「さっちゃんと父」は32話で終了致しました。
途中、あまりの閲覧数に驚いて話が書けなくなった
こともありましたが、なんとか最後までこれました。
読んでいただいた皆様方、本当にありがとうございました。
あ と が き
私のブログは、まず第1の目的に、この父を無縁仏にすると
いうことを前提に立ち上げたものでした。
一人っ子で長男に嫁いだからには仕方ないのだけれど、かなり
の後ろめたさ?冷たさ?をぬぐい切れませんでした。
そして、第2の目的は「着付け道」「看病記」「ピカピカの1年生」
に続いて、私の自伝でした。気になっていること、思い残すことなく
書いてすっきりして、これからの残りの人生を楽しもう、と思うもの。
そしてこの自伝は、子供達と夫に私を知ってもらうためのもの、
言わば、家族へのラブレター兼、遺書です。
幼い子供達を残して突然倒れてそのまま逝かれた知人、
もう少しで正月という時に二人の子を置いて逝った母子家庭の友人、
そして、乳飲み子を残して事故で亡くなった子供のクラスの父母達。
また、逆に、折角育て上げてきたのに突然の交通事故で
お子さんを無くされた親御さんたち。
幾人もの人たちを見送ってきて、常々思うのです。
生と死は隣り合わせ。
いつ自分がその仲間になるやもしれません。
私は自分のこと、家族にほとんど話してきませんでした。
私にはもうひと組の親、産みの親達がいます。
彼らのことは、ここでは秘密にしておきます。
知らないこと・定かでないこと多すぎますから・・・。
けれど、きちんと知りたいと思うのです。今となっては不可知。
だから子供達には、私というルーツを記したのです。
今は、達成感に包まれています。
やっと、新しく本当に前に進むことができます。
人はどんどん変わってゆくのです。
良い方へ行ったなら幸せ!
悪い方に傾いたとて、前向きな姿勢を持つ。
自分の心しだいで幸せになれるものだと思っています。
最後に、私のブログを読んで頂いた方々、応援して
頂いた方々、すべての方々にお礼申しあげます。
本当にありがとうございました。
何かを少しでも感じて、ご自分の人生に
役立つことでもあれば、最高に嬉しく思います。
2008年11月24日(月) 記.
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
とうとう、最終回!・・・父への手紙で締めくくります。
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の32≫ 親愛なる父へ
お父さん、もうそろそろいいよね・・・!
もう、10年以上すぎてしまったね。
13回忌をめどに終わりにさせてもらおうかな。
あちらのお義父さんも、腰の手術してから、
お義母さんの負担が大きくなってきたみたい。
京都のお義姉さんの面倒見てこられた続きだもんね。
良くあんなに毎日のように行ってあげたと思うよね。
みんなが寄り付かなくなってから、あんたはよく来てくれる・・って、
お金持って死なれへんからって他人さんにもばらまいたけど、
結局何も残らんかったな・・・こんなことなら、あんたにおいといた
ったらよかったな。なんて言われるもんだから、お義母さん、
ほっとけなかったんだって・・・。今はもう、思い出話だけどね。
「そろそろ、考えてもらわなあかんかもしれんな。もう10年か?」
「過ぎましたね。私も、そのつもりやから・・・」
・・・・・とうとう、あの義母から、そんな言葉が出たよ。
私も感じてたから、そろそろと思ってたけど・・・
子供が高校進学祝いにと買ったパソコンのお陰で、マーちゃんも
PCを購入、そして、私もパソコンを少し触れるようになった。
仕事も世代交代でかなり楽になったし家でする必要もなくなった。
これからは、PCの勉強するわと、ブログを始めたのよ。
その第1の目的は、お父さん・お母さんとの別れのため。
そして、私の生きてきた記し。
それらを残しておきたかったの。
お父さん・・・・・・・・・ごめんねぇ。
足かけ13年しか一緒に住めなかったけど、
満足してくれたかな?
