いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

「表現の自由」と「表現の不自由」-あいちトリエンナーレ

2019-08-16 10:45:01 | 米屋の親父のつぶやき
「表現の自由」とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利。外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。*Wikipediaより

「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった。
そして「芸術監督」が謝罪した。
元従軍慰安婦を象徴する少女像などの出品を決めた理由について、拒否すれば「事前検閲が発生」したことになると釈明。*共同通信社の記事より

どこが問題だったのか?
この「あいちトリエンナーレ」とは、2010年から3年ごとに開催されている国内最大規模の国際芸術祭です。4回目となる2019年は、国内外から90組以上のアーティストを迎えます。国際現代美術展のほか、映像プログラム、パフォーミングアーツ、音楽プログラムなど、様々な表現を横断する、最先端の芸術作品を紹介します。*あいちトリエンナーレHPより
主催は「あいちトリエンナーレ実行委員会」。
予算は県が約6億円、市が約2億円を負担し、文化庁からの補助金8000万円弱だとか。
つまり「個人的なもの」ではない。

「愛知県知事」や「名古屋市長」は問題が発生し対応に追われた。
脅迫事件まで発生し、結局「中止」に。

「政府」は静観視。
これが一番正しい。

でなければ「検閲」と云われても仕方ない。

問題は「検閲」かどうかなのか?

「展示内容」について問題があるように思う。

「表現の自由」とは言いつつ、但し、法が保障する自由は、無制約な決定の可能性を認めるものではない。公共の福祉を侵害したり、他者の自由を侵害する「表現の自由」は認められていない。*Wikipediaより
なんでもかんでもいいというわけではなのだ。

ということは「展示内容」-「企画」そのものが問題なのだ。
タイトル通り「表現の不自由」とあるのだから、元々「問題のあるもの」とわかっていたはず。
どうも事前に知った時点での展示内容変更は「検閲」と判断し、混乱必死と考えられていたそう。

「芸術監督」に丸投げの中、決定後の変更は絶対にできるはずもない。

「慰安婦像-平和の少女像」や「昭和天皇のご真影を炎上させている映像」、など、到底「今の日本」では許されるはずもない。
「企画コンセプト」の段階でしくじっていたのだ。

つまり「芸術監督」に全責任はある。
たぶん「確信犯」。

「表現の自由」という「耳障りの言い言葉」ひとつで、来場者が納得できるものではなかっただろう。



ただ・・・
個人的には、「表現の不自由展-その後」は観てみたかった。
たぶん「胸糞悪い」ものも多かっただろうけど、それを「芸術」だと認められたものなら、観てから判断したかった。

「芸術」とは何か?
そこには「モラル」も「観る側の感情」など考慮せず、何者にも検閲されないものも数多くあるはず。
もしかしたら「50~100年先」なら立派に認められるものもあるかも?

「今のこの日本」においてには似つかわしくない・受け入れがたいものだったのだろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする