http://www.sankei-kansai.com/2009/06/29/20090629-011696.php
今月末に閉館、上本町に移転とのこと。
オープン(昭和33年)、新歌舞伎座という名前だったにも
かかわらず、時代劇やコンサートばかり開催され、
歌舞伎を演じられることはなかった、と言います。
歌舞伎を演じるには大きな欠点があったからです。
ふつう、歌舞伎の舞台は“あわび舞台”と呼ばれる
表と裏でセットを変えるものでしたが、この大阪なんばの舞台は
スペースが取れず、スライド式にするしかなかったといいます。
(スライド式・・・ステージの床が横に動く舞台)
その欠点を逆手にとって、
歌舞伎でも使えるように工夫したのです。
横に歩きながら(=スライドしながら)
場面をかえることができる。
役者の動きに合わせながら、
スピードやタイミングを取るのが大変だったようです。
このスライド機構を売りにして、
なにわ根性で何とか苦労して培ってきた舞台だけに
無くなるのがさびしい
とスタッフの思いは複雑なようです。
http://yaplog.jp/gabustagecrew/archive/8
「新歌舞伎座内部公開」
が見られます。
≪元祖せちやきやました≫ (和歌山県)
やきそばでもなく、お好み焼きでもない
中間の味?
「せちやき」って初めて聞きました。
「せちがう」とは御坊弁で無茶苦茶にするという意味だとか。
初代のちょっとでも待つのが嫌というほどの“せっかち”からきた
「せっかちやき」が訛ってつけられたのかな?
と思ってたら、お客さんに
「やきそば、卵でせちごうて」
という注文から開発されたようです。
早速、作ってみました。
材料は焼きそばと同じ!
切り方がみな千切りで、混ぜやすくします。
とにかく卵が固まる前にまとめるというのが
ポイントだそうです。
焼き始めたらスピードが勝負!
まとまったら焼けるまで触らないのがコツとか。
卵がつなぎなので崩れやすいそうですよ~!
写真撮ってたら白身が白くなってますよー!
これは、だめな例です!
固まる前にせちがうのです。
おっとりぎみな人にはちょっと難しい~かナ。
まとめたら焼けるまでは触ってはいけないのだー!
ところどころに白身の固まりが~!!
(やっぱ、失敗かナ~?)
なんのなんの、崩れないで焼けました!
(へへ…早くかくしちゃえ~~!!)
ってなもんで…
花かつおで、ごまかせましたー!!
(実は…こげちゃったりして…)
確かに・・・やきそばでもなく・・・
お好み焼きでもなかったです。
ビールに合うこと!!
美味しかったです!
≪チマチョゴリ はツーピースで着物はワンピース≫
日本の着物と韓国のチマ・チョゴリ
藤衣(ふじごろも)
藤づるの繊維で織った目の粗い布のこと
平安時代の貴族の間では、喪服として着ていた。
藤衣は、粗末なもの・忌むべきものとされてきた。
後には、麻布の喪服のこともそういったらしい。
↓↓↓
白い喪服へと移行
↓↓↓
黒い喪服へ
(姿と色が変わった)
『萬葉集』を読むと、そこに
韓国の喪服の姿が浮かび上がってくる。
大王(おほきみ)の 塩焼く海人(あま)の
藤衣(ふじごろも) なれはすれども いやめづらしも
(作者不明 巻十二 二九七一)
(=着慣れた藤衣のように古妻は少し強(こわ)いけれども良いものだ)
韓国の葬式
喪主たち・・・漂白されていない麻布の喪服を着る。
一般の参列者たち・・・・・・絹や木綿の白布を着る。
中国でも同じようなところがあるという。
『韓国の昔話に、日本から良い着物の型を教えてほしいと言われ、
そのとき、日本は文化の低いところだからというので喪服の型を
教えた、それが日本の着物になったというような話がある。
論拠は不明だが、古くからそう語り継がれてきたという。(引用)』