育ててくれた恩を捨てるみたいで申し訳ないですが、
永代供養の話、約束通り進めます。本当に感謝です。
貴方からはいろんなこと教えてもらいましたね。
嫌なことも多かっただろうけど、私がいたから救いだったこと、
よくわかります。「おまえがいたから・・」って言葉、嫌いだった
けど、今は良~くわかります。
子供達にはあまり言わないようにしてますけどね。
もう、過去を振り返るのは今日で終わりにします。
たまに思い出すことはあるかもしれないけれど、
みんな笑い話になってるから、大丈夫よ。
安心してそちらのご家族と一緒に、仲良くね!
最後にとびっきりのプレゼントね。
お父さん、私・・お母さんの方が好きだと思っていたけど、
長く一緒に暮らした分、
お父さんの方が好きだったみたいよ。
こんなに経たなきゃわからないなんて、大バカですね。
今・・・最高にいい気分でお父さんと別れることできます。
お父さん、ありがとうね!
さちこより
完
さっちゃんとパパ ★ 2 ★ ≪其の2≫ 空・山・木・山・気
さっちゃんとパパ ★ 3 ★ ≪其の3≫ 兄妹(きょうだい)
さっちゃんとパパ ★ 5 ★ ≪其の5≫ やおよろずの神たち
さっちゃんとパパ ★ 6 ★ ≪其の6≫ 謎のクリーニング屋さん
さっちゃんとパパ ★ 7 ★ ≪其の7≫ 留守番(店番)???
さっちゃんとパパ ★ 8 ★ ≪其の8≫ 卓袱台(ちゃぶだい)
さっちゃんと父 ★ 13 ★ ≪其の13≫ 忘れられた三年間
さっちゃんと父 ★ 23 ★ ≪其の23≫ 出産を経て・・・
さっちゃんと父 ★ 30 ★ ≪其の30≫ 拘り・・(1)葬儀
さっちゃんと父 ★ 31 ★ ≪其の31≫ 拘り・・(2)位牌
2008-11-23 (記)
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
今後の参考のために、私の拘り・・・2つ目・・・
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の31≫ 拘り・・(2)位牌
「ああ、大丈夫ですよ、できますよ!」
えっ、できるんやー!凄い!
「ホントですか?良かったです。
二つ置くには小さすぎて、どうしょうか迷てたんです。」
やっぱり、夫婦は一緒がいいやんね。
うちのん小さいけど我慢してや~~
「文字に、同じ意味の戒名があります。
最近は核家族が多いので結構おられますよ。」
ヘェ~、やっぱ、聞いてみるもんだね。
してはる人もいてるんやね~~
【 私の拘り・・・2つ目、位牌 】
戒名は生きてるうちに修行をつんで頂いておくのが本来の姿らしい。
とは、お寺さんから聞いた話。宗教ってのをあまり真剣に勉強した
ことがなかった。“信心は心があればいい!”という両親の姿を
見てたから。毎日の場では嫌というほど接していたけど・・。
父は山に住んでいたから1軒だけのお寺さんに来てもらっていた。
「安養寺」というお寺。(東大阪東部の最古の惣道場)
父の葬儀を頼みに行ったとき、初めて、そこも宗派が違いますね。
と言われて知った。そもそも全国にあるお寺の名前で宗派が
決まっているらしいのである。(例外もあるようだが)
どおりで、何となく奈良の御墓の納骨のときに違和感があったのを
思い出した。結局、私は父と同じようなことをしていたんだね。
そういえば、門徒さんはあまり拘らないんだよって聞いた気がする。
私も、仏の心は元来こだわらないはずだと思っている。
しかし、おまつりするのに、一つの仏壇に、戒名の名前が違う
位牌を置くというのも変だし、仏壇が小さいこともあった。
何より、父と母を一緒にしてあげたかったのだった。
お寺の住職様にお聞きすると同じ意味の戒名に変えることが
できるというので、二人をひとつにしてもらったのだった。
あることを思い出し、今回ネットで調べてみた。
なんと、ネット被害がどうとか・・なぜ別れたかとか・・
しらんかったな。こんなバトルが行われていようとは・・・
本来、争わないように仏法があるのだろうに、
何をしているのでしょうね。
ホント困ったものです人間は・・・。
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
今後の参考のために、私の拘り・・・1つ目・・・
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の30≫ 拘り・・(1)葬儀
「葬儀、・・・どうしょう!
