~地名「大阪」とは~
≪2≫小坂→大坂→大阪
☆ 昭和10年頃の郷土研究誌『上方』三十八号誌
元来は「小坂(をさか)」であるが、のち、「オサカ」に変わったとある。
☆ 「大坂」の初見・・・明応七年(1498)
蓮如上人の消息に「摂津東成郡生玉ノ庄内大坂」とみえ、
石山本願寺のことを「小坂本願寺」と称す。
☆ 永禄四年(1561) 親鸞聖人の300年忌の記録
「三月廿八日は、小坂大法会有之云々」とある。
☆ 泉南の積川神社の石灯篭
「正平七年(1352) 願主大坂加賀屋云々」の刻銘がある。
などの「大坂」の用字から、旧熊野街道に接するところ、内安堂寺町
( 現在の中央区安堂寺町(東横堀川以東))付近が大坂の発祥地と推定されている。
このほかに「大坂」と記した中世文書が多く存在し、
『吉利支丹物語』(寛永一六年〈1639〉)刊には「大ざか」とみえ、
「尾坂」とも書いている。
明治元年(1868) 大阪府設置
明治八年(1875)八月 太政官からの公文書以来、「大阪」に定着。
≪3≫各地に存在していた「大坂」
「大字忍阪(おしさか)」(奈良県桜井市)
五世紀頃和歌山県隅田八幡神社所蔵人物画像鏡(国宝)
に「意柴沙加(おしさか)」の銘文より奈良朝以前の地名。
『紀』伊勢本・・・「於志佐箇」
『仁徳紀』・・・「烏瑳箇(おさか)」
おしさかと呼ばれていた時期もあった。
「忍」は「大」「凡」と同義の美称。
「大坂(逢阪とも)」(奈良県香芝市大字)
『崇神紀』・・・「大坂山」「大坂」
『履中記』・・・「大坂」(淤冨佐迦・於朋佐箇〈おほさか〉)
『天武紀』・・・「大坂山」「大坂道」
『崇神紀』・・・「墨坂に墨坂神・大坂に大坂神を祭る」と記され、
現在の香芝市大坂山口神社付近の地名とされる。
(現に大字逢坂がある)
「大字押熊(おしくま)」(奈良市)
押熊=大隅の意味を持つ方位地名。(西南隅に立地している)
『神武紀』・・・「墨坂」は「隅坂」で、この地名に因み、「男坂に
男軍を置く。墨坂に焃炭(おこしずみ)を置けり。墨坂の号(な)
は、此に 由りて起これり」という地名説話が発生している。
「押は意布志にして大の意なり」(=本居宣長解釈)
「大字大熊」(奈良県宇陀市)
肥後国(熊本県)の「熊本」は「隈本」であったらしいが、隈の
文字をヘ阝と畏に分解、阜の丘を畏(おそれ)るとは、一国の
府たる所の地名としては不可と、熊の文字に改めたといわれる。
「大熊峠」(吉野郡)=「大隅峠」
吉野郡下市町内の「野々熊」の「熊」も「隅」である。
イコマのコマはクマで、イは(接頭語)クマ説、イリ(西)クマ説がある。
地名発生当初は単なる「坂」
↓
「小坂」から「大坂」へと改字
「大」は地名の大・小の意ではなく、「小」は美称の好字化。
大和平野の真ん中の田原本町の大字にある「小坂」は
万葉地名の「坂手」の「小坂手」の下略だろうという。
この「小」は小野・小川・小山・小田の「小」で一種の美称。
「小峠」はあるが「大峠」なく、「大きな坂」であっても「小坂」とした。
「大」も美称であるが「大坂」では「土(つち)に反(かえ)る」の用字
構成がよくないということで、好字化したもの。
↓
「大日本」の「大」ように、大きく羽ばたく「大阪」に転訛。
☆ 昭和初期、大阪は地方都市からは憧れの都会だったらしい。
岡山市・・・「千日前商店街」
愛媛県八幡浜市・・・「伊予の大阪」
鳥取市、米子市・・・「山陰の大阪」
福島県郡山市・・・「東北の大阪」
千葉県佐原市・・・「関東の大阪」
佐賀県小城市・・・「西の浪花」
『大阪地名の謎と由来』監修: 池田末則 参照
~地名「大阪」とは~
≪1≫ 津国(つのくに)
☆『古事記』
畿内には大和(倭)・河内(川内)山代(山背・山城)の国名がみえる。
かつては、河内・和泉は摂津の国に含まれていた。
☆『日本書紀』
応神紀四一年二月条、『舒明紀』=三年九月条に「津国」と記載有り。
「津の国」→港津(難波津・武庫津)があることから。
「摂津職(せっつしき)」・・・初見は壬申の乱(672年)後の天武朝頃
【和泉国】
霊亀二年(716)
