いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<B級ご当地グルメ> 長崎 小浜ちゃんぽん

2025-02-13 09:06:46 | B級ご当地グルメ

 「小浜ちゃんぽん」

*https://www.unzen.org/article/obamachanpon より

 長崎県雲仙市小浜町で独自に培われた小浜ちゃんぽんは、豚骨や鶏ガラをベースに特産のカタクチイワシで出汁を取った、まろやかなスープが特徴である。雲仙岳麓にある昔からの温泉地である小浜温泉で、大正時代に長崎ちゃんぽんが小浜、天草へと伝わり、独自の進化を遂げたというのが定説となっている。長らく「小浜ちゃんぽん」という名は特に知られていなかったが、2007年に雲仙市職員である林田真明が地元小浜でちゃんぽんマップを作成したことがきっかけで、小浜ちゃんぽん愛好会が結成された。今では林田真明は「ちゃんぽん番長」の名で知られ、ここ数年小浜ちゃんぽん愛好会の活動を通して全国的に脚光を浴びている。現在[いつ?]、小浜温泉街を中心に15店舗ほどで小浜ちゃんぽんが提供されている。

*Wikipedia より

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<B級ご当地グルメ> 長崎 大村あま辛黒カレー

2025-02-12 08:16:57 | B級ご当地グルメ

 「大村あま辛黒カレー」

 大村市には、1582年(天正10年)織田信長が日本を統治していた時代に、日本で始めて「天正遣欧少年使節」という4人の子ども達が8年5ヶ月の歳月をかけて大村よりローマへ旅立ち、インドを経て日本へ帰還した際、カレーのスパイスを始めて持ち込みました。このような歴史背景から大村市は「カレーのルーツのまち」と考えられています。
 また、中心市街地を長崎街道(シュガーロード)が通る日本でも珍しいまちでも在り、昔から砂糖を使った甘いお菓子や料理がこの地で育まれてきたのです。

 「天正遣欧四少年使節」と「長崎街道」から生まれたカレー原料伝来の地、大村市。

 「長崎街道=シュガー(砂糖)ロード→甘い」と「天正遣欧四少年使節=スパイス→辛い」をキーワードとして開発した、『大村あま辛黒カレー』です。

 400年以上も前(1582年 <十五夜に>)に、大村市からローマへ旅立った「天正遣欧使節四少年」の波乱万丈の「甘い(あまい)旅立ち」と帰国してからの「辛い(つらい)キリシタン弾圧」人生をも表した、大村の地(黒土)で育つ野菜やフルーツをふんだんに使用したまちおこしご当地カレーです。

 口に入れた瞬間!フルーティーな甘さが広がり、あとから追いかけて来るように、スパイシーな辛さが交わって一度口にするとクセになる絶妙な味をかもし出す、追いかけっこする甘さと辛さが特徴で、体に優しい『竹炭粉』を使用する事で、製造後一週間冷蔵保存して深い味わいをかもし出す、まっ黒いカレーです。

 この『大村あま辛黒カレー』をひっさげて、ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会(通称:愛Bリーグ)の仲間達と共に各地で行われるイベントに参加し、全国の人々に「大村市はカレーのまち!」をアピールしています。

*https://umakatai.omlog.net/curry.html より

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<B級ご当地グルメ> 長崎 あごだしラーメン

2025-02-11 08:42:14 | B級ご当地グルメ

 「あごだしラーメン」

大氣圏 長崎県平戸市生月町南免4432-101

*https://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420202/42000518/ より

 「あご・あごだし」は長崎 平戸の名産品。

 以前、B級グルメとして取り組まれていたようだが・・・

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<B級ご当地グルメ> 佐賀 唐津バーガー

2025-02-10 08:44:24 | B級ご当地グルメ

 「唐津バーガー」

 からつバーガー|虹の松原散策の鉄板B級グルメを豪快に頬張る/虹の松原 【投稿日】2016年08月23日(火)

からつバーガーの一番人気メニュー「スペシャル・バーガー」

 虹の松原を散策して小腹が減ったら、ぜひ絶品バーガーにかぶりついてほしい。松林を東西に抜ける県道347号に面した敷地で営業する「からつバーガー」は、虹の松原名物として親しまれてきたバーガーショップ。ベンチもあるので、松林を背に腰かけてバーガーを食べることができます。

 一番人気のメニューは、しっかり目のバンズに佐賀県産のビーフパテと、ハムやチーズ、エッグ(黄身を少しクラッシュした目玉焼き)、そしてレタスが収まった「スペシャル・バーガー」。甘みと酸味のバランスも絶妙な特製ソースにブラックペッパーの香りが相まって食欲をそそります。うま味のあるやわらかめのパテと素朴なプロセスチーズとの相性が抜群です。