引っ越したばっかりやん。前の地域には行かれへんし。。。」
うっわー、私しかおらんしー。こんな時どうしたらいいねん!!
「ごめんなあ。言うた方がいいんちゃうの?
と思ったんやけど・・よう、言われへんかってん。」
マーちゃんよー、こんなこと後から言われてもなあ・・・
全く役に立たんねんけどなあ。言うてほしかったなあ~~
「うちと宗教違うからお寺さんどうするか、だいぶ前にマーちゃん
と話してたんよ。探しておいた方がいいのと違う?って。」
おお~!流石、お義母さん!気づくところが違いますね~。
折角アドバイス頂いてたのに・・直接聞いてたらなあ。
【 私の拘り・・・1つ目、葬儀 】
全くのノーマークだったこと。いざとなってめちゃめちゃ困った。
義母の遠慮はわかる。マーちゃんよ、君は私の旦那だろ!
こういう大事なことは、自分が悪者になっても言うべきだ。。。
ーーー ひとつ私たち夫婦の欠点が見えた。
しかし、人のことは言えない。私だって言えないことあったのだ。
私たちは、お互いが思いやりすぎていた。
そのため、相手に言いたいことが言えなかったことが多すぎた。
従順な妻ばかりでは、駄目なことを知った。
夫婦円満は自分を押し殺していてはだめなのだ。
お互いを出し合って、お互いをカバーしていく、
そんな夫婦になろう! 私の中で目覚めたことだった。
結局、葬儀は近所ではそこしか知らないと義母が知っていた
ところへ行き、宗派が気になることを尋ねたうえで、
「それでしたら、ご宗派は内から別れたものですのでもともと
は同じですから、別にかまわないでしょう!うちではお宅さん
が宜しければ、御葬儀お受けいたします。」
と言ってくれたので、お任せすることにした。
友人の中には、親が無宗派で何もしない。ただ、焼いた灰を少しだけ
親が言っていたところに散布したという人も知っている。だが、私の
信仰心の篤い人だったので、ちゃんとお寺でしてあげたかったのである。
つづく。。。
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
時をさかのぼり思い出す、父との約束・・・そして・・・
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の29≫ 二つの約束
「この仏さんと神さんの物、どうすんの?」
ホントに信心深い人だよね~~うちのお父さん~~
「しばらくはワシがおまつりするけど、ワシが死んだら処分して
くれていいで。仏さんは、一心寺さんへ納めてな。
無縁仏頼んだらいいわ。みんなそこでしてもろてるから、
無縁仏か・・なんかさみしい響きやな~~
賑やかで楽しいやろ!墓だけお前に頼んどくわ!」
こんな話はしたくないけど~、やっぱ、聞いとかないとね~
マンションに置かれへんし~使い古し・・ってのもな~~
「うん、そうか。わかった。・・・神サンは?」
「元気なうちはワシがするから・・・。」
父が山から市内へと引っ越すときに、実は約束をしたことがあった。
あまりにも沢山の神仏の道具をみて、父にもしもの時どうすべきか
聞いておかなければならないと思ったのである。
仏さんの方は、位牌や過去帳など以外は仏具屋さんに頼めば
どうにかしてくれると聞いた。よく、思い出してみれば、針供養やら、
雛人形やら供養してくれる寺院があるのを思い出した。それに
毎年決まって行く初詣の神社もそのようなおさめる場所があった。
「ワシが死んだら、処分してくれという約束なっ。
おまえは長男の嫁だから仕方ないさ。宗派が違うし・・。
これは自分の気持ちでやってきたことだから、いいんだよ。
神サン、仏サンも解ってくれるさっ!」
父は薬で元気になったかのようだったが、病院を移動したとたんに
急変した。思えば移動するための強い薬だったのかもしれない。
言われたとおりに3か月の命だった。享年80歳。
波乱万丈の人だったように思う。
兄弟の中で一番、信仰心の篤い人だった。
子供時代と母との時代しか語らなかった父だった。
私と出会ったことを一番、幸せだったと言っていた父だった。
「一緒に住むのん、楽しみやな!」
ーーー無き声の最後の言葉だった。
私は、せめて少しでも父を一緒に住まわせてあげたくて、義母に