現和泉市(茅渟宮)に河内国大鳥・和泉・日根の三都を割いて
和泉監(いずみげん)と称し、特別の行政地域を置いた。
一時は河内国に復したが、天平宝字元年に分立。
「和泉」 = 「出水」の意
泉井上神社境内に「出水(いずみ)」という清水井を伝承。
【河内国】
『古事記』・・・「凡(おふし)河内」
『日本書紀』・・・「大河内」
「凡」「大」は美称
※「大野」「大内山」「大原」「大丹穂」「大身狭」などの「大」も一種の美称
和銅官命によって地名の二字・好字化
「出水」 → 「泉」 → 「和泉」
「凡河内」「大河内」→広い河内(汭)の意を避けるため「凡」「大」を省略
※「河中」を「高知」、「上河内」を「上高地」なども好字化
【難波】
≪ナニワは国の名ではなく、地方的な郷(くに)の意味≫
「浪速」「浪華」とも書く。
『万葉集』・・・「魚庭(なにわ)」とあることから、
魚が多くとれる海に面しているという説がある。
『日本書紀』・・・「天皇、難波の碕に到るとき、奔潮(はやきなみ)有て
太(はなは)だ急(はや)きに合ひぬ。因りて名づけて
浪速(なみはや)国と為す。また浪華(なみはな)ともいふ。
今、難波(なにわ)と謂(い)ふは訛(よこなま)れるなり。」
※意:「天皇方の船がこのあたりに来た時、潮流がはなはだ急であった
ので、“なみはや”とか“なみはな”と名づけたのであるが、いま
“なにわ”といっているのは、それが訛ったものである。」
『欽明紀』二三年条の歌
・・・「韓国の城に立たし、大葉子は領巾振(ひれふ)らす見ゆ、
那爾姿(なには)へ向きて…」
『万葉集』・・・「おしてる難波の国…」「難波の院」
『仁徳紀』・・・「難波津」「難波の堀江」
『推古紀』・・・「難波の荒陵」
『孝徳紀』・・・「難波の長柄豊碕宮」
『仁賢紀』・・・「難波小野」
関連obiログ過去記事はこちら→ 『二字化地名』(2011.6.1 記)
『大阪地名の謎と由来』監修: 池田末則 参照
今朝起きたときはいつもの調子だった。
仕事は、3ヶ月ほど前からヘルプで事業所へと向かっている。
運転できる人と二人で行くのが日課となっている。
今年いっぱいは続きそうだ。
来年、一月二日から
今の事業所が新事業所へとそっくりそのまま移動予定だ。
少し遠いのでかなりのやめる人をも含めた人員変動がありそう・・
今日は、ヘルプの事業所へと向かう車の中でホンノ少し体の不調を感じた。
大丈夫だろうかという不安的中、40分ほどでこれ以上は動けないと
感じて、責任者に早退を申し出て、相方にも告げて行くのが精一杯だった。
これ以上の迷惑はかけられないから、ダーリンに迎えを頼んだ。
「やっぱ、(携帯電話だと)起きるもんだね!」
母からの電話と思いきや私からだったのでびっくりしたようだ。
でも、前例がある。。
「この間よりは、しっかりしてる、自分で動けてる。」
そんな言葉を聞きながら、お盆ぐらいは休ませてと、知り合いから
頼まれた仕事を断ってたのが頭をよぎった。
(よかった、次の日が仕事でなくて・・)
こんなとき、家族って心強いなぁって本当に思う。
でもちょっと申し訳ないとも思いながらも感謝です
近所の町医者で診てもらって、少々の異変(喉の荒れ・リンパなど)
はあったようだが、これといったものがなかった。前と同じ。
症状にあった薬をとりあえず処方して頂いた。
体が弱っている時は、少しのことでも不調がでてくる場合がある。
いい機会だから、自分の持病の検査をした方がいいとアドバイスを受けた。
症状が出てしまったらもう手遅れのときもあるし、我慢強い臓器だけど、
(わかってんだけど~~ついつい・・)
他のものにも変化してる場合があるから・・と皆から脅された
今日は紹介状を書いてもらって、あす大きな病院へいくつもり!
明日の手配済んだから休めって言われたの・・
気心知れたオーナーの取り計らいに、感謝!
ああ~~、、、このお盆の唯一の楽しみ、
今日の食事会がドタキャンになっちまった~~~
おかあ様~、おねえ様~、
感謝とともに、ごめんなさ~~い!
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