらゆる種類の批評と同様に、文学的批評のあらゆるテストに従わなければなりません。
なぜなら、現代は何にもまして批判的であり、特に聖なる文学に対しては批判的です。
この書物は神からの啓示としてこの世に与えられています。
それはアメリカの聖典の一巻です。
人は最も鋭い批評によってこれをテストし、これに対して最も厳しい判断を下す権利があります。
そして、これを神からの啓示として受け入れるわたしたちには、これがあらゆるテストに耐えられると信じるだけの根拠があります。
これはこの世に存在するものである。
それは真実であり、これからも真実であり続けるだろう。
しかし、それを信じている人たちが、このアメリカの聖典に対する異論を、高尚な優越感や、
私たちや他の人たちが知るべきことは十分であるという宣言によって退けられると考えるのは、正しいことではありません。
モルモン書は世間に受け入れられるように提示されており、末日聖徒は同胞がそれを信じるようにと切望しています。
モルモン書やその翻訳の方法、その他に異論がある場合は、忍耐強く調査し、できるだけ合理的な説明をすべきです。
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www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
改められたエジプト文字で書かれた古代の記録の翻訳であると主張してきました。
その一つは、主が契約によって彼らの先祖になさった偉大なことをイスラエルの家の残った者に示すこと、
もう一つは、イエスがキリストであることをユダヤ人と異邦人の両方に納得させることです。
したがって、この一冊の聖典は、単なる古代の歴史記録ではなく、
その霊的目的が他のいかなるアプローチよりも優先されるべきものなのです。
モルモン書は、歴史的な物語を筆者が編纂したという点で、聖書に匹敵し、
民族形成の文学的な例である(民族の形成や出現を物語化したもの)。
しかし、イスラエルの興亡を語る全知全能の匿名の語り手の代わりに、
モルモン書と名付けられた語り手はニーファイ人の国の興亡を記録しているのである。
モルモン書は文書仮説の基本的なパターンを踏襲しており、
編集者や再編集者が様々な記録(中には異なる視点からではあるが、全く同じ時代や出来事を扱っているものもある)を取り込み、
これらの資料を一つの文学作品に整理しているのである。
聖書のような雰囲気と中近東とのつながりがあるという主張にもかかわらず、
モルモン書がヘブライ語聖書と異なるのは、語り手が特定できることが主要な登場人物として描かれていることなのです。
例えば、モルモン書の冒頭では、ヘブライ語聖書にも登場するユダヤ人の筆記者としてのニーファイが強調され、
「私は記録する、私は真実だと知っている記録を作る、私は自分の手で記録を作る、
私は自分の知識に従って記録を作る」という言葉が展開される。
この手法によって、モルモン書の読者はニーファイの記録が真実であること、テキストの最初の主要登場人物自身がこの記録を作ったこと、
そして彼自身の著者としての知識を与えることを直ちに学びながら、記録を始めるのである。
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聖書とモルモン書の語りの人称の違いはけっこうな違和感ですよね。
このあたりはハーディーさんの「モルモン書を理解する」で詳しく解説してあって大変興味深いです。
こちらも是非
https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/acprof:oso/9780199731701.001.0001/acprof-9780199731701
概要
アメリカの歴史と宗教におけるモルモン書の重要性は広く認められていますが、
その複雑な物語は部外者を当惑させる可能性があります。
さらに、その歴史的主張をめぐる論争は、その内容を覆い隠す傾向があります。
この本は、モルモン書が歴史、フィクション、または経典としてアプローチされているかどうか、
その物語の構造、特に主要なナレーターの貢献に焦点を当てて、
より包括的で詳細な読書を可能にすることを主張しています。
モルモン書は、一連の教義的な説明、道徳的な勧め、または祈りの賛美歌ではなく、
長く統合された物語として提示されているという点で、最近の世界の経典の中でほぼユニークです。
ジョセフ・スミスは、著者であろうと翻訳者であろうと、テキストの中で自分の声で話すことは決してありません。
ほとんどすべてがナレーターのニーファイ、モルモン、モロナイによって仲介されています。
この研究では、主要なナレーターのそれぞれに順番に焦点を当て、彼らの特徴的な文学技法を特定することにより、
モルモン書の基本的な登場人物、出来事、アイデアを読者に紹介します。
批評家も信者も同様に、誰かがいつか物語を語る方法を決定したことに同意することができます。
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ですね。
オムナイくんは長々ととりとめのない引用をして、まるで数の暴力で押し切ろうとしているように見えますね
彼の引用内容は、大きくまとめると
(1)モルモン書を信じるように末日聖徒は願っている
(2)モルモン書は記録である、とモルモン書に書かれている
はい、いずれも、そりゃまぁ、そうでしょうね、って感じですが、いずれもそのように書かれたジョセフ・スミスによる創作物だと言うことです
これは旧約聖書や三國志が実際の歴史に筆者の創作を加味しているものとは異なり、完全な創作物としてジョセフ・スミスがモルモン書の舞台となる地理や歴史、世界観を描き出していることはより高度な作業であったと思われます
しかし、彼の創造力にも限界があり、真性の古代アメリカ史とは相容れない部分が多々指摘されていますが、私自身はジョセフの創造力を高く評価することはあれ、貶めるつもりはありませんし、創作物だから聖典にはならないとも考えません
ただ、これだけ科学技術や歴史検証の発達した現代において、いまだにモルモン書は真実の歴史だぁー、金版は実在したんだぁー、と根拠もなく言い張る人には、アホかいな、と思いを抱かざるを得ません
まぁ、まぁ。そう言わず「モルモン書を高等批評」している本を紹介しているわけですから。興味ありましたよね?
ちなみに私はモルモン書は聖書と同じように歴史の部分もあるといっているだけで、いわゆる今日の歴史書ではないと思ってます。
金版は実在したでしょうね、見た人・触った人が複数いたわけですから。
投稿が多くなって申し訳ないです。
DeepL出来ない師匠のために貼り付けてますm(__)m
彼は、モルモン書がJ説で強調されているダビデの契約を無視し、
代わりに家父長へのアブラハムの契約に焦点を当てているような問題点に言及しています。
モルモン書のように、Eではヤコブを固有名詞で呼んでいますが、Jではヤコブは通常「イスラエル」と呼ばれています。
ソレンソンはまた、エルサレムの住民は「最も強い言葉で悪と烙印を押されている」と述べています。
これはエロヒストリエの原典全体に反映されているような親北的な偏見を反映したものです。
モルモン書もまた、ジョセフがエジプトに売られ、イスラエルの家全体を救ったことを特に強調することで、Eのパターンを踏襲している。
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wiki/文書仮説
ヴェルハウゼンのモデルでは、この四資料は次のような出自を持つと考えられる。
J - Jahwist (ヤハウィスト)の略。紀元前950年頃にユダ王国で書かれた。
E - Elohist (エロヒスト)の略。紀元前850年頃に北イスラエル王国で書かれた。
D - Deuteronomium(申命記)の略。紀元前7世紀のユダ王国の宗教改革時に書かれた。
P - Priesterschrift(祭司資料)の略。紀元前550年頃のバビロン捕囚以降に書かれた。
ーーー
ボコボイさんはこの前段で真鍮版に「モーセの五書」とあるのは多くの聖書高等批評にとって強い違和感を示すものだと書いています。
なぜなら、リーハイたちがエルサレムを去った時代は「モーセの五書」は成立していなかったからだと言っています。
ニーファイはエロヒスト学派の人々から書記の訓練を受けた可能性があります。
ソレンソンがモルモン書を文書仮説と照合しようとしたことは、
正しいか間違っているかにかかわらず、確かに称賛に値します。
しかし、結局のところ、モルモン書が他の文書資料の代わりにEに依存しているという考え方は、
説得力のある提案ではありません。
繰り返しますが、ニーファイの真鍮板の描写によると、真鍮板には「モーセの五書、すなわち世界の創造と、我々の最初の両親であるアダムとエバのことが書かれている」(1 Ne. 5:11)のだそうです。
このように、ニーファイ人はJの原典を入手することができ、それはモルモン書の至るところに引用されています。
モルモン書はカインとアベルの物語に言及していますが、
これはJに特有のものです(ヘル6:27、エテル8:15)。
また、神の山には「ホレブ」ではなく「シナイ」という名称を使っています(モーサヤ12:33、13:5、JとPだけが「シナイ」、EとDが「ホレブ」です)。
また、北方から来たエロヒストの資料が「ユダヤ人の記録」と表現することはないでしょう。
これは「真鍮板」の聖典に使われている用語です(1 Ne.) Eは北方の文献であり、少なくとも当初はユダヤ人ではなくイスラエル人の書記と関係があった。
実際、モルモン書を注意深く読むと、Jだけでなく、PとDにも文学的に依存していることが分かります。
この事実を示す一つの例として、民に神に仕えるように勧めるベンジャミン王の説教の中に、
PとJの両方の創造物語を暗示する文が含まれています。
「もし、あなたがたが、はじめからあなたがたを創り、日ごとにあなたがたを守り、
あなたがたに息を吹きかけ、生きさせようとしている方に仕えるならば、
あなたがたは不当なしもべとなるであろう」(モーサヤ2:21)。
創造された」という動詞と「初めから」という前置詞の表現は、
Pの創造に関する記述の冒頭部分を反映しているようです。
「初めに、神は天と地を創造された」(創世記1:1)。
この文脈での「日々に」という表現は、Pの物語における「日々に」行われる創造的行為を読者に思い起こさせる。
しかし、「息を吹き込み」、人間が神に仕えるという表現は、ヤハウェが人間の鼻孔に「命の息」を吹き込み(創世記2:7)、
人間がヤハウェに「仕える」ために庭を「整え」、「保つ」ように造られたというJの創造物語を特に反映しています(創世記2:15)。
従って、この記述では、これらの異なる文書源を信頼し、両方の物語を一つの話として扱っています。
結局、ニーファイがエロヒスト派の書記とどのような関係にあったとしても、
モルモン書は四つの文書資料のすべてを認識していたことが分かります。
モルモン書の主張によれば、これらの資料は真鍮板上の「モーセの五書」としてアクセス可能であったということです。
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モルモン書の五書説の利用を分析するという点では、もっと多くのことが可能であり、またそうでなければならない。
モルモン書が、様々な文書資料を一つの記録として扱うという点で、もっと多くのことができる。
しかし、そのような研究は、歴史批評と五書についての基本的な入門書として企画された、
今回の焦点の範囲を超えることになる。
この点については、末日聖徒の学者であるケビン・バーニー(Kevin Barney)の重要な研究成果を引用するのが適切であろう。
「モルモン書の場合、この本の本質的な歴史性と文書史料仮説の間に必要な矛盾はないと思います。
モルモン書の古代の信憑性の主張にとって唯一の大きな挑戦は、
五書典の年代測定であり、仮説そのものではありません。文書史料仮説は、
実はモルモン書が自らの文学的展開を示す方法と類似しているのです。
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長々と引用失礼しました。
いやー。興味深い!おそらくモルモン書はジョセフ・スミス創作と思っている方々にもモルモン書の高等批評は大変参考になるのではないかと思います。
>ボコボイさんはこの前段で真鍮版に「モーセの五書」とあるのは多くの聖書高等批評にとって強い違和感を示すものだと書いています。
>なぜなら、リーハイたちがエルサレムを去った時代は「モーセの五書」は成立していなかったからだと言っています。
そうでしょうね、私も先日、第一ニーファイ5章11節読んで大笑いしましたもん、ま、聖書の成立を知らずに、古代から続く記録と思っている学識の無い方は何の違和感も感じないわけですが
お恥ずかしい^^;
>私も先日、第一ニーファイ5章11節読んで大笑いしましたもん、ま、聖書の成立を知らずに、古代から続く記録と思っている学識の無い方は何の違和感も感じないわけですが
まぁ、まぁ。この後も読めば新たな視点が開かれるかもしれませんよ。
こんな一節も
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モルモン書はその核心がどんなに古くても、伝統的な翻訳ではありません。
それは読者を神性に近づけるために作られた啓示的な文書なのです。
したがって、モルモン書がこの目的を果たすことができるかどうかは、
この作品のどこが古いと言えるか、あるいはどこが古くないかということとは無関係なのです。
モルモン書がこの目的を果たすことができるかは、この作品のどれだけが古代とみなされるかということとは無関係なのです。
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>けれどもモルモン書どう読み、どう解釈したら、普遍的なメッセージを抽出できるかな、と考えながら読んでいるのです
>そっちの方がずっと面白いので
是非機会があれば、ご披露くださいね。
これは前提自体に誤謬があります
モルモン書はジョセフの創作であって、四文書仮説とは無関係、エロヒストのように見えるところだけを広い集めて作為的かつ狡猾な護教論を展開していると見るべき
まぁ、好意的に評価してもこの護教論はせいぜいシャーロッキアン並みの愉快な妄想と言えるでしょう
ところでしばしばFairLDS や教会幹部でさえ引用するボコヴォイ教授ですが、彼自身はとっくにモルモン教会を離れています
https://www.reddit.com/r/exmormon/comments/j5vlmz/feeling_lostempty_after_leaving_the_church_dr/
教会を離れた後、迷いや空しさを感じていますか?デービッド・ボコボイ博士は、モルモン教の束縛から解放された人間として向こう側に現れることが、どれほど素晴らしいことであるかを証言しています。
まぁ、ボコヴォイ教授のお気持ちは察して余りあるものですねぇ
末日聖徒の信条にも触れる機会が多くなるのでしょうね。
先達の末日聖徒として迷信を教えたくはない。
最善の理知的な説明責任を負っているのでしょうね。
ジョセフ・スミに与えられた新しいキリスト教の啓示は
これまでの宗教がそうであったように批判と称賛を受けつつ
世界に浸透していくように感じます。
まったくの迷信と思われていたアブラハム書も
アブラハムの黙示録の存在は、かなり面白い。
ジョセフ・スミスは古代の情報からどんなキリスト教的インスピレーションを受けたのでしょうか。
あー。多すぎて読みきれない。
>末日聖徒の学者であるケビン・バーニー(Kevin Barney)
https://bycommonconsent.com/2021/10/09/faith-alone-in-romans-328-jst/
私が80年代初頭にBYUの学部生だった約1年間、私の計画は博士号を取得して学者になることでした。
・・・
何年にもわたって、私は時折、主にモルモン経典に関連する学術論文を出版することによって、学界に足を踏み入れてきました。
私はそのような記事を25件公開しました。事実上、これらはすべてオンラインで簡単に入手できます。
基本的に、マルティン・ルターとジョセフ・スミスの両方がローマ人への手紙第3章28節に「一人で」という言葉を付け加えたことがわかります。
これは元のテキストの復元ではありません。変更は明らかに翻訳です。なぜ彼らは両方とも同じ詩に同じ変更を加えたのですか?
