【 トンド 】
トンド・ドンドン・ドンダラなどともいう。
すべて囃子調だが、元は火をめぐる足踏みの音から出たようだ。
奈良県山辺郡・三重県の山村地域では、大晦日の夕方に火を焚いてドンドという。
≪正月トンド≫
普通は正月15日に野外で大火を焚く。
トンド正月・ドンド祝い・ドンドヤ(熊本県)などとも呼ぶ。
日取りには、7日・14日・18日・大晦日などがあるが、
この大火の煙に乗り、歳神(正月神・祖先神)は還られるとし、
一方では、虫送りとも考え、松明の火を捨ててくる。
正月に祀る正月様は、トンド焼きの煙に乗って帰るといい、
はるか西の空を高砂の尉(じょう)と姥のような姿が消えて
ゆくとも、長さ2メートル、幅1メートルの大草履を川に流し、
それに神を乗せて帰すなどと、身内の者と別れる親しみを抱いている。
≪主神は道祖神≫
この火祭りの主神は、道祖神になっている。
『古事記』・上巻
――伊邪那岐命が死の国(黄泉国)から、伊邪那美命とその軍勢に
追われ黄泉比良坂(よもつひらさか)の道ふさぎに、大石ひっぱり
だして、離縁を言い渡す。
「その黄泉坂に塞(さぐ)れりし石(千引石〈ちびきいわ〉―道へ引
っ張り出した石(いわ))は、道反(ちがへしの)大神とも号し、
塞坐黄泉戸(さやりますよみどの)大神とも謂す」とある。
『日本紀』・巻一
――その前続きに、「此よりな過(き)ましそとのりたまひて、即ちその
杖を投げたまふ、是を岐神(ふなどのかみ)と謂ふ」とある。
「さえの神」・・・堺目にいる神
「サエ」・・・境・堺の義
「サヤリ」・・・境:堺をする・つけるの意、
境をする樹木をサヤ木(遮木)という。
『記・紀』では石・杖に神が宿り現れた形式による道の神(道祖神)、
道六神・岐神(〈ふなどのかみ〉くなどの神)とあり、仏法では地蔵菩薩
の垂跡だといい、外部の外敵をさえぎり防ぐ意で、サエから遮(せ)き
(=堰き)の神(猿田彦命・天狗)となり、咳を治してくれる神にまでなる。
この神祭りに子供が参加するようになると、主神に代わって小神(眷属
〈けんぞく〉神)・配下の神)が託宣するようになり、次第に信仰祈願を持
ってこの小神に仕え、前もって意外な祟りを避けようとする風習を生じ、
いつとなく道の神は、行旅の愛護者として、仰ぎ敬われることになった。
「道祖神」・・・(※)うながける神・塞の神
男女二神が肩組みをしているものの、女が主で男がそれに
配されている形式に見えるが、女神の手にする徳利は、もと
食物調理器具(杓子か手杵)で、「オナリ神」(水仕〈みずし〉神
―神の仕女)であった。
(※)「うながける」=互いに相手の首に手をかけ親しみあう意
その焚く所――ドンドバ・サエトは村外れ(村境)・道辻・坂の根・橋の袂などで、
この火にあぶった物(餅・団子・芋類)を食えば、年中病気をせぬという。
『日本民族語大辞典』文学博士石上堅:著(桜楓社)参照
4年ほど前のgooSNS(もう終了したが)で、初めて「どんど焼き」なる
行事があることを知った。その頃は、てっきり「どんど焼き」という
今でも売っている駄菓子のことだとばかり思っていたのだが・・
(コレって単に太鼓のお菓子?みたい)
とにかく、このときは「左義長(さぎちょう)」という言葉が出てこなかった
ので今年まで知らなかった。
ちなみに私の方の(今は無き)実家付近では、たった17件の小さな町
だったからかもしれない(しかもその3分の一は他所から移り住んだ方々
だったように思う)が、大々的な「トンドヤキ」のような行事はなかった。
しかし私は、確かに「トンド」と聞いたことがある。
近所にいた代々農家さんだった家の次女である幼馴染が言っていた。
米を収穫した後に出る籾殻の山、あるいは落ち葉や稲藁のくずなどの
処理で決まった日付けもなく、その都度焼いていたことがあった。
それを彼女は「一緒にトンドあたろうや~♪」と言っていた。
何より、トンドの楽しみはホイルに包んだ芋を忍ばせてあること。
籾殻でゆっくりじっくり焼いた焼き芋は、それはそれは物凄く甘くて美味しく、
大阪市内にKトラックで売りに来る焼き芋やさんの味には満足できなかった。
昔、一度味見で買ったことがあるだけでそれからは買ったことがない。
トンドの焼き芋のあの味は今でも忘れられない!
