【 寅・虎の文字の語源 】
「寅」は“矢”と“𦥑”(キョク) (手を組む意)との合字である。
郭沫若は、
甲骨学文字篇巻十四で「矢を捧げる形」
と言っている。だが、ある学者は、
両手(𦥑)で矢竹の曲がりをまっすぐに伸ばす形
で、正確に的を射ることを意味する。という。
「𦥑」・・・手を合わせ協力することを表す象形文字。
下の「ハ」は人を表している。
また、寅は謹しむの意もあり、大地に根をはって
じっと発芽の時期を待ち、初めて地上に生ずることである。
(クリックで大きく)
「寅」の音読みは“シ” (矢)軽音で“イン”という。
「寅」・・・十二支の第3番目
〔方角〕 東北東
〔時刻〕 午前4時(または午前3時~午前5時の間)
「虎」・・・“虍”(コ)と“儿”(ニン)の合字である。
上の“虍”はトラの皮の文様をあらわし、
下の“儿”は人の足の形をそのまま
トラの足の形とみて作ったもの。
「虎」の語源は、
中国の福建から広東にかけての華南方言からである。
古くトラのことを“タイラ”と呼んだのに起こり、
“トラは虎うる也。人をとらゆる獣”
というところからきた、と『日本釈明』に記されている。
“虍” (とらかんむり)の字は102あり、
「慮(リョ)」「虐(ギャク)」「彪(ヒョウ)」
などが、よく使われている。
『十二支のE~話』:戸出 武著
あらっ? ランキングが・・・
数字が出てる???
確か朝までは順位なしというか、1000件までの表示だったのに・・・?
今、10000件まで表示されています。
あらっ、結構・・ いってるんじゃあないの♪
でも・・・
「あ、下書きを間違えた。」
ってな感じで公開してしまうこともあります。
下書きで何度か草稿にしておかないと、折角一生懸命書いたのに
うわ~~~、消えちゃったー!
って何度苦い思いをしたかわかりませんからね。
こういうとこ、もう少し工夫がほしいかな・・とも思いますね。
過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 | 閲覧数 | ・訪問者数 |
ランキング | |||
---|---|---|---|---|---|---|
2009.02.23(月) | 306 | PV | 154 | IP | 5737 位 / | 1188539ブログ |
2009.02.22(日) | 589 | PV | 212 | IP | 3308 位 / | 1188036ブログ |
2009.02.21(土) | 322 | PV | 175 | IP | 4517 位 / | 1187475ブログ |
(コピーして貼り付けたのでずれています)
この表で言うと、それが 22日の分ですね。
この場合、私にすれば、正確なランキングにはなりません。
自分しかわからないことですが、ブログバーツの貼り付けに
失敗してしまったんです。
今日も1回、下書きするつもりで公開してしまいました。
明日の分はあてになりません。
現在、私の場合、一度のアップで 50人ぐらいの人が見てくれている
ようです。でも、見て、即、面白くないなって感じで違うのをクリック
したりもすることもあるでしょうし・・・私もそういう経験ありますしね。
何も知らない人は、これだけで本当のランキングって喜んでしまう
人もいらっしゃるでしょうね。
50 IP 違うだけで閲覧数もかなり、変わっているでしょう。
日ごとにみると、270~280PVの差がありますが、ミスった記事は
削除してしまっているので、違うのをクリックするわけです。
きちんと読むまでに至らないけど、パッとは見てくれているのでしょう。
私が大事に思う方たち。
それは、ブログを続けて更新しなかったときのIP数!!
