さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

御訪問者の皆様へ

ようこそ、いらっしゃいました♪ いつも御訪問頂きありがとうございます。 訳あってコメント欄閉じていますので、《おしゃべり広場》は閲覧のみとなっております。 本年もよろしくお願いします。

      

看病記 【インデックス】

2008年04月05日 12時12分18秒 | 看病記

このページは、gooホーム友人、

いちごわさび様より、御試作頂きましたものを使用致しました。

いちごわさび様へ厚く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。 

 

 

看病記 【インデックス】 【 目次 】

 

『看病記☆1』  第1話 ≪吠えた犬≫

『看病記☆2』  第2話 ≪動転≫

『看病記☆3』  第3話 ≪入院≫

『看病記☆4』  第4話 ≪ボンボンベッド≫

『看病記☆5』  第5話 ≪病人用おまる≫

『看病記☆6』  第6話 ≪夜の牛乳屋さん≫

『看病記☆7』  第7話 ≪就寝の準備≫

『看病記☆8』  第8話 ≪カーテンの奥≫

『看病記☆9』  第9話 ≪傷痕≫

 

 

『看病記2☆1』 第2部_1話  ≪2度目の入院≫

『看病記2☆2』 第2部_2話  ≪白いグローブ≫

『看病記2☆3』 第2部_3話  ≪点滴≫

『看病記2☆4』 第2部_4話  ≪ギブスの中≫

 

 

『看病記3☆1』 第3部_1話  ≪疲労≫

『看病記3☆2』 第3部_2話  ≪3度目の入院≫

『看病記3☆3』 第3部_3話  ≪貧血≫

『看病記3☆4』 第3部_4話  ≪再生不良性貧血≫

『看病記3☆5』 第3部_5話  ≪献血依頼≫

『看病記3☆6』 第3部_6話  ≪冬休み≫

『看病記3☆7』 第3部_7話  ≪難病(特定疾患)≫

『看病記3☆8』 第3部_8話  ≪コンサートが終わって・・≫

『看病記3☆9』 第3部_9話  ≪別れの日≫

『看病記~あとがき~』

 

                                                                                               2008年4月5日 記 

                      

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看病記 【インデックス】

2008年04月02日 02時22分22秒 | 看病記

カテゴリーの「思い出語り」を「看病記」と変更いたしました。

『看病記』は、小学三年生から高校一年生にかけて経験した、

母への看病生活を綴ったものです。

ひとりでも多くの方に、読んでいただけたら嬉しく思います。

読みやすいように目次のページを作りました。

 

 

 

      看病記   【目次】   
         

         (色が変わっているところにリンクしてあります)

 

『看病記☆1』  第1話 ≪吠えた犬≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/9b53b751f85989ec3ee70f9d43dba2bc


『看病記☆2』  第2話 ≪動転≫


http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/1b10cd6f6ae7c4c0999f6cef988cbcb7


『看病記☆3』  第3話 ≪入院≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/f191e62510adbde707e826cd8c5b8aee


『看病記☆4』  第4話 ≪ボンボンベッド≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/3e488f1c181828b9ce00e61232a75fcd


『看病記☆5』  第5話 ≪病人用おまる≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/c5b9f7d3645bdd6f28695e71fb4d4c41


『看病記☆6』  第6話 ≪夜の牛乳屋さん≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/b2e6ef313ac17f26ba4e5f274309afd0


『看病記☆7』  第7話 ≪就寝の準備≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/d9d7295e95457b043a82a8437449222d


『看病記☆8』  第8話 ≪カーテンの奥≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/8e045945f00e019d885bca5d738104c9


『看病記☆9』  第9話 ≪傷痕≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/2ddf3d20802d667d0aa046267c6a60fb

 

 

『看病記2☆1』 第2部_1話  ≪2度目の入院≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/67574c6c73c091743a4857dc429ad1e1


『看病記2☆2』 第2部_2話  ≪白いグローブ≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/89689548a80af06394d57d839abcccd1


『看病記2☆3』 第2部_3話  ≪点滴≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/dc581ada93216fb2c5cdaea31d175721


『看病記2☆4』 第2部_4話  ≪ギブスの中≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/c655d45db1be7c3ecf0eaa348b6aa862

 

           

『看病記3☆1』 第3部_1話  ≪疲労≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/2011fd6c8cf17a72bd07d508e9c9614d


『看病記3☆2』 第3部_2話  ≪3度目の入院≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/c6722e82e96dcfa55cf6220a3f7a032a


『看病記3☆3』 第3部_3話  ≪貧血≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/eb3617b0ba5a1f1871a9e2fc644aba52


『看病記3☆4』 第3部_4話  ≪再生不良性貧血≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/f7627f7068afebf4eeddd512df42bd33