高句麗の衣服が、高句麗古墳の壁画、
「舞踏塚玄室東壁」の右の方に描かれている。
スカートタイプ(チマ)とズボンタイプ(バジ)があり、
バジは、現代にもある日本の作努衣に似た形である。
チマ・チョゴリの着方や歴史↓↓
http://www.yumeichiba.jp/chogori-1-.htm
チマとはスカート、
チョゴリは上から着る物と友人が教えてくれた。
チマは丈が長いままだが、
チョゴリは最初は長いものもあったが、時代とともに、
胸のラインを中心に据えて上下するほどに短くなったのである。
全体的な変化=流行現象があったようである。
日本の着物のおくみは右前。
現在のチョゴリはみな、右前。
壁画を見る限りでは、
どちらもあるから、あまり左右に拘らなかったようである。
右前に統一されたのは、遺物や資料が少ないので
深い霧に隠れて見えてこないと著者は言っている。
『日本の文化 韓国の習俗 比較文化論 :金両基著 』
≪韓国の話②≫
この間、久々に会社帰り友人とお茶に行った。
前に図書館にいた時、電話をもらったのだけど、静かだったから
病院にいたのかと思って周りに迷惑かかると心配していたのだそう。
「もう今は本も読まなくなって図書館なんか行ったことないなあ。
えらいよねぇ~!昔は、けっこう好きだったけどなあ…。」
「一時ね、本が読めなくなった時があるんだ。
和裁してた時、目が続かなくって…!今また少し良くなった
から、読める時に読んどこうって思ってんねん。
趣味をね、持っておきたいねんよねえ!
何が続けられるかわかんないから、いろんなことにさあ、
興味もっていたいんだー!
今さ、とっても楽しいのよねぇ!」
彼女と二人のときは、いつもたわいない話で時間が過ぎる。
仕事に関係する話の方が多いが、ほんとによくそんなにしゃべる
ことがあるなあと感心するぐらいである。
しかし、私たち二人は社内では口が堅いことで通っている。
そして、韓国の話。
今は韓国にいる人より、日本に住んでる人の方が礼儀作法を
重んじる傾向があるようだと友人は言う。
自分は日本で生まれ育って日本を出たことがないから、
あまりわからないが、知り合いが言っていたとのこと。
そういや、本にも礼儀作法を学ばせるのに韓国へ子供を何ヶ月か
行かせたという話もあった。周りが日本人だらけだと、子供も言うこと
を聞かないのだそうだ。しかし、向こうも現代化が進み、
昔ほど厳しくはなくなっているとも言っていた。
ついでに下記のようなことも話題になった。
チマチョゴリ はツーピースで着物はワンピース。
日本の文化のルーツをたどれば、韓国文化に行き着く。
オンドルのせいで、片膝をたてる座法なんだって!
≪韓国の話①-A≫
我が家は、キムチ大好き!!
特にきゅうりキムチは絶対残らない!
しかし、
白菜やカクテキ(大根キムチ)は残ること多い。、
残ったキムチはすっぱくなりがち
あまりもので一品ということで・・・
~今日のABCTV「うちごはん」より~
驚きの一品でした!
キムチから揚げ丼
≪材料≫
キムチ
卵
トマト
大葉
粉チーズ
醤油・酒・片栗粉・土生姜
塩・こしょう
レタス(なくても良い)
【 作り方 】
① キムチは汁をきってとっておく。
② キムチに生卵・醤油・酒・おろし生姜を入れ
片栗粉をまぶし5分ほどなじませる。
(片栗粉の代わりに小麦粉でもよいが
片栗粉の方がさっくり感がいい)
③ トマトはさいの目切り、ごま油でいためて、
①のキムチの汁と千切りにした大葉を入れる。
塩・こしょうで味を整え、粉チーズを入れて
混ぜて火を止める。
(溶けるものならどんなチーズでもよい)
④ ②のキムチを油で揚げ、唐揚げを作る。
⑤ 茶碗にご飯を盛り、千切りレタスを敷き
キムチから揚げをのせ、
③のソースをかけて出来上がり!