答えは記事にあります。
------
おおお!!これは俄然興味が湧きますね。探してみます。
「新しいキリスト教」?
回復の教義は全否定かよ、ワロタ!
PDF提供なのに私のブラウザ(Mac-クローム)では自動で翻訳されました。(これは便利)なのでこちらを紹介します。
fdocuments.in/document/faith-alone-in-romans-328-jst-neal-a-maxwell-faith-alone-in-romans.html?page=1
ローマ人への手紙3:28JSTの「信仰だけ」
ケビン・L・バーニー
「同性のキスシーンの何が問題なの? 」
ディズニー&ピクサーの最新作『バズ・ライトイヤー』が中東とアジアの14カ国で上映禁止になった、
というニュースを受けて、小学校4年生の息子が言った言葉だ。
息子の言葉を聞いて、筆者は「最近のディズニーはやたらとLGBTQを絡めてくるからなぁ……」という言葉を飲み込んだ。
ここ数年のエンターテインメント作品におけるLGBTQIA+コミュニティの描写は、
確実に子どもの思考をニュートラルにしているのがわかり、意味のあることだと実感したからだ。
だが、昨今のディズニー作品は多様性を認めるきっかけになっている一方で、
同性愛を法律で認めていない一部の国では上映禁止になったり、レーティングをあげたりといった対処がなされている。
====
Webさん
>将来の反キリストは同性愛者か・・
先進国では特に問題とならなくても中東や中国ではまだまだ受け入れてはもらえそうにないLGBTQ。
世界宗教たらん末日聖徒の煮えきれなさも、そのあたりにあるのでしょうか。
クルアーンではソドムとゴモラの部分は明確に「男色」を表すのだそうで。
同性愛者は死刑にもなることがあるのだそう。
確かアナ雪も「レズビアン」の場面と受け取られ、問題になった気がします。
ディスニーならずとも、ネットフリックやHuLuでも、その場面はすごぶる多い。
末日聖徒のでも多いね。宣教師2人組だから。。
しかし、一定の割合でいるLGBTQ宣教師の召は苦役か天国か。
↓
>しかし、一定の割合でいるLGBTQ宣教師の召は苦役か天国か。
一体、どういう意味で言ってるんでしょうねぇ
セクシャル・マイノリティを社会問題や人権問題だと理解できないだけならまだしも、茶化して物笑いのタネにして面白がっているようです
こう言う人って学生時代は、クラスで自分から積極的にいじめ行動を起こさないけれども、特定人物へのいじめがクラス全体に波及すると自分もそれに加わる、みたいな気がします
オムナイくんの過去発言
↓
>「お前んとこに来たよそ者をはよ出さんかい。カマほったるわ」
と、合わせて考えてみると、彼のセクシャル・マイノリティに対する見識の浅薄さ、思いやりや品格のなさが読み取れて、興味深いです
>セクシャル・マイノリティを社会問題や人権問題だと理解できないだけならまだしも、茶化して物笑いのタネにして面白がっているようです
茶会しても物笑いのタネにして面白がってもいません。
わら人形論法への対処法に従ってみました。
https://biz-tips-collection.com/2018/06/21/conceptualskill-criticalthinking-fallacy-strawman/
わら人形論法を使われたら、一番の対策は、相手の論理展開の間違いを指摘してやることだ。
---
わら人形では、相手の意見を歪曲、誇張、言い換えなどをし、本人の本来の意見でなく、都合よく歪曲した意見を叩く。あたかも本人でなく、自分で作り出したわら人形を攻撃するかのようにだ。これにより、相手を論破したことにしようとするテクニックだ。これは一種の論点のすり替えでもある。
まぁ、あじフライくんはRさんとかWさんとか気に入らない人物がいると定期的に悶着をおこして、相手の人格攻撃に入るくせがあるからねぁ。
無意識でしょうけど。
>茶会しても物笑いのタネにして面白がってもいません。
まぁオムナイくんは、そういうクセがありますからね
無意識でしょうけど
http://www.pseudepigrapha.com/pseudepigrapha/Apocalypse_of_Abraham.html
--deepL--
「アブラハム黙示録は、キリストの時代に隆盛を極めたアブラハム文学の一群に属するものである。
ジョージ・H・ボックスは、「この書物は本質的にユダヤ教的である」と書いているが、「エッセネ派の起源を示唆する特徴もある。
エッセネ派が起源であることを示唆している」と書いている。エッセネ派から「エビオン派に渡った。
しかし、「この書物にはグノーシス的な要素はあまり見られない」。
--ヒュー・ニブリー博士 (エジプトのアブラハム)
・・・
こちらの記事と比較すると面白そうです。
https://thirdhour.org/blog/faith/scripture/apocalypse-abraham/
大体の概要はご存知かもしれませんが、SUNSTONEの記事に詳しいのがあったので、復習的に引用してみます。
ーーー
2020年1月30日
アブラハム危機一髪の書。ある歴史
クリストファー・C・スミス著
クリストファー・C・スミスはクレアモント大学院大学の博士課程に在籍し、初期モルモンのアメリカ先住民に対する見方に関する論文を執筆中です。
第1ステージ、1860-1861年 テオドール・デヴェリア
1850年代後半、フランスの学者Théodule Devériaが正典のファクシミリについてエジプト学的な解釈を書いたとき、アブラハム書の難しさを示す最初のヒントが現れました。
デベリアの解釈はジョセフ・スミスの解釈と一致せず、スミスがオリジナルの図版を変更したと思われる箇所を指摘しました。
(現在では、デベリアの解釈は正しかったことが分かっています。
パピルスの原版の一部は破損しており、スミスはその部分を「修復」したのです)。
デヴェリアの作品は何種類か英語で出版されたが、広く普及することはなかった。
1879年、ジョージ・レイノルズがデヴェリアに対する末日聖徒の唯一の主要な反証を発表しました。
彼はデベリアの信憑性に疑問を呈し、アブラハム物語を裏付ける様々な古典的資料やアポクリファルの資料を引用しました。
レイノルズに続いて、多くの弁証者が登場しました。B. H. Roberts、Hugh Nibley、John Geeなど、
彼らは翻訳の問題を避けて、物語の裏付けを取ることに重点を置きました。
1912年、第2段階 スポルディングパンフレット
エピスコパル司教のフランクリン・S・スポルディングは、1912年にファクシミリを8人の主要なエジプト学者に送り、
その回答を小さなパンフレットにまとめて発表し、危機の第二段階を開始した。
エジプト学者たちはそれぞれ、これはありふれた葬式の絵であり、アブラハムとは何の関係もないことを説明しました。
そして、ジョセフ・スミスの説明に対して、"a farrago of nonsense"(ナンセンスの寄せ集め)などと色鮮やかな表現で言及したのである。
このパンフレットはニューヨーク・タイムズ紙の一面を飾り、BYUに大きな波紋を投げかけました。
Improvement Era誌はスポルディングのパンフレットに対して、少なくとも19の反論を掲載し、そのうちのいくつかは総本部長によるものでした。
最も洗練された反論は、アイザック・ラッセルとジェームズ・E・ホーマンスによって書かれたものです。奇妙なことに、どちらも本当の信者ではありませんでした。
ラッセルはプロのジャーナリストであり、文化的なモルモン教徒で、教会から年間2000ドルを受け取り、弁明書やPRを執筆していました。
プライベートでは、彼は辛辣な批判をすることがありました。
彼は『Improvement Era』のためにアブラハム書の弁護をする前に、
タイムズ紙に掲載された一面を飾る枯れた暴露記事を実際に執筆しています。
プロの作家であり、リベラルなエピスコパリアンであったホーマンスは、アブラハム書を擁護する記事をいくつか書き、3冊の本を書いた。
彼は博士号は持っていなかったが、「ロバート・C・ウェッブ博士」というペンネームで出版された。
彼の著書には、教会から依頼されたわけでも、報酬を得たわけでもないという免責事項が書かれていました。
彼のこのテーマへの関心は、モルモン教徒への好意、スポルディングの極論への不服、
そして一般的な変わり者ということから来ています。
ホーマンズの主張は極めて独創的であった。
彼は、ジョセフ・スミスの解釈とエジプト学者の解釈の両方が正しい可能性があると主張したのである。
特に異なる文脈の中では、イメージは複数の意味を持つ可能性があり、実際にそうであった。
彼はスミスの説明を調べ、それらが「(エジプト学の)真理に近いもの」であり、スポルディングの偏見に満ちた通信員によってあまりにも考慮されていないことを示そうとしました。
第3ステージ 1966-1967年
アブラハムパピルスと手稿の再発見
第2ステージはファクシミリに終始したが、第3ステージはテキストに焦点を当てた。この危機的状況は、2つの出来事によってもたらされた。
まず、元モルモンのジェラルドとサンドラ・タナーが1966年にジョセフ・スミスのアブラハム書とエジプトのアルファベットの写本の原本を出版しました。
その原稿の左側の余白には、エジプト文字が書かれており、それぞれ英訳が並んでいました。
エジプト学者によると、それは間違っているとのことです。
どう見ても、教会はこれらの写本を1世紀も前から金庫に保管しており、積極的にその存在を隠していたのです。
BYUの学者であるジェームス・クラークとシドニー・スペリーは
1933年に教会の歴史家補佐からこの秘密を聞き出したが、文書を研究した後、
関係者全員が保管庫に置いておくのが最善であると同意したという。
その後、流出したマイクロフィルムがタナー家の元に届くまで、保管されていた。
1967年、教会は研究者がニューヨークの博物館で、ファクシミリ1の原本を含むジョセフ・スミスのパピルスの一部を再発見したことを発表しました。
アブラハム書とエジプトのアルファベットの写本の文字のほとんどは、
この図版の周囲のテキストから順番に引用されていることが判明しました。
アブラハム書』が「呼吸の文書」として知られる古代異教徒の葬祭用文書を誤訳したものであることが、
明らかに文書によって証明されたのである。
この危機の段階では、弁明的なアプローチが盛んに行われた。
ある著者は、ジョセフ・スミスとエジプト学者の両方が正しい可能性があるという、ホーマンズの古い議論を発展させたのです。
ジョン・トヴェドネスとリッチリー・クラポは、古代ユダヤ人はアブラハムの物語を記憶するために「呼吸文書」をニモニック装置として使用し、
ジョセフ・スミスはこの使用法を復元したのではないかと提案しました。
ヒュー・ニブリーは、これらの新しく発見された文書からジョセフ・スミスを切り離すために、
別の方法をとりました。彼は、エジプト・アルファベットの写本はスミスの書記によって作られた完全に推測に基づいた文書であると主張しました。
パピルスについては、スミスのパピルス・コレクションのごく一部が再発見されたに過ぎないと断言しました。
パピルスはまだ数巻見つかっておらず、『アブラハム書』もそのうちの一巻に含まれていたのかもしれない。
ファクシミリは簡単に処分されるものではありませんでしたが、
ニブリーはホーマンズに従いました。
彼は、ファクシミリは、ジョセフ・スミスの説明に登場するような人間の役者が、
エジプト学的解釈に登場するような神々や精霊の役を演じる儀式劇を描いたものであると主張しました。
つまり、ジョセフ・スミスとエジプト学者とは、文書の意味を異なる層で表現しているというだけで、見解の相違はないのです。
ニブリーはまた、葬儀用パピルスはスミスが純粋な啓示によってアブラハム書を得るための瞑想的な「触媒」として機能しただけかもしれないという説を展開しました。
このモデルでは、スミスは啓示のプロセスを誤解していたか、あるいは「翻訳」という言葉が通常意味するものとは異なることを意味していたのである。
第4ステージ 1980年頃 情報化時代
これまでのステージとは異なり、第4ステージの始まりとして際立った出来事はない。
それは、特にインターネットの出現によって、情報の入手可能性が一般的に高まったことに起因しています。
アブラハム書に関するファームの記事はニブリーの「パピルス欠落説」を強調し、
ジョセフ・スミスの書記がエジプト・アルファベット写本を作成したことを非難しています。
このように誤訳の証拠が一掃されたことで、弁証主義者たちはアブラハムの物語の裏付けに力を注ぐことができるようになりました。
2013年、ジョセフ・スミス文書プロジェクトは、アブラハムとエジプトのアルファベットの写本をウェブサイトで公開し、
公式見解に大きな変化をもたらしました。
JSPPの一部としてこれらの原稿を公開することにより、教会のために働く学者たちはジョセフ・スミスがこれらの文書を作成したことを認めました。
JSPPの職員は、この問題に関して以前の世代とは異なり、弁明者ではなく、
歴史家として自分たちを第一に考えています。