『看病記3☆5』 第3部_5話  ≪献血依頼≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/bb11cf9eaea6c136751b84986176f0c9


『看病記3☆6』 第3部_6話  ≪冬休み≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/7688d9fafefaa470f588ce1bd6503ca7  


『看病記3☆7』 第3部_7話  ≪難病(特定疾患)≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/946aa645990d30cec00c314a5915ab34


『看病記3☆8』 第3部_8話  ≪コンサートが終わって・・≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/98ce42c92965129139214866098fa93c


『看病記3☆9』 第3部_9話  ≪別れの日≫

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/1ad4432e08ea8cfa3ca3feb23b142ccf


『看病記~あとがき~』

http://blog.goo.ne.jp/obi-jime123/e/5c6003f2f09f8e4a1071efe639114c98

 

 

 

 

2008年4月2日 記                                 

      

 

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看病記~あとがき~

2008年03月25日 15時52分00秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いてきました。

看病記、としては前回の『看病記3☆9』で、一応終了しました。

今まで読んで頂いた皆様、本当にありがとうございました。

 

 

   あ と が き

 

さて、小学三年生(8歳)の夏休みから始まった母への看病は、

高校一年生(16歳)までの8年間に、なんと3回も経験してきました。

本当は、後2回、第4部、第5部を父の部と合わせて5部作にしようと

企画してましたが、どうも私は小説家タイプではないようです。

長編は苦手みたいです。しんどくなってきました。

なので、「つづく。。。」 を 「完」 と修正しました。

 

また、新たに父の話はいろいろ混ぜたものを、いつか書こうと思います。

また、その時は読んで頂けたらうれしいです。

母以上に、いろんなこと話したので、かなり面白く興味あるものになるかな。

私の子供へのオープンな教育は、父の影響かもしれません。

 

応援して頂いた方々に、お礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

                   2008年3月25日  記

 

 

 

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看病記3☆9

2008年03月24日 21時15分15秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。  

今は、 『看病記3☆9』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・

 

 

 

第3部_9話 ≪別れの日≫

 

学期末テスト最終日、この日が終われば6日間のテスト休みに入り、

そして終業式の後、2週間の春休みの予定でした。

さあ、あと20分で終了という時でした。 

それは、突然・・・本当に突然・・・でした。

 

ーー 母、危篤の連絡が入ったのは・・・

 

 

病室へ入ると、異様な雰囲気が漂っていました。

直接心臓に注射するのと、電気ショック、この二つをみると

もう最後の手段という気がしてしまうものです。

 

ーーー もう、やめて もういいんじゃないの

ーーー せめて最後は静かに逝かせてあげて

 

私は、声を出しそうになって、両手で自分の口をふさぎました。

なんだか死者に鞭打つような気がして見ていられませんでした。

親族が見守る中、私は病室から外へ出ていました。

私は母と別れをするのが嫌だったのかもしれません。

父が泣き崩れる姿をずっと見ていられなかったのかもしれません。

  




暫くするとみな病室から出てきました。後々の相談をするためでしょう。 

私は入れ替わりに中へと入りました。

私はなぜだか、冷たい子供だと思われるかもしれませんが、

ものすごく冷静に受け止めていました。
 

 

 

看護婦さんがエンジェル・ケアをしてくれていました。

 

「綺麗に体を拭きましょうね・・・

どんなに年とっても、女性だものね。

お化粧をして口紅もつけて、髪もとかしましょうね」 

 

ほんのり化粧された母は、見違えるぐらい美しく、

まるで眠っているようでした。 

そして、今までの煩わしさから解放されたかのようでした。

看護婦さんが エンジェルセットを片づけて、出て行かれました。

 

 

 

 

 

ーーー かあさん・・・

 

 

 

ーーー よかったねえ きれいにしてもらって・・・

 

 

 

 

 

 

 

私は ・・・ とめどなくあふれくる涙を・・・

 

 

            もう ・・・ 抑えきれませんでした。

 

                                     

 

 

 

 

 

                                看病記_第3部_完 


 

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看病記3☆8

2008年03月23日 14時51分00秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。

今は、 『看病記3☆8』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・ 

 

  

 

第3部_8話  ≪コンサートが終わって・・≫

 

二月のクラブのコンサートは無事に参加することができました。

本当のこというと、私は出られないかもと、いつも思っていました。

優秀賞には至りませんでしたが、思ったよりうまく調和し、

特別奨励賞のようなものをもらって、達成感がありました。

女性ながらに医療研究へと進まれた先輩の指揮を思い出します。

 

 

三月に入ってから輸血治療は、全くやってませんでした。

たぶん私はそのころいえ、もっと前から

少しは自分で血を作るようになっているのだろうな・・と、

だから輸血は必要なくなったのだろうと、思っていたと思います。

 

 

