いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<経産大臣指定伝統的工芸品> 広島 宮島細工

2021-08-21 09:38:59 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「宮島細工」

 Description / 特徴・産地

 宮島細工とは?
 宮島細工(みやじまざいく)は、広島県廿日市市宮島町で作られている木工品です。
 日本三景のひとつである宮島は、古くから「神の島」と伝えられています。廿日市市は木材の集積地でもあることから材料の入手がしやすく、木工細工の発展する好立地となっています。
 宮島細工の特徴は、水に濡らしてわざと木目を立たせて磨く丁寧な仕上げ工程が施されていることです。ご飯に木のにおいが移らず米粒がつきにくいという使いやすさで知られており、生産量は日本一を誇ります。
 他にもろくろを使って丸盆や茶托など丸型のものを作る「挽き物」、四角の角盆を手作りの刃物で作る「刳り物」(くりもの)があります。「宮島彫り」とは、盆の表面や衝立、柱などに手彫りされる写実的な模様の装飾彫刻です。塗りは必要最小限に抑え、材質本来の木目模様の美しさや手触りを存分に生かした木のぬくもりを伝えてくれます。

 History / 歴史
 宮島細工 - 歴史

 宮島細工の始まりは江戸時代末期、1人の僧によります。1800年頃(江戸時代、年号は寛政の頃)宮島の僧・誓真(せいしん)は、宮島で信仰している弁財天が手にしている琵琶の形から杓子(しゃくし)を考案しました。そして島民にその作り方を教え、土産品として販売したのです。その品質の高さはたちまち評判となって飛ぶように売れ、おかげで貧しかった島民の生活は徐々に改善されました。杓子は島の経済を立て直す助けとなったのです。
 1850年頃(嘉永の頃)にろくろ技術が宮島に導入されてからは宮島の木工技術は更に発展し、ろくろを使った丸盆や茶托などの木製品が作られるようになりました。また、甲州(山梨県)の彫刻師・波木井昇斎(はきい しょうさい)によって彫刻技術が伝えられ、木製品の表面に装飾として彫られるようになりました。その写実的な美しさは評判となり、宮島彫りと呼ばれるようになりました。
 宮島で発展した木工技術は1910年前後(明治末期頃)に隆盛を極め、優れたろくろ技術を学ぶために全国から300人近い職人が宮島に集結し、技を磨いたと伝えられています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/miyajimazaiku/ より

 景勝地、安芸の宮島で培われた宮島細工
 高校野球の応援風景で、広島出身の高校がアルプススタンドでおしゃもじをカチカチ鳴らして応援するのはもうおなじみの光景。めし(飯)とる、と縁起をかついだもの。このおしゃもじ=杓子の産地が安芸の宮島であり、宮島細工のひとつ。

 
 神の島、宮島に根付いた木工細工の技
 日本三景のひとつ、宮島は有史以前から海上の守護神をまつり、島そのものが御神体として信仰されていた伝説の島。推古天皇が即位して、この地に社殿を造営。以来千数百年、この厳島神社とともに宮島は歩んできた。古い歴史を持つ宮島に育まれた宮島細工の起源は、五色箸、色楊枝に始まると言われる。これらは、神社の儀式にちなんだ縁起物であった。
 もともと神の島ということで、宮島では農耕や機織りが禁じられていた。その代わりに、租税は免除されていた。島民たちは薪作りなど山仕事に関わる者が多かったようだ。厳島神社の神事や祭礼にあたり、市が立ち、多勢の来島者に対するお土産物として、島でとれる豊富な木を材料とした宮島細工が生み出されてくることになった。


 安芸の宮島「紺碧の海に朱色が美しく映える、厳島神社」

 宮島で出家し僧となった誓真は、寛政の頃(1789~1800)弁天さまの持つ琵琶の型から杓子を考案し、その技を島民に伝授した。誓真は日常に使う杓子に、弁天さまの物語性を与え、縁起物としてこの宮島杓子を新たな土産物として生み出したのである。これを機に木工細工が盛んにおこなわれるようになり、ロクロや彫刻、彫りの技術が伝えられていった。時代は移り、明治になると鉄道が開通したこともあって、観光客も増加し、販路も拡張されていった。日清・日露戦争時には、全国から広島の宇品に集まった兵士たちが大勢宮島を訪れ、無事の祈願とともにこの縁起物の杓子や宮島細工をお土産に買い求め、宮島細工の名はこうして全国各地へ知られるようになっていったのである。国内はもとより、海外へも輸出されるようになり、宮島細工は広く愛用されることになっていった。