相談した。快く思うようにしてあげたらいいよ。といってくれた。
ただし、期限があった。
「私が、この仏壇、見られなくなったら頼むで!」
今は、まだまだ自分が若くて元気だから、立派なお仏壇を
お世話することできるからいいけど、自分が見れないようなことが
起きたら、仏壇頼むで・・・ということである。
そして、マンション用の小さい仏壇に父を住まわせたのであった。
つづく。。。
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
父の病と母の病、なんという皮肉・・・
と、どうしても比べてしまうさっちゃんなのでした。
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の28≫ 肺繊維症
「今日は調子どーや?熱ないの?しんどないか?」
「昨日な、ゆうちゃんが剣道の試合負けなしやってんで、
ホンマにおまえは本番に強いなーって先生に言われてんてー。」
「マーくんは相変わらずゲームばっかりしてるわ。」
言葉をかけることが、一番の薬ですよという医者のアドバイスを聞き、
一人おしゃべりをしては、父の頷いたり、にこにこする顔を見て、
返事をしている父の口元をみては声にならない言葉を聞く日が続いた。
肺の疾患が進行して、肺が硬く縮み、繊維化して、ガス交換機能が
大きく低下するのが肺繊維症。レントゲンで見た写真は、左の肺が
3分の1も上の方に上がっていた。全く肺の病気など知らぬ私だったが、
見ただけであり得ない状態だと感じた。この肺を圧力を加えて、引っ
張って下ろすというのも不思議だったが、降りれば空気を吸える状態
になる可能性があるという説明だった。しかし手おくれ状態を感じていた。
父は若い頃、結核を患ったことがあるという。完璧に治ったと言っていた
がその時にすでに一つの肺が使い物にならなくなっていたようだった。
主治医は、
「ふたつ肺があるからひとつがほとんど機能しなくても大丈夫なん
ですけどね。かなり昔、戦争中に結核になったことがあると言われ
てたので、おそらくその時ひとつだめになったんでしょう。」
といった。もう片方が、硬くなって収縮して空気が吸えないとなれば息が
できない、痰も詰まりやすくなるから吸いださないと窒息してしまうという
ことで、喉に直接穴をあけてばい菌が入らぬようにと蓋をしてガーゼで
押さえていた。私は、少しでも方法があるならと、医者に任せたものの、
咽喉に穴を開けたらしゃべることも食べることもできなくなった父をみて、
なんという皮肉な病なんだろう、と母とを比べてしまった。
血を作れなくてどんどん血を作る物を食べさせなければならなかった
贅沢病の母。その母の行動に苦労させられた父の顛末がこの姿か・・・。
なんという悲哀な人生・・・なんという皮肉な人生・・・
・・・父は前世で母に何をしたのだろう・・・
輪廻など、根っから信じているわけではないが、
そんなことさえ考えてしまうような毎日だった。
マンションは・・・というと契約破棄をしないという前提で購入したので、
予定通り引っ越しをした。一人暮らしをしていた父の住宅も整理して
必要なものだけ持ち込んだ。
父には、一縷の望みを託して、
「いつでも一緒に住めるようにちゃんとしてあるからな。
今度、退院したら新しい家やからな。みんな待ってるしー。
頑張らんとあかんねんで!」
と元気づけるのが、精一杯だった。
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
楽しみな住宅見学、そして、父の検査結果は・・・
引き続き、『 さっちゃんと父 』、
どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の27≫ 契約&宣告
「やっぱり、家買うとなれば小さくても庭付き一戸建てがいいよね~。」
確かに言ったよね~~。新婚時代にさあ!
「少々田舎の方でもしゃーないな。市内で一戸建ては小さすぎるよね。」
そんなこともいってたのに~もう忘れてしもてんなあ・・・
「市内から出たくないのん違うのん?」
「一戸建て買うなら少々遠かってもいいなあって思うでー。」
この話も忘れたんかいなあ!!確かに聞いたのにー!
