トルコ軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑 和歌山県東牟婁郡串本町樫野
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和歌山県の南端、串本町の紀伊大島にあるトルコ軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑。
1887年に行われた皇族 小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応え、オスマン帝国(現在のトルコ)海軍の木造フリゲート艦エルトゥールル号が航海訓練を兼ねて大日本帝国へ派遣され、オスマン帝国の親善訪日使節団として歓迎を受けました。1890年のことです。
しかしその帰路、台風の強風であおられ紀伊大島の樫野埼の岩礁に船が激突。機関部への浸水で水蒸気爆発を起こして沈没し、司令官をはじめとする600名以上が海へ投げ出されました。
樫野埼灯台の下に流れ着いた生存者約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりつき、お互いの言葉が通じなかったものの国際信号旗を使用して灯台守は遭難したのがオスマン帝国軍艦である事を知ります。
過去記事<樫野崎灯台【お気楽写真館63】>
通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは総出で救助にあたり、69名が救出され生還することが出来た一方で残る587名は死亡または行方不明となる大惨事となりました。
大島村の村長は県を通じて大日本帝国政府に通報し、知らせを聞いた明治天皇は政府に対して可能な限りの援助を行うよう指示しました。
日本海軍の「比叡」と「金剛」が遭難事故の20日後に東京品川から出航、神戸の病院に搬送されていた生存乗員を神戸港で収容し、翌年の1891年にオスマン帝国の首都イスタンブールまで送り届けました。
今でも節目の年には駐日トルコ大使も参列し、ここで慰霊祭が行われているそうです。碑の横にはトルコと串本町の友好、交流の証としてトルコ記念館も出来ました。
そしてこの救難劇から113年後、まさに戦争が始まろうとしているイラクで思いがけない恩返しが・・・。
この続きはまたあらためて。
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