 木の特徴を生かした宮島細工
 宮島細工には、この杓子のほかに「宮島彫」と言われる、盆や菓子器にほどこされる木彫り彫刻や、ロクロをまわして盆や菓子器、茶托などを作る「ロクロ細工」、ロクロではできない角盆などを手作りする「刳物(くりもの)細工」、シカの背にちょこんと乗ったサルがなんとも愛らしい「鹿猿人形」や、素朴な「宮島焼」といったものがある。木工細工においてはどれも、木本来の木肌や木目などの持ち味を生かしているのが特徴である。特にロクロ細工の挽き物や刳物では、木目を生かすことが何にもまして最優先されることだ。また生活様式の変化にともない、常に新しいデザインにも挑戦している。宮島細工の伝統や特色を生かしながら、技術の向上や新製品の開発などにも積極的に取り組み、展示会も開催している。


 もっとも大切なのが刃物づくり
 ロクロ細工師の高橋さんは、15歳のときから始めてこの道55年。もっとも気を配るのは刃物づくりと言う。「刃物の扱いが熟練の差。切れんのをむりやりやると、ちぎれるようになってしまう。刃物は自分で作らんと。ひとつのものを作るのに、大体10種類くらいの刃を使う」始めたばかりの頃は、先代に作ってもらったそうだが、そのうち自分のくせに合わせて使いやすい刃物を作るようになっていった。生前、先代から直接ほめられたことはついに一度もなかったそうだが、お母様にはこっそりと息子の自慢をなさっていたようだと、亡きお父様をしのんで目を細める高橋さんからは、あたたかい人柄がにじみ出てくるよう。


 作品づくりに一役、趣味の登山
 「その刃物を作るのも、挽きものを作るのも集中力が必要。イライラしとってはいいものはできん。」そんなときは、気分転換に趣味の登山をする。ふるさとの自然が残る宮島の山を歩くと、自然と気持ちもゆったりしてくる。「気持ちがゆったりしていると、いいものができる。木というものは安らぎ、ぬくもりのあるもの。それを作っている自分にもそういうものがないと、使ってもらう人にも伝わってしまう。」以前、ある方から「高橋さんの作品にはぬくもりがある。」とほめられたのは、とてもうれしかったと話す高橋さんから笑顔がこぼれる。「山に登ると、自然の美しさにいつも感動する。それが作品づくりに生かせる。」山の魅力を語る瞳は、まさに少年のように輝いている。この柔軟で鋭敏な感性が、美しいロクロ細工を作り続ける原点なのであろう。


 職人プロフィール

 高橋百太郎

 伝統工芸士、高橋百太郎さん。15歳の頃から父について挽き物を習い始めた。この道55年の大ベテラン

 こぼれ話

 日常使いに影響する原材料選び

 宮島細工によく使われる原材料の木には、桑(くわ)、ケヤキ、エンジュ、栃(とち)、桜などがあります。いずれも木目が美しく、木質が堅く、狂いがなく、耐久性にすぐれている、といった特質を兼ね備えています。宮島細工の木工製品はどれもふだんの生活で使ってもらって、その良さが実感できるものばかり。このため、原材料の善し悪しが使い心地に大きく影響してくるのです。原料となる木を吟味する職人の目は、真剣に。かつては、地元の宮島に生えている木を加工していたが、今では全国各地から、あるいは海をわたってくる木も珍しくありません。ただ、材料はあちらこちらと変遷しようとも、細工職人に流れるクラフトマンシップは変わることはありません。

*https://kougeihin.jp/craft/0629/ より


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「フードロス削減」加速するか? | トップ | <五輪公式ライセンス 伝統工芸品コ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経済産業大臣指定伝統的工芸品」カテゴリの最新記事