 創業当初はホットドックがメインだったそうですが、初代オーナーが佐世保の米軍基地の味を再現したいと「からつバーガー」をメニューに加えたとのこと。いまや全国に広がる“ご当地バーガー”の元祖ともいわれています。

*https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0006615.aspx より

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<B級ご当地グルメ> 佐賀 シシリアンライス

2025-02-09 08:52:43 | B級ご当地グルメ

 「シシリアンライス」

 シシリアンライスは、御飯の上に炒めた肉と生野菜が乗りマヨネーズがかかった料理で、佐賀市のご当地グルメ。

 概略
 シシリアンライスの基本形は、温かい飯・生野菜・肉・マヨネーズの4つの組み合わせを平たい皿に盛り付ける。提供する飲食店によってバリエーションがあり、肉は玉ねぎと共に甘辛いタレで炒めた薄切り牛肉を使うことが多いが、豚肉や鶏肉を使う例もある。高級店では佐賀牛のステーキを乗せる例もみられる。野菜は主にレタスやトマト、きゅうりなどが使用される、レタスやキャベツは飯の下に敷くスタイルもある。また、カレー味のスパイスを加える、温泉卵を乗せるなど、味付けやトッピングにも様々なアレンジがある。

 1975年(昭和50年)ごろ生まれたとされ、佐賀市の喫茶店を中心に提供されてきた。日本各地でご当地グルメによる地域おこしが活発になると、シシリアンライスも2008年(平成20年)前後からご当地グルメとして取り上げられるようになり、地元でもPRする取り組みが始まった。佐賀市内の提供店の数は2010年ごろに20軒超や30軒超と紹介されていたが、2024年時点では約40軒、さらに関東地方の飲食店でも提供されるなど広がりを見せている。

  4月4日は「シシリアンライスの日」となっている。これはシシリアンライスの「シシ」との語呂合わせによるもので、現・佐賀市観光協会が制定し日本記念日協会の認定を受けている。

 公式キャラクター
 公式キャラクターは「シシリアンナ」(シシリアンナちゃん)。4月4日生まれのカッパアイドル。永遠の4歳。シシリアンライスのお皿を頭にのせている。時に歌い、時に踊りシシリアンライスを応援する。恋をするとおへそがハート型になる。

 佐賀市に流れる松原川のカッパ王国からやってきた。シシリアン王国の姫として佐賀へ降り立ち、姫としての最初の仕事がシシリアンライスのPRである。人間界のお父さんは佐賀市長。

 テーマソングは「シシリアンナがやってきた」(作詞:高橋裕典+島崎智子 作曲:島崎智子 編曲:島崎智子+オオニシユウスケ)。

 起源と名称の由来
 佐賀市観光協会では「うわさによると、1975年(昭和50年)頃、佐賀市中心街にある喫茶店でシシリアンライスなるものが誕生」したと紹介している。かつては「まかない料理説、シーフードメニュー説など」と並べていたことがあったが、当時も詳細は記されていなかった。また観光協会担当者は2009年4月5日付けの朝日新聞記事にて起源や名称について「誰も分かっていない」としていた。同年7月27日付けの朝日新聞記事は諸説のひとつに「エビやいかを使ってイタリアのシチリア島をイメージした」説を記している。

 原達郎は考案者が名乗り出ているとしてエッセイを記している。1974年(昭和49年)頃に福岡市内の店「田々夢詩(でんでんむし)」で働いていた田中和夫が賄い飯として料理したもので、当時はタマネギやピーマン等のあり合わせのもので作っていたが、従業員に好評だったため見た目も美しく工夫して、メニューに加えたという。

 トマトの赤とゆで卵の白とキュウリやレタスの緑がイタリア国旗の三色旗を彷彿とさせるところや、田中が憧れた映画『ゴッドファーザー』の舞台シチリア(シシリー)島にちなんで「シシリアンライス」と名付けたとする。

 原はまた、佐賀観光協会(当時)[15]によると佐賀市で初めてシシリアンライスを店で出した人物は「修業時代に福岡市の飲食店で習った」と言っていたそうだとし、さらに「田々夢詩」に出入りしていた男性が佐賀で飲食店を開いたと聞いたことを田中が記憶していたともして、「福岡市の飲食店」が「田々夢詩」に間違いないものと考えられるとしている。

 任意団体「佐賀市はシシリアンライスdeどっとこむ」は1975年頃に飲食店のまかない料理として出されたのが始まりで、その後佐賀市内の喫茶店でメニューとして出されるようになったとする。また由来について当時流行していた映画『ゴッドファーザー』のロケ地であるシチリア島から名付けられたというのが有力としている。