 

今は・・・、全く逆だったことを理解しています。

輸血はもう、しても意味がないくらい検査数値がどんどん減って

いったのでしょう。母もほとんどベッドから降りなくなっていました。

父はどんなにか辛い毎日だったことでしょう

私に気付かれまいと、母に気付かれまいと・・我慢していたんだろうね。

 

刻一刻と、その日が近づくのを不安げに見守っていたのだと思います。

娘の前では平気を装って、冗談下手な人が一生懸命笑わかそうとし、

何も知らぬ私の顔を見ては安らいでいたのかも知れません。 

 

 

 

私は知らなかったので ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

・・・・ いいえ ・・・ 



  

ーーー 私は、感が鋭く、理解力はあった方です。

 

ーーー 心の底では感づいていたのです。

 

ーーー 知らぬ振りをしている方が楽だったのです。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー そして、・・・ その時は、突然、やってきました。

 

                                    つづく。。。

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看病記3☆7

2008年03月20日 17時41分00秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。

今は、 『看病記3☆7』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・ 

 

 

 

第3部_7話  ≪難病(特定疾患)≫

 

母の病気は難病(特定疾患)の一つになっていたようでした。

そして、『公費対象』にもなっていました。

 

  

 昭和47年の難病対策要網に、次のように定義されているとのこと。

「(1)原因不明、治療方針未確定であり、かつ後遺症を残す恐れが少なくない疾病、

 (2)経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護などに著しく

人手を要するために家族の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病」

 

 

そして特定疾患とは、これらの定義をにない、その上症例が少ない

ことから全国的規模での研究が必要な疾患をいうらしい。ということを、

看病記を書くにあたってネットで調べてはっきり知りました。


ーーーつまり、早い話が、  

まだ原因がわからないのでそれを調べるために、いろいろ人体実験

しなければならないから、検査もたくさんするけど、それにかかる費用はいりません。

後世の人たちのためにまた、強いては自分も助かる道もあるかも知れないから、

御協力お願いします。ーーー っていう感じに受け取れました。

 

人によっては、

「モルモットみたいでいやだ。痛い苦しい思いをするのはごめんだ。」

「どうせ助からないなら、自分の体を使って実験してください。

など、いろいろあるだろうと思います。これは、やはりはっきりと

本人に協力(=本人への宣告)を仰がなければならないことでは・・・

今更ながらに考えてしまいました。

 

 

母はどうだったのだろう

当時、わけあって金銭的に余裕がなかったころなので 、案外

「タダでしてくれるんだから、ありがたいじゃないの・・。

いくらでも協力するわよ、母さんは我慢強いんだから・・

ーーー とそんなふうに思っていたんじゃあないかな・・

 

 

ーーー うすうす余命短いこと解っていたようにも思います。

                             

                                 つづく。。。

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看病記3☆6

2008年03月19日 13時32分00秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。

今は、 『看病記3☆6』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・ 

 

 

 

 第3部_6話  ≪冬休み≫

 

二学期末テストが終わって、テスト休みの後、冬休みになりました。

午前中は、2月のコンサート用のクラブの練習が、ありました。

私は、ギターのコードを押えるのが上手でしたので、

伴奏パートのメンバーを引っ張っていかなければならない立場にありました。

また、全体でも合わせて練習をしなくてはならない時期でしたから、

休みたいとはなかなか言えず、学校では平常を保っていました。

このころには、病院から直接学校へと通う日もありました。

 

 

輸血治療は何日かごとになっていました。

母は、輸血した時は、調子が良いのだけど、

ーーー時間が経つとやっぱり、元にもどってるな・・・ 

とわかるようになり、検査も連日の如くのようにありました。

ひとりで歩かせるのは、いつめまいが起こって倒れるかも

しれないので、一応私が付き添うようにしていました。

 

 

このころは、食事も一杯食べてとにかく何とか自分で血を作る

ようにと、毎日のように、差し入れや病院ででも調理したりしました。

よく父が、贅沢病やなあと言っていたのを思い出します。

普通なら病院で出る調理以外食べたらだめというものでしょうからね。

そうそう、お正月の病院食も初めてみました。 

 

御雑煮や黒豆煮・お煮しめなど、食膳を運ぶワゴンには離乳食

ようなものから普通食まで何段階かの分を見学できました。

わが子の離乳食に役立てたのはいうまでもないですね。

 

ここでひとつ、私には疑問が湧きました。

 

ーーー ん  ・・・入院費は ・・・検査費用は

 

ーーー かなり検査してるけど、どれぐらいしているのだろう

 

                               つづく。。。

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看病記3☆5

2008年03月18日 11時36分00秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。

今は、 『看病記3☆5』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・ 

 

 

