小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



2月23日、小田原は晴天の一日。今朝も冷え込んで寒かったが、週末恒例のランニングに出かけた。午前8時26分、小田原市民会館前をスタート。今日は坂道トレーニングをするために国道1号を箱根方面へ。午前8時48分、国道1号風祭歩道橋通過。スタートから3.4km。目指す箱根方面の空には雪雲らしき雲が覆っている。今日は寒いのであまり気が乗らない。午前9時4分、箱根湯本駅前通過。スタートから5.9km。湯本駅を過ぎたあたりから粉雪が舞い始める。今日の箱根は天気が悪いようだ。午前9時43分、国道1号沿い宮ノ下通過。スタートから12.1km。今日は国道138号から強羅駅方面へ。午前9時59分、箱根登山鉄道強羅駅前通過。スタートから14.4km。県道723号を早雲山駅方面へ。午前10時18分、箱根登山鉄道ケーブルカーの早雲山駅通過。スタートから16.4km。強羅駅からこの早雲山駅までの坂道がかなりの急坂でまいった。駅前で少し息を整えて大涌谷方面へ走る。早雲山駅から県道724号を大涌谷方面へと走る。標高があがるにつれ沿道は雪景色とてなっていく。歩道部分は完全に雪に覆われているので止む無く車道隅をランニング。午前10時53分、大涌谷に到着。スタートから20.5km。寒いし坂は急だしかなり疲れた。とりあえず大涌谷で小休憩して折り返そう。大涌谷では現在、ロープウェイの駅などの再整備が行われている。晴天だと富士山が見えるのだが、曇天なので眺望は今ひとつ。大涌谷の駐車場から玉子茶屋まで散策。標識にある標高を見てびっくり。大涌谷はてっきり標高800mくらいかと思っていたら1050mもあった。どうりで疲れる訳だ。大涌谷名物の玉子茶屋は観光客で賑わっていたが、日本人より中国人のほうが多いくらい。黒玉子は買わずに、折り返して強羅方面へ。午前11時47分、箱根登山鉄道強羅駅に到着。スタートから27.1km。気温は氷下ちかくで相変わらず粉雪が降っている。今日は寒いし疲れてしまったので強羅駅から電車で小田原駅へ戻る。今週のトレーニング距離は39.6km。午後1時過ぎに小田原駅に到着。身体がすっかりと冷えしまったので錦通りの小林屋でラーメンを食べてから帰ることにする。小林屋で800円の味噌チャーシューメンの大盛りを注文。チャーシューもボリュームがあり、熱々の麺で身体が温まった。小林屋で食事後に菓子展示会が開催されている小田原市民会館へ寄り道。食後のデザートにと甘味を購入する。菓子展示会恒例の150円の抽選券を2枚購入。抽選で外れても和菓子が貰えるので値段の割りに、結構お得な抽選券となっている。抽選は2枚ともはずれで、商品の和菓子を2パック貰った。昨年までは、はずれは最中2個だったが今年から各店の和菓子に商品が変更となっていた。練りきりの和菓子とどら焼きと最中のセット。疲れているので甘いものが美味く感じる。明日もまた菓子展示会に立ち寄ろう。

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2月22日、小田原は雲が多いながらまずまずの天候。今日も最高気温が10度以下で寒かった。今週中に梅の開花がかなり進むのではと思っていたが、週明けから寒さが続いているので見頃は3月に入ってからになりそうだ。外回りの途中に市内何ヶ所かの梅の様子を見に立ち寄った。朝、城址公園に立ち寄り梅の咲き具合を確認。郷土文化館前の梅はまもなく満開といったところ。図書館の上にクレーンのブームが見えたので行ってみると、西側にある大きなクスノキの枝下ろしが行われていた。伐採に関する情報は事前に公表されることもあるが、枝下ろしだけだとなんの予告もなく行われることが多い。昼前に蓮正寺の春小麦でパンを買い小田原フラワーガーデンへ。フラワーガーデンの梅林は全体的に4分から5分咲きといったところ。見頃は来週以降になるのではと思う。梅林内のベンチに座り遅い朝食タイム。春小麦でミックスベリーと菜の花とハニーチキンサンドと抹茶と黒豆を購入。3つで750円。 200円の抹茶と黒豆は生地に抹茶が練りこまれていてほのかな抹茶の風味と小麦の香ばしさが良くあっている。黒豆のほんのりとした甘さが和風の味わいでとても美味い。 230円のミックスベリーはサクサクのデニッシュ生地と甘酸っぱいミックスベリーの味わいで軽い食感。春小麦のデニッシュ生地は結構個人的に好みなのでこれもとても美味しく感じた。小田原フラワーガーデンの早咲きの紅梅はまもなく見頃だが、白梅が満開になるのはまだ先になりそうだ。来週の金曜日には3月だが、真冬のような陽気が続いている。この週末は少しは暖かくなると良いのだが。

