いや~、面白かった。
海外ドラマの「プリズンブレイク 1」
うちのだんなさん、知り合いにも頼まれるとかで、DVD(特にレーベル印刷)作る
のが趣味なんですけど、3日前に手渡されたDVDを、一気に観ちゃいました。
そこへ長男が(今日は休みだった)、「これ観たことある。深夜にやってた。」だって。
そういや昔は、「Xファイル」 や 「二キータ」 など、深夜番組をよく観ていたが、
深夜のパートを始めてからは、ビデオに撮っても観る時間がなくて、久しぶり。
でも、DVDで観ると止まらないんだよね~。ついつい次どうなるか、早く観たくて
時間忘れて、買い物も簡単に お惣菜買っちゃったりして・・・。
この話は、罠にはめられ死刑囚となった兄を脱獄させるまでの過程を
「シーズン?」、今回私はここまでしかもらってないので、まさか、本当に
脱獄したとこで、しかも逃走予定の飛行機に乗れないところで終わるとは、
思っていなかったので、まだ続きみやなあかんやん。あ~、はよ観たい・・・
って気にさせるストーリーだった。
登場人物では、私は、主人公マイケルと同房のスクレの愛嬌あるおちゃめ
キャラが一番好きである。何より笑顔が めっちゃかわいい、憎めないやつなのだ。
俳優としての素顔も、一生懸命な感じのコメントで好感持てる。
本当の刑務所で撮影したとのことで、リアリティーがある。みんなが主人公
みたいな感じもあって、それぞれの生き方があって考えさせられる。
というわけで、ブログの更新も忘れちゃうぐらい面白かったです。
早く、「シーズン?」観たいなあ~・・・
めぐる、めぐる、めぐる因果は風車
めぐる、めぐる、めぐる化かし合い
明日は どんな人に会うだろう
どんな どんな どんな人に 会うだろう・・・
仁、義、礼、智、忠、信、考、悌 いざとなったら玉を出せ
力~が溢れ~る 不思議~な 玉~を・・・
なぜか覚えている、人形劇 「新・八犬伝」 の主題歌。
昭和48年(1973年)~昭和50年(1975年)、平日夕方6時半から15分間、
NHK総合テレビで放送されていた。
人形を使っての時代劇は初めてだったが、辻村ジュサブローさんの愛嬌ある人形、
しかも、今までに見たことのない人形、まるで浄瑠璃を思わせるような動き、
しかし、退屈でないストーリーの展開に、子供達だけでなく大人達でさえ、みんな
引き込まれていった気がする。しかも、語りが今は亡き、坂本九さんの講談調。
「我こそは、玉梓(たまずさ)が怨~霊・・・」
で現われる敵キャラにも、強烈な印象を与えていたらしく、泣く子もいたらしい。
小さい子を戒めるのにこのフレーズを使った人も多いのではなかろうjか。
しかし見ないではいられないという、かなり新鮮で面白おかしくハラハラドキドキ感
満載だったので、私も、毎日楽しみにしていた うちのひとりだった。
私は、日本人形というものがなんとなく不気味な気がして、嫌いであるが 、
辻村ジュサブロー先生のなら、手元に置いておきたいぐらいである。
「新・八犬伝」にいたっては、復刊版ができたらしく 今なお 根強いファンが多い。
そうそう、ネットで、「新・八犬伝」のゲーム、「神経衰弱」を見つけた。
興味ある人、お試しあれ (ブックマークよりどうぞ)
「水平線の向こうには あ~ぁ~
な~にが あ~るというのだろう ・・・(中略)・・・
GO、GO トリト~ン GO、GO トリト~ン
GO、GO、GO、GO、GO、トリ~ト~~ン」
この曲、凄く好きだったわ~。 「海のトリトン」の主題歌である。
基本的に私は、漫画とアニメでは、原作の漫画の方が好きであるが、唯一、
アニメの方が好きな物がある。それが、1972年放送の、「海のトリトン」である。
