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<パリ五輪2024> メダリスト 志田千陽/松山奈未

2024-09-13 07:18:17 | パリ五輪2024

 「志田千陽/松山奈未」 銅-バドミントン・女子ダブルス

 「志田千陽」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1541629-------------------- より

 志田 千陽(しだ ちはる、1997年4月29日 - )は、日本の女子バドミントン選手。秋田県南秋田郡八郎潟町出身。所属は再春館製薬所。2024年パリオリンピックの女子ダブルス銅メダリスト。2015年から組む松山奈未と共に「シダマツ」ペアとして知られている。

 「松山奈未」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1541630-------------------- より

 松山 奈未(まつやま なみ、1998年6月28日 - )は、日本の女子バドミントン選手。福岡県北九州市出身。所属は再春館製薬所。2024年パリオリンピックの女子ダブルス銅メダリスト。志田千陽と共に「シダマツ」ペアとして知られている。

 

 バドミントン 女子ダブルス “シダマツ”ペア 銅メダル 五輪 2024年8月4日 2時15分  NHK NEWS

 パリオリンピック、バドミントン女子ダブルスの3位決定戦で、志田千陽選手と松山奈未選手のペアがマレーシアのペアにゲームカウント2対0のストレートで勝って銅メダルを獲得しました。

 志田選手と松山選手の『シダマツ』ペアは3日、女子ダブルスの3位決定戦で、マレーシアのタン選手とティナ選手のペアと対戦しました。

 第1ゲームは松山選手の力強いショットと、志田選手の素早い反応から繰り出す緩急をつけたショットで相手のペアを揺さぶり主導権を握ると21対11で取りました。

 第2ゲームも『シダマツ』ペアは息の合ったプレーと正確なショットで相手に流れを渡さずそのまま押し切り、このゲームも21対11で取ってゲームカウント2対0のストレート勝ちで銅メダルを獲得しました。

 日本勢のこの種目でのメダル獲得は2大会ぶりです。

 志田「持ち帰るものを獲得できてよかった」
 志田選手は「勝っても負けても最後だと思っていたので『1球も諦めないでシャトルを追おう』という気持ちでやっていた。準決勝で負けてしまって悔しかったが、2人で持ち帰るものを獲得できてよかった」と喜びを語りました。

 松山「とにかく勝ちたかった」
 松山選手は「とにかく勝ちたかったのでメダルを持って帰れることにほっとした。日本からもたくさんのメッセージもらっていたので勝利を届けられたことをうれしく思う」と話していました。

 日本女子ダブルスの強さ示す
 初出場のオリンピックで、銅メダルを獲得した女子ダブルスの『シダマツ』ペア。

 1学年上の志田千陽選手と松山奈未選手は高校時代、国際大会で初めてペアを組んで、高校卒業後はともに熊本県のチームに所属し、オリンピックの舞台を目指すようになりました。

 明るいキャラの志田選手に、人見知りの松山選手。

 松山選手が「志田さんじゃなかったら自分をここまで引っ張ってくれなかった」と語るように年上の志田選手がリードする形で成長してきました。

 しかし、世界でも層が厚いとされる日本の女子ダブルス。

 東京オリンピックの出場はかなわず、福島由紀選手と廣田彩花選手の『フクヒロ』ペア。

 それに、永原和可那選手と松本麻佑選手の『ナガマツ』ペアのサポートにまわりました。

 そのなかでオリンピックで思うような結果を残せなかった先輩ペアたちの姿を見て、力を出し切ることの難しさを痛感するとともに夢舞台を目指すうえでの覚悟が決まりました。

 松山奈未選手
 「オリンピックって特別でそこで自分も少し“怖いものだな”と思った。そこからは少しずつ意識も変わった」

 東京大会後、『シダマツ』ペアは急成長を遂げました。

 攻撃的なスタイルで世界選手権に次ぐ全英オープンで初優勝するなど、国際大会で好成績を残し続けました。

 パリ大会に出場できるのは日本からは最大2組。

 激しい出場権争いのなかで先輩ペアに勝ちきる精神的な強さも身につけて念願のオリンピック初出場を果たしました。

 松山奈未選手
 「先輩たちを倒したいという気持ちでやってきて。感謝というと少し違うかもしれないが先輩たちのためにもオリンピックは負けられない戦いになる」

 志田千陽選手
 「どんなことがあっても目標がブレなかったから、ここまで走りきれた。最後は悔いなく戦いたい」

 その言葉のとおり、パリで2人は躍動しました。

 志田選手の抜群のスピードを生かしたコートカバーに松山選手の力強いスマッシュと、2人の持ち味を存分に発揮して念願のメダルを獲得。

 ロンドンとリオデジャネイロの過去2大会で日本がメダルを獲得した女子ダブルスに2大会ぶりのメダルをもたらし、歴史をつなぐとともにその強さを世界に示しました。

 松山選手の出身地 北九州市ではメダルに沸く
 松山選手の出身地の北九州市では3日、パブリック・ビューイングが行われ、銅メダル獲得の瞬間、会場は大歓声に包まれました。