彼らはまた、公式の情報源を通して有害な情報を開示することで、
会員が将来その情報に対処できるようになるという「予防接種」の考えも持っているようです。
そして、いよいよゴスペル・トピックスのエッセイそのものに入ります。
ある意味で、このエッセイはニブリーやファームの弁証の伝統を受け継いでいます。
このエッセイでは事実上すべての弁証論が言及されており、特にパピルス消失論に重点が置かれています。
批評家たちからの反論はすべて完全に無視されています。
リベラルなモルモンの視点は断固として否定され、テキストの歴史性と正典性が繰り返し強調されています。
しかし、このエッセイでは、ジョセフ・スミスがエジプトのアルファベット文書を作成したこと、
そしてそれらの文書の翻訳が誤りであることも認めています。
これは弁証の伝統から大きく逸脱しており、JSPPの「予防接種」アプローチへの一歩と言えるでしょう。
全体として、この小論は対立するアプローチの不安なハイブリッドであり、
妥協と委員会著者の明確な兆候を示している。
我々は、困難な問題を完全に開示する方向へのシフトの初期兆候を見ているかもしれないが、
このアプローチは、教会に雇用されている指導者や学者の間で論争が続いている。
このGospel Topicsのエッセイに見られる微妙な断層が、
末日聖徒の言説にさらなる地殻変動をもたらすかどうかは、まだわからないのです。
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
それとアブラハム書の極めて大きな問題は、この記事でも指摘されている図版を、現在も末日聖典の一部として掲載し続けているということです。今後、古代エジプト宗教の解明がすすんでいくほど、なぜ教会は何世紀も間違った図版を提供し続けてきたのか、との質問に対する説明を求められるでしょう。
https://sunstone.org/the-book-of-abraham-crisis-a-history/
オムナイさんだけでなく、他の方々にもお願いしたいのですが、引用した場合は URL を掲載して欲しいです。
>オムナイさんだけでなく、他の方々にもお願いしたいのですが、引用した場合は URL を掲載して欲しいです。
そうです!ありがとうございます。
URLが弾かれたんですが、大丈夫ですね。
最近載せられない事が多い。
>この記事でも指摘されている図版を、現在も末日聖典の一部として掲載し続けているということです。
個人的には当時間違ったのなら、下手に削除したりせず、そのまま載せておいて欲しいと思っています。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/gospel-topics-essays/translation-and-historicity-of-the-book-of-abraham?lang=jpn
サンストーンの記事だけ見るといかにもジョセフ・スミスのインスピレーションのみの記録を教会は隠蔽し続けて来た様な印象を受ける方も多いと思いますが、
福音の研究にあるアブラハム書の翻訳と史実性には、こうもあります。
ーーー
これら聖書に記述のない事項のある部分は,偽典やジョセフ・スミスの時代の聖書の注解書にありましたが,
その他の部分は,19世紀のアメリカ人には入手できない,
あるいは知られていない聖書外の伝承にしかないものでした。
ーーーー
結局はモルモン書にしろ、高価な真珠にしろ、霊感訳聖書しろ、
まったくジョセフ・スミスが内容が異質な文書を触媒にしてインスピレーション(啓示)で創作したものでは無い様に思います。
いかがでしょう?
教会が、あるいは教会員の多くが「史実だから神の言葉としての価値がある」と考えにとらわれているところに問題があるのではないかと思います。
旧約聖書の中でも、ヨナ書は、ニネベの町が改宗した事実は見当たらないことから創作であると考えられています。ヨブ記も最終部分は後代による加筆が指摘されています。また良きサマリヤ人の話はイエスがたとえ話として語られたもので、イエスによる創作であると言えます。
しかしそれでも、これらの書は数千年にわたってキリスト教内外で多くの人々に知られ、影響を与え、神と人との関係を考えさせてきました。
アブラハム書の史実性に対する議論は、拘泥すればするほど、モルモン教義を伝える障害物になることはあっても推進剤にはならないだろうと思います。
真摯な回答ありがとうございます。
>教会が、あるいは教会員の多くが「史実だから神の言葉としての価値がある」と考えにとらわれているところに問題があるのではないかと思います。
会員の気持ちはわかりますよね。
教会は聖典は史実でもなければ科学的に正しいわけでない、宗教書だという意味のことを頻繁に言っています。
>アブラハム書の史実性に対する議論は、拘泥すればするほど、モルモン教義を伝える障害物になることはあっても推進剤にはならないだろうと思います。
「次世代のモルモン」を書いたJana Riessさんが福音の研究の「アブラハム書」に接した時の記事を紹介します。
わたしは共感できました。
https://religionnews.com/2014/07/10/mormons-need-book-abraham/
今週、末日聖徒イエス・キリスト教会は「福音の話題」シリーズの別の声明を発表しました。
この声明はアブラハム書と、ジョセフ・スミスによる「翻訳」によって生じた難しい歴史的問題に焦点を当てたものです。
この声明はアブラハム書に関する歴史的な疑問を解決し、教会が最も重要視していること、
つまり時代を超えた教義と霊的真理に焦点を当てようとするものです。
この声明では、ジョセフ・スミスの翻訳と、私たちが長い間アブラハム書の本文と信じてきたものとの間になぜ食い違いがあるのかについて、
一つではなく、二つの説得力のある論拠を提示しています。
どちらの主張も新しいものではありませんが、決定的なものとして教会のウェブサイトに掲載されるのは初めてであることは確かです。
まず、私たちはパピルスの断片をすべて持っているわけではなく、
ジョセフ・スミスが翻訳していたものが、残された断片に含まれていないだけということも十分にあり得ます。
不在からくる議論です。
第二に、この声明は、ジョセフ・スミスに関して、私たちが「翻訳する」という言葉で何を意味しているかを再考するよう私たち全員を誘います。
翻訳とは、ある言語で書かれた文書を、自分の言語で原文をできるだけ忠実に表現するために最も適した言葉を見つけるという意味ではありません。
もしかしたら、それはもっと啓示に近い意味かもしれません。
これは不在からの議論よりも難しい提案です。
モルモンはジョセフ・スミスをモルモンの歴史を通して考えられてきたのとは違った角度から、
いや、スミス自身が望んでいたのとは違った角度から見ることを要求されるのです。
この最後の部分が大きな障害となります。
私たちはアブラハム書が「霊感による」改作であるという考えを受け入れることができます。
なぜなら、モルモン書にはそれが反映されているからです。
ジョセフが原語を研究することなく、時には原文を見ることもなく、超自然的な手段で翻訳した本です。
しかし、アブラハム書にまつわるジョセフ自身の発言や行動を調和させるのは、もっと難しいことなのです。
新しいGospel Topicsの記述によると、ジョセフは「言語の専門家であるとは言っていない」とありますが、
私はそれが完全に正しいとは思えません。
彼は熱心に、そして非常に立派に、ヘブライ語を勉強することによって自分の教養のなさを正そうとし、
何人かの従者と共にエジプト文法の本を作ろうとしたことが一度ならず二度までもあったのです。
普通、専門家として位置づけられる人でなければ、何かの本を書くことはないだろう。
アブラハム書の翻訳にまつわる経緯はどうであれ、私たちが歴史的にこの書物から、
私たちの特定の時代が必要としていたものを正確に取り出してきたことは明らかです。
初期のモルモン教徒から偉大なヒュー・ニブリー博士に至るまで、歴史という小道具を重視してきました。
つまり、遺物そのものと、自分たちの主張を補強するための学者による刻印です。
アブラハム書そのものと、そこに書かれていることだけが残された今、私たちは勇敢な新世界にいるのです。
しかし、そこに書かれていることのすべてではありません。
Gospel Topicsの声明では、コロブ星の回転や神の時間の年代測定など、
よりトリッピーな教えには注意を喚起していません。
また、この本の最も厄介な遺産である「ハムの血」の子孫は「カナン人の血」を受け継いでおり、
したがって神権を受ける資格がないという説には触れませんでした。
これを「カナンの子ら」の中に「黒人」がいると主張する別のPGPの箇所と関連づけることによって、
初期のモルモンは2つを合わせて、神権の資格のなさを人種と結びつけてしまったのです。
今日、私たちがアブラハム書の全く異なる側面を強調することを選択したことを、私は嬉しく思います。
アブラハムは神と同じような霊、イエス・キリストを見たということです。
アブラハムは、神と同じような霊であるイエス・キリストを見たこと、
この死すべき生命が人間の幸福のための神の計画の核心であること。
そして、神はコンテナ・ストアで買い物をし、私たちが置き場所に困るような新しいものをたくさん持ち込むのではなく、
すでに存在するものを整理することに全力を注いでおられるようです。私はそういう神様が好きです。
とはいえ、完全に自分の年齢のせいなのですが100年後のモルモンは、
アブラハム書の好き嫌いを全く違ったものにすることでしょう。
ヨナ書は史実か、創作か、と言うQA、クリスチャンのサイトでも見かけますがだいたい一律に『イエス様がヨナ書を引用したから真実』という回答・・・
なんかもう、ね・・・
モルモン書は宗教書である、って断りを入れるモルモン会員は、歴史としては全く通用しないことを分かっているのでしょうね
●馬と馬車
●牛
●ぶどう酒
●貨幣経済
●鋼の剣
●ヒゼキヤの治世第5年って、それもうエルサレム滅びてるぞ問題
●レビ族がいないのに誰が犠牲を捧げた問題
などなど、疑惑の総合商社みたいになるので
●ヒゼキヤ・・・
は無しで!お願いします
別の話とごっちゃになってました
ゼデキアですかね。
わたしは逆にジョセフ・スミスは金版の文字(あるいは情報)をそのまま記述した痕跡にもなるなぁ。と思います。
こちらでは興味深い討論がされています。
https://www.exmormon.org/phorum/read.php?2,774493
ごく最近、この委員会で、エルサレムが捕らえられてから3年後にゼデキヤが王にされたので、モルモン書は誤りであると示される可能性があるという主張がなされました。
これはモルモン書に大きな問題を引き起こすと思われるので、私はこれをさらに調査しました。エルサレムが起こってから3年後に破壊されようとしているとリーハイが予言しているとしたら、それはモルモン書の物語にとって問題となるでしょう。
しかし、私は自分の研究でそうではないことを発見しました。
>は無しで!お願いします。
失礼、すれ違いで投稿してしまいました。
そういう意味では大いに聖典の学術的・歴史的研究も大いに興味がありますし、研究していく価値のあるものだと思います。
聖書と現代のクリスチャンの多くがそうしている様に、合致していないものは神話的側面、当時の常識として色分けして理解を進めれば良いのでは無いでしょうか。
その古文書の内容が、日本人は朝鮮半島に住んでいた家族の末裔で、その家族は神に導かれ、日本列島に渡ったが、神に従う義人の子孫は殺され、神を信じない粗野で乱暴な子孫が生き残った、これが今の日本人である
古文書は日本人から逃げ延びた最後の預言者が朝鮮に帰ってまとめたもの、その中には予言が書かれており、罪のため日本には何度も大震災が起こること、生命を滅ぼす巨大な力(原子力?)に関する災厄に何度も見舞われること、これらから助かるためには朝鮮民族に従わなければならないこと、などが記されている・・・
こんな聖典があったら、ま、読んでみるのは面白そうだけど、これを真性の歴史だぁー、と言ってるのがモルモン書の歴史レベルです
1967年アブラハム書の元となったと思われるパピルスが発見され、教会に返還された時、それが「死者の書」の一部であって、内容が全く異なることが判明した。この時、英訳したヒュー・ニブレーは教会員に、ジョセフ・スミスが言う「翻訳」とは広く遠大な意味で使われており、パピルスに触発され霊感によって与えられた啓示であると説明した。
デビッド・ボコボイは「旧約聖書の編集過程」の8章「高等批評とアブラハム書」で、アブラハム書は文書説で言うP(アブラハムより千年以上も後)とJ(Pと150年以上隔たる)を合わせた創世記の記述に依存している。このアブラハム書は結局モーセ書と同様、霊感された偽典、あるいは宗教的な啓示文書であると見る。
参考
Hugh Nibley, "The Message of the Joseph Smith papyri - - an Egyptian Endowment." 1975, p. 49.
沼野治郎「アブラハム書の翻訳」モルモンフォーラム誌、20号(1998年春季)pp. 15-19.
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おー。四半世紀前には、もうモルモンフォーラム誌で取り上げていらっしゃる!
NJさんには今更感なんでしょうね。
https://www.pearlofgreatpricecentral.org/chiasmus-in-the-book-of-abraham/
アブラハム書に交錯配列法が存在することは、一般的に、アブラハム自身の文化を含む古代世界であり、
一般的に、テキストの古代の起源のマーカーと見なすことができます。
したがって、アブラハム書の交錯配列法は必ずしもテキストが古代であることを証明するものではありませんが、
アブラハム書にそのようなものが存在することは、テキストが高度な歴史を持ち、
その全体的な信頼性と文学的品質を強化するという期待と一致しています。
ーーーー
創世記の中でアブラハムがイサクを生贄として捧げようとする場面も
アブラハム書と一連の物語として読むと交錯配列してるなぁと
昔から感じてました。
アブラハム書1:10-18
創世記22:1-18
アブラハムはかつて悪の司祭から生贄として殺されそうになった経験があった訳ですから、年老いて出来た独り子イサクを
「生贄歳捧げよ」という命令がいっそう困難ものに思えますね。
そりゃそうでしょ、ジョセフが聖書の文体を真似て創作したから、似たような表現が入るのは当然ですね。
モルモン書に交差配列がある!って主張する人は、モルモン書に「adieu」ってフランス語が入ってるのは気にしないんですよね(笑)
>その全体的な信頼性と文学的品質を強化するという期待と一致しています。
護教学者さんのこう言う高度な言い回しを見るたびに背中が痒くなる思いです、確かに「期待」とは一致しますもんね、「事実」とは一致しなくても
もはやモルモニズムの考察は、シャーロッキアンと同等の高度に知的な、かどうかは別にして、文章表現上のお遊びレベルでしかないことを意味しているようです
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとって、神学的な専門用語としての救いは、救われる対象(死と地獄)を強調するか、
救われる対象(天国)を強調するかによって、異なる意味を持つことがあります。
前者の意味では、モルモンはほぼ普遍主義者です。
なぜなら、イエス・キリストの恵みの結果として、ごく少数の人を除いて、すべての人が復活し、永遠の栄光の王国を受け継ぐことになるからです。
多くのクリスチャンにとって、死や地獄から救われることと、天国に救われることは同じことですが、
モルモンは多様な天国を受け入れているので、彼らにとっての第二の救いの意味は第一の救いの意味とは異なっています。
この第二の、より一般的な意味での救いは、モルモンの言説では通常、最高の天国である天の王国に昇華されることを指しています。
この意味で、モルモンの神学は明らかに・・・
行ない(救いの儀式など)がイエス・キリストへの信仰と一緒になって救いをもたらすのである。
この点で、モルモンの救いの概念はローマカトリックや正教会のそれと似ており、これらも相乗的なものです。
それに対して、多くのプロテスタントでは、モルモンの救いの概念は前者の意味では広すぎ、
後者の意味では狭すぎると考えられています。
モルモンの神学はソリフィダニズム(信仰のみによる義認)を明確に否定しており、
これは歴史的にイエス・キリスト教会に対するプロテスタントの批判者たちと大きな論争を呼んできた点である。
このような背景から、ローマ人への手紙3:28のジョセフ・スミス訳(JST)に目を向けてみましょう。
・・・・
ローマ3:28のJST改訂は、意味、強調、明瞭さのためになされたと理解される場合にのみ有効である。
ルターはエリートのために翻訳したのではなく、「公開書簡」に書いているように、"家庭の母、路上の子供、市場の庶民のために "言葉を明確にしようとしたのです。
ジョセフ・スミスは謙虚な出自であり、まさにそのような庶民的な人物でした。そして彼の目と耳には、
ルターとは全く関係なく、この聖句が彼の母国語(ジョセフの場合は英語)で正しく響くためには、この言葉だけが必要であったと思われるのである。
結論として、ジョセフがローマ3:28JSTにalone(のみ)を挿入した効果は、その節に関する一般的な聖書注解にあるこの文章がよく捉えていると私は思う。
信仰という言葉に "alone "という言葉を加えることは、ルターをはるかに超えて、
少なくともアクィナスまでさかのぼる伝統であり、その意味を認識する限り、何の問題もない:
人は道徳的努力なしに信仰だけによって「改心」するという意味ではない。. .
しかし、十字架のふもとで、すべての人が同じ平らな地面に立つことを可能にする象徴は、信仰なのである。
Kevin L. Barney は Kutak Rock LLP のパートナーである。
DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
ーーーー
救いに対して対局にあると思われるルターとジョセフ。
同じ箇所を「信仰のみ」と翻訳していたのですね。
むむ、相変わらず天才ですねぇ。
英語で30ページもある論文で、しかもテキストコピーのロックがかかっているので、かなり端折ってあります。
ーーーー
ルターが自分の翻訳に同じ挿入をしたことを確認しましたが、
ドイツのルター・バイベルがジョセフの改訂の直接の資料にはなりえません。
この場合、ジョセフが利用できた間接的な英語の二次資料があるかもしれないが、
私はまだそのような資料を見つけることができないので、ジョセフの修正はルターの翻訳から独立しているように思われる。
アメリカの連邦議会上院は23日、銃規制を強化する法案の採決を行い、賛成65、反対33の賛成多数で可決しました。
・・・アメリカのメディアは、成立すれば本格的な銃規制としては28年ぶりになるとして大きく伝えています。
---
もう風化したのでしょうか。
30年前日本人留学生がハロウィーンの夜に侵入者と間違われ殺された事件がありました。
「フリーズ」と「プリーズ」を聞き間違えた。とも言われていますが、当時ほとんどの日本人はフリーズ(凍れ?)が止まれを意味するとは知らなかったと思います。
本格的な銃規制はこの事件も関係あったのでしょうか。
NYの銃規制が憲法違反と判断されたり、抜本的でなかったり、
銃社会の闇が癒えるのには、まだまだ時間がかかりそうですが、大きな一歩であることには間違いないのでしょう。
末日聖徒も明確に銃規制に賛成の立場を表明しています。
共和党よりと思われていた末日聖徒のリベラル化は鮮明になりつつあるよう。
聖書の文書資料説を取り入れる点も教義のリベラル化がはじまっているのでしょうね。
いずれにしても、理知的で自由な教義理解に進むよう希望します。
誰がいつ表明したの?それって個々の会員に対する拘束力も何もないでしょ
教会がコロナワクチンに賛成の立場なのに、ごちゃごちゃ言って従わない会員が、何を言ってるんだろうって気がします
このあたりが参考になりますよ。
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/09684f198a319e5e9c3efdafca7e2806
「日本の教会員を特徴づける二つの特質は『誠実』と『従順』ですね」と言った。
大管長が言っても大勢の教会員が新型コロナのワクチン接種を受けようとしないアメリカ人と比べて大きな違いである。
ーーー
前々から感じていることなんだけど
>このあたりが参考になりますよ。
と書いて引用文のコピペ、自分の意見は一切書かない
これって、自分の書き込みに責任を持ちたくないのかなぁ?
あくまで自分は引用しただけであって、自分はそんなこと言ってもないし、責任も持たない、もし引用内容に間違いがっても反論してくるなよ、と?
藁人形として利用するための引用だとしたら、かなり奸知に長けているねぇ・・・
あ、これも藁人形論法のひとつw
コメント欄をご覧くださいね。
あじフライくんはモルモン書は創作です。が唯一の意見でしたっけ?
そんな気がしてます。
進化論に代表される科学否定の傾向にある気がしますね。
NJさんも、昔からそのあたりを懸念してモルモンフォーラムや研究会を主催してこられたのだと思います。
教会本部も福音の研究を多言語化して頑張ってはいるものの、
やはり、異なる視点の書籍やサイトの充実度が違いますからね。
https://bycommonconsent.com/info-contact/
By Common Consent(またはBCC)は、モルモンのトピックを投稿および議論するための思慮深く、楽しく、合理的な場所を提供するために、
モルモンのグループによって2004年に開始されました。時間の経過とともに、このビジョンを共有する新しい貢献者を追加してきました。
私たちは信仰に対する私たちの見方で真理、理性、そして正直さを求めます。
しかし、BCCは、モルモン教徒以外の人々を含むすべての人にとって慈善的な議論の場です。
過去の投稿を読んで、ディスカッションに参加することをお勧めします。
ーーーー
文書仮説関連の記事ではこんなのがありました。
是非。
//bycommonconsent.com/2016/08/19/scripture-and-mormonism-a-brief-look-at-some-useful-ideas/#more-77948
Joel Baden、The Composition of the Pentateuch:Renewing the Documentary Hypothesis(New Haven:Yale University Press、2012)。
バーデンの本は、興味のある非専門家にとって非常に合理的な読み物ですが、
彼の主張の多くを批評するには、おそらく聖書研究のいくつかの良い背景が必要です。
言い換えれば、バーデンの本にはそれ自身の困難がありますが、
それは聖書の批判的な読書における現代の方法のいくつかへの素晴らしい入門書です。
バーデンに近づく前に、BYUのニールA.マクスウェル宗教奨学金研究所からの資料を強くお勧めします。
つまり、私たち自身のブレアホッジズによる2つの優れたポッドキャストインタビューです。
1つは、ユダヤ人学者のマーク・ブレットラーとの会話です。
ブレアは、マークが現代の聖書研究におけるいくつかの考えと用語を説明するのを助けます。
[2] 次のインタビューは福音派の学者ピーター・エンスです。
話し合いを導くブレアの質問は、モルモンの観点から聖書研究を位置づけるのに本当に(ほとんど暗黙のうちに)役立ちます。
————–
[1]詳細についてはこちらをご覧ください。DHの現在のバージョンは、19世紀後半のドイツの学者によって最初に説明された古典的な理論とは異なるため、「ネオドキュメンタリー仮説」と呼ばれています。
LDSの聴衆のためのもう一つの素晴らしい情報源は、デビッド・ボコボイの旧約聖書の執筆です(ソルトレイクシティ:グレッグコフォードブックス、2014年)。
ここでKevinBarneyのレビューを参照してください。
[2]これらの考えの多くは、聖書の問題をはるかに超えて適用されます。
・・・
いや、一つあるとすれば「あ、それ藁人形」か
変な切り返しばかりのアジフライくんw
>バーデンに近づく前に、BYUのニールA.マクスウェル宗教奨学金研究所からの資料を強くお勧めします。
ここにリンクしてあるポッドキャストは音声のみなので英語のリスニングが苦手な方はこちらをどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=JRwKqUZKid4
マクスウェル研究所
チャンネル登録者数 1.42万人
聖書の学術的研究はその価値を損なうのでしょうか、それとも聖書に含まれる宗教的メッセージを弱めるのでしょうか?