 2012年10月16日の朝日新聞記事では「佐賀市はシシリアンライスdeどっとこむ」代表によるとして博多の飲食店のまなかい食を有力とした。その一方で諸説として「隣の長崎『トルコライス』に同じ地中海の地名で対抗した」「当初はエビやイカを盛ってシチリア島をイメージした」も挙げ、また創始者だと名乗りを上げる人物が複数いるらしいとしている。

 ご当地グルメとしての展開
 ご当地グルメとしてのPRが始まった契機は、2007年(平成19年)にテレビ番組で取り上げられ佐賀観光協会に問い合わせが相次いだことだという。翌2008年4月4日には、佐賀観光協会が4月4日を「シシリアンライスの日」と制定する。PR活動は同協会や佐賀市役所職員らが担い、そのメンバーが中心となって2011年7月に任意団体「佐賀市はシシリアンライスdeどっとこむ」を設立、2012年5月に同団体はまちおこし団体連絡協議会(通称・愛Bリーグ)の本部会員となる。グルメイベントへの出展や地元の各種イベントへの参加、「シシリアンナ」や「佐賀シシリアンライス王国」による情報発信などを展開、佐賀市など学校給食メニューへの採用も行われている。

 なお、武雄市は市内に生息する約3万頭のイノシシ被害に悩まされているとして「いのしし課」を設置し、「イノシシの肉を使ってこそ本当のシシリアンライス」と語呂合わせをしたことがあった。同課は2015年(平成27年)5月25日に廃止され、既にない。

 PR年表
 2009年(平成21年)11月開催の「第1回九州B-1グランプリ」では、シルバーグランプリ(2位)を獲得した。
 2010年(平成22年)3月に日本テレビで放送された「SUPER SURPRISE」の「ご当地最新B級グルメベスト50」に取り上げられ、第5位にランクインした。
 2010年4月には、コンビニエンスストアのファミリーマートと提携し、期間限定メニューとして九州地区620店舗でシシリアンライス弁当の販売が行われた。
 2010年より高校生によるシシリアンライスのオリジナルレシピを競うシシリアンライス甲子園が行われている。第1回〔2010年(平成22年)11月、牛津高校優勝〕。第2回〔2011年(平成23年)12月、佐賀女子高優勝〕。
 2011年(平成23年)10月、スマートフォン向けのサービスとしてARアプリ「Junaio(ジュナイオ)」 (en)  を利用した提供店舗案内を開始。アプリ内で対象サービスを選択、カメラを街角に向けると、店舗情報が表示されルート案内が可能だった(サービス終了済み)。
 2012年(平成24年)4月4日、記念日である「シシリアンライスの日」にあわせ、「佐賀シシリアンライス王国」を建国。佐賀市役所にて建国式及び就任式を行い、初代国王に秀島敏行市長が就任した。
 2012年4月上旬、イメージキャラクターである「シシリアンナ」のキャラクターグッズが誕生。温度計付マグネット、キーホルダー、ストラップ型万華鏡・ミニキューブ・おみくじなどが発売されている。
 2012年10月、北九州市で行われた「第7回B-1グランプリ」に出展。これ以降、第8回、9回、10回、11回大会に出展している。
 2021年(令和3年)4月2日、「シシリアンナ」のデザインマンホールを佐賀市役所東側の歩道に設置。
 2022年(令和4年)4月4日、佐賀シシリアンライス王国の新国王として坂井英隆市長が就任。就任式では「佐賀市はシシリアンライスdeどっとこむ」から王冠・マントとシシリアンライスが献上された。
 2022年度(令和4年度) 「佐賀シシリアンライス」として100年フード(未来の100年フード部門)に認定。
 作品への登場
 『ゾンビランドサガ』 第8話 「GOGO ネバーランド SAGA」(アニメ、2018年) - シシリアンナが登場する。
 『23時の佐賀飯アニメ』 第六夜 「カロリー地層。シシリアンライス」(Webアニメ、2021年)
『野原ひろし 昼メシの流儀』 第78話「シシリアンライスの流儀」(漫画、2022年、キャラクター原作:臼井儀人、漫画:塚原洋一)

*Wikipedia より

*https://www.sagabai.com/main/26.html より

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<B級ご当地グルメ> 福岡 博多ラーメン

2025-02-08 07:32:11 | B級ご当地グルメ

 「博多ラーメン」

 博多ラーメン(はかたラーメン)とは、福岡県福岡市を中心に提供されている豚骨ラーメン。主に福岡地方のラーメン専門店、中華料理店、屋台で提供される。

 名称については元来、「ラーメン」と呼ばれていたが、福岡市早良区西新の「博多ラーメンしばらく」の現在2代目女将である外村留美が、1977年(昭和52年)に「博多ラーメン」という名称を考案した。その後、福岡県福岡市の豚骨ラーメン店は「博多ラーメン」と名乗るラーメン店が徐々に増え、現在の呼び方に変わっていき日本全国に広がった。他の豚骨ラーメンと区別するため「博多豚骨(とんこつ)ラーメン」とも言う。

