さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

御訪問者の皆様へ

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仏教の話 ☆ 18≪番外編(上代・古代のあいさつ)☆1≫

2010年09月29日 22時17分00秒 | 神・仏教・民俗の話

【上代・古代のあいさつ(1)】

≪卑弥呼時代のあいさつ≫
 ~魏志倭人伝より~

――下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、
辞を伝へ事を説くには、或は蹲(つくば)り或は跪(ひざまづ)き、
両手は地に拠り之が恭敬を為す。対応の声を噫と曰ふ。
比するに然諾の如し。――

(意味)
支配者である大人に対し、奴隷者である下戸が道で逢えば、
下戸は戸惑い恐縮して道脇の草むらに入り、ものを言うときは、
蹲るかあるいは跪き、両手を地に着いて敬意を表している。
そして、下戸の大人に対する答えはいつも「アイ」である、と
いっているのである。


「あいさつ」・・・大人に対しては「跪伏の礼」
「言葉のやりとり」・・・尋ねられたときのみ「アイ」と答える。
             尋ねられなければものを言うことは無い。




中国では、周末から秦・漢時代(紀元前)の儒者の礼儀に関する
説を集めた礼記の中の記載。

――先生に遭うときは、趨りて進み、正しく立ちて手を拱く。
先生之と言うときは即ち対う、之と言わざるときは、即ち趨りて退く。――

当時、中国では「直立拱手の礼」が貴人に対する最高の義礼
だったが、倭人がもっと丁重な「跪伏の礼」をするのを見て驚き、
魏志倭人伝にも記録されたと思われる。







≪飛鳥・奈良時代のあいさつ≫ ~日本書紀より~

『魏志倭人伝』の「跪伏の礼」が伝承して行われていたらしい。

『日本書紀』第廿九巻・天武天皇十一年九月辛卯朔壬辰の、
勅令が出さたという記載。

――勅すらく、跪礼(※ひざまづくゐや)、匍匐(はふゐや)礼(ゐや)は並びに止めて、
   更に難波朝廷の立礼(たつゐや)を用イゐよ。――


天武天皇は古来の「跪伏」「匍匐礼」を廃止して、中国風の「立礼」
に改めることを命じた。


『続日本紀』巻三・文武天皇慶雲元年正月辛亥の項

――始めて百官跪伏の礼を停む。――

12年前の跪伏の礼の禁止令を出したにもかかわらず、守られ
なかったため、再び中国の様式による立礼を命じたものらしい。

ところが、その3年後の記。
『続日本紀』巻四・元明天皇慶雲四年一二月辛卯の項

――詔して曰く、凡そ政を為すの道は礼を以先となす。礼無(ゐやなし)ければ
事乱る。事乱るれば、旨を失す。往年、詔ありて跪伏の礼を停む。
今聞く、内外の庁前、皆厳粛ならず。進退礼なく、陳答度を失すと。
これ所在の管司その次を恪(つつしま)ず、自ら礼節を忘るるが
致すところなり、宜しく今より以後、厳かに糾弾を加へ、その
弊俗を革め醇風を靡かしむべし。――

「跪礼を禁止したところ、役所において厳粛にせず、進退に礼が
なくなり、事を述べたり答えたりするのに節度が失われている」
これを正すように命じている。


※ 「ゐやまふ」=礼を尽くすこと
   「ゐややか」=礼儀正しいさま
   「ゐやなし」=無礼のこと
  


万葉集(巻第十・三二五三)に「瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」
とも歌われたように、うかつにものを言えば大きな災いを招くとして、
葬式や誓言などの厳粛な儀式の場所以外では、ものを言うことを
極力慎むという風習があった。







≪平安時代のあいさつ≫

「言」「事」は同じという言霊信仰は急に影をひそめる。

         ↓

「事」と区別するために、「言」=「言の葉」と表現されるようになる。
   かな文字が発明される。  
   女流作家による文学作品・・・『枕草子』『更級日記』『源氏物語』など
   
