月の十二支の語源
【月の十二支(十二辰)】
草木の発生・繁茂・成熟・伏蔵の過程、つまり陰陽の
消長する順序を十二の段階に分けて名づけたもの。
(十二か月の各自の特性を示したもの)
【時の十二支】
一日における十二刻の特性を示したもの
【方位の十二支】
十二方位の特性を示したもの
寅(いん)
旧暦一月。
寅は螾(いん)〔うごく意〕で、
草木が春の初めにおいて発生する状態を表している。
寅の月はすなわち正月であり、立春の季節である。
卯(ぼう)
旧暦二月。
卯は茂(ぼう)〔しげる意〕または冒(ぼう)〔おおう意〕で、
草木が発生して地面を蔽うようになった
状態を表している。
辰(しん)
旧暦三月。
辰は振(しん)〔ふるう・ととのう意〕で
陽気動き、雷が声を発し、草木の形が整って
活力が旺盛になった状態を表している。
巳(し)
旧暦四月。
巳は已(い)〔やむ意〕で、
草木が繁盛の極限に到達した有り様
を表している。
午(ご)
旧暦五月。
午は杵(ご)〔つきあたる・さからう意〕で、
草木が繁盛の極限を過ぎ、衰微の傾向が
生じたことを表している。
未(び)
旧暦六月。
未は味(び)〔あじ意〕で、
草木の果実が成熟して滋味を生じた
有り様を表している。
申(しん)
旧暦七月。
申は伸(しん)〔うめく意〕で、
草木の果実が成熟して締め付けられ固まっていく
有り様を表している。
酉(ゆう)
旧暦八月。
酉は■(糸偏に酉)(しゅう)〔ちぢむ意〕で、
草木の果実が成熟の極に達した
有り様を表している。
戌(じゅつ)
旧暦九月。
戌は滅(じゅっ)〔ほろぶ・切る意〕で、
草木の枯死する有り様を表している。
亥(がい)
旧暦十月。
亥は閡(がい)〔とざす意〕で、
草木がすでに凋落して、生命の力が種子の内部に
閉蔵されてしまった有り様を表している。
子(し)
旧暦十一月。
子は孳(じ)〔ふえる意〕で、
新しい生命が種子の中に萌し始める
状態を表している。
丑(ちゅう)
旧暦十二月。
丑は紐(ちゅう)〔ひも・からむ意〕で、
萌芽が種子の中に生じてまだ十分に伸び得ない
有り様を表している。
【十二支の異名】
子・・・困敦(こんとん)
丑・・・赤奮若(せきふんじゃく)
寅・・・摂提格(せっていかく)
卯・・・単閼(たんあつ)
辰・・・執徐(しつじょ)
巳・・・大荒落(だいこうらく)
午・・・敦牂(とんしょう)
未・・・協洽(きょうこう)
申・・・涒灘(とんたん)
酉・・・作噩(さくがく)
戌・・・閹茂(えんも)
亥・・・大淵献(たいえんけん)
『現代こよみ読み解き辞典』 編集:阿久根末忠・岡田芳郎
十二支の由来
十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称。
十干と同じく十二支も、いつの時代に出来たかはっきりしないが、
十干よりも古く、すでに殷の時代には使われていたともいわれる。
初め、十二支は十二か月の順序
を示すための符号(数詞)であった。
子=正月
丑=二月
寅=三月
卯=四月
辰=五月
・
・
・
と順繰りにつけていったものと考えられる。
正月を寅としたのは漢時代以降である。
本来は第一月が子の月というのが自然だが、
「三正論」により、
夏正(立春正月)が使われるようになった。
「三正論」
周時代には、冬至を含む月を正月、
殷の時代には、それより一か月遅れた月を正月、
夏の時代には、さらに一か月遅れた立春に近いころを正月
としていた。これを十二支に当てると、夏の正月は寅、
殷の正月は丑、周の正月は子で始まることになる。
この夏殷周の三様の正月を三正論と称した。
漢時代以降は、夏の正月建寅を採用して
今日に至っている。
日本の旧暦も正月は寅月である。
十二支は、12年毎に一巡する年まわりを示し、