2012年には、ユダヤ人、プロテスタント、カトリックの3人の学者が集まり、まさにその問題について話し合いました。
彼らの傑出した本「聖書と信者」は、聖書の宗教的解釈が聖書批評によって脅かされる必要がないことを示しています。
このエピソードでは、マーク・ブレットラーが彼の宗教的信仰が彼の聖書の学術的研究とどのように交差するかについて論じています。
彼はまた、聖書批評を構成するものについての素晴らしい入門書を提供します。
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このユーチューブには自動翻訳で日本語が選べます。
話し合いを導くブレアの質問は、
モルモンの観点から聖書研究を位置づけるのに本当に(ほとんど暗黙のうちに)役立ちます。
https://www.youtube.com/watch?v=QiBi565hJGg
ピーター・エンスは、聖書が実際にどのように見えるか(神が私たちとどのように関係しているか、
私たちが神とどのように関係しているかについてのさまざまな視点を持つ古代のテキストのコレクション)について解釈されることを望んでいるキリスト教の聖書学者です。
それはそうだと思います(神についての特定の事実を間違いなく教えている一義的で段階的なルールブック)。
エンスは、このエピソードで、献身的な信者がどのように聖書に批判的に近づくことができるかについて話します。
これは、本「聖書と信者」の著者を特集した2部構成のシリーズの第2部です。
ーーーー
マクスウェル研究所という使徒の名がかされた研究所であることに注目してください。
ユダヤ人、プロテスタント、カトリック、福音派の学者のインタビューであることも興味深いですね。
「批判を含む」という言葉がネガティブな印象を与えているのかもしれませんが、
現代の末日聖徒が取り組む課題ですね。
英語字幕をテキストまとめてダウンロードして翻訳サイトで読む方が効率的かもしれません。
ユーチューブ、字幕、ダウンロードといったキーワードで検索すると字幕テキストを抽出できるサイトが多く出てきますので適宜。
一部Deepelで紹介します。
>2012年には、ユダヤ人、プロテスタント、カトリックの3人の学者が集まり、まさにその問題について話し合いました。
彼らの傑出した本「聖書と信者」は、聖書の宗教的解釈が聖書批評によって脅かされる必要がないことを示しています。
----チューチューブの字幕を抽出後一部抜粋ーー
私は信者であり、ヘブライ語聖書の批評家でもあります。
ヘブライ語聖書の研究者です。
長い間、この問題について考えてきました。
数年前に自分の考えを書き留めたことがあります。
この問題について、数年前にユダヤ教聖書の読み方という本を書きました。
後書きが必要だと思ったのです。
後書きのタイトルは「ユダヤ人としての聖書の読み方」です。
2005年に自分の考えをまとめようと思ったのですが、それは
・・・
他の信仰集団が同じ問題をどのように理解しているかということに関連し
私たちは、他の人たちを説得しようとしたわけではありません。
私たちが本当にしようとしていたことはどのような解決策を共有できるかということです。
共通点があるのか、相違点があるのか
そしておそらく、これらの宗教が別々に発展してきたのですから、
もしかしたら解決策や可能性があるかもしれない。
ある宗教の伝統の中で開発された、有効な解決策や可能性が
他の宗教にも有効かもしれません。
そうです。
これらの宗教的伝統の間の主な共通点は
異なる宗教的伝統の間にある主な共通点は
学問が神聖なものに影響を与えるという考えです。
聖典とされるものに学問を持ち込むことができるという考えです。
ある信者にとって、それは不安なものであり、また、それは
伝統的な信念に挑戦するような複雑さがあります。
多くのリスナーの皆さんは聖書批評になじみがないと思います。
高等批評と呼ばれていたものです。
基本的な説明をお願いします。
聖書批評とは何か?
そこから掘り下げていきたいと思います。
二人の人間がいます。
約2.5世紀隔たっています。
聖書批評の始まりはある意味で2世紀半です。
聖書批評の始まりは、宗教改革です。
ルターが九十五ヶ条の論題を掲げた1517年の宗教改革が始まりで、
この論題が数世紀後、「聖書批評」を発展させました。
ルターの鍵は宗教改革にありました。
ルターにとって重要なのは、「ソラ聖典」という概念です。
つまり、各個人が聖典を説明する義務があるという考え方です。
これは、カトリック教会の権威と大きく乖離しています。
ある意味で、批判的な聖書学の始まりと見るべきでしょう。
ルターが生きていたら、その発展を見ることができたでしょう。
次の重要な人物は
バルーク・スピノザとして生まれ
ベネディクト・スピノザとして死んだ。
1632年から1677年まで生きました。
名前の変更は彼がアムステルダムのユダヤ人社会から破門されたことを反映したもので、
最も重要な本の1つは神学政治学論集という本で、その中に「聖書の解釈」という章があります。
その中の一節をを読んで、それをセットでお話したいと思います。
というのも、この一行が最も重要だと思うからです。
批評的聖書学の発展を理解するために最も重要な行です。
ラテン語ではなく英語で読んでいます。
次のような文章です
簡単に言うと、私は聖書を解釈する方法は、聖書学の方法と何ら変わりはない。
椅子に座っての通訳の方法と何ら変わりはなく、むしろ完全に一致しています。
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
しかし結果としては同じである。
その事によってあじフライさんは大きな誤解をしている様に思える。
「書かない」って言うのは、「書く内容があるが書く意思がない」って事ですが。
「書けない」って言うのは、「書く意思が有っても書く内容が無い」
あじフライさん、私は長らくかの方の書き込みを拝見してて思うのですが、かの方はすごく人間性が良い人だと思っています。
その人間性の良い人が、「自分の意見が有るのにあえて書かない」等と言う姑息な手段をするとはとても思えません。
で、たぶん後者なのかと推察するのですが?
>で、たぶん後者なのかと推察するのですが?
なるほど!
オムナイばかり投稿して申し訳ないですね。
そろそろ完結です。
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>バーデンの本にはそれ自身の困難がありますが、それは聖書の批判的な読書における現代の方法のいくつかへの素晴らしい入門書です。
https://www.amazon.co.jp/dp/B007R5DNKK/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
2世紀以上もの間、五書の構成の問題は、聖書研究の分野で最も中心的で熱く議論されている問題の1つでした。
この本では、ジョエル・バーデンが文書仮説の新鮮で包括的な議論を示しています。
彼は、古い奨学金と最近の奨学金の両方に批判的に関与し、
五書の形成の古典的なモデルを根本的に修正し、方向を変えています。
歴史的および方法論的な章と詳細なテキストの事例研究を織り交ぜて、
バーデンは五書研究の歴史への批判的な紹介、現在の議論の中で最も差し迫った問題に関する議論、
そして聖書のテキストの研究のための実用的なモデルを提供します。
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つまり、
>末日聖徒、旧約聖書の「資料説」に接近?
>徐行で歩む 末日聖徒
というノロノロ歩行では日本の末日聖徒は遅れる一方ではないでしょうか?
ーーーアマゾンの書評ーーー
これは注意深く読む価値のある優れた本です
2015年9月11日にアメリカ合衆国でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、現代の文書仮説の非常に詳細な防御を提供します。
聴衆は(私のような)一般的な読者ではなく聖書学者であり、
(私のような)引用が必ずしも一節とその文脈の記憶を引き起こすとは限らない場合、
議論を理解するのは難しいかもしれません。
それでも、これは注意深く読む価値のある優れた本です。
----
Kindle 価格: ¥7,228(税込)
むむ。円安もあってでしょうか、、結構しますね汗;
あのさぁオムナイくん、この文章を何の疑問も、引っ掛かりもなく読めてるの?だとしたら、それ、めっちゃ驚異的なんですけど
キミは、ここで「奨学金」って単語が出てくることを、変だと思わないの?こりゃ「学説」の誤訳だな、とか思わないのかな、まぁ、気づいていたら、それを修正もせずに貼り付けたりしないよね・・・
キミのそうした行動をみてると、文章を全く読まずにコピペしてるか、文章の意味を理解できていないアレな人なのか・・・いずれにせよ読む気が失せるんですよねぇ、せっかくのいい本かも知れないのに
ご指摘どうも。
一応今回はグーグル翻訳をそのまま貼り付けてあります。
まぁ、あじフライくんでさえAI翻訳の限界とわかるのでしょうから、大抵の方はscholarshipを奨学金と訳したかー。
と理解するのではないですかね。
無精でごめんなさい。
君豚豹変す。という諺がありますが、現代末日聖徒はむしろ高等批評を推奨している感がありますね。
師匠もなんだかんだ言って、「兄弟諸君!もっと批判神学を取り入れて聖典を学ばなあかんよ!」
と宣う姿が弟子には目に浮かぶのであります。
先日の日曜学校で、サムエル記のダビデとゴリアテの話に成りまして。
教師の方が聖書の記述からゴリアテの身長は3m以上有ったって話をなさいました。
又、ダビデが石を投げてゴリアテの額に当ててゴリアテを倒したって話も。
そこで、関西人らしい突っ込みを・・・・。
「ゴリアテは青銅の兜をかぶっていたのに、どうして額に石が当たるんですか?」
回答は「そこだけ兜に穴が開いてた・・・」
オムナイさんみたいな人は何処にでもいるんですよねモルモンには。
>現代末日聖徒はむしろ高等批評を推奨している感がありますね。
はっきり言いますが、全く無いです。
>回答は「そこだけ兜に穴が開いてた・・・」
>オムナイさんみたいな人は何処にでもいるんですよねモルモンには。
こりゃ楽しそうな日曜学校ですね!
生徒「そんなこと聖書のどこにあるんですか?どこにも書いてありませんけど?」
教師「書いてあるんですぅ!、文字だけじゃないんですぅ!、内容的にそう書いてあると私は認識してるんですぅ!」
・・・みたいな?
ん?確か3m足らずかな。
記録に残る長身の方は2.7mくらい。
いても不思議ではないと思いますが。
>「ゴリアテは青銅の兜をかぶっていたのに、どうして額に石が当たるんですか?」
>回答は「そこだけ兜に穴が開いてた・・・」
ハハハ^^
まぁ、巨人だと額広いから、あながち。
というより「やあやあ我こそはペリシテのゴリアテなり」的な戦士の一騎打ちで飛び道具使うかね。。と思ってました。
卑怯也ダビデ少年w
>はっきり言いますが、全く無いです。
え?でも現代の預言者もこのように。。まぁ、一般の末日聖徒に浸透していないという意味ではそうですが。
>末日聖徒の使徒、ジョン・A・ウィッドソー長老も同じように書いています。
・・・・
>「現代思想の分野では、聖書のいわゆる高等批評が重要な役割を担っている。
刺激されました。
オムナイがその場にいればなぁーw
以前紹介したドン・ブラットリーさんの失われた116ページ:モルモンの行方不明の物語の本の再構築の中に
ダビデ=ニーファイ
ゴリアテ=ラバン
とモルモン書を読むと大抵似てる物語だな。と気が付くのですが、
ラバンの剣がゴリアテの剣であってエジプトのヨセフが作らせた剣でヨシュアに伝わった剣でもある。
ことをモルモン書は匂わせているという記事を思い出しました。
つまり、この物語が歴史的な事実かどうかはさておき、モルモン書は聖書の教えようとするところを物語を変えて読者に教えようとしている。と私は理解しました。
(個人的にはもちろん史実の部分もあると思ってますが)
ノアの方舟的物語もあれば、ダビデとゴリアテの物語に似た話も出てくるのはそういうことなんでしょう。
山中鹿乃介の 「七難八苦を我に与えたまえ〜」というのもたとえ史実ではなくても、日本人に良き心構えを教えてくれますもんね。
6節の単語(greave)は旧約聖書のどこにも出てこない別のヘブライ語の語根から来ていると主張する人もいるが、ディーム氏の主張が説得力を持つ理由はいくつもある。まず、彼女が指摘するように、物語にはゴリアテが青銅の兜を被っていたことが明確に記されています。ペリシテ人の兜がどのようなものであったかを示す古代の写真がありますが、それは額を覆っています(右の写真参照)。ある人は、ゴリアテが青銅の兜をかぶったと書いてあるので、これは典型的なペリシテ人のかぶり物とは違うだろうと主張します。ペリシテ人はギリシャ人なので、ゴリアテの兜は古代ギリシャ人が被っていたものと同じような構造だった可能性がある。私のように "ギリシャの兜 "でググってみると、その防護性能にさらに感心することだろう。ほとんどの兜は、額だけでなく、鼻も覆っている。この部分に石が当たっても、戦士は気絶するかもしれませんが、49節にあるように、石が額に埋め込まれることはないでしょう。
」
https://www.biblestudywithrandy.com/2015/01/david-killed-goliath-sure/
・・・
この解釈をさらに裏付ける証拠がもう一つある。ディームとウォンは、古代ユダヤの書物 "ユダ書 "に記録されているある出来事について書いている。ユダの遺言』は "12人の祖先の遺言 "と呼ばれる書物の一部で、いわゆる偽典の一つである(定義はリンク先を参照)。この物語では、ヤコブの子ユダが重装備のカナン人の王を薙ぎ払う(別の訳では足を切り落とす)ことで殺害する。ウォンが示すように(「ゴリアテの死とユダの遺言」、Biblica, 91 no 3 2010, p 425-432)、この物語は多くの類似点を持ち、明らかにダビデのゴリアテ殺害を暗示しているのである。したがって、これはダビデがゴリアテを薙ぎ払ったという古代ユダヤ人の伝承があったことを示唆している。もしそうであれば、ダビデがゴリアテの膝を石で打って殺し、その首を切って仕留めたことのさらなる証拠となります。(ゴリアテの死 その2についてはこちらをクリック)
」DEEPL 無料でしたぁぁ・・
おおー!説得力ありますねー。
ラバンも自身の所有する剣で首を切られたのでした。
そう言えばLOST116にウリムとトンミムを銀の蔓にはめ込んだ眼鏡的なものは横幅が大きくジョセフが使用するのに苦労したのではないか。と書かれていました。
(それがシーストンを使い始めた理由?)
