末日聖徒イエス・キリスト教会の標準聖典の一つ、「教義と聖約」の137章と138章は1981年版末日聖典が出版された時に教義と聖約に加えられた。その前は同じく標準聖典「高価な真珠」に1976年4月に加えられていた。
この二つの章は、いずれも示現で137章はジョセフ・スミスに、138章はジョセフ・F・スミスに与えられたもので、聖典(カノン)に加えられるのは1890年の公式の宣言一以来86年ぶりのことであった。
137, 138章が正典(カノン)に
1960年代の米公民権運動、’64年公民権法成立を受けて、黒人に神権の門戸を閉ざしてきたlds教会に対する批判と攻撃が続き、教会も’70年代に入って人種問題で和解の姿勢を示し始めていた。例えば教会の刊行物に黒人の写真を掲載し始めたこと、黒人の選手をBYUにスカウト、タバナクルコワイヤに黒人の歌手が加わったこと、「ルーツ」の著者アレックス・ヘイリーをBYUの卒業式で講演者として招いたことなど。これまで会員の中に蓄積された、黒人は呪われた人種という偏見を払拭するためであった。そして、ブラジルに神殿建設が開始された。当時大管長であったスペンサー・W・キンボールは神殿建設に働く黒人の会員を見て心を痛めていた。彼らはこのままでは神殿が完成しても中に入ることができなかったからである。
それで1976年に二つの示現が聖典に加えられた時、これは後に啓示を受けたと発表し、黒人に神権を与えるための布石ではないか、と私は直感した。唐突感を和らげるためである。実際、キンボール大管長はほかにも教会幹部機構の変更を行ない、七十人第一定員会を設け、長老定員会も人数枠をはずし、単一のワード、支部で存立できるように変更を発表していた。(それまでは定員96人の半数になるまで複数のユニットにまたがっていた。)二つの示現については、レスター・E・ブッシュも「内容に新味も問題提起もなく」、むしろ広報的予兆のサインであり、すぐ後の神権制限廃止の権威を確立するためであったと見ている。
現在、137, 138章はそれぞれ1836年カートランドで、1918年ソルトレークシティでと過去に遡って教会史の流れの中にそっと収められている。
137章はJSが日の栄に兄アルビンがいるのを示された、死者の救いの教義に関するものであり、138章は救い主が死者の霊を訪れた様子をジョセフ・F・スミスが示された示現である。ペテロ3:19の敷衍。私はこの章の現実に即した解釈(三日という時間は短いのでイエスが多くの霊を組織して派遣し自らは行かれなかったとか、悪人の所へは行かれなかったなど)にキリストの愛を制約・減少させるものとして残念に感じている。
参考文献
Lester E. Bush, Jr. and Armand L. Mauss ed., “Neither White nor Black: Mormon Scholars Confront the Race Issue in a Universal Church.” Signature Books, 1984.
沼野治郎「黒人と白人との別なく: 黒人に神権が与えられて満十年」、モルモンフォーラム2号(1989年冬季)
参考記事(当ブログ)
2013/07/07 モルモン教における回顧的方向の補充
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同性婚
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それにしてもたまWEBさんの俯瞰力も大したものです。
・・たまWEBさんのブログは私のとそっくりに見えるので驚きました。(ipadの画面)。
時々、お出でください。・・次の動きはまだ何も見えていません。視力が鈍ってきました。(笑)。
下記引用させていただきました。
「これまで会員の中に蓄積された、黒人は呪われた人種という偏見を払拭するためであった。」
内容、時、場所によっては、誰が言ったかを間接的な表現でしていただいても構いません。というかその方が言った人の立場を尊重することになる場合もあります。
ところで、同じ断るのであればどこに引用されたかを知らせてもらうとありがたいですね。
なお、引用された箇所は私の理解でもあり、ブッシュの本でアーマンド・L・マウスが触れているところでもあります。(p. 162).
URLは上の(先の)コメントの(豚)をクリックして頂ければ、出てきます。
こちらにコメントしても良かったのですが、また一方的に書込み禁止になるのが不愉快ですので、ホームグラウンドに持ち込みました。