原作は手塚治虫さんの、「青いトリトン」だが、オリジナル・ストーリーになっている
とか・・・。 実は、私は原作の方を全部読んでないので、あまり知らないのである。
私が見たことあるのは、ほとんど「海のトリトン」だった気がする。
それもそのはず、アニメに合わせて 「海のトリトン」 に改題したのを
原作としているとのこと。
昭和47年(私が中学生の時)、4月~9月までの27回の放送で、当時の
視聴率はもうひとつ伸びなかったらしい。しかし、記憶に残っているのは、
女子高生の頃ファンが多かった、ということ。TVアニメで ファンクラブができた
のが、この 「海のトリトン」 が最初だったらしい。
「トリトン、見つけた。トリトン見つけた。・・・」
という、毎回、必ずといっていいぐらい、くらげが出てくるのも印象深く残っている。
ちなみに、城みちるが歌う 「イルカに乗った少年」を聞くと、
「トリトン」を思い浮かべるのは、私だけ だろうか・・・。
「どろろ」の映画化には、驚いた。
これも、好きな漫画だったのである
観て、また驚いた。映像不可能といわれていたのに、ここまでできる
ようになったのか、と最新技術には、驚かされる。
いや~、妻夫木くんは、かっこよかったわあ~。
1966年、「週刊少年サンデー」で連載スタート。
連載が終わった時点では、3巻だけだったはず・・・。
映画では 結末があったが、漫画ではなかったように思う。
アニメ放映されてから「冒険王」で第二部が再開 して、一応完結した
らしい。この分を私は、あまり知らないのだが・・・
初版の漫画本3巻を、「カムイ伝」52卷、「カムイ外伝」3巻、「ワイルド7」
と「デビルマン」全巻(何巻あったか忘れた)、「仮面の忍者・赤影」全巻、
その他 諸々の本と共に、結婚するまで実家に置いていたのだが、流石に
持って行けないということで、近所の施設へと、寄付したことがある。
後に、だんなが煙草止めた記念にと、古本で「ワイルド7」を
全巻揃えた時には、置いといたらよかったかな、と思ったが・・・
私は、けっこう変な女の子だったのではないだろうか・・・
なぜか少年漫画が好きで、全巻集めないと気が済まない性質だった。
少女漫画は、「ベルサイユの薔薇」を揃えたぐらいしか覚えてない。
この頃、宝塚ファンが周りにいたせいかも知れない。
少女ものは、古本となってから集めた物の方が多い。
世界中での日本漫画ブームが続いているが、
何十年も前のものが、映画に、ドラマに、アニメにと
現われては話題になっていく。
祖父母・親・子・孫、間の共通の話題で会話が増えて、楽しめる、
結構、漫画って凄く役立っているのじゃあないか・・・
昔、漫画を読まなかった人の方が、今の時代の子供の育て方が
解らなくなっているのでは、と思うぐらいである。
カタブツさんよ 漫画をあなどるなかれ・・・
実は、私はけっこう 漫画好きなのである。
昔、活字で読んでどうも意味が理解できない本が、漫画で
現われた時は、つい、立ち読みしてしまった。
今では新刊は、立ち読みできなくなっているが・・・。
漫画となると凄く、解り易く、羨ましく思ったものである。
夏休みの宿題には必ず、本読みの感想文があり、翻訳の仕方に
よっては、解りづらい本がたくさんあった。
そんな時は、読書好きな私でも嫌になる事が 多々あった。
「地球」と書いて「テラ」と読む。
アニメ「地球へ」は、1977年発表の竹宮恵子さんのSF漫画。
現在、土曜日夕方6時から放送中だが、何十年も前の漫画が、
今見れることにびっくりする。ちょうど、作り手が自分の好きなように
作れる年代になった、ということだろう。
私は、竹宮恵子さんの漫画では、もっと前の「空が好き!」