十干と組み合わされて、60年で一巡する年、
あるいは60日で一巡する日を表すほか、
時刻や方角などを示すのに用いられる。
また、紀年法や、記日法に用いられるほか、
月名や時刻や方位にも使用されている。
≪月の十二支≫
正月=寅(いん)の月
二月=卯(ぼう)の月
三月=辰(しん)の月
四月=巳(し)の月
五月=午(ご)の月
六月=未(び)の月
七月=申(しん)の月
八月=酉(ゆう)の月
九月=戌(じゅつ)の月
十月=亥(がい)の月
十一月=子(し)の月
十二月=丑(ちゅう)の月
≪ 時刻 ≫
子の刻・・・午後11時~午前1時まで
丑の刻・・・午前1時~午前3時まで
寅の刻・・・午前3時~午前5時まで
・
・
・
と十二支を2時間ずつに割り当てる。
≪ 方位 ≫
子の方角= 北
丑寅の方角= 艮 (=東北をさす)
うしとら
卯の方角= 東
辰巳の方角= 巽 (=東南をさす)
たつみ
午の方角= 南
未申の方角= 坤 (=南西をさす)
ひつじさる
酉の方角= 西
戌亥の方角= 乾 (=北西をさす)
いぬい
子午線(しごせん)・・・南北線
卯酉線(ぼうゆう)・・・東西線
『現代こよみ読み解き辞典』 編集:阿久根末忠・岡田芳郎
「亥の子」
(いのこ)
江戸時代、十月の初亥の日のことを「玄猪(げんちょ)」または
「いのこ」と言って、猪子形の餅を食べて無病のまじないをする
習慣があった。これは、中国の俗信が平安時代に入って
きたもので、貴重な食料である天の神に一年に一度感謝を
捧げ、豕がますます繁殖(一度に5~6頭生む)するように
と祈ったことによると言われている。
亥は中国の暦法によると月では10月に当たるので、
亥の月の初亥の日の亥の刻(午後10時前後)に、
碁石ほどの丸いいのこ餅を食べると子宝に恵まれ、
無病息災の効験あらたか、と信じられていた。
http://www.viva-takaichi.co.jp/11maturi/b_01.html
☆ 日刊☆暦のページ 様より
「亥の子の日」「亥の子餅」は→こちら
この日には陰陽一年の循環の総決算的な日
という意味があったらしいです。
亥の子餅は丸めた餅、またはぼた餅。
なるほど!
「丸めた餅で、亥の月の初亥の日の亥の刻」
に食べるから「亥の子餅」っていうんですね。
「ぼたもち」は牡丹(=いのしし)餅から
とも言われてるそうです。
いろいろな「亥の子餅」リンク集
☆ ≪京都の和菓子☆ドットコム≫様より
錦たなか・幸福堂の「亥の子餅」のページは→こちら
中はこしあん、求肥(ぎゅうひ)に包まれた、
ニッキの入ったものだそうです。
(幸福堂さんのホームページは→こちら)
☆ ≪小豆らいふ日記≫様の「亥の子餅」は→こちら
柔らかめに炊いたお赤飯でこしあんをくるみ
きなこをまぶしたものだそうです。
☆ ≪花橘亭~源氏物語を楽しむ~≫様より
京菓子司 俵屋吉富さんの「亥の子餅」だそうです。
粒あんを胡麻入りの求肥の餅生地で包み、
上からきな粉をかけたものだそうです。
☆ ≪マネジャーの休日余暇(ブログ版)≫様より
奈良大和の郷土料理の「下笠間の亥の子餅」は→こちら
「亥の子クルミ餅」という団子モチだそうで、
家で砂糖と塩で味付けして食べたそうです。
☆ 「すくすくおやつSCOOL」 様より
「MAMA'S RECIPE 亥の子餅」は→こちら
こいもとお米で炊いたおもちですって!
見かけはおはぎ(=ぼたもち)なんだけどなあ…
どんな味かな~?
リンクさせて頂いた皆様、情報をありがとうございました。
みんな美味しそうで、食べてみたい!
・・・だけど・・・
「亥の刻」の午後10時(または9~11時)に
「亥の子餅」はちと辛い。。。
めっちゃ、太りそうだなあ~!
普段、私はとっくに寝てますよ~
食べてすぐに寝たら、
うし・・いや、豚になる~~~!!
