1月11日
滋賀県平和祈念館(滋賀県東近江市)
滋賀県における太平洋戦争の記録の蒐集や展示をしてる滋賀県平和祈念館を再び訪れました。前に来たのは昨年の6月だったかな。
恒久平和
グローバリゼーションなんて言葉は既に死語になっちゃってるんじゃないかと思うほど、世界の色んな国が内向きになってきてるように感じる昨今、世界中がキナ臭くなってます。やはり人間や国家はエゴを捨て去ることはできない生き物なんでしょうかね。。
戦争は外交の一手段ではありますが、愚かな行為であることも確かです。
エントランスには、旧八日市で発掘された旧帝国陸軍の戦闘機『飛燕』のエンジンが展示されてます(写真左)
このプロペラは戦時中に使用されていた飛行機のものと推察されていて、横浜沖で底引き網で引き揚げられたものが寄贈されたそうです。
陸軍兵士だった方の装備品
右にある水筒は昔、祖母の家にもありました。祖母の兄弟でも従軍して沖縄戦で戦死した方がいました。祖母は生前は長い間、愛知県の外郭団体で戦争引揚者の更生に関する仕事をしてました。
戦時中のこどもたち
ガスマスク
お寺の梵鐘の金属供出の様子
アジア・太平洋戦争の直前には、米国や英国との関係悪化で鉄鉱石の輸入ができなくなりました。国は金属回収令を出し、それが強化された昭和17年からはお寺の鐘や仏具の他、学校の金属製備品や家庭のコンロまでもが強制的に供出させられました。
神風日の丸のハチマキ
終戦のおよそ1年前の昭和19年(1944年)7月、学徒動員で飛行機の製造に携わった方が作業中に締めていたハチマキ。。。
戦闘機で敵艦船に体当たりする神風特攻攻撃が始まったのは、この3ヶ月後からでした・・・。
つづく
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