しかも、2日以上後のIP数・・、この数こそ本当に自分のブログを
真剣に読んでくれている訪問者数なんですよね。(1日目は前日の
更新が遅い時間が多いから、訪問できてないとみます)
ま、私は、これからも、参考程度にさせてもらうことにします。
ってなわけで、“ホームの登録足跡”はこれからも登録致しません。
だから、どなたでもどうぞー♪
内緒にしたい方、したくない方、おっ気軽に~~♪♪
現在私のブログを読んで頂いている方々、
本当にありがとうございます。
そして、これからも宜しくお願い致します。
旅先で見つけた紅梅
(クリックで大画像に)
やっぱり一部の画像は保存できてなかったようでしたが、
美味しかったお料理は残ってました。記念にアップしておこうっと♪
(クリックで大画像に↑)
(クリックでブログサイズ画像に↓)
あと、芹ご飯・吸物・香物・デザート
凄い量で、私にしては珍しく全て食べきれませんでした。
一生懸命作って頂いた方に申し訳なく思いながら、
どこかで食べれない人達のことを思いながら、
ごめんなさいでした。
朝食は普段はパンの方が多いですが、
旅行のときはなぜか食べれてしまいます。
生卵と海苔はセルフサービスでした。
お料理はいつも、これ家でやってみようと
思いながら食べるので、十分に味わって頂いています。
今回は、
“サーモンの蟹味噌焼き”
“じゃがいもチーズ”
「やってみよう!」候補です。
今回の旅は、途中まで、一人旅でした。
神奈川へ嫁いだ友人のお姉さんのところへ行く予定でしたが、
あいにくお姉さんの体調が戻せなかったようなので、おうちへの
お泊まりは遠慮しました。
3人娘の長女さんのみ嫁がれた友人は、姉の結婚生活で嫌という
ほど嫁姑のいざこざをみてきたため、とうとう結婚をしないままで今に
至っています。お姉さんはもう長くないと言われたこともありました。
完璧主義のお姉さんだったので、物凄いストレスからくる疲労で
ひどい貧血になったようです。なんとかずぼらになることを目指して
生活するようにしたところ、回復したようです。
それ以後、別居でなんとか体も回復したようでした。
もう、子供たちも成人され元気に暮らしてるようで安心です。
彼女と東京近辺へ行くことになり、ホテルを予約してくれていました。
東京には親戚がいますが、父が亡くなった今では縁遠くなってしまい
ました。今ではお墓が関西の奈良にある、父のお墓と並べて建て
られたお墓を私がついでと言ったら申し訳ない気がしますが、
お花とお線香をお供えするぐらいになってしまいました。
今回、携帯しか持って行きませんでしたが、携帯のメモリの使い方
が解らず、PCへも移せず、アップもできず、ちょっと悩んでます。
やっとわかったけど、画像は明日にします。
ただいま~です。
やっと帰ってきました。
この二日間アップしてないというのに、
なぜこんなに・・訪問者数が多いのでしょう?
2009.02.19(木) 167 IP
2009.02.18(水) 172 IP
いつもなら、二日目には 80~100 IPぐらいです。
不思議です。
とにかく、ご訪問、ご閲覧頂いた皆さま、ありがとうございます。
今日は、疲れと眠気のため寝ます。
4時間後、また仕事が始まります。
ちなみに今日、
帰りのJR電車(環状線)15分遅れでした。(21時20分ごろ)
レールにビニールが絡まっていたとのことで取り除いていたとの、
車内放送がありました。
「えーから、とっとと寝ろ!・・・」
ってかっ!!
ほいほ~い、もう寝るよー!