        
この時代の文学物語に「挨拶」ということばが全く出てこない。
つまり、この時代には「あいさつ」ことばを交わす習慣がなかった
ものと考えられるほかはないという。
戸をたたいて「誰ぞ」と問われて初めて名のるのが、この時代の
他家を訪れた時の儀礼であったようである。





『ごきげんよう 挨拶ことばの起源と変遷』 小林多計士著:参照



~『仏教の話 ☆ 17 ≪挨拶≫』へ戻る~






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スーパー免震技術≪夢の扉≫

2010年09月27日 17時53分54秒 | 環境・科学・生活
TBS 夢の扉 ~NEXT DOOR~
                  (2010.9.26(日) 放送分より)


地震の強い揺れを感じさせない技術を世界で初めて開発した
のが、東京スカイツリーを建設している大林組。
そして、その中心人物が開発リーダーの勝俣英雄さん、
53歳。日本の耐震補強の第一人者である。


理想の地震対策は
「建物が揺れなければ、地震の被害は格段に少なくなる。」
といいます。


=========================

耐震補強草分け的存在の第一人者勝俣さん、
しかし、90年代半ばまで日本では見向きもされなかったという。


メキシコ大地震(1985.9)で死者1万人の大惨事の中、
勝俣さんは調査団の一員として係わったそうです。
柱が完全に潰れて床と床がくっついてしまう。
これが一番恐ろしい。という。
「そこの床と床の間に人がいるはずなんですよ、普通は。
完全に(人を)潰しちゃうじゃあないですか。信じられなかった。」



当時の日本には、古い耐震技術で作られた建物が多く、
大地震がくればメキシコのような惨事になる。
28歳の勝俣さんは、だれも研究者がいない中、

「大地震がきたら、日本が潰れる、目に見えてる。だからやる。」

と、既存の建物を地震に強くする研究を、たったひとりで始めた
そうです。

当時、ロケットにつかわれていたカーボン素材に注目。
建物に使われたことが無かったものの、コイルのように柱に
巻きつけて強度を上げる方法に成功。
世界初の技術を考え付く。
カーボン繊維を巻くだけで強さが3倍になるというもの。


しかし、開発から5年立っても、誰も振り向いてくれなかったといいます。
日本では戦後大地震がなく注目する人がいなかったから。

「なぜだめなのか、なぜ振り向いてくれないのか?」
「絶対必要になる」

そう信じて、研究を続けてきたそうです。
そして、なんと、研究の中止を告げる会議のその日、
1995年1月17日(火)の早朝、阪神淡路大震災が発生!
死者6000人の大惨事が起こったのです。


その後ようやく日の目を見るようになり、今では全国で勝俣さん
の技術が使われ、現在、地震大国日本では、世界でも地震対策
が最も進んでると言われています。
2001年に改定された国の耐震基準。
この基準に下回る建物には、耐震補強が義務付けられました。


≪ブレーキダンパー≫

「究極の方法としては、建物が揺れないようにする。
そうすれば地震の被害はかなり少なくなるのではないか。」

静岡の5階建ての老朽化したある団地で実験中とのこと。
そこでは震度5でも揺れが少なかったと言う。
震度5でもゆれが少なかった秘密は、
窓の間の柱が建物の3つの面に取り付けられていること。

ブレーキダンパーというのは、最初はがっちり固いが、
ある程度の力以上になると、ずるずると滑るということで、
建物にかかる地震の力を受け流すという仕組み。
ブレーキダンパーは鉄板のつなぎ目の接触する部分に
ざらざらして滑りにくい素材が使われて、大きなねじで適度な
固さで締められている。

地震が起きるとどのように起動するか?