普通に言う「焚き火」のようなものだと思うが、私はそれを「トンド」
というのだとばかり思っていた。とんどといえば口ずさむ歌がある。
♪ 垣根の垣根の曲がり角~ 焚き火焚き火だ落ち葉焚き~♪
参考に→ http://youtu.be/S9wgi2SlsJA
調べてみれば、この火にあぶった物(餅・団子・芋類)を食えば、
年中病気をせぬという、なるほど、これもとんど行事の一種といえそうだ。
知らず知らずにしてること思えばいろいろあるものですね。
【 リンク集 】
「どんどやきは日本の国民行事」HP様→ こちら
(NPO法人地域資料デジタル化研究会様)
平成15年より、全国の新聞社WEB版に掲載された記事を主な情報源として、
小正月行事である「どんど焼き」の実施状況を調査し、表形式で比され、
小正月行事「どんど焼き」の全国調査集計(平成25年版)をとられています。
「PRUNUS なんやん」様ブログ→「どんど焼き」(2013.1.15 記事)
1月14日だったのが雨天延期で15日になったそうです。
どんど焼きの画像検索結果→ こちら
【 左義長 】
サギッチョ・サンチョ・トンド・オニビ・ホケンギョウ。
三毬杖・三鞠打。正月15日・18日の火祭りをいう。
(今では本来の日に近い土日曜日とかいうところもあるようです)
≪京都≫
カキトンド・・・6日の神年越の夕方に小さく焚くものをいう。
オオトンド・・・14日に大きく焚くものをいう。
この日が重要であったことを「大」は意味する。
ところによっては、14日の方を、左義長といい、
京都とその付近では、もう一度18日にする。
≪九州≫
鬼火焚き・・・7日に焚くのが多い。
大晦日の夕方に焚くのを「トンド」「ドンドヤキ」というところもあり、
年に一度の行事とも限らなかった。
「トンド」は囃子調で、もと足踏みの音からでたらしい。
美しい飾り物があるので、「蓬莱まつり」ともいう。
「サギチョウ」というのも毬杖という祝棒が用いられなくなったため不明なの
だが、本来はただ簡単に、三本の竹、または木の棒の頭部を結んで三脚
にして裾を広げ立てかけたのが三毬杖(さぎちょう)である。
≪関東地方での三毬杖≫
・臨時の火鈎かけや鍋かけ、物干し竿の脚
・刈稲を架け干す稲架
・また広く焼畑や伐採の占有標の一つ
・新墓の上、火葬後には、鎌・石(サギ・チョイシ)を藁縄で
その頂から吊る(落ちた時に死霊は往生するという)
これらは中世以後の作法であり、3本丸太を結び合わせて火祭りの
小屋を組んだからの名で、山から伐り出した木で造ったが、爆音を
聞く目的で竹を用いるようになった。
柱をボクといい、それに心竹を(京都の三毬杖も古くから竹の柱)・
心木と両方があった。その一本が中空に長くつき抜けでていて、
歳神の昇降用(憑代〈よりしろ〉)とし、田面を囲って小屋(サンチョゴヤ・
鳥小屋)とする。
爆竹音などの大きく明るい年はよいという。
所によっては、子供の道祖神祭りの火焚き(サイトヤキや
サイトウバライなどという)と、混同してもいる。
合わせて正月の松飾りやシメ縄など村中のを集め積んで、
焼くことにもなっている。
【 心柱=神の憑代(よりしろ)=御幣(オンペ)】
木の場合・・・オンペ柱(焼かずにとっておく)
竹の場合・・・オンペ竹(この火祭りをオンペ焼きという)
1)正月の神を迎える火の神聖を祝う行事
2)正月を迎えるための忌み籠り小屋を焼き捨てる作法
☆この心柱を村落の守護に必要な地点(道辻・坂の根・橋の袂)
で行い占い、結果的に様々な習俗を生んだものとみられる。
・この火に当たり若返る
・丈夫になる
・心柱が倒れる方角・火勢・焔色・音響でその年の意凶卜する
・餅花、繭玉などものを焼いて食う(力餅という)と風邪をひかぬ
・残りの灰を体になすり付けて病気をよける
『日本民族語大辞典』文学博士石上堅:著(桜楓社)参照
【 リンク集 】