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2月21日、小田原は晴天の一日。今週は火曜の午後に雪が降って以降、冷え込んで今日も真冬の寒さだった。午後、外回りの途中に東町でパンを買い荻窪のわんぱくらんどへ立ち寄った。午後3時過ぎに東町のクラム&クラストでパンを買い荻窪にある小田原こどもの森公園・わんぱくらんどへ。先週、わんぱくらんど敷地内に入生田の長興山しだれ桜のクローンが記念植樹されたとのことなので見に立ち寄った。長興山しだれ桜のクローンはわんぱくらんどの管理棟近くに植栽されていた。大きさは3mほど。このクローン桜は住友林業が2003年から組織培養の研究を行い2009年にクローン苗の増殖に成功。苗木がある程度大きくなったのでわんぱくらんどと紹太寺に記念植樹されたとのこと。今年の春に花は咲くのだろうか。わんぱくらんどから隣の辻村植物公園へ。日当りの悪い斜面には先日降った雪が残っていた。辻村植物公園の梅林はこれからが咲き始めといったところ。見頃は3月に入ってからだと思う。梅林内のベンチに座り昼食兼おやつタイム。クラム&クラストとヨーグルトブリオッシュとメロンパンとチーズ&ベーコンを購入。3つで480円。 155円のヨーグルトブリオッシュは生地のバターの風味にくるみやレーズンの香ばしさが加わってまろやかな味わいで美味しかった。パンを食べ終えて梅林内をしばし散策。満開になるのは3月に入ってからになりそうだが、辻村植物公園の駐車場が無料開放されているのいるのは今月末までなので、満開の頃には気軽に立ち寄れなくなってしまう。3月になったら週末のランニングの時などに立ち寄ろう。

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坂東三十三観音のひとつとして古くから庶民の信仰の場だった飯泉観音では、江戸時代に江戸相撲を勧進して相撲の興行が行われた。その時にあだ討ちの勝負があり、取り組みに勝った力士を称える記念碑が境内に建立されていると知り先日出かけた。飯泉観音で江戸相撲を勧進して相撲大会が行われたのは寛政元年(1789年)のこと。地元の菊屋旅館が勧進元となって江戸の谷風部屋の力士らと地元草相撲の力士との取り組みが行われた。当時の谷風部屋には相撲史に名を残す雷電為右衛門がいた。雷電為右衛門は寛政年間に活躍した力士で身長2メートル、体重は160キロもある巨漢力士であまりの強さゆえ突っ張りや張り手、かんぬきなどが禁じ手とされたとのこと。寛政元年の相撲の取り組みが境内のどの場所で行われたのかは定かではないが、現在も本堂横に土俵が設置されている。飯泉観音の勧進相撲の際に、雷電為右衛門があだ討ちの相撲を取り、長く講談や浪曲で語られる事となる。あだ討ち相撲が行われた経緯は、勧進相撲が行われる以前に地元で行われた相撲大会での遺恨があってのこと。伊豆の草相撲大関に大岩岩五郎という粗暴で屈強な力士がいて、地元草相撲力士の相模灘との取り組みで相模灘が岩五郎に投げ飛ばされ、その怪我が原因で亡くなってしまい、相模灘の子供が勧進相撲に訪れた雷電為右衛門にあだ討ちを依頼。雷電為右衛門は大岩岩五郎との取り組みで禁じ手のかんぬきの技を使い岩五郎を投げ飛ばし本願を果たしたというもの。土俵の横には土俵をかたどった記念碑が建立されている。この雷電の記念碑は昭和52年に大相撲小田原場所が城址公園内で開催されたことがきっかけで建てられることになった。記念碑は高さ1.2m、幅2.4m、重さは約3トン。記念碑には雷電の手形も刻まれている。この手形は日本相撲協会の相撲博物館所蔵を借りてきたもので、雷電の実物大の左手の手形。長さは24センチ、幅16センチとかなりな大きさ。この雷電碑の建立は小田原市議OBで結成されていた「二月会」の呼びかけによるもの。真鶴の石材店から地元特産の根府川石の寄付などがあり製作された。この雷電碑の序幕式が行われたのは昭和52年4月15日。大相撲小田原場所当日の朝、小田原場所の巡業に来ていた旭国と黒姫山などが参列して雷電碑のお披露目が行われた。小田原は江戸時代後期から明治にかけて相撲が盛んだったようなので、また相撲にまつわる史跡などを探してみたいと思っている。

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かつて城内小学校の敷地だった二の丸広場には、城内小学校当時の建造物の一部が現存している。講堂だった建物は歴史見聞館として利用されているが、その歴史見聞館の裏手には岩石園が残されている。木造校舎だった城内小学校が解体されてから20年近くになるが、かつての学校敷地だった現二の丸広場内には城内小学校の建造物がいくつか残されている。二の丸広場内にある歴史見聞館裏手の一画が、かつて旧城内小学校の岩石園だった場所。現在も岩石園の名残の大きな石が置かれたままになっている。城内小学校に岩石園が完成したのは、東京オリンピックに沸いていた昭和39年のこと。岩石園の中の植込みに隠れるように岩石園と掘られた自然石が残されている。城内小学校に岩石園が作られたきっかけは、児童たちが地学の勉強に興味を持ってもらおうと身近にある石を集めて美しい庭園を造り情操教育と理科教材に役立てるため。昭和39年8月の夏休み中に教員とPTA関係者が協力し、箱根をはじめ東丹沢と三浦半島の3ヶ所からダンプカー約10台分の岩石を収集。当時の見上横浜国大教授の指導により岩石を配置した。岩石園の大きさは約300平方メートルで、収集した岩石は3トンもあるものから小石までと様々。地区別・種類別・利用状況などに分けて並べられた。種類別では火成岩・堆積岩・変成岩で分けて置かれているようなのだが、地学には疎いので岩石の種類や名前は分からず。この岩石園には低学年用の遊び場も造られたとのこと。岩石園中央にある石のサークルが遊び場だった場所なのかもしれない。小田原市内の小学校では昭和40年代に何校かに岩石園が造られた記録が残っている。芦子小学校の岩石園は近くの少年院の院生も勤労奉仕して造られたようなので機会があれば探索に出かけたいと思う。

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