な~あんて新婚時代には夢を語ったものだったが、
いざ実際にマイホーム購入となれば話がまるで違っていた。
会社から遠いところは嫌だという。地元付近から出たくないとのこと。
最近の一戸建ては基礎がなってないと騒がれていた時代。
世間では、欠陥住宅が酷いと話題になっていた真っ最中だった。
子供と一戸建てがいいねと2~3軒見廻った。しかし、一戸建ては、
やはり付き合いが煩わしいところがある。今までが、ちょっと家から
出る時もいろいろ言われたり、見られたりするのがかなり嫌だった
という家族の意見も聞いて、結局マンションに決めた。
新築では、予算内ではほしい間取りがなく、中古でも仕方ないねと探した。
なかなか気に入ったところがなかったが、ある日、義母と見に行った時、
新婚時代に見たというマンションを見に行ったら、一目で気に入った。
そこの住人も急いでいると、いうので決めてしまった。
父が入院してる間に引っ越してしまおうと思っていたからであった。
契約から鍵渡しまでたった、二週間しかなかった。
いろいろ慣れない手続きに、忙しい毎日を過ごしていた。
しかし・・・・・ 鍵渡しの4日前、
父のいろいろな検査結果が済んで、担当医師から結果報告があった。
「あと、良く持って、三か月ぐらいでしょう!」
「えっ!・・・・・・・」
「片方の肺が収縮して上にあがっているので、圧力をかけて元に戻る
か、引っ張ってみますが、かたくなっていたら戻らないでしょう。もう
一つの肺は昔にすでに使い物にならないようになっていますね。」
覚悟はしていたものの、まさかこんなに 早く宣告を受けるとは・・・
せっかく一緒に住めると思ったのに・・・
あんなに楽しみにしていたのに・・・
だからもっと早くお医者さんへ行こうって言ってたのに・・・
様々なことを頭に浮かべながら、私は自転車をひたすら漕いでいた。
湧いては流れる雫をぬぐおうともせず、冬の風に晒しながら
すでに闇になった道を走り続けた。
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
だんだん足腰が弱り、長引く咳、そして・・・
父との同居、夫の説得は・・・果たして・・・
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の26≫ 吐血
「あかんてっ!お父さん!医者行こう。」
「もう~!大丈夫や言うてるやろ。さっき食べたまぐろやって。」
「いいかげんにしい~や!見てみぃ、これ。血の色やで・・」
思わず叫んだぐらいだった。
「そうか、あかんか・・、明日・・行くわ。・・・ごほっっ!!」
そして、初めての吐血。
秋口の風邪が治まったように見えていたが、12月になって、
咳を ぶり返してきた。時間をくわず酷くなっていった。
そして、絡んでた痰の塊の赤黒い褐色の色を見た時、
もうこれは嫌顔でも入院をさせないとあかんだろうと確信した。
初めて目の前で見た吐血に、心はうろたえながらも表情・態度には
出さず(女は血には強いっていうけどほんとだな・・)なんてことを、
考えつつ、迎えを待ち、叔父に病院へと連れて行ってもらった。
思ったとおり、即入院となった。
ーーー 少し、時間をさかのぼる。
実家の父と同居することに義母の同意を得た私は、タイミングを見て、
我が夫へと何とか話をきりだしたのだが・・・、
「父のことなんやけど・・・そろそろ一緒に住んだらなあかんと思うねん。」
「ふ~~ん、そうか。泊まってきったらいいやん。」
ちょっと~~聞いてるのー?二重生活は無理って言ってんだけどー。
お義母さんはお義姉さんとこで大変だから無理言えないし・・・。
「けど、足腰も弱ってきてるみたいやし、介護となったらとてもじゃない
けど引っ越し大変だし、今のうちに一緒に住まへんかって言うてきて
んけど・・・!?お義母さんには了承してもろたで。」
「ふ~~ん。・・・」
・・・ってそれだけかい!人がせっかく一生懸命説明してるのに・・・
その日は少し急ぎの用でもあったのか、返事もしないで自分の部屋
と籠ってしまった。 私は少し腹を立てたが、どう思うか背後から
尋ね てみたが、ずーと返事がない。こういうことが何度かあって、
私はやめづらくなった着付けの仕事と、看護と家庭の3立がしんどく
なっ て家族の者には黙って、とうとう義母のところへと逃げ込んだ。
忘れもしない、よりにもよって義母の還暦の誕生日の日だった。
お祝いの品を持って行くだけのつもりが、つい涙を見せてしまった。
義母は親身に聞いてくれて、途中、夫から電話があったのを、
来ていないと心配させたものの、夜も遅くなったので自分が
息子に言ってあげるわと、
「煩わしいことに逃げないで、もっと二人で話し合いなさい。」
と注告の電話をしてくれた。
そして、ようやく話をきちんと聞いて、納得する答えが出た。
義母には迷惑をかけてしまった。そのころはいろいろなことが
重なってて、お祝い事は極力質素にしていたころだった。
義母にしてみれば相談してくれてありがとうなのである。
私もお嫁さんにはそんな風に接したいと思う。
ホントに義母には感謝し、そして感謝の心をいつもいただいている。
帯ちゃんシリーズ、第三弾!