地震の揺れは横揺れなので、横揺れで建物が歪む。
すると、建物を作っているコンクリート、鉄木材が壊れる。
ブレーキダンパーは建物全体がずれることで力(揺れ)を逃す。
揺れが軽減し建物が壊れにくくなるという仕組み。
勝俣さんによれば、震度7ぐらいまで耐えられるようになるという。

==========================

≪粘弾性体≫

世界初の耐震技術。
家の中にガラスの壁(厚さ1.5cm)を取り付けるだけで、
耐震性能が3割アップする(=家が壊れにくくなる)。

その仕組みとは。

家の1階部分、がラスは2枚で揺れを3分の2に軽減できる。
取り付ける部分に粘弾性体(衝撃を吸収する素材)
というジェル状のものが入っている。
これは、地震の揺れを吸収してしまう優れもの。
そのジェルをガラスと家の接触面に入れると、家が揺れると
ジェルがしっかり受け止めその力を逃がす。


既存の家に後から施工できる。
費用は建物によって変るが、30万円からできるという。

==========================

≪スーパー免震技術≫

彼が挑んでいるもの=地震を全く寄せ付けない究極の建物。


「鉛筆が地震でも倒れない建物は物凄いと思う。
世界でもやったことがないことだと思う。」
とにこやかにおっしゃってました。


そして、今年5月。
奇跡のような建物、震度7の地震でも鉛筆が倒れない、
スーパー免震技術の実験が行われました。


なんと、地震を起こす機械(アクチエーター)で地震の揺れを
抑え、それをコンピュ―ターで管理するというもの。
「地震の揺れと全く逆の方向に建物を動かしてしまおう。
そうすれば、地震の揺れがなくなるのではないか。」



「2020年までに、スーパー免震技術を普及させて、
巨大地震の被害を最小限に抑えたい」

という今後の目標に向けて、進み続ける
笑顔の優しい勝俣さんでした。


凄い技術ですね!
スカイツリーにはそういう凄い技術も使われての
実現だったんですねぇ~!






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仏教の話 ☆ 17≪挨拶≫

2010年09月27日 11時28分28秒 | 神・仏教・民俗の話

 【 挨拶 】

≪挨拶という漢語の伝来≫

「挨」「拶」の漢字のもともとの意味
  「挨」・・・「押す」、
  「拶」・・・「逼(せま)る」

漢籍(鶴林間道篇)には「士庶挨拶す」と書かれている。
   意味・・・「前にあるものを押しのけて進み出る」
         「群集が押し合って前に出ようとする」

        ↓ ↓ ↓

仏教用語となり、特に禅家の用語として用いられるようになる。




中国の禅宗の経典『碧巌録』(※1)

≪第二十三則 「評唱」≫

――保福・長慶・鏡清、総べて同得同証、同見同聞、逓(たがい)に相挨拶す――

ここでの「挨拶」は、「お互いにしのぎを削って努力する」
「切磋琢磨する」という意味に転じて使われている。


≪第二十三則 「垂示」≫

――玉は火を将(も)って試み(玉石の善悪は火で熱してしらべ)、
金は石を将って試み(金属の堅さは石で傷つけてしらべ)、
剣は毛を将って試み(剣は毛を切って鋭さをためし)、
拙僧の門下に至っては、一言一句、一挨一拶
深浅を見んことを要し、向背を見んことを要す。――


ここでは、
「一挨一拶」は「門下の僧と押し問答して、その一言一句から、
その者の悟りの深さをためしてみる」
という意味。

          | |
禅家では広くこの意味で使われている。(岩本裕著『日常仏教語』)


(※1)禅宗の百則の問答に、宗の円悟が垂示(容義の説明)、
 評唱(例をあげて説明)を加えた『宗門第一書』と言われるもの 






『碧巌録』が中国から日本に伝来して、仏教用語として
「挨拶」「一挨一拶」が広まっていった。


≪鎌倉時代中期以後≫
   わが国で禅宗が広められた

    
1191年、日本臨済宗の始祖・栄西が禅宗の独立を宣して寿福寺を開創。 
1236年、日本曹洞宗の開祖・道元が興聖寺に禅の道場を開く。

この頃の禅宗は貴族のみの禅僧だったので下級武士との接触は無し。
    ↓
≪室町時代中期≫
   一休宗純らが地方に下り、国人や地侍を相手に
   庶民的な宗風を形成するようになる。