日牟禮(ひむれ)八幡宮の左義長祭は→ こちら
ここでの“左義長”とは高さ約3メートルの三角錐の松明〔たいまつ〕の上に赤紙や
くす玉、扇などを飾り、正面に干支にちなんだ「だし」を飾り付けたもの。
町の人々の力作である“左義長”と、信長の踊りの姿に由来するとされる化粧した
若者たちに注目が集まる(信長は身分を隠すために、花笠を被り、女物の
長襦袢を身に着けて踊ったといわれる)。
昨年のお写真、夜空を焦がす炎の中の龍の姿は見事なアートです。
大磯の左義長祭(2013)は→ こちら
大磯の左義長はセエノカミサン(道祖神)の火祭りで、セエトバレエと呼ばれる。
その由来はこちら→イソダドットコム
新熊野(いまくまの)神社の左義長祭→こちら
(1月15日)
カリソルブという虫歯の部分だけを溶かすことが出来る薬剤を
虫歯に塗って30秒ほど待ってから、専用の器具でほじくり出す
治療法らしいです。
もうすでに世界では47カ国で導入されている治療法とのこと。
日本では2007年に厚生労働省によって認可されており、徐々に
歯科医院で使われるように広まってきている最新の治療法。
随分前に無痛治療って聞いたことがある気がするけど、
どんなものかは知りませんでした。
さっきTVで紹介していたのでネット検索してみました。
このサイトがわかりやすいみたいです。
↓↓
カリソルブを使用した無痛・低侵襲歯科治療とは?東京・大阪など
(http://www.1cyberdental.com/carisolv/
アメリカやヨーロッパではすでに一般的な治療法で
保険内診療になっているとのこと。
現時点では日本では保険外診療「自費診療」。
TVの紹介医院の場合は1本2万円ぐらいとなっていましたが、
こちらのHPではもう少し安いようです。
虫歯の進行具合によっても違うかもしれませんね。
治療機械を持ち運び出来ないところ、たとえば動けない
お年寄りなどの在宅訪問治療も可能になり便利になりそうですね。
それにしても認可から8年も経ってるのに日本の対応は遅いなあ。
とりあえず受けられるところのコピーをさせて戴きましょうっと。
今ではもっと増えているのかな・・
・東京
千代田ファーストビル歯科
東京都千代田区西神田3-8-2 千代田ファーストビル東館1F
わたなべ歯科クリニック
東京都品川区南品川3丁目6-30柳下ビル1F
・大阪
田村歯科クリニック
大阪府大阪市中央区南船場1-10-12 ラインビルド南船場1F
2013年 生チョコ、きなこ生チョコ
今年初めて、きなこ生チョコにもチャレンジしてみました。
細かくチョコレートを刻むのを省略して、
簡単な作りかたにしました~♪
きなこ生チョコレシピ
≪材料 (14x14)≫
・ホワイト板チョコレート・・・・280g(40gx7)
・生クリーム・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 100g
・無塩バター・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20g
・甘納豆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 100g
・きな粉適量(まぶし用)・・・・・・・・ 適量
生チョコレシピ
≪材料 (19x19)≫
・板チョコレート・・・・・・・ 440g(55gx8)
・ホイップ・・・・・・・・・・・・・ 1箱(180ml)
・無塩バター・・・・・・・・・・・・・・・・ 60g
流し固める箱が大きいので量は多め。
チョコレートはパキパキと適当に割っておく。
湯煎の場合は細かくしなくても大丈夫なのよ〜♪
このくす玉セット、100均で10年ほども前に買ったもの。
リバーシブルで62枚組というのはめっちゃ安いやん、
懐かし~いと思い買ったのは良いけれど・・
折って折って一旦広げて裏返して折って~、