 概要
 味付けや色合いは店によって千差万別だが、基本的には豚骨主体の乳白色のスープと島原素麺のような極細ストレート麺が特徴。豚骨を強火で沸騰させるため、骨のコラーゲンなどが溶け出し濁ったスープになる。注文の際に麺の硬さを決める点や替え玉も当ラーメンの特色になっている。

 ご当地ラーメンブームなどにより福岡市とその近郊を中心にラーメン店舗が増加・定着した。「博多ラーメン」という名称であるが、博多地区(博多区や博多駅周辺)に限定されることなく、旧来の福岡地区に位置する天神や長浜などでも広く提供される。福岡市内ラーメンツアー企画や「らーめんタクシー」サービスなど、福岡の観光スポットとしても人気を博している。全国展開や大阪や東京に出店する店舗や、全国のラーメンのフードテーマパークへの出店、有名店の名を冠した袋入りラーメンやカップ麺の販売などによって、当ラーメンの知名度は全国的にも上がった。

 逆に当地においては、キャナルシティ博多のラーメンスタジアムに参加した全国の有名ラーメン店が出店し、それらと融合する形でしょうゆ豚骨味や味噌豚骨味のラーメンが誕生、また影響を与えた九州内の久留米ラーメンや熊本ラーメンからも逆にエッセンスを取り入れるなど、博多ラーメンもそのバリエーションを広げている。他店との差別化を図るため独自のサービスをおこなったり、独自商品を提供したりもする。

 繁華街の有名店や長浜地区のラーメン店(長浜ラーメン)では深夜営業や24時間営業の店があり、宴会の二次会や三次会、宴会のシメとしてラーメン店がよく選ばれる。また繁華街の天神や中洲では屋台街が形成され、人気の屋台の多くで提供される。

 JR九州の博多駅や小倉駅のプラットホームでは立ち食い形式で提供されている。

 発祥
 1941年(昭和16年)ないし1942年(昭和17年)、中洲の福岡玉屋近くの博多川沿いで森堅太郎が屋台「三馬路」を開業。清湯(透き通ったスープ)の豚骨スープに平麺のラーメンを提供した。1946年(昭和21年)には中華料理を学んだ井上清左衛門が中洲や柳橋で屋台「博多荘」を開業し、清湯の豚骨ラーメンを提供。

 1946年(昭和21年)に博多駅近くで津田茂が屋台「赤のれん」(現在の赤のれん節ちゃんラーメン)を開業。当初はうどん屋台だったが、奉天(現在の瀋陽市)で食した白濁豚骨スープの麺「十銭そば」をヒントにラーメンを提供するようになった。博多ラーメンで一般的なストレート細麺と異なり太めの中細平打ちストレート麺を使用しやや濃厚では豚骨臭のするスープが特徴である。

同じく1946年(昭和21年)に、山平進が福岡市中央区馬出に「博龍軒」(馬出中央商店街)を開いた。博多ラーメンで多く使われるストレート細麺と異なり自家製麺の薄め中細平打ちストレート麺を使用し、スープは薄めながら通常の豚骨スープと異なった豚骨臭がする独自のものが特徴である[2]。

 1947年(昭和22年)に久留米市の「三九」で火の消し忘れから白濁した豚骨ラーメンが生まれた。

*Wikipedia より

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<B級ご当地グルメ> 福岡 直方焼きスパ

2025-02-07 07:55:06 | B級ご当地グルメ

 「直方焼きスパ」

 直方焼きスパ(のおがたやきスパ)は直方市のご当地グルメ。焼きそば風のパスタ料理である。

 以下の定義が定められている。

 スパゲッティ麺を使用すること。
 具材にキャベツ、タマネギ、豚肉を用いること。
 トマトケチャップをベースとしたソースを使うこと。
 麺や具材はしっかり焼くこと。
 直方駅前の明治町商店街にあった喫茶店「夕やけ」(1999年秋に閉店)が発祥とされる。

 2011年に直方焼きスパの普及を目的として市民グループ直方焼きスパ広め隊が結成されPR活動を行ってきたが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行による活動休止とメンバーの高齢化も伴って2021年12月に解散した。

*Wikipedia より

 B級グルメとしてよみがえった「焼きスパ」
 昔、直方市の商店街内にあった喫茶店「夕やけ」には“焼きスパ”という名物メニューがありました。 ケチャップのきいたナポリタンを焼いたその料理は、十数年間、若者や学生を中心に庶民の味として人気を集めていましたが 夕やけの閉店後は幻の味となっていました。