【 亥・猪の文字の語源 】
「亥」・・・豕(いのこ・ぶた)の象形文字。
「核」と同義語
| |
(次代の種(たね)となる意味があり、
新しい生命の内蔵を表す)
鋳方貞亮著『日本古代家畜史』によれば、
猪の吠声が“ウィー”または“ウー”なので、
これから「イ」となったようである。
音読みは“カイ”
『説文』によると、「亥は古文の豕なり、豕と同じ」
『説文解字』によると、亥は、上を表す「亠(とう・ず)」
下は男女が二人並んで何事かをはらんでいる姿を表している。
「亥」・・・十二支の第12番目
〔方角〕 北北西
〔時刻〕 午後10時(または午後9時~午後11時の間)
「猪」・・・猪は俗字であって、本字は
「豬」と豕偏になっている。
「猪」は我が国では、
“イノシシ”というのが普通であるが、
“イノコ”とか単に“シシ”とも呼ばれる。
「猪と豚」
イノシシのシシは、肉のことで、昔は獣類全般の通称
であったが、特に猪の肉が美味であるとして、
シシの代名詞となった。
イノシシとブタの違いは、猪は野生のもの、
豚は家畜で食糧とされるものとなっているが、
豚という字を書いてイノシシをあらわしていることが多い。
「豚」という字は日本独自の漢字。
(中国で豚肉=猪肉)
俗に「イノシシ」と呼ばれる十円札に“表猪”と”裏猪”がある。
“表猪”・・・明治23年 (1890年) に発行。
日本銀行兌換券で、表に和気清麻呂の肖像と
その外枠の上段に6匹、下段に2匹、計8匹の
イノシシが、思い思いの格好で描かれている。
“裏猪”・・・明治32年、亥年にちなんで発行。
表には右に清麻呂像、左に清麻呂を祀る
京都護王神社の社殿とその前に置かれている
狛犬がわりの狛猪の石像の絵が入っており、
今まで表に8匹いたうちの一匹が減って、裏面の
中央に左向きの猪が一匹大きく書かれている。
もうひとつ、「亥の子(いのこ)」
について書いていたんですが、
「亥の子餅」って聞いたことなくて調べていたら
いろんなのが出てきて面白かったので、別にしました。
「亥の子(いのこ)」の記事は→こちら
こ狛犬が「」まいぬ
いのこ
「イノシ「」シ紙幣」いのし
『十二支のE~話』『(続)十二支のE~話』
戸出 武著より
【 戌・犬の文字の語源 】
「戌(いぬ)」・・・戈(ほこ)と斧(おの)または
“鉞(まさかり)”の象形文字。
もともと「戌」は茂る、真ん中の「一」は陽気を表し、
植物が茂る中に陽気を含んでいる形を示し、
収穫された穀物や、野花などの豊かさを内蔵する
明るい意味がある。しかし成熟し枝葉が茂って日
当たりが 悪くなったり、風通しが悪くなるので、
余分な枝葉を剪定し、
樹木の生気を取り戻す必要があります。
戌削という言葉通り、
戌には“裁つ”“削る”の意味もあり花を摘みとり、
球根を太らせるたとえを含んでいます。
また、脱と韻通で、
万物が脱落、仁滅する意味があり、
木や草が切られて寂しい状態を表す。
戌の音読みは“鉞(えつ)”の音の転訛した
ものであって、“シュツ”という。
「戌」・・・十二支の第11番目
〔方角〕 西北西
〔時刻〕 午後8時(または午後7時~午後9時の間)
「犬」・・・犬の形にちなんだ象形文字。
『説文』には
「孔子曰く、犬の字を視れば狗を描くが如し」
と記述されている。
戌と狗とはたいした相違はないが、
“犬は狗の懸蹄(けんてい)〔偶蹄類の両側にあるヒヅメ。
中央の二蹄はよく発達しているが、懸蹄は委縮し、
ほかに接しないで下垂する〕あるものなり”
という説がある。
犬にまつわる民俗は多い。
犬を拾って育てたり、助けたりしたために
金持ちになった話が少なくない。
「花坂爺」の昔話もその一つであり、
ポチという犬は水の神の使者とみなされている。
犬がお産の神として信仰されるのも、
犬の出産が容易という理由のほか
水神信仰がその背後にある。