という折り方説明書をみて当時忙し~く過ごしてた私は
「や~ね、、結構ややこしい!一つ折るのに時間かかりそう~」
とついついほったらかしにしてました。
最近、図書館でユニット折り紙(園部式)の本を見つけて
これはリバーシブル折り紙がいいかも・・と作って見ました。
その前に一つだけくす玉のユニットにチャレンジしてみたら、
あらっ、作れたわと感動~♪
(でもくす玉作るにはすでに枚数がない)
ってことで、2枚組・3枚組・12枚組に挑戦してみました~。
ちゃんと動画も見つけました。
沢山作りたくなる立体のおりがみ作り方【Japanese origami play】薗部ユニット
くす玉、懐かしいと思ったけど私が作っていたのは、実は、
刺繍糸だったかリリアンを解いた糸だったか忘れちゃったけど、
丸いボール型に糸を隙間なく巻きつけていくものでした。
あれ、最近見かけないなあ・・
ああ、そうそう、
モールをくるくる鉛筆でカールした花を球形型に
待ち針で止めていくくす玉も作ったなあ・・
あれ、まだあるのかなあ・・
(小学生の頃の話です、なつかしい~♪)
またもや、「体罰について思うこと」にコメント戴いていろいろ考えるうち、
突然心境の変化に気づきましたので、日記としてアップすることにしました。
昔は私もどうしょうもない悪い事ばかりする子には体罰も仕方がない、
いやむしろ必要派、うちの子だったら叱ってやってくださいと先生にお願い
していたぐらいです。そして、ごく最近までそう思っていました。
しかし、
今回の高校生自殺の件や柔道での体罰の件が出始めてから、
どんどんと次から次に湧いてくるイジメと同じような発覚にやっぱりなあ
と思うものがあり、いろいろ考えるうちに、絶対してはいけない方に
だんだん変わってきました。というのも、体罰をいったん許してしまうと
また同じ事が繰り返される可能性があるのではないかと危惧するからです。
そして一番危惧することは、
何もしていない子でも他の子のとばっちりを受けるとか、
例えば一人の悪戯が連帯責任という形の元、全員が罰を受けたりとか、
全く関係が無いのに友達をかばったり、いちいち説明する(ちくる)のが面倒だったりで、
先生の勘違いのまま、罰を受けたりすることも無きにしも非ずだと思うからです。
悪さをする子なら、ちくったことによるイジメなどへの転化も考えられますね。
真実は、今そのとき見えるものばかりではないことも多々あるからです。
そして、必ずしもそれが良い方向へ進むかといえば、
悲しいかな人間というものは、自分が悪くても素直になれなかったり
カッとしてしまって思いもかけない行動に走ったりすることもあると思うのです。
また、その場限りの行動で無駄に過ごす人生にも為りかねないし、
恨み積もって(逆恨みの場合もあるけど)将来犯罪を起こすきっかけにも
なるかもしれないと思うのです。
中高生の心理を考えてみるとちょうどそういう反抗期の時期に当たります。
大人になってからわかることでも、できるならそのときに気づかせてあげたい、
いろいろな可能性を若いうちから目指した方が何度かやり直しもきくし、
人間の限りある人生の時間を有意義に費やしてもらいたいです。
ただでさえ、少子化が進んでいるのですからね。
折角、この世に生まれたからにはきちんと人間らしく我が命を全うし
自分らしい人生を過ごしてもらいたいと思うのです。
本当は子供たちだってもう中学・高校ともなれば、自分が悪いときって
わかっているのではないでしょうか。
だから何かやりたい事が見つかれば目標に向かっていける、また、
見つからなくても学校で部活やら友達やら何か楽しみがあれば、
とりあえず勉強しとくか~ってなるものかもしれないなあ・・って思えてきました。
だから、教育のあり方・仕方にもっと工夫がほしいんですよね。
難しくても授業が面白かったり楽しかったりする先生っていたでしょう?