 2010年、直方市から「直方のB級グルメとは何か?」という問いかけに対して「焼きスパ」を懐かしむ声が多数寄せられ、焼きスパブームが再来。 「焼きスパ広め隊」なども結成され、現在は直方市内にある30の飲食店で「焼きスパ」が再び提供される様になりました。  

*http://nokatsukai.jp/yakisupa/index.html より

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<B級ご当地グルメ> 福岡 博多もつ鍋

2025-02-06 09:37:35 | B級ご当地グルメ

 「博多もつ鍋」

*https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400202/40000002/?cid=icotto_presses より

 もつ鍋(もつなべ)は、牛または豚のもつ(小腸や大腸などの内臓肉、別名「ホルモン」)を主材料とする鍋料理であり、ホルモン鍋(ほるもんなべ)とも呼ばれる。

 日本で食される牛豚のもつ(ホルモン)を具材に用いた鍋料理にはいくつかの種類があるが、福岡県福岡市を中心に食されてきたものが広く知られている。

 福岡・博多の「もつ鍋」
 福岡・博多においては、第二次世界大戦後にもつ肉とニラをアルミ鍋で醤油味に炊いたものがルーツとなっており、1960年代にはごま油で唐辛子を炒めてもつを入れてから味付け用調味料とネギ類を入れ、すき焼き風に食べられていた。「ホルモン鍋」とも呼ばれる。

 近年のスタイルは、鰹や昆布、鶏ガラなどでとったダシに醤油や味噌で味つけし、その中に下処理したもつと大量のニラ・キャベツともつの臭みを消すためのニンニク(ニンニクはスープにあらかじめ風味付けしておく場合もある)のほか、好みで唐辛子(鷹の爪)を入れ、これを火にかけて煮込んで食べる。もつと野菜を食べた後には、残った汁にうどんを入れていたが、1990年頃より長崎出身者の影響でちゃんぽんの麺を入れて「締め」とする場合も多く、牛のもつにこだわる店や水炊き風に酢醤油を付けて食べる方法を推奨する店などもある。

 また、店内で提供される際には一般的な鍋料理に用いられる土鍋はあまり使われず、両側に取っ手の付いた浅いステンレス鍋を使うことが多く見られるのも特徴の1つである。

 1992年、東京に博多風もつ鍋店がオープンすると、安くボリュームがあって酒によく合うなどもあり、バブル崩壊後の風潮とも融和して東京を中心に広く知れ渡るようになり、「もつ鍋」が同年の新語・流行語大賞銅賞を受賞するほどのブームとなった。しかし、その後はBSE問題が起こったことや、一過性の流行であったこともあり、以前からもつ煮が存在している東京などの一般家庭では、絶対的な定着を見せるには至らなかった。

 福岡では郷土料理ともされており、BSE問題の余波は受けつつも根強い人気があることから老舗が多く、一般の居酒屋でも博多ラーメンに次ぐ人気メニューとなっている。また、タキイ種苗がまとめた調査結果の「好きな鍋料理アンケート」では8位であったが、通信販売の口コミポータルサイト「おとりよせネット」で最も人気が高かったのがもつ鍋であり]、依然として全国区では一定の認知度があることをうかがわせている。

*Wikipedia より

 

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<B級ご当地グルメ> 福岡 長浜ラーメン

2025-02-05 11:31:40 | B級ご当地グルメ

 「長浜ラーメン」

*https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40006844/ より

 おもに福岡市中央区長浜の店舗や屋台のラーメンを指して、長浜ラーメンと呼ぶ。

 1955年(昭和30年)、現在の博多区築港本町にあった魚市場が長浜に移転、「福岡市中央卸売市場鮮魚市場」となる。それに伴い、「元祖長浜屋」「博多ラーメンしばらく」「一心亭」など3店舗の市場ラーメンの屋台も長浜に相次いで移転した。

 おもに市場関係者向けであった長浜ラーメンの特徴は、競りの合間に食すため、素早く茹でられて硬めで腹持ちの良い極細麺と、豚骨を主な原材料で軽めに炊かれたスープが特徴である。福岡で一般的で全国的にもひろがりつつある麺だけ追加の替え玉発祥の地とされる。

 屋台でも店舗でも、各テーブルに『ラーメンのタレ・かえし』(主に替え玉でスープが薄まった時に入れる)『紅しょうが』『胡麻』が用意されており、客がこれらを用いて自分の好みで味や風味の調整を自由にできるスタイルになっている事が、食べ方の主流である。