(少女コミック)で、ファンになった。プレイボーイなパリジャンの話で、
なんとなく軽快で、オシャレな感じが、少女向けしたのだと思う。
彼女の中期の頃の絵が好きだった。
「ファラオの墓」と「風と木の詩」は、全巻手元においている。
「ファラオの墓」は、いにしえの恋を想い描きながら、
「風と木の詩」は、ちょっとエッチな場面を、人の目を気にしながら
こそっと見たりしていた。当時、この物語を よく少女漫画で描けた
なと、彼女の度胸にも 驚いたぐらいである。
フランス・エジプト・ウィーンなど、外国の話が多く、いろいろな国を
知る・興味を湧かせる・勉強する、きっかけにもなったように思う。
今の作品を読んでないので、読んでみるとするか
蝙蝠紋(こうもりもん)、 というのが、あるらしい。
「月に蝙蝠」 は、「バットマン」を思い出すような文様である。
蝙蝠は、昭和になってから 現われた紋らしいが、墓石にも
彫ってあるところをみると、もっと前からあったのかもしれない。
中国では長寿を意味するらしく、縁起物として渡ってきたそうだが、
日本では気味が悪い・暗闇から悪を感じさせるなど、悪いイメージ
があるようで、あまり定着しなかったようだ。
ドラキュラを思い出して血を吸うのか、と思う人もいるのでは・・・。
蝙蝠は唯一の空を飛べる哺乳動物で、哺乳類の4分の1も占めるらしい。
私は動物園ぐらいでしか 見たことがないが、けっこうかわいいのもいたように思う。
TVドラマでペットとして飼っていたのも見た気がする。
家紋は新しく作ることも可能らしい。
だいたいは、本家の文様を土台にして少しづつ変えるらしいが、
遊びで自分の紋を作っておられる方もいるようである。
波をチャプチャプ、チャプチャプかき分けて・・・
雲をスイスイ、スイスイ追い抜いて・・・
ひょうたん島は どこへ行く
僕らを乗せて どこへ行く ウゥゥ・・・ ウゥゥ・・・
「ひょっこりひょうたん島」という、人形劇の主題歌の歌い出しだが、
私が小学生の時に朝8時から15分間毎日、NHKTVでやっていた。
家のTVは白黒だったので、友達を誘いがてら、カラーTVを観ながら
待って、学校へと行くのが日課だった。
近鉄奈良線に瓢箪山という駅がある。
私の実家は、駅から歩いて30分山手の方だったが、駅近くの
瓢箪山稲荷神社を抜ける道が近道であった。
その神社には、瓢箪の形をした古墳があり、きつねが祀られていた。
祠(ほこら)みたいになっていたので、もっと幼い頃は、
・・・ きつねが 出てこないかな ・・・
なんて思いながら、長いこと覗いたりもした。
ひょうたん島のモデルは、その古墳だとばかり思い込んでいたので、
その道を通るのが、楽しかった。夜店が出るときもけっこうたくさんの
店が出ていて、賑わっていた。
・・・久しく訪れていないが、今も盛況だろうか。
もう一度、行ってみたいものだ。・・・
大阪市内の夜店は子供が少ないせいか、寂しいものだ。
だんだん減っていってる気がする。できるなら、
こどもたちのために、なくならないで続けてほしいものである。
タロー、マリー、・・・
昔、山で飼っていた 犬の名前。
何匹かいたのに二つしか名前がでてこない。死んだら同じ名前を
使っていたからか・・・。猫と同様、捨てられた子らが多かったので、
中型の雑種ばかりだった。
一番心に残っている出来事は、最後のタローの時。
母がいなかったから、私が高校2・3年のころ だったと思う。
つなげていた杭が抜けたのだろうか、鎖をつけたまま散歩へ出て
その日、帰って来なかったことがあった。おなかが減ったらいつもは
帰ってきているのだが、鎖がつながっていたのと、草木が生い茂って
いたのが気になっていた。呼べば声が聞こえるが、姿が見えない。