大好きだった科目が先生によってわからなくなって嫌いになったなんて経験ないですか?
私は大人になってからですが、
こんな本があればあのときもっと歴史に興味がもてただろうなあ・・とか、
数学の難しいものでも教える人によってあ~なるほど!と簡単に理解できたり、
また数学をマジックにも繋がるんだと言っていたマジシャンもいましたよ。
物理や化学でもほんのちょっとしたことで物凄く興味が湧く自分を見つけました。
みんな、TVでの授業やネットで仕入れた情報ですけれどもね。
実は私、中学までは勉強が嫌いでわからないことだらけでした。
何とか国語、古文だけは好きでまあまあ良かったですが他は全然でした。
だから、色んな先生がいらっしゃるんだなあ、あんな先生の授業受けてたら
もっと違った人生歩めたかもしれないなあって今更ながら思いました。
でも、めっちゃ真面目な生徒でしたから体罰などうけたことはありませんが・・(笑)
まあ、そんなわけで、
時代にあった体罰のあり方を今一度しっかりと考えるべきとき
が来たのだろう、情報化の進んだ生活仕様での教育のあり方、
今時の若者の考え方、社会においての大人の犯罪、
青少年の犯罪件数・種類などをも考慮して、もっと
仕組みから改革してほしいなあと望んでいる次第なのです。
体罰についてお友達からコメント戴いたので思うこと書いてたら
一杯になったので、記事としてアップすることにしました。
体罰は本当に真面目に向き合っている子供にとっては耐え難いもの。
だって、一生懸命やってるものまで殴られたりするのだからね。
世間で話題になった自殺した生徒はキャプテンとしての連帯責任
みたいな人の失敗まで責任をとらされて殴られたようなことも
しょっちゅうあったらしいし、キャプテンを止めたくても止められない
ような監督の言葉や態度もあったという。ただでさえ、試合にでれる
かどうかは監督の一存で決められるってことも大きく関係があるでしょう。
スポーツする者にとっては、特にそれなりに自信のあるものにとっては
試合には出たいと思うのが普通だし、だからこそレギュラー目指して
頑張る力になる。けれど、それをエサにするような監督の体罰を伴う
物言いや態度では辛さの方が勝ってしまうし恐縮してしまう。
サポートする親も子供がいいといえば、何も言えなくなってしまう。
何よりも親はずーっと傍に張付いて見守るわけにはいかないのだから。
今までは普通そういうときに親が何か言えば次の日から子供が苛めに
あったり廻りから白い目で見られたりするから、つい子供は親にも相談
できなくなる、悪い風潮が染み付いてしまってる。
これは明らかに全てにおいて暴力・イジメに繋がるものであって、
体罰を通り超えるものじゃあないかな。
こんなことが罷り通ったまま許されてはならないと思います。
教える側は人を責める前に自分の不甲斐なさを責めるべきであって、
どうしたらスポーツとして楽しみながら向上できるかを追及するべきでした。
健康な精神面がなくてはスポーツなどできようはずがありません。
人間の感覚の中で、いじめと犯罪がごっちゃになってたように、
体罰もしつけとごっちゃになってほったらかしになってたように思います。
今までも問題は多々あったと思いますが、教育委員会が面倒くさがって
真面目に向き合ってこなかったせいだと思っています。
また、それを監視する行政も生徒側の訴えに耳を傾けない不公平
ありき、私から見れば彼らは職務怠慢ほかならないです。
両方の立場で物事を見るという人間としての基本的なものが
抜け落ちていたとしかいいようがないです。
校長先生には、
指導者本人に聞くだけで真実が観えるのですかって言いたいです。
人は良いように思われたいという行動を取ることがあるのは当たり前、
当人は自分の行動が人を傷つけるものとは思っていないことがある