詳細は、また後日・・・
手のひらを太陽に
↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=Mg3CPXqVkDs
自殺したいぐらいな厭世的な気分の中から生まれた
「手のひらを太陽に」
1961(昭和36)年、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)の
『NETニュースショー』の番組の中で、宮城まり子の歌で発表され
ました。続いて、1964年に「NHKみんなのうた」で再び宮城まり子が
歌いましたが、ともにあまりパッとした反響のないまま終わりました。
ところが、1964年にポニージャックスが歌ってキングレコードから
発表し、この年の「NHK紅白歌合戦」に出場して彼らが歌うと、
がぜん火が付き、特に茶の間の子供たちの間で盛んに愛唱される
ようになりました。今では、軽快なリズムに乗ったこの歌は、
自然と一緒に生きてることを確かめあい、
喜び合う“命の讃歌”として、
必ず声高らかに歌われる歌になりました。
そして、とうとう学校の教科書にも採用されました。
作詞者で漫画家のやなせたかしさんに
作詞のいきさつをお伺いしたそうです。
「最初は子供の歌として作られたものではありません。
心身ともに疲れきって、自殺したいぐらいな厭世的な気分に
追い込まれたことがありました。暗い所で懐中電灯で
冷たい手を暖めながら仕事をしていました。
ふと、電球を手のひらにあててすかして見ると、
真っ赤な血が見える!自分は生きているんだという
再発見と、その喜びを謳歌して頑張らなくっちゃと、
自分自身を励ますためにこの詩を作りました。
♪真っ赤に流れる、僕の血潮・・・・
というフレーズは、このときにできたのです。」
そしてやなせさんは、
とんぼやかえるやみつばちだって、
生きているものはみんな友だちだ、
だから生命を大切にしようね
と訴えているのです。
『知ってるようで知らない 音楽おもしろ雑学辞典』:参照
著者:長田暁二
今までに私が係わった中で一番覚えているホームルームの過ごし方、
それが中学1~2年の2年間、担任を受け持って頂いた先生の時の事。
毎日の帰りのホームルームたった5~15分ぐらいでしたが、
明日の連絡もそこそこに、何をするかと思えば
毎日、いろいろな歌を歌わされたことがあります。
学校で習わない歌もまだ生まれてないやろという歌もあって、
なんで知ってるのかな?っていうのが多いです。
未だに口ずさめてしまいます。
昨日、図書館で見つけた本に何曲かあり、思いだしてしまいました。
『知ってるようで知らない 音楽おもしろ雑学辞典』
著者:長田暁二
「我は海の子」
我は海の子白浪(しらなみ)の
さわぐいそべの松原に、
煙(けむり)たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家(すみか)なれ。
生れてしおに浴(ゆあみ)して
浪(なみ)を子守の歌と聞き、
千里(せんり)寄せくる海の気(き)を
吸(す)いてわらべとなりにけり。
高く鼻つくいその香(か)に
不断(ふだん)の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽(がく)と我は聞く。
作曲者:不明、作詞者:宮原晃一郎
昔は作詞者も不詳でしたけど、
1989年(平成元年)5月、解かったようです。
「苫屋(とまや)」「不断(ふだん)の花」「浴(ゆあみ)」「いみじき楽」
などの詞は死語のようなもので、子供の生活に馴染まないから、
あるいは7番の歌詞が海軍将兵に憧憬持たせるために作られた
から良くないとかの理由で、共通教材からはずされたようです。
森繁久彌さんは「苫屋がわからなきゃ先生が教えてやりなさい。
私たちが住んでるこの1DKみたいな家を昔は苫屋と言ったのよと、
子供はすぐ理解します。」と憤っておられるとのこと。
戦争は現実に起こったことなのだから、こんな歌を歌いながら、
海国日本の保安を守ろうと意気昂揚としている歌だったんだよと
教材として教えていく方が、戦争を知らない子供たちへの教育に
なると思うんですけどね。また、じいちゃんばーちゃんたちとの
係わりが持てて、心の豊かな優しい子供たちに育ってゆける
のではないかと思いますね。
長崎や広島などでは、戦争風化はあり得ないでしょうが、その他の
地域では、子供たちにしてみれば、当たり前に忘れていく気がします。
学校の授業より、普段口ずさむ歌がどんなに心に残るか・・・
今、ほとんどの文部省唱歌が教科書から消え去り、
新しい歌が多いようです。
さて、っと
チョコレートを作り終わったら・・・
ちょこっとだけ、残っちゃったあ~~ブランデー♪
この間からやってみたかった・・・カクテル!!
作っちゃいました~~~♪
ほんの5ml・・ぐらいしか残ってないんですよ。
これぐらいなら、一気飲みしたっていいやんね~♪
http://www.suntory.co.jp/cgi-bin/wnb/cktl.pl?ID=nikolaschika
(サントリーカクテルレシピ)
やってみたかったんだぁ~~!!
口の中で作るカクテルで~す。
美味しかったあ~~~!!
またしよっと~♪♪