かなり深い茂みへ、声のする方へ、父が捜しに入って、助け出した。
が、首輪についていた針金が、タローの首にくいこんで、ザックリ
3cmぐらい深く切れていた。当時、獣医なんて聞いたこともなかった
ので、家でできる治療(消毒と赤チンぐらい)をしただけだった。
次の日、
・・・うわ~っ 気持ち悪~い なにこれ~ ・・・
なっ、なんと、傷口にウジ虫が湧いていたのだ。
二日間行方不明だった時にでも、蝿などに植えつけられたのだろう。
すごい量だったが、取れるだけ取って 消毒と赤チンを思いっきり
垂らした。タローは思いのほか元気そうなので、よく毎日こんなに
ウジが湧くなあ、と、感心しながらそういう手当てを、何日も続けた。
そのうち乾燥したら自然に治っていった。
この時ほど、「動物の生命力って、すごいんだ。」
と感じたことは、未だかつてない。
手乗り文鳥、ピーコ。
自分がほしいと思って飼った 初めてのペット。
小学2・3年生の頃。もうすでに犬や猫が家にいたが、かごに
飛びつかないようにする、ということで飼ったと思う。
しかし、つるしていたのに、蛇がかごの中に入っていた
どうやって入ったのか不思議だったが、
たぶん食べられたのだろう。はかない命だった。
いつの間にかいた猫・犬たち。
たぶんもともとは、捨てられた子たちだったと思う。
合わせて最高10匹ぐらいいた時もあった。
猫はもちろん放し飼い、自由奔放に育ってた。ねずみはいなかったが、
モグラを得意そうに捕まえては、私に見せにくる。
わかった、わかったからどっか持って行って~。
見せに来んでもいいから・・・
(せっかく誉めてもらえると思ったのに・・・)
猫にしてみれば、そんな気持ちだったろう。不服そうな顔だった。
またある時、昼寝をして目が覚めた時、めちゃめちゃ驚いたことがある。
布団をめくると、1m ぐらいの蛇が入ってた。
このときほど びっくりしたことは なかったな。
それからは、玄関を閉めるようになった
鍵も閉めずに昼寝ができるなんて今の世の中、たとえ田舎といえど、
考えられなくなってしまった。物騒な世の中になったなと思う
そうそう、餌は、猫まんまと呼ばれる鰹節をかけたご飯など
ほとんど食べず、人間の食べ残しの魚などの混ぜご飯が主だった。
猫缶など当時あまり見かけなかった。自分で獲った獲物も少しは
食べていたのではないだろうか。
30年ぐらい前、故郷においての話である。
「桐紋」と言えば、「五三の桐」。
「女紋」のひとつでもある。
私は、着つけを習う前は、最初これが母方の紋だと思っていた。
それにしては 結婚式や葬式の時、どこもかしこも
・・・「五三の桐」 だらけだな・・・
と、不思議に思っていたことがある。
いまや、誰もが知っているであろうこの紋は、
呉服屋の陰謀だとも言われているらしいとは・・・。
「女紋」は嫁いでも着れる。
貸し借りできる。
代々受け継がれて行ける。
など、よくTVショッピングでも聞いたことがある文句だが、
既製品として仕入れるのに 都合いいので、広まったらしい。
いわば、バレンタインのチョコレートや、クリスマスのケーキ
みたいな感じかな・・・。
大昔、豊臣秀吉の頃も、あまりの人気ぶりに、無断使用厳禁
の「菊桐禁止令」が発令されたこともあったようだが・・・。
元来、皇室の副紋とされる「桐紋」は、格式の高い紋とのこと。
奥ゆかしく 桐の花を七つのところを五つにして、庶民も
使わせて頂いてる。というところだろう。
逆に、由緒正しい桐紋の家系が、「借り物みたいでいやだ。」
と思っていらっしゃる方もあるようで、なんともはや気の毒だ。
ともあれ、着物文化が廃れつつあるこの日本、
着物業界さん、 ガンバレ