*Wikipedia より

 正しく理解しておきたい「長浜ラーメン」の基礎知識 山路力也フードジャーナリスト 2017/8/15(火) 15:22

 世界中で愛されている「博多ラーメン」
 白濁した豚骨スープに極細のストレート麺を合わせた豚骨ラーメン。全国各地にあるご当地ラーメンの中で、「博多ラーメン」は「札幌味噌ラーメン」「喜多方ラーメン」と共に「日本三大ラーメン」にも数えられるほど、知名度も人気も高いラーメンである。大盛ではなく麺をお代わりする「替玉」や、「バリカタ」など麺の固さを指定出来るなど、その提供スタイルも個性的だ。

 1985年に福岡で創業した「一風堂」は、世界に多数店舗を展開している。
 ここ数年、海外でもラーメンが人気を集めている。今でこそ色々なラーメンが食べられるようになってきたが、海外ではラーメン=豚骨ラーメンというイメージがいまだに根強い。ニューヨークをはじめ海外にも多数店舗を展開する「一風堂」や、台湾で大行列を生んで話題になった「一蘭」、さらにはアジアを中心に出店を重ねる「博多一幸舎」など、博多ラーメンを提供する店が多く出店していることも大きいと言えるだろう。

 魚市場で働く人のために生まれた「長浜ラーメン」
 「博多ラーメン」が日本はもとより海外にも知られているのに対して、同じ福岡の豚骨ラーメンである「長浜ラーメン」はあまり知られていない。名前は知っていても博多ラーメンとの違いは分からないという人も多いのではないだろうか。白濁した豚骨スープに細麺という組み合わせは同じ。実際、福岡でも博多ラーメンと長浜ラーメンの明確な差異はなくなっているのが現状だ。

 長浜ラーメン発祥「元祖長浜屋」。細麺、替玉などはこの店から始まったと言われる。
 長浜ラーメンとは博多漁港に面する長浜で生まれたラーメンのこと。1952(昭和27年)に開業した屋台「元祖長浜屋」がその発祥と言われている。創業当初は中洲などの町中に出店していたが売れず、当時大浜にあった魚市場前で営業するようになると、魚市場で働く人たちの支持を受けて盛況となった。1955(昭和30)年に市場が長浜に移転したことにより、長浜に多くの屋台が軒を連ねるようになった。

 競りなどで忙しく時間がない魚市場の人たちのために、素早く提供出来るように麺を細麺にして茹で時間を短縮。細麺は伸びやすいため、麺の量は少なくしてお替わりが出来る「替玉」を考案するなど、元祖長浜屋から始まり長浜ラーメンや博多ラーメンのベーシックなスタイルになっていたものは少なくない。

 博多初のラーメン屋台の流れを汲む「うま馬」のラーメンは、半濁スープの醤油味。
 一方、博多ラーメンの歴史は長浜ラーメンよりも古い戦前のこと。1940(昭和15)年に創業した「三馬路」が博多初のラーメン屋台と言われている。スープは半濁気味のあっさりした豚骨スープで醤油味、麺も平打ち麺で名前もラーメンではなく「中華そば」と呼ばれていたようだ。現在では昔ながらの醤油味の博多中華そばを出す店は、三馬路の三代目が営む「うま馬」などごくわずかしかない。

 また、戦後の1946(昭和21)年には、うどん屋台を営んでいた山平進さんと天ぷら屋台を引いていた津田茂さんが豚骨ラーメンを考案する。そのラーメンが屋台で人気を博して、のちに山平さんが『博龍軒』、津田さんが『赤のれん』をそれぞれ創業することになり、博多に豚骨ラーメン店が生まれた。博多ラーメンの文化は博多の醤油ラーメンの文化と豚骨ラーメンの文化が、長浜ラーメンの融合を経て醸成されていったと言うことが出来そうだ。

 元祖が乱立する長浜ラーメン
「長浜家」のラーメンは「長浜屋」とそっくり。
 長浜ラーメンの元祖である「元祖長浜屋」は、地元福岡では「ガンソ」「ガンナガ」などと呼ばれて親しまれている、博多っ子にとってはソウルフードのような存在の店である。しかしながら、長浜の地に足を運ぶと「元祖長浜屋」と似たような店名や看板のラーメン店がいくつもあることに気付くだろう。長浜ラーメンを目指して食べに来た観光客はもちろんのこと、普段遣いしている地元民ですら一瞬混乱してしまうような状況になっている。

