さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

御訪問者の皆様へ

ようこそ、いらっしゃいました♪ いつも御訪問頂きありがとうございます。 訳あってコメント欄閉じていますので、《おしゃべり広場》は閲覧のみとなっております。 本年もよろしくお願いします。

      

地名「大阪」とは≪2≫小坂→大坂→大阪

2011年08月24日 15時41分41秒 | 姓氏/珍姓・難姓・奇姓/地名

  ~地名「大阪」とは~

≪2≫小坂→大坂→大阪

☆ 昭和10年頃の郷土研究誌『上方』三十八号誌
    元来は「小坂(をさか)」であるが、のち、「オサカ」に変わったとある。

☆ 「大坂」の初見・・・明応七年(1498) 
    蓮如上人の消息に「摂津東成郡生玉ノ庄内大坂」とみえ、
    石山本願寺のことを「小坂本願寺」と称す。

☆ 永禄四年(1561) 親鸞聖人の300年忌の記録
    「三月廿八日は、小坂大法会有之云々」とある。

☆ 泉南の積川神社の石灯篭
    「正平七年(1352) 願主大坂加賀屋云々」の刻銘がある。

などの「大坂」の用字から、旧熊野街道に接するところ、内安堂寺町
( 現在の中央区安堂寺町(東横堀川以東))付近が大坂の発祥地と推定されている。

このほかに「大坂」と記した中世文書が多く存在し、
『吉利支丹物語』(寛永一六年〈1639〉)刊には「大ざか」とみえ、
尾坂」とも書いている。

明治元年(1868) 大阪府設置
明治八年(1875)八月 太政官からの公文書以来、「大阪」に定着。



≪3≫各地に存在していた「大坂」

「大字忍阪(おしさか)」(奈良県桜井市)
     五世紀頃和歌山県隅田八幡神社所蔵人物画像鏡(国宝) 
     に「意柴沙加(おしさか)」の銘文より奈良朝以前の地名。
     『紀』伊勢本・・・「於志佐箇」
     『仁徳紀』・・・「烏瑳箇(おさか)」
     おしさかと呼ばれていた時期もあった。
     「忍」は「大」「凡」と同義の美称。

「大坂(逢阪とも)」(奈良県香芝市大字)
     『崇神紀』・・・「大坂山」「大坂」
     『履中記』・・・「大坂」(淤冨佐迦・於朋佐箇〈おほさか〉)
     『天武紀』・・・「大坂山」「大坂道」
     『崇神紀』・・・「墨坂に墨坂神・大坂に大坂神を祭る」と記され、
           現在の香芝市大坂山口神社付近の地名とされる。
           (現に大字逢坂がある)

「大字押熊(おしくま)」(奈良市)
     押熊=大隅の意味を持つ方位地名。(西南隅に立地している)
     『神武紀』・・・「墨坂」は「隅坂」で、この地名に因み、「男坂に
               男軍を置く。墨坂に焃炭(おこしずみ)を置けり。墨坂の号(な)
     は、此に 由りて起これり」という地名説話が発生している。      

     「押は意布志にして大の意なり」(=本居宣長解釈)

「大字大熊」(奈良県宇陀市)
     肥後国(熊本県)の「熊本」は「隈本」であったらしいが、隈の
     文字をヘ阝と畏に分解、阜の丘を畏(おそれ)るとは、一国の
     府たる所の地名としては不可と、熊の文字に改めたといわれる。

「大熊峠」(吉野郡)=「大隅峠」
     吉野郡下市町内の「野々熊」の「熊」も「隅」である。       
     イコマのコマはクマで、イは(接頭語)クマ説、イリ(西)クマ説がある。

 


地名発生当初は単なる「坂」
      ↓
「小坂」から「大坂」へと改字
「大」は地名の大・小の意ではなく、「小」は美称の好字化。

大和平野の真ん中の田原本町の大字にある「小坂」は
万葉地名の「坂手」の「小坂手」の下略だろうという。

この「小」は小野・小川・小山・小田の「小」で一種の美称。

「小峠」はあるが「大峠」なく、「大きな坂」であっても「小坂」とした。
「大」も美称であるが「大坂」では「土(つち)に反(かえ)る」の用字
構成がよくないということで、好字化したもの。
      ↓
「大日本」の「大」ように、大きく羽ばたく「大阪」に転訛。      

 

☆ 昭和初期、大阪は地方都市からは憧れの都会だったらしい。
    岡山市・・・「千日前商店街」
    愛媛県八幡浜市・・・「伊予の大阪」
    鳥取市、米子市・・・「山陰の大阪」
    福島県郡山市・・・「東北の大阪」
    千葉県佐原市・・・「関東の大阪」
    佐賀県小城市・・・「西の浪花」
  

 

  『大阪地名の謎と由来』監修: 池田末則 参照  

 




  

ご訪問の記念に、1クリック募金のご協力を!
         ↓↓↓
 クリックで救える命がある。 
  いつもありがとうございます!