犬偏のついた漢字は579ある。
「獣」という文字自体、獣全体を代表する
かのように“犬”がついているし、
「吠える」も“犬”が元祖のようになっている。
『十二支のE~話』『(続)十二支のE~話』
戸出 武著
【 酉・鶏の文字の語源 】
「酉」・・・酒甕・酒壺を象った象形文字。壺の中の二本の
横線は、酒が壺の中に入っている様子を表す。
万物が熟し実る様子から
“成る”“老いる”“革新”とかの意味がある。
昔は酉も酒も同義語に用いられ、
『説文』によると「酉」も「酒」も同音で
“就”(しう)と解釈しているが、
後世では、「酒」“しゅ”と切り離して「酉」を“ユウ”
と別の音読みをするようになった
「酉」・・・十二支の第10番目
〔方角〕 西
〔時刻〕 午後6時(または午後5時~午後7時の間)
〔季節〕酒の原料となる黍の成熟する8月を意味する
「鶏」・・・右の旁(つくり)は鳥の象形で、偏の方は音付であり、
“ケイ”という音(おん)を表すためだけのものにすぎない。
ケイという音は、ニワトリの鳴き声“ケケコッコー”にちなむ。
昔はニワトリを“家鶏”(かけ)と読ませている。
これは泣き声によってつけたトリの古名で、
催馬楽歌(さいばらうた)にも
「にはっとり、かけろとなきぬ」とある。
東洋古代の農業社会においては、
元旦は鶏旦、鶏明、鶏日などと呼んでいた。
大阪天満宮の天神さんの
正面の天井に十二支の方位板があり、
各干支の十二支獣が描かれているが、
西方の「酉」のところはニワトリではなく、
鳳凰である。
ここでは、絵馬も鳳凰。
『十二支のE~話』『(続)十二支のE~話』
戸出 武著:参照
【 申・猿の文字の語源 】
「申」・・・① 「1」「日」から出来ており、
背骨と肋骨の象形文字。
すなわち、身(シン)に同じで、
からだを形成する意味があり、
申の音読みは“シン”
胴体は手足のように屈折しないで、
伸ばしたままの伸(しん)から来ており、
物事がぐんぐん伸びていくことを表している。
② 電光(稲妻)の象形文字。
申の「しん」の音は稲妻の振動(震)。
“伸”“神”“紳”も「申」から派生した文字。
「申」・・・十二支の第9番目
〔方角〕 西南西
〔時刻〕 午後4時(または午後3時~午後5時の間)
「猿」・・・猨・猴・猻、が動物のサルの漢字。
「爰」というのは、上と下から手を差し伸べて棒を間に挟んで
いることを表す。木から木へと渡るサルが垂れた枝を仲立ち
にして引っ張りつつ、からだを移していく姿を
「爰」(上下の手の間に棒)を表している。
それに、「けもの編」がついた「猨」となり、後に、
発音を表す「爰(えん)」が同じ発音の「猿」になった。
サルはよくものを援引(ひく)から「猨」とも。
中国では「猿」を「猴」と表記する。
もともと「候」という字は、
気候(様子を伺って知る大気のもよう)とか、
斥候(敵を伺い探る)の意味があり、
サルが木かげからのぞいて餌をうかがうさまから
「猴」と名付けられた。
【世界の三猿】
「見ざる・聞かざる・言わざる」・・・目・耳・口を手で覆っている
「見ろ・聞け・言え」・・・双眼鏡・メガホンなどを持っている
||
日本、韓国、中国、台湾、香港や、東南アジア、南アジア、
そしてアフリカ、ヨーロッパ、アメリカの各地に
置きものや装飾品がある。
【世界の四猿】
「見ざる・聞かざる・言わざる・成さざる」
| |
台湾、韓国、インド、メキシコ、カナダ、イギリス、イタリア等
「論語」の”礼にあらざるものを視るなかれ・聴くなかれ・
言うなかれ・行うなかれ”より【三猿】【四猿】がある。
三猿の源流は古代オリエントにあるとさえ言われている。
『十二支のE~話』『(続)十二支のE~話』
戸出 武著 参照
【 未・羊の文字の語源 】
「未」の文字は『説文』によると、
“木の重なる枝葉に象る”
とあり、朱駿声も
“木老いて枝葉の重なるに象る”