だとするとニーファイ人は巨人に近かったのでしょうか?
https://kovlog.net/about-giant-legend/
アメリカでも過去に巨人の骨が発見されており、有名なメディアであるニューヨークタイムズでも取り上げられた事件がありました。
1912年にウィスコンシン州にあるデラバン湖付近で2.3~3メートルにもなる巨大な人骨が発見されます。
また、この白骨死体は1体だけでなく、なんと18体も掘り出されたらしいのです。
さらに、この人骨は当時存在していたどの人種よりも巨大な頭蓋骨でした。
巨大な骨は以下のような特徴を除けば、すべて人間の男性と酷似した骨の形をしていたため、当時この場所では男性のみが埋葬される墓地だったのではないかと考えられていました。
ーーーー
反省。と言いつつですが。。
アブラハム書3:1
わたしアブラハムは、主なるわたしの神がカルデヤのウルでわたしに与えてくださったウリムとトンミムを持っていた。
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カルデヤのウルといえばシュメール文明。
https://sekaishi-zisokuroku.weebly.com/uploads/5/5/2/6/55264677/2341266_orig.png
シュメール人のこの異常に大きな目は??
アブラハムに与えられたウリムとトンミムではないのか!?
その後エジプトに移り住んだアブラハムはエジプト文明に大きな影響を及ぼしたのでしょうか。
https://m.media-amazon.com/images/I/61SsLjyGebL.jpg
メガネのようにも見える太陽神「ラーの目」フリーメイソンのマークでも有名ですね。こちは右目なのだとか。
左目は「ホルスの目」
https://blog.goo.ne.jp/gemi2011/e/8e2ea79485859b4bce945be222aedb1f
この図案、金属製の蔓にはめ込まれた石のように見えなくもない。
ラー&ホルスはアブラハムのもたらしたウリムとトンミムに影響を受けたのでしょうか!?
モルモン書に書かれていながら、発掘されいない貨幣や馬や車輪があったと信じる一方で、モルモン書には何も書かれていないけれど、巨人がいたとする(怪しさ満点の)説についても、これまた無批判に信じこんでしまう・・・
いったい人間の思考力、判断力とは如何なるものか、興味がつきません
ただ、怪しい伝説を何でもかんでもモルモン書に繋げてる人を見ていると、シャーロッキアンからネス湖のネッシー信者のレベルにまで落ちちゃったんだなぁと、そんな感じです
>怪しさ満点の)説についても、これまた無批判に信じこんでしまう・・・
無批判に信じこんでいませんよー(大笑)
Deeplでも、あまり読みきれてないのですが、
Lost116にもこんなイラストがあって実はウリムとトンミムのそれぞれは三角形の透明な物質で出来ていた。
それを合わせるとダビデの紋章にヘキサグラムになる的だったかな?
六芒星といえばフリーメーソン。
アブラハムの黙示録もキリスト時代の偽典だとヒューニブレーさんも解説していましたね。
モルモン書にキリストやマリアの名がそのまま出てくる。。。
https://www.youtube.com/watch?v=gE-9DVVOWWU&t=217s
日本人と聖書(50)「秦氏をメシアニック・ジューと考える2つの理由」
---
金版の実態はアメリカに渡ったメキリスト時代のシアニック・ジューの子孫がジョセフ・スミスに口伝したのかもしれませんね。
その子孫こそが「モロナイ」ではないでしょうか?
いかがでしょう?
ここにきて金版否定?
ホームセンターでブリキ買い集めた、あの不細工な金版は何のために作ったの?w
いやいや、金版の遺物自体は否定してませんよ。
http://www.supportingevidences.net/qa-about-the-xochicalco-stela/
メキシコの遺跡には金板の文字にそっくりなのがあったり、エジプトのスフィンクスにも似た文字が使われています。
>ホームセンターでブリキ買い集めた、あの不細工な金版は何のために作ったの?w
真鍮板だけどねw(あいかわらず、ところどころ曖昧w)
まぁ、あれは重量の検証に使ったので商品開発で段ボールでモデリングするようなものです。
本気でレプリカ作る気は無いです。
あ、トゥンバガという金の合金が古代アメリカでは使われていたそうで、おそらく金版はそうなんでしょうね。
金版もあった、古代にエジプト文字に関連のある文字も刻まれていた。
しかし、内容はフリーメイソンとイエス派ユダヤ人の伝承なのでは?という感じですね。
であれば、アブラハム書の翻訳の経緯も辻褄が合うかなぁ。
あんなくだらないもの、細かいところまでいちいち覚えてるワケないだろ
>まぁ、あれは重量の検証に使ったので商品開発で段ボールでモデリングするようなものです。
本気でレプリカ作る気は無いです。
手抜きだったと言う割には反モルモン掲示板で嬉しそうに公開してたよねぇー
その後、ワードで展示してたんじゃなかったっけ?
>あ、トゥンバガという金の合金が古代アメリカでは使われていたそうで、おそらく金版はそうなんでしょうね。
その話には夢があっていいね!って言ってあげますよ、キミが中学生ならだけど
ブリキ板。。。比重や硬さが。。そこ大事なんですけどねーw
>手抜きだったと言う割には反モルモン掲示板で嬉しそうに公開してたよねぇー
まぁ、体積に金の比重をかけて100Kg超えるというのはね。。たまげてw
確か昼ごはんさんも賛同してましたね。
金属系の会社だったんですね。
実際、学者さんが検証しているのとほぼ同じですから、英語のできないオムナイの賢眼は大したもんですねぇ。
https://knowhy.bookofmormoncentral.org/knowhy/what-kind-of-ore-did-nephi-use-to-make-the-plates
モルモン書の場合、この本の本質的な歴史性と文書史料仮説の間に必要な矛盾はないと思います。
モルモン書の古代の信憑性の主張にとって唯一の大きな挑戦は、五書典の年代測定であり、仮説そのものではありません。
文書史料仮説は、実はモルモン書が自らの文学的展開を示す方法と類似しているのです。
>ーー
つまり、キリスト以後のユダヤ人フリーメイソンの伝承内容がモルモン書の本質では無いでしょうか?
輝く天使や
有栖川
(再喝)
東京神殿に舞い戻った天使モロナイがトランペットを吹き鳴らす像をみながら、密かに金板を受け取ったジョセフと福音の回復の出来事を想像していたのでした。
https://thechurchofjesuschrist.org/the-feast-of-trumpets/
トランペットの饗宴はモルモン書の一種であり影です
レビ記23:24と民数記29:1-6
ユダヤ人の年の7番目の満月に正確に発生します
・・・
ラッパ(またはヘブライ語で「ショファー」)は、雄羊の角として始まり(ヨシュア6:4)、神の民に集まって集まるように呼びかけるために使用されました。 :1-7)。
主はイスラエルに、トランペットを吹くことで彼らの救いが保証されると約束されました。 (民数記10:9)
・・
モルモン書によるトランペットの饗宴の成就のさらなる証拠は、
ジョセフ・スミスがその年のトランペットの饗宴の正確な日に、
9月22日に天使モロナイからモルモン書のプレートを受け取ったことです。 1827年!
偶然にも、ジョセフは、翻訳用のプレートを手に入れる前に、
同じ正確な日に4年連続でモロニに会うように指示されました。
----
いやー。興味が尽きませんねー。
山伏が吹く螺貝。あれ明らかにショファーですよね。
神国日本とモルモン書実に関係が深い!
神社とタバナクルの構造が似ている事も教会本部に直訴すべきw
半分でも50Kg、あり得ないね
キミは、版の間に隙間があったから軽いんだ、って自説を強調したいがために、スッカスカの貧相な金版もどき作って、笑われてたね、アレ大爆笑したわw
>確か昼ごはんさんも賛同してましたね。
>金属系の会社だったんですね。
USスチールね、会社のパソコンからネット掲示板に書き込んでたのバレて、黙りこんじゃいましたね
ま、その程度のリテラシーの人でしたわ
>実際、学者さんが検証している
ないない、そもそも「金」(golden plates)で本を作るのは無理って、教会内外から指摘し出したので、モルモン教会も「金属板」(golden metal plates)って言いかえてきた、そう言うもん
ま、そもそもが作り話なんでw
妄想に節操が無さすぎだね
思い付いたことを反射的に口に出すって、オヤジの特徴らしいから気を付けた方がいいよ
こちら参考になります
↓
松本人志に新たな名言! おやじギャグの定義に絶賛「かつてないほどの分析」
https://myjitsu.jp/archives/355657
100kgの金塊の爆笑度には負けますけどねw
>松本人志に新たな名言! おやじギャグの定義に絶賛「かつてないほどの分析」
「『ここでそれいうか?』ってところで言ってしまうのがオヤジなんですね」
まんま、あじフライくんじゃないw
面白いですよ。是非。ただ41巻もあります。。1巻平均200ページ。。多分1巻で挫折します。
https://www.amazon.co.jp/Interpreter-Journal-Mormon-Scripture-English-ebook/dp/B009JQLHWG/ref=sr_1_4?qid=1656493145&refinements=p_27%3ADavid+Bokovoy&s=digital-text&sr=1-4&text=David+Bokovoy
これは、Interpreter:A Journal of Mormon Scripture by Interpreter Foundationの第1巻(2012年)です。
王国を守るための慈善活動、1ニーファイ11におけるニーファイの霊との難解な交換、
ニーファイ人の使徒職の文化的背景、モルモン書の神殿のテーマの本のレビュー、神殿の神学に関する解説など、
さまざまなトピックに関する記事が含まれています。
ジョン17、メソアメリカに関するジョン・ソレンソンからマイケル・コーへの手紙、無神論者の敬虔さ、
モルモン書の研究:モルモン書、モルモン教、ウィキペディアの本のレビュー、モルモン書の理解:読者の本のレビューガイド。
-----
モルモン書には、預言者ニーファイと主の霊が非常に高い山で交わした秘教的な出来事が登場する。このエッセイでは、古代の宗教的体験と書記技術に精通したイスラエル人が、この出来事をどのように解釈したかを考察しています。 その結果、ニーファイの会話やモルモン書の他の同様の記述は、古代の神殿のモチーフと呼応していることが分かりました。このパラダイムの一部として、聖書と一般的な中近東の概念における神の評議会のメンバーに関連する役割として、主の霊がテキストに描かれている方法について考察しています。
預言者が高度な霊的洞察を受けるに値することを証言する。
---本文ーー一部抜粋ーー
ニーファイのビジョン ニーファイは、主の霊との交流について、父親が神聖な夢について話した言葉を考えているところから始まります。
「心の中で考えていると,主の霊に捕らえられて,見たこともなく,足を踏み入れたこともない非常に高い山に入った」(1ニーファイ11:1)。
リーハイの並行したビジョンの一部ではありませんが、ニーファイの「捕らえられた」経験は、リーハイが神の王座に「連れて行かれた」(1ニーファイ1:8)というモルモン書に記録されている彼の父の最初の夢の内容を反映しています。
聖書の観点からは、個人が「連れ去られる」という表現は、並外れた霊的な出会いを示す専門的な表現として機能します。
ニーファイの言葉との類似点は、例えば、伝道者フィリポに関する使徒言行録8:39に見られます。
「彼ら(フィリポと宦官)が水から上ったとき、主の霊がフィリポを捕らえ、宦官はもはや彼を見なかった」(使徒8:39;強調付加)。
----
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
オムナイのように英語が苦手だが英文の書籍を読みたい方は
スマホでキンドルアプリが便利です。
縦スクローモードにすると段落の選択が楽でオススメです。
テキストを少し長尾押ししてハイライトにすると、自動で日本語に翻訳してくれます。DeepLほどではありませんが中々の精度で読めます。(なぜかWikiが最初に出ますが右スライドさせてください)
翻訳がイマイチの時はDeepLアプリを活用すると良いのですが、コピペ回数に制限があるものがほとんど。
キンドル内の翻訳には制限が無いようです。
是非
200万冊以上の書籍が読み放題のKindle Unlimited(月額980円)に入るとさらに有益です。
100kgの金塊なんて私は言ってないよ、オムナイくん
あ、もしかしてこれって「藁人形論法」ってヤツかい?
