A級MissingLink 第22回公園
『くらげなす、流体力学の基礎知識』
*********
思えばあの頃は夢があったと思います。
技術的楽観主義とでも申しましょうか、
ネットさえあれば人間は平等になるし、
資源配分は効率的になるし、
私的所有も戦争もなくなってみんなハッピーになるんだ。
僕たちはわりと本気でそう思ってました。
*********
始まりは、「運転席と助手席」×2
同時進行? それとも過去現在?
(こういう奇妙性がこの劇団の特徴だね)
。。。。。暗転。。。。。
そして、素振り「西野」、素振り「山瀬」、素振り「オレ!」
廃れた商店街を盛り上げるための対立、
女の嫉妬や母娘対立、嘘つき男や旅好きな女、
エアーガンをもつ風変わりな男などの喜怒哀楽が
スパイスとして話は面白可笑しく進んでゆく。
・
・
・
最終オチは嘘つき男と娘の駆け落ち!
・
あらっ、今回はお話がずっと続いている!
一般の方々にはこういう方がわかり易いのよね。
何も考えずに済むから話の筋だけが脳に残る!
だから感動の余韻が長く続くのね。
わが親族のおじさんおばさん連中受けは
めっちゃよかったですよ~♪
主なる舞台は一つの部屋!
それがいくつもの別な部屋に早変わり!
左右の出入り口を上手く使いこなしている。
川向こうの近くて遠い騒動は、
突然のマンションの非常ベルを思い浮かべた
誰も外へ出てこないのだ・・興味がないから。
本当は危険がせまっているかも知れないのに・・・
この世って、人間の喜怒哀楽を囲みながら、
ある時は暗闇を探りながらふらふらと徘徊し、
ある時は水の中をゆらゆらと気持ちよく浮遊するようなもん。
まあ、いつも気持ちよいとは限らないけどね・・
そうだよね~、全ての人がそんな経験あるんじゃあないかな、
ってこの演劇を観て感じましたョ。
これぞ、「くらげなす、流体力学の基礎知識」かあ・・
な~るほど、上手いタイトルをつけたもんだ!
(10月31日 3時開演の部を観賞でした)
最後に、「くらげなす」
ん? くらげとナスビ? こりゃまたミステリーワールドかなぁ・・
と最初思ったのですがいやいや奥深い意味があったんですね。
「くらげなす」は古事記に出てくる、形が定まらないさまを表す言葉で、
砂や泥の堆積によって現在の姿になる前の、古代の大阪を象徴している。
とあるニュースで見ましたが、もう少し検索してみると、
≪『古事記』における日本神話≫
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1882
「久羅下(くらげ)なす漂える」と表現。
”久羅下”は漢字を、発音を表現するカナ代りに使用しているので、
漢字としては意義がないが、クラゲは”暗気(くらげ)”を意味するので、
「くらげなすただよえる」は
「創世記」の「黒暗淵(やみわだ)の面にあり」
と同工異曲(どうこういきょく)の表現であり、
「宇宙の真理」の共通普遍性をあらわしている。
「ただよえる」は「淵の面」の不定形なるにピッタリした表現。
≪「食あれば 楽あり」著者: 小島 武夫≫
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/hobby/jelly-fish.htm
クラゲ の語源説
「海の中をクラクラと浮遊しているので、その「クラ」から来た説」
「暗やみにいる化け物のようだから「くらばけ」がクラゲになったという説」
「「暗ぐれ」「輪笥(くるげ)」「繰上(くりあげ)」などの説」
参考にどうぞ!
↓↓
おけぴネット!
http://okepi.net/kangeki/archives/16808
「福島と東京、そして大阪の距離」「夫婦間の心の距離」
「答えの出せない問題」として「原発問題」
をとらえ、今考えるべきテーマでは?
演出家の土橋淳志さんへのインタビューも載っています。
始まりは、ハトの餌やりする老人と鳩の登場。
その振る舞い・間の取り方がめっちゃユニーク!
・・あら、しょっぱなから笑いを誘っているじゃあない!・・
・
・
・
へ~、ゴジラを出すならアトムもですか?
浦島太郎的な亀次郎・・もいましたョ。
なんだかハチャメチャ、だけど真面目なのね(笑)。
察したとおり、今回はお笑部分が随所に散らばっていて
面白い出来栄えになっていて退屈しなかった。
初めて一緒に来たお嫁ちゃんも
「今回のは内容もわかりやすかったですョ。」
って言っていました。
***********
離婚を決意し子供と大阪の実家で暮らしている秀人の妻
有紀と、千葉県在住、ロボット工学のエンジニア秀人が、
一年ぶりに法事で故郷の島へと向かう船内のシーン。
乗り合わせた親族で脚本家の麻美が創る話やら、
同じく親族英二のラブロマンス的なからみやら、
犬を探している可笑しな船長登場など、
なんとなく前回を思い出させる部分あり、
ふんふん、これが続きってことなのね。
演出家として登場するコンビニ店長楓の兄と
台詞練習をしている女の登場もユニークで印象的でした。
*********
それにしても、
人は日常と違う何かを待っているのだろうか?
ドカンと大きな一発を!
まさか、それがあり得ないほどの地獄だったなら
良かったとは言えないだろうに。
実際に体験した者だけに永遠に
残ってしまうものなのかもしれない。
遠く離れてしまえば、逃げられるのでしょうか?
「気が付けば、何もなかったようにまた元の日常に戻っている。」
周りは何も変わらない。
ちょっと~!何かしなければいけないのでは・・
叫びが聞こえてくるようです。
けれど、本当にこの世は矛盾だらけです!!
さて、今回の飲み会は・・
東心斎橋ウイングフィールドまん前の「さかなや」さんです。
初めてお嫁ちゃんを交えての演劇鑑賞に乾杯~!
楽しかった~~~♪
『あの町から遠く離れて』
A級MissingLink公式HPは→ こちら
会場: カフェ+ギャラリー can tutku。
「本公演は、来年の5月末に大阪で上演予定のA級MissingLink第21回
『あの町から遠く離れて』に先駆けて行う、試演目的の公園です。」
とのことで、観終わってからしきりに 「続きがあるらしいでぇ~!」
とお義母さんたちが言っていた。
東日本から遠く離れて暮らす人々のことだろうか・・
もしかして今年の映画受賞作を意識したものかしらん。
今年の話題作が思い浮かぶ。(観てないけど…)参考→イタリアのシシリアンビアンテ・ドキュメンタリー映画際で
スペシャルメンションアワードを受賞した『フタバから遠く離れて』
・・・・・物語は
離婚を決意し子供と実家へと帰っている秀人の妻、友紀が
瀬戸内の離島での義父の葬儀の帰りの客室から始まる。
英二(秀人の親戚)を待ってる間に離婚届を夫に手渡す有紀。
自分から渡しておきながら舟が着くまで預かっていてくれと優柔不断な夫。
「山口で子供と一緒に暮らさないか?」と何度も繰り返したらしい有紀。
仕事を理由に離婚かあ、ま、人それぞれの想いは様々だね。
今回の笑いどころは移動動物園のわんちゃん(シャドーウルフ)かな。
ところどころに??部分を含めて笑いをとる、いつものパターンも挿入。
ほっとした笑いが心地よい。
・
・
・
最後のシーン、
一年後の法要にてなぜか同じメンバーが再開。
あらら・・やっぱりウルフが騒動起こしそう・・・かもぉ~♪
で、おしまい!! だったけど~(笑)
今回も舞台の工夫が面白かった!!
何かにぶつかった衝撃をあらわすのに釣り糸が役立っていた。
ほう・・ほう・・ほう!
なるほど~、そういう使い方か~(アイデァだね)
実は、アレは何かな・・
と、内心光るもの(糸)に微妙に目がいっていたから・・
今回はカフェを利用した舞台。
狭い舞台を本当に上手く使うなあっていつもながらに感心です。
こちらの劇団は、アットホームな舞台が見せ所、
そんな所さえも毎回、けっこうわくわくしながら観ちゃっています。
人それぞれに価値観は違えどとりあえず、前を向いて歩こうよ。
ってな感じに受け取りました。
さてさて、これがどんな風につぎへと繋がるのでしょうか・・
今回は上本町六丁目まで出て
長兵衛寿司屋店で廻らない廻り寿司での宴会でした。
うなぎ、めっちゃ美味しかった~~!!
画像は携帯電話の添え付けメールが送信できなくなったので、
PCへの取り込みも消滅してダメみたいで撮り込めませんでした~。
残念!!
。。。ちなみに、11月9日(土)のお話でした。。。
『 或いは魂の止まり木 』
A級MissingLink公式HPは→ こちら
今回は家族モノ、ということで比較的にわかりやすかった。
やや難点は過去と現在の時間の進め方だね。
少々入り組みすぎた感有り、こういうところもうひとくふうほしい。
しかし、いつもながら舞台の使い方は面白い!
今回はテーブルとイスのみで登場人物の心情をかもしだす。
配置のしかた一つで雰囲気が変わるものねぇ~♪
テーブルや椅子って家族のにおいが染み付いているアイテム。
空中の「鳥かご」は「家」を表わしているのだろう。
昔逃げていった鳥のように
心が壊れた人間の如く家を捨ててしまった父。
理由のわからない母は17年もの間、
父の帰れる場所を・・と、家を、家族を守って待っていたけれども
その理由が自分なりに何となく理解できた時、
ようやくそこから・・家から飛び立つことができた。
最終ステージ・・皆との夢のような団欒・・
ああ、これが理想の家族の団欒!!
・
・
・
人は一人として全くの同じ考えや行動にはならないものだ。
たとえ親兄弟でも。。。
それぞれが自由を求めた結果が現代人の生きる道、
理想の家族であることはなかなかに難しくなってきているね。
日本の昔は家(制度)があったから家が残っていたけれど、
核家族になった今は家そのものが残らない事もある。
大事なものは家ではないことがわかっているから・・
そういう時代に私たちは生きている。
寿命のしれた人間が時間を失うのは残酷だ!
年月は取り戻せないのだから・・
しかし、精神の若さは取り戻すことができる!
まだまだ男尊女卑の精神が残る日本。
ふ~ん、、、なるほど・・
女性が生きるのに厳しい所ほど女が若返るものかもしれないなあ。
男性が弱くなったといわれる日本。
男は現実逃避、ゆえに精神的に強い女は若返る。
そして振り回される家族や繋がる人々・・
しかしそれぞれに心の中では闘っているものなのでしょう。
「ええのは早うに死んだ」
・・曽祖父の口癖だったという演出家Tさん。
うんうん、昔はそいうことよく聞いたものよねぇ~。
。。。ああ、そうか!!
「ええの」ってそこでいなくなるから「ええの」かもしれない。
残された者の心の奥の引き出しには永遠に「ええの」がしまわれる・・・
もしかして現代人って、
「ええの」になりたい人が多いのかもねぇ・・・
だが、
どんなことがあってもこの地球がある限り・・
歴史は永遠に続く・・・
「サバイバルな時代の、ささやかな止まり木になりたい」
そんな演出家Tさんの思いが込められた感動の作品でした。
いつもありがとうございます!
「この海はどんなに深いのだろう」
昨日の話です。。。
朝、急に義母から電話あり、姪っ子の演劇鑑賞に誘われ、
義母・義姉・叔父さん・私の4人珍しく車で行ってきました。
叔父さんも病み上がりで暫くは禁酒、
義母も11月までは禁酒のドクターストップがかかっています。
私も次の日の今日は検査の日なので飲めないから
飲み会は年末までお預け~、残念!!
途中義姉のお孫ちゃんがばぁばに渡したいものがあるらしかったけど、
今回は3人が飲めないのでミナミでの合流は無しでした。でも、やっぱり
義理姉の息子夫婦&お孫ちゃん共々ばぁば宅へ寄ったとのこと。
そういや~、昨日は敬老の日だったのね~。
~「作・演出家よりご挨拶」の中から~
昨年の夏、 仙台を訪れた時に津浪があった場所(比較的被害の小さな所)、
2年前にも訪れたことのある同じ夕暮れどきに沈み行く輝く太陽を見て
地元の人に質問されたそうです。
「この海は綺麗に見えますか?」と。
相手は「…わかりませんね」と一言。
この作品はこの「わかりませんね」から出発しているとのこと。
A級MissingLinkHPは→ こちら
舞台は、闇について語る男とそれを聞く男が客席を通り舞台へと
向かって登場するところから始まる。そして暗転。
おそらく昔の出来事が民宿をするきっかっけになっただろう男、前田
(元研究者)がたぶん好きであったろう民宿のひとり娘(真奈海)との
初対面の時の回想やら、出世のためにしただろうお見合いではなか
ったかと拘る偉い先生の子女やら、なにやらわけありの玉手箱のよう
な黒い箱を探しているうさんくさい編集者とその甥っ子が浦島太郎の
亀を助けるシーンの亀(亀井)といじめる子供(亀井の甥っ子)・・
それを助ける浦島太郎こと前田、
前田の元同僚とその恋人(=偉い人の子女)が真奈海に伝えたかった事、
などなどそれぞれの思い・・が目まぐるしく描かれていく。
