今回はドイツの「伝統的東方政策」につき、笹本氏の著作から教えられたことを、紹介したいと思います。
ドイツを理解するための、基本的知識でないかという気がします。
「ここでもう一つ忘れてならない、重要なファクターがある。それは大国ドイツの存続のため、必要な食料と資源はこれを東方に求めなければならない、という考え方である。」
「19世紀の末以来、ドイツの保守勢力にはこうした東方膨張政策があり、ナチス時代にあっても、資本家、軍部、保守政治家たちから、依然として強い支持を受けていたという事実である。」
今年の4月、村瀬興雄氏の『ナチズム』を読み終えた時、氏の次の意見に注目しました。
ここでまた、笹本氏による同様の意見に接しましたので紹介します。
「この膨張政策は、第一次世界大戦におけるドイツの戦争目的の、重要項目となっていた。」「1918 ( 大正7 ) 年の、ブレスト・リトフスク講和条約により、ドイツ軍がウクライナを占領し、さらにコーカサス地方まで支配の手を伸ばした事実こそが、この膨張政策を、露骨に表明するものだった。」
「従ってソビエトを崩壊させ、ここにドイツ帝国の広大な植民地を得るという考え方は、なにもヒトラーの発明でなく半世紀も前から、ドイツ保守勢力の脳裏を離れなかった夢なのである。」
この辺りから氏の批判は、ヒトラーだけでなく、ドイツ国民へも容赦なく向けられていきます。本が出版された当時のドイツでは、ナチズムに関する国内での議論が、やっと収まりかけた時ではなかったかと推察します。それぞれの家庭で、親と子、祖父母や孫を巻き込んだ激しい対立となり、多くの悲劇を生んでいます。
確かにドイツは、戦争の責任をヒトラーとナチズムに転嫁し、国際世論を乗り切ったと、私は思います。しかし敗戦後の日本では、GHQの統治下で言論が封殺されていたとはいえ、戦争責任に関する「国民的激論」は、生じませんでした。
その理由の一つは、かってブログで取り上げましたが、学者や文化人と言われる指導的人物たちが、節操もなく変節したところにあります。
昨日までの天皇制賛美者が、敗戦となるや、平和と人権を尊重する民主主義の旗手となりました。GHQに積極的な協力をし、戦前の日本を否定攻撃し、国民をアメリカナイズしていきました。ですから、敗戦後の日本では、ドイツのような徹底した追求が行われませんでした。今からそれをすれば、変節した学者や文化人などが、自分の首を絞めることになります。
笹本氏を朝日新聞に連れてきた、笠信太郎氏は真偽のほどは知りませんが、米国CIAの協力者だったとも、言われています。欧米の政界事情に通じた笹本氏が、笠氏につき何も知らないはずがないと、私は考えます。
「確かに、ナチスの犠牲者となった人たちはいた。」「しかしそれは、キリスト教関係、社会民主党、共産党、労働組合などの、きわめて小さなグループだけだった。」「国民の多数は、ともかくもヒトラーの侵略政策を支持し、戦争遂行にも協力したのである。」
敗戦後のドイツ国民の苦悩を知りながら、ここまで批判する氏の気持ちが私には理解できません。
「従ってヒトラーが、膨張政策のシンボルともいうべき、対ソ侵略に乗り出した時、この連中は大いに歓迎したことなど、もろもろの事実を忘れる訳にいかない。」
「ドイツを苦境に追い込んだ直接の原因が、対ソ戦の失敗であったことを考えれば、ドイツ社会で指導的地位を占めてきた、中産階級以上の層にとって、まさに自業自得と言わざるを得なかった。」
氏のような批判もあるとは思いますが、中途半端な戦後処理をした日本人の一人である氏が、ここまで言う資格があるのかという疑問が生じます。
「別の言葉で言えば、ビスマルクによるドイツ帝国統一以来、ドイツ国民は、心底からの平和愛好国民ではなかった、ということである。」「ヒトラーのような狂気じみた膨張論者を、指導者として迎える下地は、前から十分にできていたということであろう。」
ユダヤ民族虐殺、アウシュビッツ収容所、冷酷な秘密警察など、ドイツの罪状は世界に知れ渡り、国民は負の遺産を背負い、後ろ指を指され罵られながら、敗戦後を生きています。
聡明に見えた氏も、捏造の朝日新聞記者の一員となり失望させます。ヒトラーのドイツだけを語れば、氏の意見は嘘でありませんが、歴史をもっと長いスパンで眺めると、別の意見も出てきます。
別の意見として紹介するのは、大正7年に出版された雑誌『日本及び日本人』に掲載された一文で、第一次世界大戦に敗れたドイツを評しています。ヒトラーが政権を取るのは日本で言えば昭和8年の話ですから、ヒトラーについて語っているのではありません。
「われわれもまた、戦争の主たる原因がドイツにあり、ドイツが平和の撹乱者であったと考える。」「しかし英米人が、平和の撹乱者をもって、ただちに正義人道の敵となすのは狡獪なる論法である。」
「平和を撹乱したドイツ人が、人道の敵であるということは、戦前のヨーロッパの状態が、正義人道に合致していたという前提においてのみ言いうることであるが、果たしてそうであろうか。」
「ヨーロッパの戦争は、実は既成の強国と未成の強国との争いであった。現状維持を便利とする国と、現状破壊を便利とする国の争いである。」「戦前のヨーロッパの状態は、英米にとって最善のものであったかもしれないが、正義人道の上からは決してそうとは言えない。」
「英仏などはすでに早く、世界の劣等文明地方を植民地に編入し、その利益を独占していたため、ドイツのみならず全ての後進国は、獲得すべき土地、膨張発展すべき余地もない有様であった。」
「このような状態は人類機会均等の原則に反し、各国民の平等生存権を脅かすものであって、正義人道に反すること甚だしい。」「ドイツがこのような状態を打破しようとしたことは正当であり、かつ深く同情せざるを得ない。」
これは近衞文麿公が、政治家になるずっと以前の若い頃に寄稿した一文です。若かったとはいえ、近衞公はよくも論文を寄稿したと、感心もしますし軽率さに呆れもします。当時はもちろんですが、現在でもこうした正論を誰も口にしません。欧米諸国の過去を批判することは、世界のタブーのままです。東京裁判への出頭命令が来たとき、自ら命を絶った悲劇の宰相の萌芽をここに見る気がします。
もしかすると息子たちには、分かりにくかったのでないかと心配し、論点だけを整理しておきます。
1. ドイツの膨張政策はヒトラーの独走でなく、ドイツの保守思想だということ。
2. ドイツ国民は敗戦後から現在に至っても、十分に苦悩していること。
3. 変節漢だらけだった日本が、ドイツ国民を口汚く批判するのは醜いということ。
4. 膨張政策を未開国で暴力的に推し進めたのは、英仏蘭の列強であったこと。
5. ドイツを責めるのなら、先行した英仏蘭も同時に責めなくてならないこと。
6. 戦前の日本批判も感情的な偏見からでなく、国際社会の実情を踏まえた上でやらなくては、妥当性を欠くこと。
笹本氏のような批判が戦後の日本にあふれたため、時間の経過とともに、反日・左翼思想の跋扈を許すようになったと考えます。笹本氏のような偏見で日本を語るなど、許してはなりません。私が言いたいのは、ここだけです。