と言ったように木の上にさらに小さな小枝である。
従って、 「未」という文字の横二本は上の一本が短い。
「未」の音読みは“ビ”である。
此の音のあらわす意味は、
原音 は「茂(ぼう)」であり、繁茂の「茂」からきて、
葉が茂って重なり合う状態を示す。
「未」・・・十二支の第8番目
〔方角〕 西南
〔時刻〕 午後2時 (または午後1時~午後3時の間)
〔日が傾く辻、すなわち日辻(ひつじ)〕
「羊」・・・上の二つの点は、羊の角(つの)、
下は顔とからだを示す象形文字。
「羊」を“ヨウ”と音読みされるのは、
渦巻きのように丸く曲がった角の形からで
“夭(よう)”は屈なりともいう。
中国音では「未」は“ウェイ”であり、
羊の鳴き声に似ているので「羊」となった。
“ひつじ”は、羊の容貌が人に似ているところから、
“人牛(ひとうし)”が訛ったものであるとか、
ひつじの「ひ」はヒゲ、「つ」はツノ、「じ」はウシ
の意とか言われる。
我が国にもともといなかった動物が
「ひつじ」と発音されるようになったのは、
『日本書紀』に“百済から貢として羊二匹が渡来した”
とあるところから“ミツギ”が“ヒツジ”になったという。
平安時代末の12世紀初めにできた漢和辞書の
『類聚名義抄』には「羊」に“ヒツジ”という読みをつけている。
【おまけ】
大阪の泉大津市に雌雄二頭の羊の鋳象があります。
古くから羊毛紡績の盛んな地域のため
シンボル的存在だそうです。
『十二支のE~話』『(続)十二支のE~話』
戸出 武著:参照
【 午・馬の文字の語源 】
「午」は音読みで“ゴ”。
意味・・・杵で穀物を搗く音(許〈こ〉)と関係がある。
『説文解字』に「午は牾(さから)うなり。
5月には陰気陽に牾(ご)逆して地を冒して出づるなり。」
とあるように、「午」の上の形は地表をあらわし、
下の「十」の横一は陽気、
縦1は陰気が下から突き上げて地表に出ようとする象形文字
で、午は杵なり「そむく」「さからう」の意味になる。
交互になる、の意味から陰陽の交差する「うま」の意味
があるとも言われ、十二進法では前半が終わり後半が始まる
位置にあって、前後の交差する数のことを午(ご)という。
午(ご)は陰が陽に逆らって頭をもたげ、
盛りから衰え始める時点を示す。
「午」・・・十二支の第7番目
〔方角〕 南
〔時刻〕 昼の12時(または午前11時~午後1時の間)
「馬」・・・上半分は馬の“頭とたてがみ”を、下の
4つの点は“四本の足”を表す象形文字。
“うま”と発音するのは、朝鮮語の“マル”と同源ではないかと
言われている。また、「馬」の字音による語という説もある。
馬偏に属する文字は520文字もあるが、
一般に使用されているのはそのうちの40字程度にすぎない。
『十二支のE~話』『(続)十二支のE~話』
戸出 武著 参照
【 巳・蛇の文字の語源 】
「巳」・・ヘビの象形文字。“ミ”はへミ、つまりヘビの略。
上の「口」は蛇の頭ととぐろを巻いたさまを、
下の「乚」は胴と尾
といった具合に、文字自体が蛇を表している。
説文学でいうと、今まで冬眠していたヘビが
春になって新しい地上活動をすることを意味している。
「巳」・・・十二支の第6番目
〔方角〕 南南東
〔時刻〕 午前10時(または午前9時~午前11時の間)
巳は音読みは“シ”。
草木の繁茂の勢いが極まって静止の状態を表す
もので、万物がすでに盛りを過ぎて、
これからは実を結ぶ時期にあることを意味している。
また、
巳は頭とからだができかけた胎児ににているところから、
植物の芽が子房の中に芽ぐみ始めることとする説もある。
「蛇」・・・左は虫偏で、これも虫の象形文字。
右半分もヘビそのものの象形。
巳と記された我が国の最古例は、
正倉院文書の大宝二年(702)以降の戸籍簿に見られる。
『十二支のE~話』『(続)十二支のE~話』
戸出 武著 参照