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<異名-人物> 桂小五郎

2024-04-07 08:55:58 | 異名

 「桂小五郎 木戸孝允」

 木戸 孝允(きど たかよし、天保4年6月26日〈1833年8月11日〉- 明治10年〈1877年〉5月26日)は、日本の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家。号は松菊、竿鈴。 明治維新の元勲として、大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。幕末期には桂 小五郎(かつら こごろう)の名で活躍した。

*Wikipedia より

 桂小五郎は1833年(天保4年)6月26日、萩城下の町医者「和田昌景」(わだまさかげ)の子として生まれました。桂家に養子に入ったのが8歳。以後、1865年(慶応元年)9月29日まで「桂小五郎孝允」を名乗ります。

 1863年(文久3年)、朝廷内で「八月十八日の政変」が勃発すると、京都における長州藩の影響力は失われ、桂小五郎も一転、幕府から追われる身となります。尊皇攘夷運動の高まりに危機感を募らせた「孝明天皇」(こうめいてんのう)が、朝廷内の公武合体派公家と薩摩藩・会津藩の両藩を動かし、尊皇攘夷派公家と長州藩勢力を京都から一掃させたのです。

 しかし、長州勢力が京都を追われたあとも桂小五郎は京都に潜伏し、藩の信頼回復に奔走しました。1865年(慶応元年)には藩命で名を「木戸貫治孝允」に改名。桂小五郎の名前が有名だったため、幕府の追及から逃れる目的で別人になりすましたのです。

 この頃、桂小五郎改め木戸孝允は、土佐脱藩浪士の坂本龍馬を介して薩摩藩との接触を開始します。薩摩藩は長州藩を京都から追い出した遺恨の敵でしたが、幕府による「第二次長州征伐」が迫る中、西南雄藩の筆頭格であり中央政局に絶大な影響力を有する薩摩藩と提携することは、長州藩が生き延びる上で不可欠でした。

*https://www.touken-world.jp/tips/72623/ より

 木戸には、「逃げの小五郎」という異名があるが、当時呼ばれたものではなく、司馬遼太郎の「逃げの小五郎」に由来している。

*Wikipedia より


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