1月19日
甲賀くすり学習館(滋賀県甲賀市)
地元甲賀市にある『甲賀くすり学習館』を久しぶりに訪れました。
甲賀地域は古くから薬草の宝庫で、その薬草に注目したのが甲賀の飯道山(はんどうさん)周辺に居住していた山伏たちと云われています。甲賀の山伏たちの術は甲賀忍術の起源とも言われてますね。
現在は企画展『Real 甲賀忍者 -くすりを活かす知恵-』が開催されてました。
企画展示はこれまで何度か見させて頂きましが、今回は非常に興味深い内容でした。
盟文之事【御忍役人御用】
江戸時代に甲賀忍者が実在したことを示す資料で、尾張徳川家に仕えた甲賀者が藩に提出した起請文だそうです。
近年見つかった資料で、延宝7年(1672年)に尾張徳川家が5名の甲賀忍者を雇い入れていたことがわかりました。普段は甲賀に住み、御忍の御用がある時に馬で尾張藩まで駆けつけるという非常勤の勤務形態だったそうです。
戦国末期に徳川家康が甲賀忍者を雇い入れ、江戸期になると、江戸城の警護の職務を与えたことは知ってましたが、尾張徳川家に仕えた忍者の話は初めて聞きました。
山伏のお札
忍者も普段は農業や薬作りを生業としており、山伏姿で加持祈祷して、お守り札や薬を全国で売り歩き、諜報活動などもしていたそうです。
修験道で、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)」の九字の呪文と九種類の印によって護身、戦勝等を祈る作法。
忍者が用いた薬草
兵糧丸は、老談集(武田信玄に仕えた山本勘助、馬場美濃守が話した馬術と忍術に関する書)に載る忍者食。
8種類の原料を粉にして、水を加えて蒸しあげて作るそうです。糖分ベースで、サポニンも含み、体力や持続力が期待できるそうです。
こちらは萬川集海(江戸時代前期の日本の忍術伝書)に載る火薬の原料を集めた展示。
服部半蔵、百地丹波守とならんで伊賀流忍術の大家であった藤林長門守は火術に長けた忍者だったとされ、長門守の居城があった地域には古くから火筒や狼煙などの火薬に対する技術が伝承されてます。
今回は忍者とくすりの関係だけでなく、忍者の知恵や技術に関する興味深い展示物を見ることができました
つづく
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昔は、ライバルだったかも・・・
私の父の里も伊賀でした ww
コメントありがとうございます