実は私のまわりには在日韓国人の人が多い。
前々から、毎年必ず法事で休む人が多いのは気になっていた。
朝早くから一族が集うので、
前日から買い物など済ませ、用意をしなければ
とてもじゃあないが料理が作れないという。
もちろん女性たちがみんなで手伝うらしい。
なので、深夜仕事であるパートを休まなければならない
ということだった。最近ゆっくりしてしまうと後片付けの方も
しんどくなるので、連休を取ってしまいがちなのだそうである。
ほとんど毎月のように法事をしていたこともあるが、
今は大変なので簡素化しているという。
御主人が長男なので大変だと言っていた。
韓国では“儒教を抜きにしては韓国を語れない”といわれる
ほど儒教が深く生活の中に浸透しているという。
儒教に基づいて生まれた礼儀作法は、
今日では習慣化しているらしい。
朝鮮王朝は、仏教を政治中枢に位置した高麗王朝
が滅び(1392年)、その衰退の要因が仏教とみなすと、
一切の補助を打ち切り僧侶を階級とする政策、
士農工商賎を制度化し、儒教の礼法でもって
人間関係をコントロールしたという。
朝鮮王朝の儒学は朱子学であり、李退渓(東方の朱子)、
李栗谷(東方の聖人)の二人の影響が大きいといわれる。
李退渓はとくに礼を重んじた。
親子は考による愛を、兄弟姉妹は悌による愛を、
そして信や忠をもって交友し、廉(質素)を尊び恥を知る
といった礼節と作法が重んじられた。
考の精神は、祖霊供養を非常に重んじる。
現世の幸せは祖霊の加護によってもたらされる
と信じていたのである。
元旦(旧正月)・・・茶礼(チャレ・先祖の供養)と、
日本の盆に当たる中秋の名月(旧歴8月15日)秋夕(チュソク)
には、一族が集うが、仏壇などはなく
(仏壇とは寺の本殿にあるものを指す)、
祖霊供養の礼法は儒教に基ずくが、
そこにシャーマニズムの影響が潜んでいる。
韓国のお寺には僧侶以外の人の墓はない。
また、葬送も僧侶の念仏で送られることはないし、
死者に日本のような戒名は付けず、
儒教の礼法に基ずいて家庭でつけられ、
位牌や墓地に書かれる。
『日本の文化 韓国の習俗』:金両基著
友人の御姑さんが、男の子と女の子の可愛がり方が
尋常じゃあ無いほど差別して、長男の時は自分に
抱かせてくれなかったほどだったというのを
よく聞いていた。
今回この韓国と日本の文化の違いを知り、
日本にもあった「家制度」に似た、
いやそれ以上の伝統的大家族制度と族譜
が男尊女卑が根強く息づかせてきたんだなあと、
とても礼を重んじる彼女の姿に納得したものが湧いてきた。
≪ 韓国の話 ① ≫
http://money.quick.co.jp/kabu/toresen/50.html
シャワーで洗える
生活臭・汗などがとれる
アイロンもいらない
山本寛斎・・・30・40代をターゲット
『KANSAIMAN Collection(カンサイマンコレクション)』
ジョンピアース(イギリス人デザイナー)・・・20代をターゲット
『JOHN PEARSE BE ANEW(ジョンピアース・ビーアニュー)』
2008年月5月26日 の掲載だから一年前にできてたんですね。
知らんかったわ~!
こんなに簡単に洗えるなら、普段から重宝しそうです。
女性のものも販売されるようです。
同じく、山本寛斎のデザインで、『forL(フォーエル)』
本格的な量産体制が待ち望まれますね。
【 辰・龍の文字の語源 】
辰という漢字は、はまぐり貝の蜃の原字であり、
二枚貝が開いて殻から脚を出し、
蜃肉がのぞいて運動している形を描いた象形文字。
『説文』・・・「辰は振なり三月易気動き」
『釈名』・・・「辰は伸なり、物皆伸舒(のびのび)して出るなり」
(=春の陽気に誘われて万物が振動し、
草木の伸びも速度を増し始めること)
辰は音読みで“シン”。その音の根拠は、妊娠と同じ。
娠の本字は“身”であり、腹中に胎児のある象を表している。
「辰」・・・十二支の第5番目
〔方角〕 東南東
〔時刻〕 午前8時(または午前7時~午前9時の間)
「龍」という文字は、月は肉の動物を示し、
右側は、その肉が飛び跳ねている形で、
この二つで躍動飛行する姿をあらわし、
“立”は大地に立った形、または童の省略で音符として
リュウの音を表すために付けられた。
今でも、龍という文字は、“かがやく”の意味を持ち、
“吉兆”“祥瑞”というめでたいしるしとされる。
『日本書紀』の古訓では、
龍という文字をすでに“タツ”と呼んでいる。
一説によると、辰は震で、
今の五月に当たり、雷雨が降って農作が行われ、
根を張り、どんどん成長することを意味する。
辰が五番目に当てられたのも、動植物が奮い立つ
初夏のころの意からと言われている。
龍は十二支のなかで唯一の仮空の動物であるが、
“蛇の生まれ変わり”と言われている。
蛇を神秘化されていったのが龍である。
西洋では、 「龍」・・・“ドラゴン”
語源はギリシア語の drakon,
ラテン語の draco を経て、ドイツ語のdrache,
英語・フランス語の dragon となった。
ドラコーンは“眼、鋭く見るもの”の意である。
『十二支のE~話』:戸出 武著
≪ホタルで1億円稼ぐ人がいる≫
完全養殖に成功したからという。
冷蔵保存・雨を調節 して出荷する。
ホタルがいないからなんて通用しない。
ちゃんと納期時期には納期することが大切、
信用に繋がる。
ホタルと言うと、ちょうど今の時期である!