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地名「大阪」とは≪1≫津国(つのくに)

2011年08月21日 13時34分00秒 | 姓氏/珍姓・難姓・奇姓/地名

 ~地名「大阪」とは~

≪1≫ 津国(つのくに)

☆『古事記』
  畿内には大和(倭)・河内(川内)山代(山背・山城)の国名がみえる。
  かつては、河内・和泉は摂津の国に含まれていた。

 

☆『日本書紀』
  応神紀四一年二月条、『舒明紀』=三年九月条に「津国」と記載有り。
  「津の国」→港津(難波津・武庫津)があることから。

「摂津職(せっつしき)」・・・初見は壬申の乱(672年)後の天武朝頃

【和泉国】 
  霊亀二年(716)
  現和泉市(茅渟宮)に河内国大鳥・和泉・日根の三都を割いて
  和泉監(いずみげん)と称し、特別の行政地域を置いた。
  一時は河内国に復したが、天平宝字元年に分立。

  「和泉」 = 「出水」の意
  泉井上神社境内に「出水(いずみ)」という清水井を伝承。

【河内国】 
  『古事記』・・・「凡(おふし)河内」
  『日本書紀』・・・「大河内」

  「凡」「大」は美称
  ※「大野」「大内山」「大原」「大丹穂」「大身狭」などの「大」も一種の美称

和銅官命によって地名の二字・好字化
  「出水」 → 「泉」 → 「和泉」
  「凡河内」「大河内」→広い河内(汭)の意を避けるため「凡」「大」を省略

  ※「河中」を「高知」、「上河内」を「上高地」なども好字化

【難波】 
≪ナニワは国の名ではなく、地方的な郷(くに)の意味≫

  「浪速」「浪華」とも書く。

  『万葉集』・・・「魚庭(なにわ)」とあることから、
        魚が多くとれる海に面しているという説がある。

  『日本書紀』・・・「天皇、難波の碕に到るとき、奔潮(はやきなみ)有て
        太(はなは)だ急(はや)きに合ひぬ。因りて名づけて
        浪速(なみはや)国と為す。また浪華(なみはな)ともいふ。
        今、難波(なにわ)と謂(い)ふは訛(よこなま)れるなり。」

※意:「天皇方の船がこのあたりに来た時、潮流がはなはだ急であった
   ので、“なみはや”とか“なみはな”と名づけたのであるが、いま
   “なにわ”といっているのは、それが訛ったものである。」

  『欽明紀』二三年条の歌
    ・・・「韓国の城に立たし、大葉子は領巾振(ひれふ)らす見ゆ、
      那爾姿(なには)へ向きて…」

  『万葉集』・・・「おしてる難波の国…」「難波の院」
  『仁徳紀』・・・「難波津」「難波の堀江」
  『推古紀』・・・「難波の荒陵」
  『孝徳紀』・・・「難波の長柄豊碕宮」
  『仁賢紀』・・・「難波小野」

 

   


関連obiログ過去記事はこちら→
『二字化地名』(2011.6.1 記) 

 

 

  『大阪地名の謎と由来』監修: 池田末則 参照  

 

 

 

 

 

 

ご訪問の記念に、1クリック募金のご協力を!
       ↓↓↓
 クリックで救える命がある。 
 いつもありがとうございます!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体調不良・・かなぁ?

2011年08月15日 17時06分00秒 | 家族

今朝起きたときはいつもの調子だった。

 仕事は、3ヶ月ほど前からヘルプで事業所へと向かっている。

 運転できる人と二人で行くのが日課となっている。

 今年いっぱいは続きそうだ。

 来年、一月二日から

今の事業所が新事業所へとそっくりそのまま移動予定だ。

少し遠いのでかなりのやめる人をも含めた人員変動がありそう・・ 

 

今日は、ヘルプの事業所へと向かう車の中でホンノ少し体の不調を感じた。

大丈夫だろうかという不安的中、40分ほどでこれ以上は動けないと

感じて、責任者に早退を申し出て、相方にも告げて行くのが精一杯だった。

これ以上の迷惑はかけられないから、ダーリンに迎えを頼んだ。

 

「やっぱ、(携帯電話だと)起きるもんだね!」

母からの電話と思いきや私からだったのでびっくりしたようだ。

でも、前例がある。。

「この間よりは、しっかりしてる、自分で動けてる。」

 そんな言葉を聞きながら、お盆ぐらいは休ませてと、知り合いから

頼まれた仕事を断ってたのが頭をよぎった。

(よかった、次の日が仕事でなくて・・)

こんなとき、家族って心強いなぁって本当に思う。

でもちょっと申し訳ないとも思いながらも感謝です

 

 

近所の町医者で診てもらって、少々の異変(喉の荒れ・リンパなど)

はあったようだが、これといったものがなかった。前と同じ。

症状にあった薬をとりあえず処方して頂いた。

体が弱っている時は、少しのことでも不調がでてくる場合がある。

いい機会だから、自分の持病の検査をした方がいいとアドバイスを受けた。

症状が出てしまったらもう手遅れのときもあるし、我慢強い臓器だけど、

(わかってんだけど~~ついつい・・)

他のものにも変化してる場合があるから・・と皆から脅された

 

今日は紹介状を書いてもらって、あす大きな病院へいくつもり!

明日の手配済んだから休めって言われたの・・

気心知れたオーナーの取り計らいに、感謝!

 

 

ああ~~、、、このお盆の唯一の楽しみ、

今日の食事会がドタキャンになっちまった~~~

おかあ様~、おねえ様~、

感謝とともに、ごめんなさ~~い!

 

 

 

ご訪問の記念に、1クリック募金のご協力を!
       ↓↓↓
 クリックで救える命がある。 
 いつもありがとうございます!

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォトチャンネル「区民祭り」

2011年08月10日 20時04分00秒 | 環境・科学・生活

2011-8-7 東成区民祭り

遅ればせながら、この前の日曜日の
フォトチャンネル作成してみました。

子供たちが小さい頃はこの公園の
真ん前のマンションに住んでいたんですョ。
久々に訪れてみました。

あまり写真撮れなかったけど・・
今年の気分だけね♪

 

 

 

 ご訪問の記念に、1クリック募金のご協力を!
↓↓↓

 
いつもありがとうございます!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンク