「ほ~い、クリスマスプレゼント~♪」
「お料理上手なおかあさんへ!」
おお~なんと、我家にもサンタさんが・・!!
その正体は・・ゆうちゃん&彼女さんでした~。
今日は中ノ島のイルミネーションを観に行ったみたい。
いつも気遣いが嬉しい彼女さんです。
パルミジャーノ・レッジャーノって一度使ってみたかったのよん♪
あんまりそこらへんのスーパーでは見かけないもんね。
本当に感謝、ありがとう、!!
今日は昼間の親族忘年会
&甥っこのお嫁さんの誕生日祝会(25日)
さらに姪っこの婚約祝いと御目出度い事が一杯でした。
残念ながらマーちゃんとマー君は仕事、
そんなこんなで我が家からは私以外は不参加でしたが、
総勢大人9名&おこちゃま1人の久々の会食でした。
近所のかごの屋さんにて
全てのメニューが食べ放題、飲み放題
おなかが一杯幸せ一杯な
と~っても満足の楽しい一日でした。
かごの屋の近所の和菓子屋さん
なんと、ケーキもありました!
携帯電話のカメラ機能、
とうとうダメになっちゃったよぉ。
おかあさんから
マーちゃんへのお土産です。
(これはデジカメ撮影)
ご訪問の記念に、1クリック募金のご協力を!
東北関東大震災復興支援クリック募金も行われています。
↓↓↓
いつもありがとうございます!
ひとり丸ごとミニバースデーケーキ(Kentel)
BOKUMAMA~もうひとつの誕生日~【完全版】/JAMIL
浮かない話ばかりの長男、恋はしているのでしょうか。
浮いた話ばかりの次男、将来のことまで考えているのかな?
二人とももう大人、そろそろ独立してもいいんだけどなあ・・
ちょっと心配・・、でも離れていくのもちょっと寂しい・・
姪っ子の結婚がとうとう来年に決まり、
我が息子達に複雑な心境の今日この頃です。
いつものケンテルの昨日のお相伴(Kentel)
今日が地球滅亡日と信じている人々が世界にはいると
ちまたの噂になっているそうですが、とにかく無事に、
今年も誕生日を迎えられることができたことに感謝!
二人とも お誕生日おめでとう!
参考に!
↓「マヤ暦の2012年12月21日 地球滅亡説についてNASAが解説をしたムービーを発表」
今回の選挙率 59.32%、自民党の比例選挙では57、
しかし2009年民主に風が吹いたときでさえ自民党比例は55だった。
今回、自民党への風は全く感じなかったと当選した議員さんたちも
みな声をそろえて言っていたが、本当に不思議な選挙だった。
つまり、「自民党が勝つ選挙ではなく民主・第三党が負ける選挙」となった。
14日の野田総理の突然の解散宣言「16日に辞めてもいい」
で皆虚を衝かれ、結果的に第三極勢力が乱立したかたちになった。
どこの政党も準備不足だったみたい。
維新は、大同小異大きな志で集まろうとの苦肉の策、石原氏の太陽の党
との合流、若い人が多かったから重心としてもおきたかったらしい。(東国原氏言)
しかし、これで純粋な維新の支持者が離れたのは確かだろう。
私にはなんとなく心の中は観えていたけど、一般人には理解し難い事だったろう。
正直、太陽ではなくみんなの党と組めてればもっと新しい風が吹いたかもしれない。
なんとなく人間的に橋下氏が石原氏に好かれていたように見えたなあ…
それにしても、日本の選挙率の低さ(=政治への関心のなさ?)にはがっかりする。
いや、今回は関心が無いのではなく、何処に入れたらいいかわからないからか・・
いずれしても、折角の有権者としての権利があるのにもったいないなあと思う。
わからないなりにも関心をもって人を観るということぐらいはやってみてほしい。
世界ではどんなに生活が苦しくても、自分が支持したい政治家を自由に選べる
ことができない人たちがいることを思うと、本当に日本人は贅沢だなあと思う。
そういう不満を抱いた人々が暴動として行動が起きるのもなんとなくわかる気もする。
だから、日本の有権者の投票権利放棄をもったいないなあと思うのです。
今回の選挙、自民党もあんまり民意ともいえず、
手放しに喜んではいられないってところでしょうね。
これからの政策への国民の目は厳しいだろうなあと思います。
とりあえずはできるだけ政党重視ではなく民意にも耳を傾けて、
少しでも国が良くなるように頑張って頂きたいものです。
あ、そうそう、
投票済み証、今回から無くなっていました。
こういう削減は大賛成です。
脱原発!代替自然エネルギー/オオマサガス(OHMASA-GAS)/酸・水素ガス
さっきがっちりマンデーでやってたので、ネットで検索してみました。
水1リットルから2000リットルのガスができるんだって!
凄いです。世界中で問い合わせがあるのだとか。
水を特殊な振動撹拌で電気分解を行うことにより、
振動流動下での電解時にナノ・マイクロバブル
(酸素と水素のガスが微細な泡になったもの)が生成する。
これが破裂することで、強力なエネルギーが起こり、その結果、
安全な酸素と水素の結合体のガス(OHMASA-GAS)が得られる。
OHMASA-GASのHPはこちら→ http://ohmasa-gas.org/index.html
OHMASA-GASの特徴→ http://ohmasa-gas.org/05what_gas.html
≪喫茶≫
【国語】 きっさ
茶を飲むこと。「喫茶店」
【参考】
喫茶とは仏教独自のものではなく、古くから中国に伝わる習慣であった。
ただ禅宗では団体生活を送る中で、日常の節目ごとに全員が集まって
茶を飲む茶礼というきまりがあった(『禅苑清規』一巻、赴茶湯)。
このようなこともあって茶は禅宗と深く結びついてやがては日本において
禅の精神が取り入れた茶道が生み出されるに至った。
≪喫茶去≫
【禅語】 きっさこ
☆『国語の中の仏教後辞典』 (東京堂出版)
中国唐代の禅僧、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん:778~897)が
修行僧に言った語として有名である(趙州録)。
「お茶を飲みに行け、お茶でも飲んで出直して来い」
という意で、相手の不明を叱責する語である。しかし、後には、
「お茶を召し上がれ」の意に解され、お茶を飲むという日常の営み
そのままが悟りであるという意にとられるようになった。
~以下『禅語喫茶去』様HPより引用させて頂きました~
☆『 訓註 禅林句集』 (改訂版)
「まあ、お茶を一杯召し上がれ」
☆『茶の湯 禅語便利長』 (主婦の友社)
「喫茶はお茶を飲むの意味、去は意味を強める助字。
従って、お茶でも飲もうよの意味」
☆『禅語字彙』 (柏林書店)
「茶でも飲んで行け」の機語。
☆『禅語辞典』 (恩文閣出版)
「喫茶し去れ」お茶を飲んでから出直してこいの意味。
☆『禅林名句辞典』 (国書刊行会)
「むずかしい話は抜きにして、まあお茶でも召し上がれ。
お平らに、お楽にという意味」
【 趙州喫茶去 】
この言葉は次のような話にちなんでいます。
趙州禅師のところに二人の修行僧が来た。
師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧一: 来たことがありません
師 : 喫茶去
もう一人の僧に趙州がたずねた。
師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧二: 来たことがあります
師 : 喫茶去
院主が師に尋ねた。
院主: 前に来たことがない者に『喫茶去』とおっしゃり、
前にも来たことがある者にも、『喫茶去』とおっしゃる。
なぜですか?
師 : 院主さん!
院主: はい。
師 : 喫茶去
~ 引用 ココまで ~
【 『碧巌録』 第九五 】
長慶:煩悩を断ち切った阿羅漢でさえ煩悩たる貧瞋痴(とんじんち)
の三毒があると如来は説いておられる。
保福:説くのは一つであっても、受け取り方は聞くほうによってわかれる。
長慶:やはり如来が説法した語がある。ただ唯一無二大乗の法のみ
あって、二無く三無しだ。常に大慈大悲の一言一語ある。
保福:如来語だの衆生語だの区別することが既に執(とら)われである。
長慶:如来のありがたい言葉も耳が不自由ならば聴けぬぞ。
知れきったことを聞くのは聾同様、云うても無駄だ。
保福:貴公は第二義門に落ちて注釈をしておりはせんかな。
という二人の問答(要約)ののち、
―― 慶(長慶慧稜、854~932)云わく、
作縻生(そもさん=いかに、いかん)か是如来の語。
保福(従展〈じゅうてん〉?~928)云わく。喫茶去。――
(意味)長慶が、「如来の語とは如何」と尋ねた。
是に対して保福は何と答えたか。
「まあお茶でも飲んでいけ」と。
「喫茶去」はお茶席によく掲げられる文字だが、上記のように
辞書にいよっては解釈がいろいろあるようだ。ネットで検索したら、
「茶を飲んで去れ、お茶でも飲んで出直して来い」という意味では
決してないという注意書きした喫茶店も多々見つかった。
―― しかし、
私はこちらのサイト様のご意見が一番納得しました→ 『喫茶去とは!?』
日本における茶の道の完成者、千利休ももちろんそのことの意味
をよく知っている男だった。その上で利休は、こうも云った。
「自分の亡き後、茶道は広まるだろうが、お茶の心は廃れるだろう」
確かに利休の時代のお茶の心は、心の修行、禅の修行へと繋がり、
悩み多き辛いものとなっていたに違いないでしょう。
でも、また、時代が変わりお茶が大衆のものとなってしまったからには、
今現在をありのままに受け止めて、「茶を喫する」ことは、やんわりと
人の心が癒されるものになってしまったとしても、それもまた、現代の
お茶の心と言えるのかもしれません。ようは、それぞれの見方で、
見る人によっては変わってしまうものだから、答えはひとつではない。
こだわりを捨てること・・お茶を頂くという動作は変わらない。
今、そのときそのときを大事にしましょうということなのだと思います。
日常生活の中にこそ仏法があるのですから。
≪参考に≫
『碧巌録』
宋時代(1125年)に圜悟克勤によって編された。雪竇重顕選の公案百則に、
垂示(序論的批評)、著語(部分的短評)、評唱(全体的評釈)を加えたもの。
入矢義高、末木文美士、溝口雄三、伊藤文生4名の校注が、岩波文庫と
ワイド版が上中下巻で、現代語訳版も末木等の「碧巌録研究会」により、
岩波書店上中下巻で刊行された。末木文美士 『「碧巌録」を読む』(岩波書店
〈岩波セミナーブックス〉、1998年)も出版されている。
旧岩波文庫版『碧巌録』全3巻は朝比奈宗源校注だったが、一穂社で復刻されている。
同じ禅者で花園大学学長も務めた大森曹玄 『碧巌録』上・下(タチバナ教養文庫:
たちばな出版、1994年)がある。(ウイキペディアより)
『国語の中の仏教語辞典』 森 章司:編
『碧巌録提唱 下巻』 西片擔雪:著