 2016年、長浜の地から上川端商店街へと移転した「元祖ラーメン長浜家」
 2009年に「元祖長浜屋」の元従業員が同じ長浜エリアに「元祖ラーメン長浜家」という店を開業し、長浜には二つの「ガンソ」が出来てしまった。店名の違いもほとんどなく、ラーメンはもちろん丼のデザインや店内の雰囲気やシステムまで「長浜屋」に酷似した「長浜家」の登場。それだけでもややこしいのに、さらに混乱に拍車をかけたのがその「長浜家」からさらに従業員が分裂して、別の「長浜家」が出来てしまったことにより、長浜には「長浜屋(家)」と呼ばれる店が3軒もあるという事態になったのだ。2016年、後に出来た方の「長浜家」が上川端に移転したため、多少その混乱は落ち着いた感があるが、いずれにしてもこれらの店はどれも独立した店で資本的には無関係である。

 長浜ラーメンとしてのプライド
 今年創業30周年を迎えた「名島亭」は、長浜ではなく東区名島に本店を構える。
 長浜ラーメンは長浜にあるだけではない。店名やメニュー名に長浜ラーメンを謳う店は、長浜以外の福岡市内にも数多くある。博多ラーメンと長浜ラーメンの区別が曖昧になっているからこそ、博多ラーメンの発祥でもある長浜ラーメンを出しているという矜持を名前にも掲げているのだ。

 「名島亭」大将の城戸修さんは長浜の人気屋台「長浜一番」で修業を重ねて独立した。
 創業は1987(昭和62)年と、今年で創業30周年を迎えた長浜ラーメンの人気店「名島亭」は、長浜ではなく福岡市東区名島に本店を構えている。博多ラーメンではなく長浜ラーメンを名乗るのは、店主の城戸修さんが学生の頃から長浜ラーメンが大好きで、長浜の人気屋台「長浜一番」で修業を重ねて独立したから。名島亭はラーメン施設や集合施設への出店も果たし、今もなお多くの人たちに長浜ラーメンを提供し続けている。

 「福重家」も長浜ではなく西区福重で人気を集めている長浜ラーメン店。
 福岡市西区福重で人気の「福重家」も店名に長浜ラーメンを掲げる。1976(昭和51)年の創業時は別の店名だったが、当時から「長浜ラーメン」の文字だけは変えずに守り続けている。先代の創業者がやはり長浜ラーメンが好きで、人気の屋台で修業を積んで開業した。二代目店主の秋山康幸さんは、長浜ラーメンの魅力を脂分が少なくてあっさりして毎日でも食べられることだと語る。実際毎日足を運ぶ常連客も少なくないのだそうだ。

 長浜の屋台が消えていく
 長浜ラーメンといえばやはり屋台だが、長浜の屋台事情はここ数年で激変している。長浜の人気屋台「やまちゃん」が2014年に屋台を廃業。また長浜一の行列を誇る人気屋台だった「長浜ナンバーワン」も2015年に屋台を廃業と、長浜の人気屋台が次々と無くなっている。その背景には2013年に施行された「福岡市屋台基本条例」の存在がある。

 人気店「長浜ナンバーワン」は、2017年東京に初進出を果たした。
 営業権の継続や市道占有上の問題など、様々な規制強化の中での惜しまれつつの廃業。「やまちゃん」は以前より路面店の出店も重ねており、「長浜ナンバーワン」も福岡市内にとどまらず県外や海外にも出店しており、2017年には東京への初進出を果たすなど、今もその味を楽しむことが出来るが、今回の条例によって廃業を迫られている屋台も少なくない(3/28 毎日新聞)。2016年には長浜地区の屋台が条例に基づき設置場所を変更し、須崎や中洲などでも屋台の再配置が進んでいる。長浜に限らず福岡の名物とも言える屋台は現在転換点を迎えているのだ。

 60年以上の歴史を持つ「長浜ラーメン」が、博多ラーメンのみならずラーメンに与えてきた影響は大きい。福岡市内ではここ数年、脱豚骨とも呼ばれるラーメンの潮流が生まれつつあるが、やはり福岡のラーメンといえば豚骨ラーメン。その嚆矢とも言える長浜ラーメンは、時代が変わろうとも形が変わろうとも、いつまでも愛され続けていって欲しいと切に願う。

*https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ed7397323b3b8e45b5ad9cc67aa910e944d61b20 より

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<B級ご当地グルメ> 福岡 久留米ラーメン

2025-02-04 08:48:24 | B級ご当地グルメ

 「久留米ラーメン」

*https://tabelog.com/fukuoka/A4004/A400401/40017370/dtlrvwlst/B111426145/ より

 久留米ラーメン(くるめラーメン)は、福岡県久留米市を中心に提供されている豚骨ラーメン。

 歴史

 1937年(昭和12年)に福岡県久留米市の西鉄久留米駅前に屋台「南京千両」が開店。長崎県島原市出身の創業者の宮本時男が、神奈川県横浜市の南京町(現在の横浜中華街)や東京で流行していた支那竹が入っていた「支那そば」と、地元の郷土料理である長崎ちゃんぽんの「豚骨スープ」をヒントに考案する。この豚骨スープは透明感を残したスープであった。

