2011年に東日本大震災が発生して11年が経過しました。
あの日の午後2時46分、管理人は滋賀の事業所の休憩室で一息ついてました。
部屋を出ようと立ち上がった時、長い振幅でゆら~と足元が揺れる感覚があって、最初は立ち眩みかと思いました。
大きな地震があったことはYahooニュースで見ましたが、津波による大きな被害は家に帰るまで分かりませんでした。
写真は息子がまだ小学生だった頃、学区の住民総出で行った防災フェスタの様子です。
自転車を漕いでポンプを回し、汚い水をろ過する装置。
炊き出しの訓練ですね。
町内の公共施設や学校、自治会で非常用備品や非常食は準備していても、使い方が分からなくちゃ意味ありませんから。
左上にある丸太はチェーンソーで切れ目が入れてありますね・・・
これに火をつけると非常に長く火が保たれ、暖をとるのに使えます。
淡路島を震源とした阪神淡路大震災の発生からは今年で27年が経過しました。
1995年1月17日午前5時46分、強い揺れで飛び起きました。
後で見ると、滋賀は震度4~5だったということでしたが、こんな長い揺れは今まで経験したことはありませんでした。
出社するまでずっとNHKのニュースを見ていましたが、震度7という情報はまだ無く、大きな被害も入ってきてないようでした。
それもそのはず、神戸は壊滅的な被害で電信網も寸断され、情報を送れる状況になかったということで、その被害の大きさは夜が明けるまで分かりませんでした。
お昼に会社の食堂のテレビで阪神高速が倒壊してるのを見て衝撃を受けました。
災害救助用炊飯袋
この袋に水、お米、缶詰のコーンを入れて輪ゴムで口を縛り、沸騰した湯に袋を入れてご飯を炊きます。
わずかに塩気の効いたコーン入りご飯、意外とうまく炊けるもんですね。
阪神淡路大震災では、神戸方面の事業所にいる社員の家ではインフラが絶たれてしまった人も多かったことから、滋賀の事業所からペットボトル飲料水を送ったりしましたね。
震災の翌年、所用で神戸に行きましたが、車窓からは今だ倒壊したアパートに押しつぶされた車がそのままになっていたり、ブルーシートが掛けられた屋根ばかりの光景が見え心が痛みました。
みんなでコーンご飯や豚汁の試食。
心臓マッサージ体験。
管理人も以前、救命救急講習を受けて終了証を頂きました。
土のう作り体験。
災害時、お年寄りや身体の不自由な方をどう助けるかということも重要な課題です。
背の高い家具はちゃんと固定しておきましょうね。
大規模防災訓練の後には消防署楽団による演奏会がありました。
南海トラフ地震の発生確率が今後30年で80%から今後40年で90%に変更されました。
発生の可能性が高まった時に出される地震臨時情報も正直どの程度役に立つのか分かりません。突然襲ってくることも十分あり得ます。やはり、日頃からの防災意識、準備が大事ですね。
阪神淡路大震災、東日本大震災で犠牲になられた方にあらためて哀悼の意を表します。
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masa さんご家族は良く色々体験されていらっしゃいますね!
いつも感心すると共に、我が身を反省しております・・・
丸太にチェンソーで切り込みを入れた物を燃やすと長く暖も取れるそうですが、丸太の着火はどんな風に?
子供達も一人一人が生きるすべを養って行く必要を感じる今日この頃です。
ビニール袋にお米と缶詰のコーンを入れ、輪ゴムで止めてお湯の中へ、おいしいご飯が炊けるのはやってみようと思いました。
大変勉強になります。
コメントありがとうございます。
丸太ロウソクは使う時は切れ込みが交差する中心部を小さなチェーンソーで少し穴をあけて、そこに種火になる着火済みの炭を置いたり、市販の着火剤を使います。
炊飯袋は今は100均でも売ってるみたいですよ。
この辺りは水害とは無縁ですが、南海トラフでは震度6~7が予想されてるので、正直怖いです。真夜中には起こって欲しくないですね。。
いつもありがとうございます。