ほんの、隙間産業である!
それだけで1億円、とは凄い!!
全国の今の時期のイベント、
旅行企画としてホテル、旅館
などで引っ張りだこだそうである。
ホテル旅館などでは、自然に近い庭を造形して
お客様に喜んで頂いているという。
そういえば、着つけ講師時代にも
有るホテルの庭園で浴衣会を催した。
あの時よりも随分進んできているみたいだった。
網の箱に入れたホタルに卵を産ませ、
孵化したホタルが網から落ちるようになっている。
下には水が入っている。
「この水はきれいなんでしょう?」
驚きの答え!!
「水道の水です。
ホタルなんて、水道の水で十分ですよ!」
えええ~~、うっそぉーー!!
しかし、
「1cmまで育てるのが難しい、かなり死んでしまうから。」
ともおっしゃる。
おまけに、
都会のマンションの庭でも飛ばせるのである。
都心でホタルが楽しめる。
本物を見るのはいいこと。
お母さん方が口々に言っていた。
ホタルの都合もあるが環境のいいところ
でしかすまないと言われるホタル。
水道の水で十分とは……
私たちの高校時代のころは、晩熟(オクテ)の子の方が多かったですね。
だから今の高校生は、どうどうと付き合ってること言えるみたいで
(息子から聞いた時)、凄いなあって思いましたね。
でも、興味は人並みに正常にあるのが普通なので、女の子同士の話
って、結構きわどかったりするんですよね。
けれどもそれが必ずしも出来ることかといえば、そうでないこともあっ
たり、出来ないこと言って面白がったり、矛盾すること多かったなあ。
それは今も昔も変わらないのかな?
とにかく彼は、自分の紹介とKちゃんとのいきさつを私に伝えると、
Kちゃんが、自分をどう思ってるか聞きたいというんですよ。
そして、田舎に帰るかどうしようか迷っているとも……もしかしたら、
結婚を申し込むつもりでもあったのかなって思いました。
「逢っていると楽しいし、気分が安らぐけれど、手をつなぐのも
嫌なようだから、キスなんてとんでもない!嫌われそうだ。
イヤもしかしていやいや付き合っているのかも……」
心配する彼に、きっぱりと、
「それはないよ!彼女は貴方のこと大好きだっていってたよ!
だけど、今は、身体を触れ合うのが嫌みたい。
もう少しゆっくり時間かけてつきあってあげて。」
私はそんな風に言ったのを覚えていますが、
凄く矛盾を感じてもいましたね。
しばらくは、付き合いが続いたようですが、結局別れたみたい。
二人とも、行く方知れずになってしまったので、
今はどうしてるのかなあ?って思います。
今でもそんな風に思う人っているのかな~?
私は心も体も、好きになるほどにお互い求め合うのは
普通だって思っているんですけど、相手がそれに
『応えてくれないのは我慢できるか、できないか?』
っていうのをネットで見かけてしまって、
人間だけだなアこんな風に考えるのって・・・
って思ってしまいました。