古城山(滋賀県甲賀市)
滋賀県甲賀市水口町にある古城山の山頂にはかつて秀吉五奉行のひとり、長束正家(なつかまさいえ)が城主を務めた水口岡山城がありました。
古城山登山道の入り口にはこんな秀吉と歴代水口岡山城城主の中村一氏、増田長盛、長束正家が描かれたパネルが設置されています。
秀吉が悪の組織の親玉みたい(爆)
そして、古城山のふもと、市内を流れる野洲川のそばに建つ『史跡 牛ヶ淵路』の碑には「家康殺害計画のあったところ」と記されてます。
当時の野洲川の水流は激しく、水は「牛が淵」の巨岩(長さ90メートル幅18メートル)に当たって渦を巻く深い淵があったことから「渦が淵」と呼ばれ、後にそれが「牛が淵」と言われるようになったそうです。
関ケ原の戦いの3ヶ月前、会津討伐のために大阪城を出陣した家康は近江の石部宿に至ります。
石部宿の家康の元を訪れた長束正家は「牛が淵の上に茶室を新築したので明日、水口宿にお越しの際は昼食を共にしましょう」と誘います。
実は茶室は牛ヶ淵に落ちるという『ダマされた大賞』みたいな家康暗殺の仕掛けがあって、密告によってそれを知った家康は夜のうちに石部宿を出て水口宿を素通りし、土山宿に到着して暗殺を免れたと言われます。
碑がある前の野洲川を眺めると今も大きな岩肌があるけど、それがかつての巨岩の跡なんかな
家康に暗殺計画を密告した者が住む村は徳川家の計らいで慶長7年以降、租税が免除されたそうです。
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