キミの大好きなw
しかしオムナイくんは、私があたかもそう言ってるかのような虚像(藁人形)を作り出し、それを攻撃する詭弁のテクニック、これが藁人形論法なんですね
こちら参考になります
↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
ストローマン(英: straw man)は、議論において、相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す[1]。ストローマン手法、藁人形論法、案山子論法(かかし論法)ともいう。
あじフライくんが言ってるとも言ってませんよw
神学者でもなく、宗教学者や社会学者というわけでもないそうですが、
非常に良くまとまっています。
共有しますね、是非ブックマークを
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/285.html
ヴェルハウゼン説
一般に資料仮説が紹介される場合、現在でも主流の説として紹介されるのがヴェルハウゼン説である。
・・・その説得力ゆえに、続く1世紀間、学界では支配的な説となった。
・・・
ヴァン・セータース説
一方で、近年 英米系で主流のヴァン・セータース説では、ヤハウィストこそ事実上のモーセ五書の著者であり、
しかも前6世紀の単独の著者であると言っている。
したがってヴァン・セータースは、ヤハウィストをペルシア王国時代のギリシアの哲学者たちとほぼ同時代までその年代を引き下げている。
じゃ今度から私の書き込みに藁人形と難癖つける前に同じこと考えて下さいね
お互いにそうしましょう。
よろしくお願いしますね。
ボコボイさんやバーニーさんはリベラルなダイアログ誌にも寄稿しているようで、中道的なFAIRでは、どのような説明をしているか検索してみました。
https://www.fairlatterdaysaints.org/answers/Question:_What_is_the_Documentary_Hypothesis_and_what_do_critics_of_Mormonism_claim_about_it_as_it_regards_restoration_scripture%3F
・・・
モルモン書には、モーセの5冊すべて(創世記-申命記)への言及が含まれているため、
文書仮説の4つの情報源(J、E、D、およびP)すべてが含まれています。
・・・
ニーファイの記録に含まれる部分は亡命前の時代に存在していると信じる必要があります。
・・「P」への言及の存在は、モルモン書の時代錯誤(それが存在すると主張されている期間には場違いなもの)を提示すると主張されることがよくあります。
・・・
この主張には、出典の年代測定、出典の特定、モルモン書の翻訳に関する仮定に関連するいくつかの問題があります。
・・・
モルモン書に、情報源の年代測定が信頼できるために時代錯誤と見なされるテキストが含まれていても、
ジョセフ・スミス/主がKJVの言い回しでそのテキストを提供することを妨げるものではありません。
これは、正式な等価ではなく、動的等価変換の例になります。
・・・・
結論
注意深く分析した結果、現時点では、文書仮説が修復経典に実際の課題を提示しているようには見えません。
ーーーー
要は文書仮説が流動的仮説な上に、モルモン書に「モーセの五書」と書いてあっても翻訳状の表現に過ぎないという事でしょうか。
Lost116ではニーファイとラバンの物語をこのように紐解いていました。
---
前述のように、ニーファイが年長で生得権のないマナセ族の出身であるのに対し、
ラバンは年少で生得権のある息子エフライムを通してヨセフの剣を受け継いだのです。
ラバンはまた、イザヤが嘆いた、かつて優勢であったエフライム族の高慢さを象徴している。
災いだ、高慢の冠、エフライムの酔っぱらいどもに。その栄光の美は消えゆく花となり、ぶどう酒に酔う者たちの太った谷の頭にあるのだ!」。. . . 高慢の冠、エフライムの酒飲みたちは、足で踏まれる。 (イザヤ28:1, 3)
ニーファイはこの典型的な「エフライムの酒飲み」から、自分とその部族のためにヨセフの生得権を奪いました(創世25:29-34; 27:1-41 )。
ラバンをヨセフの後継者にすることで、ニーファイはヨセフ家の中の支配権を一時的にエフライム族からマナセ族に移行させました。
ニーファイとラバンの関わりは、ダビデとサウルの関わりと重なります。
ダビデはサウルの後を継いで、サウルの部族であるベニヤミンからイスラエルの指導権を奪い、
自分の部族であるユダに与えました(創49:10、1サム9:1、17:12)。
ラバンを、そして彼が殺される剣をニーファイの手に「渡す」ことによって、神はご自分の手を戻され、
ヨセフの生得権の遺物と祝福をラバンやエフライムから取り上げ、ニーファイやマナセに授けられたのです。
その後、ニーファイ民族が崩壊し、エフライム人であるジョセフ・スミスがジョセフの遺物を回収することで、この循環は完結します。
遺物、そして遺物が象徴する生得権は、マナセからエフライムへと戻されたのです。
ブラッドリー、ドン。The Lost 116 Pages: モルモン書の失われた物語を再構築する(p.161). Greg Kofford Books. Kindle版。
モルモン経で、各ページの上部に参照聖句と、年代(紀元前何年)を記載していたのを思い出しますね
あれって、誰の指示で記載し、誰の指示でやめたんでしょうねぇ・・・
まぁ、記載を止めたってことは、モルモン書の歴史性に教会が自信を持てなくなったんだろうなぁ、って思ってます、もちろん言い訳として、宗教書としての面を強調するため、とかなんとか言うんでしょうけど、そんな言い訳を聞くたびに私なんかは、笑いが込み上げてきちゃうんですけど
でしたね。
師匠のゴリアテの兜問題でも、そうですが、旧約のレッスンは受ける側もする側も、少し視点がずれると
ザレパテのやもめ女の最後のパンの犠牲
バアルの預言者皆殺し
など、クラスが紛糾しそうですね。
公式ホームページ個人の聖文研究のためのアイデア
https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/come-follow-me-for-individuals-and-families-old-testament-2022/27?lang=jpn
FAIRのリソース
https://www.fairlatterdaysaints.org/come-follow-me-old-testament/come-follow-me-old-testament-ot27
などを読んでシュミレーションしてみるのですが、まずその部分を読んでないw
個人的には列王記の概観から攻めようかなと思います。
ここ、素晴らしい。
https://www.youtube.com/watch?v=j0n4ifWAoTY
そこから、なぜカラス?とか
餓死寸前の親子に犠牲を求めたの?
とかの話し合いにもっていきたいですね。
みなさんはいかがでしょう?
イエスと共に過ごした弟子たちはイエスの教えた神を伝えたが、やがて生前のイエスを知らない強力な伝導者パウロが加わったことで、初代教会の力関係は変化する、生前のイエスは知らない者、ユダヤ人ではない者が主流となっていく
特に非ユダヤ人出自のクリスチャンが、イエスの教えを深く理解しようとしたときに、その元となったユダヤ人の教えをまず知らないことには、始まらなかった、このため彼らが頼ったのが七十人訳聖書(旧約聖書)であった
実のところ、イエスは旧約聖書のより良い解釈を示したのであったが、何を勘違いしたかクリスチャンたちの一部は、旧約聖書にこそ、神が古代から人類に伝えてきた真理があると思い込んでしまった、この勘違いはその後、約2千年に渡って今も続いている
それが歴史的に見た旧約聖書のポジションなのです、ま、ハッキリ言うと多民族を制圧する旧約聖書の神と言うのは、現代日本で言えば中国、韓国の反日勢力を懲らしめたいとネトウヨが求めて止まないアホなヒーロー像と同レベルの妄想に過ぎないのですよ
ようするに、The Boys の Homelander ですよ!(笑)
一を納めて
充分に
(駄作)
エリヤとザレパテのやもめ女で思い出しましたが。
『聖徒たち』第3巻にも載っているお話。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/history/saints-v3/part-4/35-we-cannot-fail?lang=jpn
長老は,神はすべての人に什分の一を納めるよう命じておられると答え,
この原則に従うことがもたらす祝福について話しました。
聡子は疑念を抱き,そして少し腹も立てました。「これはアメリカの考え方だわ。」聡子は心の中でそう言いました。
・・・
柳田聡子姉妹の讃美歌の歌詞、素晴らし過ぎますよね。人生が滲み出ている。
わたくしはお金に無頓着で什分の一も姉妹任せ。
おかげで柳田姉妹顔負けの什分の一の祝福話には事欠かないようです。
しかし、この手の犠牲の大切さを説くレッスンは
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。
新約的なサポートが必要な困窮者には酷いレッスンになりかねません。
それこそ「人を見て説け」ですかね。
そういえばsupportという英語。
https://gogen-ejd.info/support/
【英語】[他動] 支える、養う、[名] 支援
◉ 語源解説
「下から上へ(sub-)運ぶ(porto)、下から持ち上げて支える」がこの単語のコアの語源。
中期英語 supporten(支える)⇒ 古期フランス語 supporter(支える)⇒ ラテン語 supporto(下から上げる)⇒ ラテン語 sub-(下から上へ)+porto(運ぶ)⇒ ㋑ per-(運ぶ)が語源。
英語 report(伝える)と同じ語源をもつ。
----
なるほどと言う感じですね。
日本語だと「助け舟」Lifeboat(救命ボート)
溺れる人を助ける意味なんだよと外人宣教師に教えると良いかも。
伝統キリスト教では、神父さんなり牧師さんなりがその部分の聖書の解釈と社会への適応を語ってくれるので信者としてはありがたい側面も多いですね。
末日聖徒の教師は教えると言うよりも生徒に考えさせて御霊を受けやすくる進行役の側面が大きい気がしますね。
教師は生徒が御霊を受けられるようにサポートし
生徒は教師がそれを出来るように助け舟を出す。
そんな感じでしょうか。
まぁ、重鎮さんの中には助け舟を出しているのか混ぜ返しているのか。。困惑する時もありますが。
>柳田聡子姉妹の模範
オムナイさんが紹介された柳田聡子姉妹の話を読みましたけど、これって建築基準法の接道義務を満たしていない土地(再建築不可物件)をごり押ししてローン組んだって話にも取れますよね。
今まで何度か家を買ったことのある経験者としては、それって良い事なのか?という疑問が最初に浮かんできました。ちなみに私はバブル期に中古の家を、今では信じられないようなバカ高い金額で購入して、大変な思いをしました。什分の一は若い頃からずっと守ってきたんですけれども。
あじフライさん
>The Boys の Homelander
あれ面白いですね
コメントありがとうございます。
>今まで何度か家を買ったことのある経験者としては、それって良い事なのか?という疑問が最初に浮かんできました。
わたしが最初に呟いたのは。。建築許可を出しておいて、基礎工事も始まっているのに何言ってんだかこの役人は。でしたw
消防法でですね。縦割り行政酷すぎ。
そうですか、何度か家を買われた。それ自体什分の一の祝福では?
確かこの時代に日本では「末日聖徒は自分の家を購入しなさい。」という指導者の啓蒙があったと聞いたことがあります。
先輩末日聖徒は持ち家の方が多かったですね。
>ちなみに私はバブル期に中古の家を、今では信じられないようなバカ高い金額で購入して、大変な思いをしました。
私は就職1年目で無茶して中古マンション購入。
バブル景気になって倍以上で売れました。
ある日税務署員が来てあれこれ聞かれましたけど、セーフらしかったですね。
しかし、「試しても良い律法がひとつだけあります!」
マラキ3:10(リビングバイブル)
収入の十分の一をすべて倉に携えて来なさい。
そうすれば、わたしの神殿には食べ物が十分あるようになる。
あなたがたが十分の一をささげれば、
わたしはあなたがたのために天の窓を開いて、
受け止めることができないほどの
祝福をあふれるばかりに注ごう。
試してみなさい。わたしは、そのことを証明しよう。
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これが受け止めることができないほどの現金と書いてあれば誰でも試すんでしょうけどね。
>そうすれば、わたしの神殿には食べ物が十分あるようになる。
確かに!末日聖徒には・・十分にありますねぇ。
批判神学と言うのが在るならば肯定神学と言うのも在るのかな?