 第3部_5話  ≪献血依頼≫
 

父は母のために、会社・近所・親戚などに献血依頼をしたようです。 

そして、何人かの人が献血手帳を持ってきてくれました。

また、新たに献血をしてくれるという人もありました。

そんな人たちを見ながら、私もできるなら同じA型なので協力しようと

父に申し出ましたが、「おまえはでけへんねんと言われ、

 

ーーーえ~なんで  と思いました。 

すると、すかさず、看護婦さんが言いました。

 「16歳以下は無理なのよ。できないことになってるの。

あなたはお母さんの傍に付いてあげててね

血液型は何型でもよかったのです。その人のを頂くわけではなく、

血液センターの検査済みのと交換するようでした。

  

 

この、再生不良性貧血は、今でこそ芸能人の渡辺謙さんの

ように、急性骨髄性白血病に移行した例で、骨髄移植をして

完治された例もありますが、昔は「不治の病」といわれ、

重症例の50%が半年以内に死亡するとされていました。

 

 ・・・・・・

 

ーーー 今、私は思うのです。

 

ーーー あのとき、

 

ーーー がっくりと肩を落としていた父の姿を見たとき、

 

ーーー 父はすでに、

 

ーーー 母への、命の宣告を受けていたのではないだろうか・・・と。

 

                              つづく。。。

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看病記3☆4

2008年03月17日 14時11分00秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。

今は、 『看病記3☆4』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・ 


 

 

第3部_4話 ≪再生不良性貧血≫

 

ある日、私が病室へ行くと看護婦さんが輸血の注射を刺している

ところでした。たぶん全血輸血だと思いますが、ビニールパックに

なっていて、上はつりさげられるようになっていて、

下の部分には、2ヵ所注射針を刺せる管が付いていました。

そのひとつの管から母の腕へと輸血されていました。

もうひとつの管には針だけ刺さっていました。

看護婦さんは、血液が入っていくのを確認すると、

声をかけて病室を出ました。

 

 

「しばらくしたら、拒否反応の発熱とか震えとかが現れる

かもしれないけど、あまりひどい時は呼んで下さいね。」

 

 

この日、何人かの人たちが病院へと集まってくれていました。

当時輸血は、枕元輸血はほとんど行われていなくて、

今の献血制度になりつつありました。

ボランティアで血を集めて、献血した人を優先に血液をくれる

(=献血手帳を見せて、代わりに血液をもらう)というものでした。

 

 

母の病気は、再生不良性貧血 というものでした。

当時、私への説明は、自分で血液が再生できなくて、

ーーつまり自分で作れなくて、貧血状態になるとのことでした。

治療で血液を自分で作るようになる場合もあるらしく、

少しづつ輸血しては、増えるか減るか試してだめだったら

輸血しなければならないらしいとのことでした。

 

このとき、私の頭によぎった不安がありました。

 

ーーーじゃあ、ずっと血を作らなければ、ずっと輸血するの

 

 

 

                                    つづく。。。

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看病記3☆3

2008年03月15日 16時31分31秒 | 看病記

私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。

今は、 『看病記3☆3』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・ 


 

第3部_3話  ≪貧血≫

 

その日はひとまず、入院の用意をするため家に帰りました。

父が帰りにぼそっと切り出しました。ーーーどうも貧血のようです。


「輸血しやなあかんらしいわ。何でも・・自分で血液を作らんねんてぇ。

輸血して自分で血を作るようになるかみてみるらしいわ。」

「ふーん。そうなん。」

「とにかく、自分でも血を作るように、血になるもの・・、

レバーが一番 いいらしいから、レバーを毎日でも料理して

差し入れして下さいだってさ。

どんどん食べさせて血をつくらせてくれやてぇ

 

え っ、ええええ・・ 私はレバーが大の苦手なのです。

料理の仕方も知りませんでした。

「しゃーないなあ。お惣菜屋さんででも、さがしてみるか・・」

と気楽に考えてました。

 

「血ィ、集めなあかんねん。明日会社の人にあたってみるわ。」

 

 

ーーー えっ、血を集める  ・・ それ・・

 

一瞬、私は聞き違えたのかと思いました。 

すぐにドラマで見た光景が浮かびました。

よく、隣で直接輸血する場面が浮かんだのです。それが輸血の

仕方だと思いこんでいました。【枕元輸血】とかいうらしいです。

しかし、この方法でないことを知るのは、2日後のことでした。

 

 

ーーー このころ私はといいますと、

高校では、クラッシックギター部に入っていました。

秋の文化祭が終わって、春の大会に向けての練習が

週3~4回ありました。まだ冬休みには入ってなかったので

私は学校の帰りに毎日病院へ寄ることにしました。

母も今回は一応自分で歩けてました。

 

ーーーずーと付いていなくてもよさそうだなあ。

 

                             つづく。。。

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