 北九州市小倉北区の映画館「小倉昭和館」で行われたパブリック・ビューイングは、卓球女子シングルスで銅メダルを獲得した北九州市出身の早田ひな選手の試合に続いて行われ、会場に集まった市民らは興奮をそのままに『シダマツ』ペアの銅メダル獲得に期待を高めていました。

 試合は『シダマツ』ペアがペースを握り『シダマツ』コールが何度も起きていました。そして、ゲームカウント2対0で『シダマツ』ペアが勝つと、会場は大歓声に包まれました。

 松山選手が通っていた北九州市内の高校のバドミントン部の女子生徒は「点を取られても切り替えて積極的に攻める姿勢がすごいと思います。松山選手を目指してがんばります」と話していました。

 志田選手の出身地 秋田県八郎潟町でも喜びの声
 志田選手の出身地、秋田県八郎潟町では多くの人たちから喜びの声が聞かれました。

 八郎潟町で行われたパブリックビューイングには300人あまりが会場に駆けつけました。

 志田選手が力強いスマッシュや巧みなドロップショットで得点を決めるたび、会場では大きな歓声が上がりました。そして『シダマツ』ペアの勝利が決まると、歓声を上げて飛び上がったり、涙を流して喜んだりする人の姿が見られました。

 志田選手の叔父の石井広樹さんは「準決勝の負けから気持ちを切り替えてよくやってくれた。笑顔で秋田に帰ってきてほしい」と話していました。

 また志田選手が小学生の時にバドミントンを指導していた甲谷甚一さんは「練習を一生懸命頑張る子でした。町のスターで誇りです」と話していました。

 志田選手と一緒に練習をしたことがあるという中学1年生の女の子は「同じチームの先輩としてうれしく思います。自分も志田選手のようにみんなから応援される選手になりたい」と話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240803/k10014535991000.html より

 志田千陽「出会えて幸せ」松山奈未「オリンピックに連れてきてくれてありがとう」パリ2024バドミントン女子ダブルス銅メダル
執筆者 Chiaki Nishimura 2024年 8月 05日 01:20 

 ふたりにとって苦しいことの方が多かったここまでの道…。結成10年のふたりがオリンピックの舞台で笑顔を輝かせた。

 パリ2024オリンピック・バドミントン女子ダブルスの3位決定戦から一夜明けた8月4日、銅メダルを獲得した志田千陽(ちはる)、松山奈未(なみ)がTEAM JAPANの記者会見に出席し、それぞれの思いを語った。

 リオ2016オリンピックの女子ダブルスで高橋礼華&松友美佐紀が金メダルを獲得して以来、同種目で2大会ぶりに日本にメダルをもたらした「シダマツ」こと志田千陽、松山奈未。今の気持ちを聞かれると、志田は「正直あんまり実感が湧いてないんですけど、今はすごくほっとしていて、嬉しい気持ちではあります」とし、松山は「前日に準決勝で負けてしまって、メンタルが不安定な状態だったんですけど、最後ふたりらしいプレーも出せました」と笑顔で振り返った。

 バドミントン・志田千陽&松山奈未「最後に笑い合えるように」
 志田千陽&松山奈未、想い合って掴んだ銅メダル
 シダマツは3位決定戦をストレートで制したが、準決勝での敗北から1日で気持ちを切り替えることは、簡単なことではなかった。頂点を目指していた選手たちにとって、それは多くの人が体験することだろう。翌日の3位決定戦、松山は不安な思いでその舞台に立っていた。

 「3位決定戦のプレー中もプレーの前も、全然自信を取り戻せずにプレーをしていたんですけど、今まで自分が培ってきた練習が自分の体に染み付いていると思って、ただただ目の前の一球を相手のコートに返すということだけを意識していて、それがとても良いプレーにつながった」

 「終わってみれば、自信はなかったけど戦える自分を少し褒めてあげたいなって思いました」と続ける。

 敗戦後、次の戦いに挑むことの怖さ…。それは志田も同じだったが、それを表には出さずポジティブであり続けた松山の姿に、志田はあらためてパートナーの強さを実感したという。

 「準決勝が終わって、すごくふたりとも落ち込んでしまって。次の試合が怖いというのは私もそうだったんですけど、でもお互いそういうことを口に出すことはなかった」

 「試合が終わって松山が泣いているのを見たりとか、あとインタビューで『すごく怖かった』と話しているのを聞いて(松山の胸の内を)初めて知った。試合前は前向きなことしか話してなくて、『今日、勝っても負けても終わりだから、とにかく全部出し切ろうねー』とか『楽しもうねー』みたいな感じでコートに立っていた。(松山の)そういう姿は私も気づかなかったので、終わってみると奈未らしいなと思いますし、それが奈未の強さだったかなと思います」

*https://olympics.com/ja/news/badminton-shida-chiharu-matsuyama-bami-bronze-thank-each-other-paris-2024 より

 


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