『盤珪禅師語録』・・・播州の禅宗・龍門寺在住の盤珪永琢
             という高層の法話などを記録したもの
  「一挨一拶」・・・禅のことばとして使われている。
  「挨拶」・・・・・・・世俗的な「あいさつ」の意味で使われている。




室町時代に創作された能狂言には、「あいさつ」の意味での
「挨拶」ということばがしきりに出てくる。 

在家一般で「あいさつ」ことばが活発に使われるようになり、
「あいさつ」の動作を総称するため、禅宗の仏教用語である
「挨拶」と言うことばを使うようになるのである。




『ごきげんよう 挨拶ことばの起源と変遷』 小林多計士著:参照




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マゴちゃんのお土産

2010年09月26日 14時14分14秒 | 日記

――昨日のこと。

マゴちゃんたちがお墓参りに大阪へ帰ってきたようです。
いつも混む日をずらしてきたら、うちのマーちゃんと
ちょこっと会ってから帰るみたいです。


カボチャ&高瀬舟羊羹きびだんご

かぼちゃはお隣に住んでる方(大家さん?)
からの頂き物だそうです。



岡山桃太郎地どり味噌ラー油
サンキ商会(瀬戸乃屋)

今話題の食べるラー油。
これは嬉しい~、食べてみたかったのよ。
とんがらしの辛さは大丈夫な方なので、
かなり辛いけど美味しかったですよ。
あ、そうそうビールもいただいたようです。



いつもありがとうございま~す!






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念願の丸ごと一台ケーキ!

2010年09月25日 14時28分00秒 | 家族

昨日、24日は私の誕生日。
ケーキはいつもマーちゃんからのプレゼントです。

年に一度の念願の1台丸ごとケーキ!
一度一気に食べてみたかったのよぉ~♪

朝、図書館へ本を返しに行ってついそのまま
朝昼兼食を忘れたんで、帰ってから
プチ生クリームデコレーションケーキ
を丸ごと平らげてしまった。

ん~~、満足~♪ 美味しかった~!!
ケーキはやっぱりケンテルが一番です。

ご馳走様でした。


        



欧風菓子ケンテル


かぼちゃプリン

もうハロウィン用のケーキ出てました。
いつものごとくカップ集め~♪で買っちゃいました。



シフォンケーキ・モンブラン・リーフショコラ


今回の家族用のお相伴です。
モンブランはマーちゃんのお気に入り、
最後の一個でした。








追記。(2010.9.26)

朝、ゆうちゃんからプレゼントもらいました~♪
ビール&鍋つかみ





ちなみに24日(金)ゆうちゃんは
会社の社長との晩餐会だったのでした。
社長との晩餐会はいつもスーツなんだって。
土曜日も一日出かけてたし
今日も夕食はいらないってお出かけ。

夕食いらないっていうのが
一番嬉しかったりして・・♪

いつも、ありがとう~♪






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赤とんぼ

2010年09月23日 16時34分00秒 | 音楽/映画・ドラマ/漫画・アニメ

赤とんぼ - 岡田孝


三木露風:詩。山田耕筰:曲 。岡田孝:歌。
♪夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのは



とうとう大阪も涼しくなり、やっと秋らしくなりました。
今日は定休日、休みには音楽を・・・♪
ってことで、今日は「赤とんぼ」です。


この歌の声、
小さい頃聴いていた声で懐かしかったです。
(コロンビア少年唱団のお一人だったと思われます)




