刻印石広場
数回に渡って大阪城公園を紹介しています。
天守閣の北側にある山里丸から本丸に至る途中にあるのが刻印石広場。
徳川期に行われた大阪城の建設は諸大名の普請で、刻印石広場では石垣などに使われた石材の中で各藩の刻印が残されたものを見ることができます。
加賀藩 前田家の家臣の刻印。
但馬豊岡藩か大和高取藩のものと思われる刻印。
二重の四角、これはちょっと分かりません。。
隠し曲輪
大阪城本丸に唯一ある曲輪で、御覧のように入口を狭く作ってあって、ここに兵を隠すことができたそうです。
この曲輪の石垣には伊予大洲藩 加藤家の刻印がありました。
銀明井戸
天守閣の南、桜門のそばにある銀明井戸。
銀明水井戸は徳川期の再築の時、大坂城本丸に設けられた5つの井戸の内のひとつでした。
本丸御殿の台所の裏に位置していて、本丸を警備する役人たちの飲料水として使われたそうですね。
生國魂(いくくにたま)神社御旅所跡
秀吉の大阪城築城に際し、この辺りにあった生國魂神社は今の天王寺区生玉町に遷宮されました。
日本書記には「生國魂社の樹を斬りたまふ・・」とあり、その樹がここからすぐ南にある難波宮の造営に使われたと考えれています。
生國魂神社の云われは古く、神武天皇が日本統一のため九州を船出し、大阪湾に再上陸した時、難波碕で日本列島の国魂である生島大神と足島大神を祀ったことに由来があるそうです。
御旅所は神社の祭礼で神様(一般には神体を乗せた神輿)が巡行の途中で休憩または宿泊する場所ですね。
西の丸庭園入り口
本丸の西側には西の丸庭園がありますが、有料なのでまだ入ったことはありません。
この奥には2019年のG20大阪サミットの夕食会が開催された大阪迎賓館があって、普段は結婚式場としても使われてます。
南外堀の西端にある六番櫓は徳川大阪城再築の末期である寛永5年(1628年)に造営されました。
城壁にはかつて7つの櫓がありましたが、今は一番櫓とこの六番櫓のみ現存してます。
つづく
過去記事<【大阪城散策】天守閣編>
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