ということしっかり頭に入れておいてほしいです。
教育委員会には、
訴えがあるのに学校側の意見だけで済ませるっていうのもおかしく
ないですかって言いたいです。
自分の目で見ないものをそのまま信じるというのはどうかしています。
せめて両者公正に観る、特に被害者側(弱者側)に耳を傾けるのが、
本来の教育の、いえ、人としてのあり方、子供たちに教えるべきもの
ではないでしょうか。
「あくまで躾として軽度の体罰を受けたとするものは、体罰を一度も
受けなかったとするものよりも犯罪歴が低く、学歴、収入が高いとの
結果も出ている。」
とウイキペアにもあるように、結果論に頼りきり、どこまでが躾としての
体罰かを把握することを教育委員会も行政もほったらかしにしてきた
のが、そもそもの始まりだと思っています。
ほったらかしにすると塵が積もってホコリだらけになるものです。
100%綺麗だった部屋さえほったらかしじゃあ、
「塵も積もればゴミ」となるものです。
たまには隅々まで掃除もしなくちゃあね。
これからの教育にスポーツ振興に、今回のこと
活かせてもらえたらと拙に願う今日この頃です。
今年は殻つきに鬼の面が付いていたので、つい買ってしまいました。
【節分】
立春の前日およびその行事をいう。
朔望暦である旧暦法では、立春を改暦の目安として、
立春に先立つ朔(ついたち)を元日と立てるのが原則であった
がゆえ、「立春正月」といわれ、立春の日に正月朔(ついたち)
の来る年をとくに賀した。ただ、閏は月が単位であるから、
正月に先立って立春がくることがある。
「年のうちに 春は来にけり。
ひととせをこぞとやいはん、今年とやいはん」 「古今集」巻一(一)
という在原元方の歌は、それをいったもので、立春正月
の感覚を明らかに伝える。
節分の夜を「年越し」といい、節分行事に正月行事を伝える
のは当然であり、正月行事が節分に移ってきたのは逆だ。
☆「立春大吉」とはり出す・・・中国地方
☆ヤイカガシ・・・節分の夜、鰯の頭をヒイラギの枝に刺して
入り口に挿しておく(全国的)
悪臭を放つもので、邪気悪霊を追い払う。
「土佐日記」の元旦の条には、シメ縄に鯔(なよし)
の頭とヒイラギとを挿すことが記されている。
☆ムシノクチヤキ・・・ネギ・ニンニク・毛髪なども焼き、蛇や田畑の害虫
(鳥・獣)の名を唱え、その害を防ぐ呪い。
淡路島・・・豆を一粒づつ炉に放りこみながら、
「猪の口・ウサギの口・蚤の口・蚊の口」と唱える。
☆豆まきの初見
「花営三代記」応永二十二年(1415)正月八日の条
☆豆で「豆占い」「年占い」
豆を平年には12、閏年には13炉の灰の上に
並べて、その焼け方で月々の天候を占う。
☆「お化け(まいり)」・・・京都・大阪・福岡など
厄年の者が厄をはらう厄落としや、厄払いに枠筋、
色町の者が中心になり仮装してそれぞれの神社に詣でる。
※秋田県毛馬内辺りの「化け」
少女が宿に集まって食事してから変装して町を歩いたが、
これは盆の月の7日目の行事。
☆「ノセマゲ」
6・7歳の小女に髷を結い、紅い手がら(結い初めの丸髷
(まるまげ)の根元などにかける赤色のきれ地)など掛け、
少女―娘になったとし、各戸から貰い集めて調理したもの
を皆で食い、厄をはらうとしている。
これって現代版略式人形の形代ね。
人形の枠内に家族全員の姓名と数え年を書いて、
この除災招福祈願豆入れ袋に豆を入れて納め、神社で護摩焚きして頂きます。
ご参考にどうぞ!
obiログ過去記事→「節分のお化け」(2012.1.20 記)
「お化け」についての我がエピソードなど詳しく載ってます。
リンク先様にて実際に行われたお写真など見れます。
『日本民族語大辞典』文学博士石上堅:著(桜楓社)参照
ご訪問の記念に、1クリック募金のご協力を!
↓↓↓
いつもありがとうございます!