一番、聞き覚えあるのが下の歌。

牛若丸(唱歌) - 岡田孝


石原和三郎:詩、田村虎蔵:曲。文部省唱歌。岡田孝:歌。
♪京の五条の橋の上




童謡というのは、
世界に無い日本独特のものだそうです。


tosiさんの部屋(日本の児童文化と少年合唱様HP
(本居長世と日本の歌) ~より以下引用~

文部省唱歌というのがそもそも、日本の伝統的なものの否定から始まったのにたいし、
大正デモクラシーの中で、鈴木三重吉ら文学者の間で起こった創作活動。童謡第一号は
大正7年に「赤い鳥」に発表された「かなりや」。北原白秋、西條八十・・など、作曲家では、
山田耕作、成田為三・・など、当代一流の文学者、詩人、作曲家などが参加している童話を
含む子供の歌の創作活動という点で世界に類例をみない運動(童話・童謡運動)だそうです。」(引用終わり)




曲だけのもので、下の “みみぐすり” “エレクトロニカ”で
興味惹かれたので聴いてみました。

赤トンボ


「赤とんぼ」 by みみぐすり
みみぐすり:アコースティック・ギターと口笛で日本の四季を奏でるユニット



Isan - Akatombo


唱歌「赤とんぼ」のエレクトロニカカバー
Isan (Antony Ryan & Robin Saville) - Akatombo [ Electronica Cover ]







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仏教の話 ☆ 16≪彼岸≫

2010年09月22日 11時02分00秒 | 神・仏教・民俗の話

  【 彼岸 】

春分・秋分を中心とした前後三日間。

彼岸(ひがん)・・・「向こう岸」=阿弥陀仏の住む極楽浄土
             (先祖の霊が安んじるところ)

此岸(しがん)・・・「こちら岸」=生老病死の死苦がある娑婆の世界
             (生きてる現世) 

人は皆極楽往生したいという
――生死の此岸を離れて涅槃(ねはん)の彼岸に至る――
によって、彼岸という習俗が生まれてくる。




インドの古語サンスクリット
  パーラミター(paramita 波羅密多〈ハラミタ〉)
     波羅密多とは、パラマparama(最高)を語源として、
     完全、悟りという意味
            | |
  向こう岸に着くこと(到彼岸、パーラミター)
     一切の曇りの無い完全な世界、悟りの境地、貪・瞋・痴
     の煩悩を開脱した心境、全ての煩悩の火が消えて
     とらわれの無い涅槃の境地に達したこと




≪仏教の教えと農事のめぐり合い≫

彼岸の思想は仏教に由来するが、日本固有のもの。

パーラミターを説教して村々をまわった僧が、
「此岸より彼岸に至る」
といって仏の教えを説いてまわった時期
           ||
    春分の頃=春の種まき時期、
    秋分の頃=秋の刈り入れの時期
           ↓
農民が田圃で働いている時だったので、説教僧が来ることを隠喩的
「もうじき『彼岸』が来るぞ」と農民の間で言い習わして彼岸という
語ができたといわれている。
          
春分・秋分の日は太陽が真東から出て、真西に沈むので西方浄土
を想うには最も適している。水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りに
たとえ、この二つの河にはさまれた太陽の沈む一筋の白い道――
二河白道(にがびゃくどう)――を、お釈迦様と阿弥陀様の招きを
信じてひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土に
達するのである。

彼岸に達したであろう先祖の霊を慰め、自分もまた彼岸に至ること
を願って、彼岸と言う行事が仏教国・日本で生まれたのである。




≪平安時代に始まった彼岸≫

【日本初の彼岸会】
延暦25年(806)、桓武天皇が早良親王の法要を行ったのが始まり。

無実を訴えながら絶食をして命を絶った弟、早良親王のあと、
次々と桓武天皇の夫人・生母・皇后・皇太子がなくなり、
地方では天然痘が流行し死者が続出した。
全ては早良親王の祟りという占いから、延暦19年(800)、
早良親王に祟道天皇とおくり名して霊をなぐさめた。
延暦25年(806)御霊神社に祭り彼岸会をとり行った。
これが日本初の彼岸会といわれている。



≪江戸時代の彼岸≫


貞享暦(1685)・・・彼岸は春分・秋分の翌々日を「彼岸の入り」
            として暦に記し、七日間を言うようになった。
           ↓
宝暦暦(1755)、寛政暦(1798)
  春の彼岸・・・春分から五日前を「彼岸になる」とし、
           春分の翌日を「彼岸の終わり」とした。