今回は、帯ちゃんことさっちゃん自身が想い出語りをしています。
父の咳、風邪の前兆・・・やがて体力の限界へ・・・
引き続き、『 さっちゃんと父 』、どうか宜しく、お見知り置き下さい。。。
≪其の25≫ 風邪
「この間から変な咳してるけど、大丈夫?
一度お医者さん、行っとこうよー。」
「大丈夫やわ。咳だけ残ってるねん。喉も痛ないし・・」
合う薬を貰いに行こうー、言うてんねん!
わからん人やなあ~~~~
「でも、一度行ってた方が安心やで。」
ちぃ~~とは人の話も聞けっちゅーてんねん!
「いらん、いらん、ちょっとした風邪やわ!すぐ治るわ。」
もう、すぐ、これなんだもんね・・・
・・・ほんっとにこの人は昔から頑固なんだから~~
少しづつ友達との時間が増えて来た孫たち。
おじいちゃんべったりの時間がなくなったころ、公園にも足が遠のき
仲の良かった友人たちの旅行も少しづつ減って来て、自宅へと待機
する時間が多くなった父であった。足腰が弱るから散歩はおいでよ、
という私の言葉にも、気力がだんだん薄れていくのが目に見えてきた。
それでも孫たちの姿を見ようと夕方の散歩に来ていたが、そのうち、
中学生にもなると塾へも行き出し、剣道・スイミング・遊びと忙しく
ほとんど会えなくなった。そのうち公園にも来なくなってしまった。
少し風邪をひいたのが原因だったこともあるだろう。
そろそろ、父も体力に自信がなくなってきたのか、出歩かなくなって
久しいので足腰が弱まってきた。そろそろ潮時かと切り出した。
「なあ、そろそろ一緒に住む気ないの?」
「・・・・・・・」
「その気があるなら、義母と主人に相談してみるけど・・・」
義母には、言いにくいことがあった。それというのも義父母たちの
会社が上手くいかなくてやめると言った時、義母から2世帯住宅に
住む気ない?と私に最初に聞いてきた。私は無論結婚当初から
そのつもりがあったし、子供達にもその方が心を養うのに有難いと
思っていたから、
「ああ、いいですよ。その方がお互い助かるしね。」
と即答した。ところが、日をおいて、義母から
「息子が絶対嫌やいうから止めとくわ。お父さんが一人になったら
頼むわな。私が残ったら一人で気楽に住むから心配せんでいいで!」
と意外な返事が返ってきた。私はあれだけ母べったりだと思っていた
夫だったのだがあっさりした返事にかえってびっくりした。
学生時代ごろまで、ずーっと使用人たちや親族の人たちと一緒に朝昼
晩顔を突き合わせることに、もしかしたら嫌気がさしていたのかも知れ
ないな、などと思った。それが楽しかったのだろうなと思っていたのだが・・・。
私は息子からそんな風に言われた義母を気の毒に思った。
とにかく、まず義母に相談してみた。
このままだと寝たきり状態になりそうだけど、というと二つ返事で
「それはえらいこっちゃ!はよ一緒に住んだらなあかんで。」
と言ってくれた。 (ー ー ーよしっ!!OKもろた!)
これで、いざとなれば義母のもとへ、家出できる!!
次は夫の説得だー!!
つづく。。。