「鬼将軍/剛勇鎮西一/天下無双 立花宗茂」
立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で重臣。陸奥国棚倉藩主、筑後国柳河藩初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。
*Wikipedia より
「鬼将軍」
立花宗茂は、豊臣秀吉が端を発した朝鮮出兵に参加することとなりました。なお朝鮮出兵は、厳密には「文禄・慶長の役」と呼びますが、立花宗茂が参加したのは「文禄の役」の方です。
立花宗茂は、ここでも獅子奮迅の活躍を見せます。火計や、囮部隊と伏兵2隊で敵を包囲する「釣り野伏」などの戦法を駆使して朝鮮方の将を討ち取っていきました。ときには援軍に駆け付けた明軍と朝鮮軍を同士討ちさせて、その隙に拠点を制圧することもあったとのこと。立花宗茂は、「小早川隆景」(こばやかわたかかげ)が率いる隊に配属され、朝鮮方の拠点である「東莱城」(とうらいじょう/朝鮮読み:トンネ)を攻め落としています。
異国での奮戦ぶりは柳川の民からも「鬼将軍」という異名で称えられました。一説によれば、豊臣秀吉は「日本無双の勇将たるべし」と褒め称える文書を送ったとされています。
*https://www.touken-world.jp/tips/32514/ より
「剛勇鎮西一」
由来は当時大友家臣である立花統虎(のち宗茂)が豊臣秀吉の「九州征伐」の際、抜群の活躍をした為
秀吉が「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一」(その忠義も武勇も九州随一である)と高く評価した事から由来している。
*https://dic.pixiv.net/a/%E5%89%9B%E5%8B%87%E9%8E%AE%E8%A5%BF%E4%B8%80 より
「天下無双」
九州の地に生まれた宗茂は、豊臣秀吉から「天下無双」と絶賛されたほど武勇に優れ、内政においては民から慕われ、文化にも通じていた非の打ち所がない武将です。
*https://www.guidoor.jp/media/musou-muneshigetachibana/ より
上記以外にも、西国無双(西国一の弓取)、九州の逸物(九州の鶚鷹)、武神、飛将軍、常勝将軍と呼ばれた。*Wikipedia より
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