  秋の彼岸・・・秋分の前日をはじめとし、秋分後五日目を
           終わりとした七日間だった。


≪彼岸はなぜ七日間?≫

波羅密多に至るには、六つの徳目を修行しなければならない。
彼岸の中日をはさんで、一日に一づつ修行して実践して、涅槃
の境地に達するという意味で、彼岸は七日間あるわけである。

【六つの徳目(=六波羅密)】

布施 dana ・・・・・物を施し与え、法を説き、衆生の恐怖を払って心を救うこと 

持戒 sila ・・・・・・戒律を守り、常に反省すること

忍辱 kshanti ・・・迫害に耐え忍ぶこと

精進 virya ・・・・・ひたすら実践すること

禅定 dhyna ・・・・心を統一して、安定して真理を悟ること

智慧 prajna ・・・・道理を正しく判断し、命そのものを把握すること


六波羅密は人に与えることに始まって最も深い理性に達する修行をいう。



明治11年(1878)6月5日(大政官達第23号)より、

☆春分の日(春季皇霊祭)
☆秋分の日(秋季皇霊祭)


天皇が皇霊殿で歴代の天皇のみたまを親しく祭られる祭儀
がとり行われる、国家の祭日となった。
この皇霊祭は大正・昭和に引き継がれ、昭和23年7月20日
国民の祝日に関する法律によって国民の祝日となった。

 春分の日→生物をたたえ、自然を慈しむ日
 秋分の日→先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日


     




≪おはぎの異名≫

【ぼたもち】
  日本古来の太陽信仰によって、「かいもち」ともいい、
  春には豊穣を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東
  から出て真西に沈む春分・秋分の日に神に捧げたもの。
  仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなった。
  
「ぼた」=サンクスリットのbhuktaやパーリー語のbhutta(飯の意)
「もち」=mridu,mudu(柔らかい)
         
  砂糖が庶民に流通し始めた頃現在のもとと同じ意味になった。
  並べると白い砂糖が牡丹の花のように見えるので「牡丹餅」
  と言われるようになった。

【おはぎ】
  小豆の粒の散らしたものが萩の花に似ている=「萩の餅」

【北窓(きたまど)】
  北の窓からは月が見えないから。

【月知らず】
  “搗(つ)き知らず” という洒落から。

【夜船(よふね)】
  いつの間にか着(搗)いている意。

【隣不知(となりしらず)】
  人に知られぬよう音を立てずに作るので、隣家でも
  気がつかないことから。



『年中行事を科学する暦の中の文化と歴史』 永田久著:参照








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「生きざまが好き」は間違い?

2010年09月17日 19時22分22秒 | 本・言葉・古文書/草書 

「生き様」

「あの人の生き様って素敵よね~。」
「先生の生き様に憧れます。」
「男の生き様」




なあんてよく普段よく耳にしている気がします。
しかし、これは実は失礼な言い方で、
間違っているのだそうです。


「ザマ(様)」という言葉は相手の様子や有り様を
バカにしたり、あざけたりする時に使う言葉。


そういや~、
ケンカして侮蔑の意味で、「ざまあみろ」
相手を見下だして、「なんというザマだ」
戒めを込めて、「あの死に様をよく見ておけよ」
ってのもよく言われますね。


「死に様」から「生き様」って言葉もでてきたようですが、
自分で自分の生き方を自嘲して言うのが本来の使い方。

「つまらない生き様をさらして」

というのが正しい使い方。

従って、 「立派な生き様」なんてあり得ない。
その人の生き方を評価したり賛美したりする
表現の使い方は間違いだそうです。

プラスとマイナスを取り違えているんだそうです。


誤:「立派な生き様」
 ↓
正:「立派な生き方」





『常識以前の日本語』 本郷陽二著:参照




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炊飯器でミートローフ

2010年09月16日 20時52分52秒 | ゆうちゃん用レシピ

炊飯器で料理って結構流行っているみたい。
ちょっといろいろやってみようっと思い、
今日はミートローフです。


≪ 材料 ≫
玉ねぎ大              1/2個
フランクフルトソーセージ     2本
ジャガイモ              1個
食パン                1枚
牛乳              1/2カップ
合びき肉            400g
卵                 1個
ナツメグ・コショウ        少量