これは、夢か幻か、
誰でも知ってる昔話に例えるたわ言か・・
今回のは少々、
物話としてはわかりにくく難しかったかな。
それぞれの思いを海を生業としている者の宿命を、
深い海の底に漂うような感覚、出るに出られない・・
まるで闇の中でもがいているような感覚。
どんなにもがいたところで海の底はじっとしていない。
自然と波が風が雨が引っ掻き回す。
海底火山の爆発あり、時には地震でずれることも・・
物語はそんな風に変化してくのかもしれない。
美しい自然が年がら年中、
何千年何万年美しいままではなく、
大自然に掻き回された挙句創りあげられた事を知った時、
それが歴史で習ったことでなく、
現実に身を持ってそれを感じた時、
本当の感動が込みあがってくるものなのかもしれない・・
だが・・その美しい輝くばかりの綺麗な今の絶景を
「心から美しいと感じるかどうかはわからない・・」
私が観るこの劇団の舞台は最近、
暗闇を主体にした場面が多い気がする。
それだけ暗闇というものに興味が湧いてしまっている。
暗闇の演技は難しい、
だからこそ魅せ甲斐があるのかもね。
しかし、舞台は面白く生かされているなあって思います。
お世辞にも広いとは言えない舞台だけど、使い方が面白い。
毎回来てるわけではないのでなんとも言いがたいが、
Tさんの演出の時に意識して誘ってくれているみたい。
昔初めて見たときに、この演出家さん結構好きかも・・♪
といったのを義母たちが覚えていてくれてるようです。
昨日、久しぶりに姪っ子の演劇鑑賞に行ってきた。
お義母さんと元姉夫婦と叔父さんと私の5人。
暗転からスポットライト!
鹿子と鹿五郎の会話から始まる、いつもの独特な演出。
人類と鹿の戦争があったという設定らしい。
言おうとしていることがすぐにはわからないはいつものこと。
だんだん物語が明らかになってくるけれど
今回のはナレーションでのハモリング技法での場の移動
ストーリーがわかるようになっている。
要所要所にお笑いが含まれるのがこの劇団の独特な形、
今回は家族が知らぬ間に増えるというシーンだろうか。
ストーリーが何となく解りやすかったので家族たちには好評だった。
でも、あり得ない設定、現実的に考えると夢か幻か・・・?
・・・・・
終わりは、大阪人らしく思ったとおりのオチ・・
しかし、最後の奈津美(えみちゃん)の決めのポーズは面白かった!!
人と人との交わりを大切にすればこそ前進していくのが、
現在に生きる人間として過去と未来を繋ぐ者としての
永遠のあり方なのだろう。。。
人が増える、鹿がしゃべる、台本が変わる、
時としてあり得ないこと、想定外のことも考えてみようじゃあないか
結構、、、面白いかもね・・・
A級Missing Link様の稽古場ブログ
はこちら→「限定解除、今は何も語れない」稽古場ブログ
今日は、もう一つ仙台から来られた劇団の2本立てだった。
仙台へもこちらから行ったらしい。
7ヶ月たった仙台の街中は、改修工事のグレーシートが目立つと
作、演出家さんの挨拶に書いてあった。
いろんな方と繋がっていてくださってありがとうございます、
という挨拶で締めくくられていた。
はたして今回の震災被災後のことを訴えてきた。
停電中、TVも観れなく状況がわからぬ暗闇での暮らし。
電気がつくまでの前半は暗闇での演技、
ここまでの暗闇の舞台は初めて。。。。
あの時彼らは何を考えていたのか、、、
しかし、確かに人と人の繋がりは必須だったに違いない!
いつ元通りにになるかわからない、
いや、決して元通りにはならないのだ。
しかし、前に進むしかない、解らなくとも前に…前進するしかない!
前よりも素晴らしい未来ができる可能性を秘めているのだから。。。
今は、解らなくとも・・・未来へと歴史を繋いでいくのだ、
それが、生き残ったもののできることなのだから。
「三角フラスコ」劇団様のサイトはこちら→ http://www.frascoweb.jp/
二つの劇団共通のキーワードは≪沈黙≫
人と人との繋がりにおいて、
沈黙は時として人を守り、
沈黙は時として人を傷つける。。。
沈黙の真実を知ったとき、
人は成長するものなのかもしれないね。