 10年後の1947年(昭和22年)に杉野勝見が屋台「三九」を同じく久留米に開業する。杉野は前述の宮本とも親交があり、「三九」の屋号も宮本の生年が明治39年であったことと、英語の「サンキュー」の意味から採られている。当時の「三九」は「南京千両」と同じく、豚骨をちょっと煮た程度の透明感を残したスープであった。ある日、母親に仕込みを任せて外出した杉野が帰ってきてみると、手違いでスープは強く炊かれ煮立っており、白濁していた。失敗と思われたこの白濁スープを飲んでみたところ意外に美味しく、現在の久留米ラーメンの主流の「白濁豚骨スープ」が誕生することとなった。

 杉野は4年ほど経った1951年に福岡県小倉市(現在の北九州市)に移り「来々軒」を開業する。「三九」の常連客であった四ヶ所日出光は、「三九」の屋号や権利を譲り受けラーメンの改良を続けた。四ヶ所の「三九」は後に熊本県玉名市や佐賀県佐賀市に移転し、それらの地で地元のラーメン職人に影響を与え、玉名ラーメン、熊本ラーメン、佐賀ラーメンといった九州各地のラーメンに影響を与えたといわれ、豚骨ラーメンの元祖とも言われている。

 「南京千両」の屋台仲間の1人が1957年(昭和32年)に故郷の富山県に帰る際に、店の名前の使用許可をもらい、富山で同じ名前の「南京千両」を開業。富山風にアレンジしてはいるが、透明感を残した豚骨スープを提供し続けている。

 特徴
 店によって差は大きいが、久留米ラーメンの特徴として、以下のようなものが認識されている。

 麺はストレートの固め。太さでは博多ラーメンよりやや太め。
 博多ラーメン以上に強く煮込んだ、濃厚で骨髄の匂いが強いスープを採用している。
 但し、あっさり目の豚骨スープを提供する店もあり、スープについては博多ラーメン以上に幅が広い。
 具材はキクラゲ、チャーシュー、ワケギと博多ラーメンと共通。海苔を乗せる店が多いのも久留米ラーメンの特徴である。熊本ラーメンと異なり、焦がしニンニクやニンニクチップはトッピングされない。
 玉子はゆで玉子も多いが、他地域に比べトッピングとして生玉子を入れることも多い。
 継ぎ足し
 久留米ラーメンの豚骨スープの伝統的な製法に、継ぎ足しと呼ばれる製法がある。 呼び戻しとも呼ばれる。

 スープが減ってくると別の釜で煮立てた新しいスープを文字通りに継ぎ足す製法であり、継ぎ足しでその店の創業以来のタレとしている鰻屋の蒲焼のタレなどと同様である。

 継ぎ足しと比較すると一般的な博多ラーメンでは取り切りと呼ばれる製法であり、一定量の材料を一定時間煮出してその日に使用する分のスープを作る。

 日本食品分析センターの分析によると、スープ100グラム中のうま味成分(遊離グルタミン酸)の含有量は、一般的な取り切りで作られたスープは6ミリグラムなのに対し、継ぎ足しで作ったスープは17ミリグラムと2.8倍多かった。

 影響
 玉名ラーメン
  熊本ラーメン
 佐賀ラーメン
 宇部ラーメン
 久留米食堂系ラーメン
 あっさりしたスープのラーメンも、また人気がある。店名に「食堂」が入った店が多いため、食堂系と呼ばれる。

 1955年創業の「沖食堂」、1958年創業の「ひろせ食堂」が代表例として挙げられる。スープには豚骨だけではなく鶏ガラも使用されることが多い。

 長崎ちゃんぽんを提供する店も多いが、中学生や高校生向けに価格を抑えるため、肉や魚介類を抜き野菜のみを具材にしたちゃんどんを提供している店もある。

 久留米国道系ラーメン
 久留米市内や久留米市周辺部の国道3号沿いに店を構え、こってりしたスープのラーメンが国道系と呼ばれることもある。

 1958年(昭和33年)、国道3号沿いに開業した「丸星中華そばセンター」や1965年に佐賀県三養基郡基山町に開業した「丸幸ラーメンセンター」が代表例で、広大な駐車場を備え年中無休・24時間営業を行っており、長距離ドライバーの評判も高い。「丸星中華そばセンター」は日本初の24時間営業店(2021年より24時間営業を取り止め)とも言われている。注文方法は食券券売機による対応が主流。

 久留米ラーメンでは一般的でない替え玉(博多と違い「替え麺」と呼ばれることが多い)が可能であったり、トッピングが任意に追加注文可能となっていたりするのも、国道系の特徴である。

*Wikipedia より

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