トンカツソース・醤油・ケチャップ  適量


≪ 作り方 ≫


① 玉ねぎはみじん切りにして、レンジで2分
加熱して冷ましておく。
②食パンは細かくちぎり、牛乳に浸しておく。
 ③ ジャガイモは5ミリぐらいに輪切り。
④ フランクフルトソーセージも輪切り。


⑤ 合びき肉と玉ねぎと牛乳に浸した食パン・
卵・ナツメグ・塩・コショウをよくこね合わせる。

 
⑥ ⑤の半量を炊飯器釜に敷き詰めジャガイモと
ソーセージを埋め込む。




⑦ ⑥の上から残りの半量を敷き詰めたら
炊飯器のスイッチを入れて焼く。


⑧ お皿にひっくり返してできあがり。


断面はこんな感じ~♪


⑨ サラダ用のきのこ類を塩コショウしてレンジで2分。
(今回は冷凍して置いたのを使いました)
少し冷ましてから刻んだレタスといり卵を混ぜました。


⑩ お皿に盛り付けて出来上がり!
ソースは混ぜるだけ。

トンカツソースの変わりにウスターソース
とカラシを混ぜても美味しいですョ~♪


混ぜて焼くだけ~なので楽ちんでしたー!





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近況。

2010年09月15日 20時35分00秒 | 日記
今日は曇り時々雨。

夕方のニュース、東京では最高が25℃だったらしい。
しかし、これが平年並みだそう。
女性はカーディガンを羽織ってる人が目立っていた。


そして、新宿のある学校では、
もうインフルエンザによる学級閉鎖があったらしい!
熱中症予防は万全にしていたが、もうインフルエンザとは…
「油断していた!」との学校関係者の話。


大阪は29.4℃、30日ぶりに30度以下になった。
これが平年並み。
大阪ではまだまだ昼間は暑いかも。
でも、昨日からやっと熱帯夜も解消され過ごしやすくなった。
今後はまだ最高は30℃以上の日はあるものの、
熱帯夜はなくなって、寝やすくなりそうです。





ところで、義母が2度目の外泊だそうで~す。
お墓参りを頼まれました。
ちゃんと頼まれなくても行くんだけどね。
義母は自分がしたいのでしょう。
入院してるため、やっと我慢したみたいです。


腰は来月、
権威ある先生に検査してもらうまで我慢するしかないようです。
予約待ちで何ヶ月も待たなければならないみたい。
たぶん、義父も腰の手術でリハビリが大変だったのを
介護してきたからでしょうね。
手術以外の方法が無いか確かめてもらうのでしょう。


それまでいろいろ、脊髄の注射とか試してるらしいですが、
やっぱり、手術しかよくならないみたいと言ってました。
なんせ、義姉の言うには

「お母ちゃんの骨なぁ、中がスカスカなもんやから、
繋がってるところがくしゃっとなっててなぁ・・・
こう~、くしゃっとなってんねん!」

と、よく解らない解説でしたョ~。




マーちゃんは。。。
というと、やっぱり就職は難しいみたい。

でも、今年は猛暑のお陰で、
叔父さんのお手伝いがビックリするほどありました。
それと、知り合いに頼まれた設計図を作っているみたい。
時々、一日中PCの前に座って頑張っているようです。




今日、総理大臣が菅さん続行と決定して、
内閣も立て直されているところですが、日本のお役人さん
ってなんで任期満了までちゃんとお仕事しないんだろうって
単純に思っちゃいます!
せめて、任期ぐらいは頑張ってもらってもいいと思うんです
がねぇ。。。







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