ミライザ大阪城
大阪城公園、本丸の東に建つ煉瓦色の建物はミライザ大阪城。
2017年にオープンした複合施設で、中にはレストランやカフェ、土産物店が入ってます。
この建物は1960~2001年までは大阪市立博物館で、さらにその前は旧日本帝国陸軍第四師団司令部庁舎だった歴史的建造物なんです。
中部軍司令部防空作戦室跡
今回は大阪城公園に残る戦争遺構を紹介します。
本丸南側には先の大戦末期の昭和18年に陸軍の中部軍司令部防空作戦室が建設されました。
ここを拠点に防空作戦立案、敵機飛来の感知、目標値の予測、迎撃命令の発令、空襲警報の発令が行われたそうです。
大阪空襲による破壊は免れましたが、公園整備の一環として昭和45年に解体撤去されてます。
大阪城ホール
大阪城ホールは1983年の大阪築城400年まつりに合わせて、大阪砲兵工廠旧本館跡地に建設されました。
当時、砲兵工廠旧本館の保存運動や文化庁の調査指示がありましたが、1981年の5月2日未明に大阪市が取り壊しを強行しました。
大阪城ホールの南東の運動場の前に砲兵工廠跡の碑がひっそりと建ってます。
城南射撃場跡
公園の南の城南駐車場付近には明治維新後に大阪城を管轄した旧帝国陸軍によって設置された射撃練習場があったそうです。
筋鉄門(すじがねもん)跡
この石積みは元和6年(1620年)に大阪城三の丸の西の入り口として築かれた鉄筋門の跡です。
門は明治維新後も残り、ここが大阪砲兵工廠の正門として使われました。
明治天皇聖躅(せいちょく)砲兵工廠の碑がありました。
聖躅とは天皇が行幸で訪れた場所のことを言うそうですね。
旧大阪砲兵工廠化学分析場跡
筋鉄門から入ると煉瓦造りの建物に出くわしました。旧大阪砲兵工廠化学分析場の跡です。
大阪砲兵工廠化学分析場は兵器開発や化学実験が行われていた場所で、大阪空襲を免れ今もその姿を残す数少ない大阪砲兵工廠の遺構のひとつです。
天守閣の北東側の石垣のこの乱れは昭和20年の大阪空襲で天守閣の北側数メートルのところに落ちた米軍の爆弾の爆発で被害を受けた跡。
昭和20年、大阪は数度の空襲に見舞われ、市民およそ10,000人が犠牲になりました。
大阪城周辺は意外にも戦争の歴史、傷跡、復興を感じることができる場所でもありました。
つづく
過去記事<【大阪城散策】城南の桜と鳥たち>
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