忌み・物忌み・精進のことを「ヒ」いう。
火・日・水についての清浄さを保つ事が中心になるからである。
≪ヒアケ≫
7日目をいう。
忌み明き=産後・葬式のヒアキともなる
≪ヒノウチ≫
忌(ヒ)の期間=赤(出産)・白・黒(死亡)不浄の期間
日(ひ)・水(ひ)・火(ひ)の内=忌中(きちゅう)のこと
≪ヒダチ≫
先天魂のヒが本来の状態を取り戻し、その霊力・生活力
を発揮する意がある。
産後のヒダチというのもこの忌が終わり、水・日・火を
新たにする時の名で、「肥立ち」の宛字の解説ではわからぬ。
≪ヒノベ≫
月経閉止・先天魂の分離を意味し、懐胎をあらわす。
≪ヒアイ(火相)≫
水相・日相ともいう。
忌である火・日・水の災厄などの折、避難通過をするため
家の両脇に設けてある、約1メートルずつの細道のことをいう。
東京・・・「ヒアワイ(=ヒアハヒ)」
東北地方・・・「ヒヤコ」など
物忌み「ヒ」の根本は、日・水・火の他に災厄を及ばぬよう
にとの遠慮にある。特に忌中の日・水・火には外部の人が
近づくのを避けると共に、常時のそれらと交わる事を忌み嫌う。
≪ヒゴヤ≫
火小屋(忌小屋)といい、ヒヤマ・ヒモヤ・タマともいう。
女性の忌みにこもる場所であり、
主屋から離して設ける小屋である。
月々だけでなく、産褥の折にも使用する。
神人・巫女などに、日(ヒ)を名とするのも、先天魂の「ヒ」と
物忌みの「ヒ」との印象によるのである。
ご参考に!
関連obiログ過去記事→ 「忌≪いみ・いむ≫ ☆ 1 」へ
関連obiログ過去記事→ 「忌≪いみ・いむ≫ ☆ 2 」へ
『日本民族語大辞典』桜楓社:石上堅著
大昔の女性に対する「忌み」って、今でいう生理休暇・
産前産後休暇みたいなものも含まれているのでしょう。
神々と話をできるのは女性のみとされていたし、また
神から命を授かる神秘的な身体をもつ女性を尊く有難いものと
いう潜在意識が備わっていたのかもしれないなあと思います。
八百万の神々がいるこの日本においては、農家では、
女性は男よりも無くてはならぬ労働力とされていたものです。
そしてまた、今は世間からはないがしろにされがちな家事・育児
ですが、ちゃんと大昔の人々はこの大事な労働力(仕事)に
お給料代わりのもの(米・作物など)が支払われていたんですよね。
といっても税金代わりの年貢をよけたものを皆で分けるというような
方法だったのでしょうけどね。
けれど、毎日が辛い仕事だったからこそ、仕事場でさしさわりが
ないように何かと「忌み」というかたちで休暇があった。
今回、「忌み」を調べてみて、「嫌われる」=「仕方がなく避ける」という
ことを知った時、今までとは全く違った昔の生活感が観えてきました。
昔の時代は男尊女卑だったなんていうけれど、これこそ女性に対して
の本当に理解する意味での「忌み」休暇だったのではなかったかと・・
どうどうと「忌み」にこもる「女の家」などは性教育そのものでしょう。
それを男側としても見守ってきたし、男の子としても自覚が持てた。
つまり、女性に対するいたわり、ねぎらいの心さえも自然に備わった
のではなかったのだろうかとつくづく思いました。
現代の生理休暇・産前産後休暇・育児休暇など
有難いものが、ちゃんと出来ているのに、日本では未だに
それらを取りにくい社会に対しての矛盾を感じています。
もちろん今は男女同権という名のもと、生理休暇以外は
男女ともとれるようになってきていると思いますが、
まだまだ実際には取れない会社も多々あるかと思います。
男と女とは身体のつくり自体が違うのだということ、
それを差別、あるいは男女同権と勘違いしてはならないこと、
改めて子供には教えるべきだと思いました。
性教育さえも生活上でしてきた昔の日本、改めて昔の人は凄かった!
今の勉強だけに対する教育熱心さとの違いを改めて感じています。
鬱という病気が多くなった日本・・
医療が発達しすぎて病気は治り、長生きはすれど、
精神的な社会の補足がまだまだ足りない日本・・
まだまだ矛盾だらけの日本・・
これから何処に向かって往くのだろう。。。