と検索してみました。
ありました。恥ずかしながら知りませんでした。
末日聖徒流に言えば霊的真理は肯定神学の範疇。
批判神学は学問的真理の範疇なのでしょうか。
批判神学は肯定神学を補完するもの。
学術的真理は霊的真理を補完する役割と言えるのかもしれませんね。
>ーーー
高等批評によって、多くの迷信は取り除かれた。高等批評によって、
教会はその多くの不道理な主張を維持することが出来なくなった。
高等批評によって、聖書は奇怪な書ではなくなった。
・・・
学究が達する所は、蓋然性(プロバビリティ)であって、信仰ではない。
ゆえに批評によって神の存在にかかわる信仰は、否定されない。
キリストの神性と贖罪と復活と昇天とにかかわる信仰は、否定されない。
>ーーー
原理主義的神学でもない自由主義神学でもない。
末日聖徒の神学は「完全な自由の神学」ではないでしょうか?
SDGs LDS侮りがたしです。
>あれ面白いですね
今度、アツく語り合いましょう!
しかし昨日は勢いで書いたのですが、後々考えてみると、旧約聖書の神=Homelander説は、なかなかに的を射たものだと、自分で思ってます(笑)
自分のファン(信者)には愛想良く
敵対者はレーザーで大虐殺
自分の人気が高いときは機嫌が良いが、自分以外の者が慕われるようになると、途端に不機嫌になり、その者を敵視したり、高圧的で無茶な命令を繰り出す
失敗は隠蔽し、普通の人間の女性に子供を生ませる(ネタバレ?)
まさに旧約聖書の神ですなぁ~
についてヒントを与えてくれるものでした。
彼の他の作は?と探していたら以下の
Mormonism: A Very Short Introduction (Very Short Introductions) (English Edition) Kindle版
に興味を惹かれたのでDeepL駆使して読んでいます。
少し紹介しますね。
第1章
はじめに
モルモン教と呼ばれる宗教運動は、1820年頃、ニューヨーク州北部でジョセフ・スミスが見たビジョンに始まりました。
1830年、スミスはほんの一握りの会員で教会を組織しました。
今日、モルモンの最大組織である末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)は、公式に1300万人近い会員を抱えており、
その半数以上はアメリカ国外に居住しています。
末日聖徒イエス・キリスト再編成教会(RLDS)、現在はキリスト共同体として知られている小規模なグループは、
50カ国に約25万人の会員を擁しています。
末日聖徒イエス・キリスト教会は、ソルトレークシティーにある本部から、保守的な服装と名札ですぐにわかる5万人以上の若い男女からなる宣教師団を世界中に派遣しています。
モルモン教の信者は古代キリスト教の復興と見なしているが、モルモン教には独特の教義と慣習があり、
中でもモルモン書と呼ばれる聖書を補足する聖典を信じることが、この運動の愛称の由来になっている。
モルモン教徒というと、多くの人が矛盾するようなイメージを抱くことでしょう。
柔かな顔でドアをノックして宗教的なメッセージを伝える宣教師、
日曜日の朝にソルトレイクシティのテンプルスクエアから放送されるモルモンタバナクル合唱団、
自分たちの貧しい生活を支えるために協力する教会員、
アメリカで最も厳格な大学生に常に選ばれるブリガムヤング大学の学生、
子供たちに清潔な生活を教える結束の固い家庭、などです。
これらのことはモルモンが幸福で、複雑でなく、親切で、無邪気であることを示唆しています(ナイーブかもしれませんが)。
これとは対照的な連想は、モルモン教の創始者ジョセフ・スミスの派手な話から始まります。
スミスは、天使の指示で金の板を手に入れ、それをモルモン書として翻訳したと主張しています。
1840年代、スミスは信者の間で複数結婚を認め、1844年には非モルモンの敵によって殺害された。
彼の後継者であるブリガム・ヤングは、1847年にモルモンをユタ州に導いた後、多くの妻をもうけました。
今日、一部の人々は強力な宗教的ヒエラルキーが上から教会を支配していると考えています。
このようなあまり純真でないモルモンは秘密主義で、派閥意識が強く、おそらく危険な存在です。
しばしばモルモン教は教会というよりカルトとレッテルを貼られます。
ある人はキリスト教ではないと言っています。
どちらが本当のモルモン教なのでしょうか。
どちらの説明も正しいのでしょうか?
モルモンは自分たちに対する否定的なイメージに強く反応します。
彼らはジョセフ・スミスと金版についての物語を心から信じています。
天使の訪問とモルモン書の翻訳は素晴らしいおとぎ話とは程遠く、
モルモン教の創始者の奇跡であり、伝統的なキリスト教徒にとってのイエスの復活、
ユダヤ教徒にとってのイスラエルのエジプトからの解放に相当するものなのです。
モルモン教徒によると、これらは議論を呼ぶものですが、創設時の奇跡は常にそうなのです。
奇跡は宗教の原動力となり、神が人間の生活に介入していることを示す証拠となりますが、
同時に最も議論の対象となる主張でもあります。
イエスの復活は今日に至るまで激しく議論されている。
ブッシュマン、リチャード・ライマン モルモン教。モルモニズム:非常に短い紹介(Very Short Introductions) (pp.1-2). オックスフォード大学出版局. Kindle版。
無料版のDeepL翻訳(www.DeepL.com/Translator)で翻訳しました。
一夫多妻制教団施設で性的虐待、児童保護局
2008年4月9日 21:30
【4月9日 AFP】(4月10日 一部修正)児童保護機関の立ち入り調査で400人以上の子どもが保護された米テキサス(Texas)州エルドラド(Eldorado)にある一夫多妻制をうたう宗教団体の施設では、思春期の少女に性行為を強要、少年に対しては教団教義を洗脳するなど性的虐待が繰り返されていたという。8日、テキサス州児童保護当局の調査官の宣誓供述書で明らかになった。
Lynn McFadden調査官の供述書によると、モルモン教の分派「末日聖徒イエス・キリスト教会原理派(Fundamentalist Church of Jesus Christ of Latter Day Saints、FLDS)」が所有する農場「Yearn for Zion(YFZ)」内では、最低年齢13歳の少女らが、複数の妻と婚姻関係にあるとされる年上の男性複数と「精神的な結婚」をし、「出産を目的とした」性行為を強要されていた。
懲罰として食料を与えずにクロゼットに閉じこめる、激しい殴打を加えるなどの行為も行われていたという。
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一部の人が天才宗教家と崇めるジョセフ・スミスが興した末日聖徒イエス・キリスト教会(=モルモン教会)は、一部の人によれば世界宗教たらんとしているらしいですが、この宗教が残した負の遺産はあまりに大きいと言うことですね
ちなみに、現在のモルモン教会は、多妻婚している連中とは一切関係ない、奴らをモルモンと呼ぶな、とお怒りのご様子、彼らだってジョセフ・スミスやモルモン書を信じてるのにねぇ・・・愛がありませんなぁ~(笑)
でもね笑っちゃうのは、キリスト教会から、モルモンとは一切関係ない、モルモンはクリスチャンではないと言われると、モルモン教徒は「愛を説いているはずのキリスト教会が我々を排斥するとはけしからん!」と激怒するんですね、私、いつもその姿を見て大爆笑するんです
このあまりに自分勝手なダブル・スタンダード、どう思いますか? 私ははっきりした意見を聞いたことがありません、NJさんに尋ねても「難しい問題です」と返事を避けられましたね
アメリカ ユタ州を拠点として活動する全米最大級の重婚カルト教団「キングストン一族」。
そのカルト教団から脱出した3姉妹のシャネル・アマンダ・ジェシカを中心に、教団の中に残る家族や兄弟、別の重婚カルト教団のメンバーの脱出を手助けしていくドキュメンタリーです。
その番組の中で、脱出した3姉妹から教団内部の壮絶な実態があきらかにされていく。
https://www.amazon.co.jp/Big-Love-Season-1/dp/B0081XQDRM/ref=mp_s_a_1_5?keywords=%22Big+Love-Season+1%22&qid=1656729323&s=instant-video&sr=1-5
『ビッグ・ラブ』(原題:Big Love)は、2006年から2011年までアメリカ合衆国・HBOで制作・放送されたテレビドラマ。全5シーズン・53回。企画はウィル・シェファー、マーク・V・オルセン、製作総指揮はトム・ハンクス、ウィル・シェファー、マーク・V・オルセン、ゲイリー・ゴーツマン、デヴィッド・ノラー。主演はビル・パクストン。オープニング・テーマはザ・ビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」(God Only Knows)。
日本では2007年からJ:COMオンデマンドで放送された。
あらすじ
ユタ州ソルトレイクシティでホームセンターを経営するビル・ヘンリクソンはモルモン教の教えにより、3人の妻バーブ、ニコレット、マージーンと7人の子供を持つ重婚生活を送っている。
もちろん法律では許されていないため、内にも外にも気を遣う彼とその家族の複雑な生活を描く。
ある著作家は,モルモン書がモーセによる出エジプトの証拠を提示していると述べた。
「聖書の高等批判家と呼ばれている人たちは,モーセに率いられたイスラエルの出エジプトの奇跡が
旧約聖書に書かれているように実際に起きたかどうかについて疑問の声を投げかけている
(出エジプト14:19 -20,26 -31;16:4,15;17:5 - 6;民数 21:6- 9 参照)。
しかしモルモン書はこれらの奇跡的な出来事が事実であったことを立証している(1 ニーファイ 17:23 ,26,28 ,29,30,41)。これらの奇跡に関するニーファイの知識は,ラバンの真鍮の版に書かれた確かな記録に基づいている(1 ニーファイ 5:11)。
このため,末日聖徒にとっては,聖書の出来事の信ぴょう性について疑問を差し挟む余地がないはずである。
モルモン書はここでも,対となる聖典である聖書の証となっている。」
(ダニエル・H・ラドロー,A Companion to Your Study of the Book of Mormon〔1976 年〕,115)
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現在のセミナリーの資料では、史実の証明的な言及は少なくなっているようです。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/book-of-mormon-study-guide-for-home-study-seminary-students-2013/1-nephi/unit-4-day-3-1-nephi-17?lang=jpn
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フラストレーションの吐き出し場に困ってる模様ね。
これを書いた人って、糞をしない人なんでしょうか?
糞は出さないと体に悪いですよね。
親に聞いた話ですが、戦後の食べ物の無い時代には、「糞」奪い合ったそうです。
糞は肥料として作物を育てる。それを人間が食って生きてる。って事は、人間は糞で生きてるようなものです。
で、ふと思ったのですが、家庭菜園用に「鶏糞」と「牛糞」はよく見かけるのですが、「豚糞」はほとんど見ないですね。
豚としては、「豚糞」が役に立たないとなると、落ち着いて糞も出来なくなります。
どうも、豚の糞は加工がしにくいようですね。
つまらない「うん(糞)ちく」でした。
これを書いた人って、糞をしない人なんでしょうか?
糞は出さないと体に悪いですよね。
親に聞いた話ですが、戦後の食べ物の無い時代には、「糞」奪い合ったそうです。
糞は肥料として作物を育てる。それを人間が食って生きてる。って事は、人間は糞で生きてるようなものです。
で、ふと思ったのですが、家庭菜園用に「鶏糞」と「牛糞」はよく見かけるのですが、「豚糞」はほとんど見ないですね。
豚としては、「豚糞」が役に立たないとなると、落ち着いて糞も出来なくなります。
どうも、豚の糞は加工がしにくいようですね。
つまらない「うん(糞)ちく」でした。
このブログの参加者は、どう数えても10人以下。
殺到って言うには少なすぎますね。
無かった事にしてください。
・・・こんな書き込みするから、数が増えるんだ
注目すべき記事やYoutube のことが議論され、取り残されている感じがしています。皆さんに追い越され、私は速い流れに溺れそうです。主要なものは知っているように努力を続けたいと思いますが。
寛容にお付き合いください。FBに投稿し、目を通すので追われています。