ねこ庭の独り言

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日露戦争 - 3 ( 日露戦争の萌芽 )

2018-08-25 14:18:46 | 徒然の記

 日本にすれば日清戦争も日露戦争も、朝鮮の帰属をめぐる戦いでした。

 「朝鮮を支配することが欧米列強に対抗するための、最低の条件だという考え方は、明治維新以来日本の支配層に一貫したものであった。」

  ブログの1回目に、古屋氏の意見を紹介しました。反日学者である氏はこうした表現しかしませんが、私は別の言葉で言います。
 
 「朝鮮の独立を守ることが、列強による日本侵略を防ぐための、最低の条件だという考え方は、幕末以来日本の指導者たちの一貫した思想だった。」
 
 日本は、朝鮮を属国として譲らない清国と戦争をし、朝鮮を独立国として認めさせます。しかし小中華思想を捨てられない朝鮮は、二つの観点から日本への協力を拒否します。
 
  1. 夷狄に等しい未開の日本が、文明国である朝鮮に口出しするのは許せない。
 
  2. 儒教の教えからして、兄である朝鮮を弟の分際で指図するのは許せない。
 
 親の清国が列強の手で、切り取られているのですから、何もしない朝鮮に日本政府は幻滅と怒りを抱きます。諭吉の『脱亜論』の背景にあるのは、こうした中国・朝鮮への決別宣言です。
 
 列強の侵略と戦うためには、近代化した列強の側に立ち、自国防衛策を取る以外道がありませんでした。列強は軍事力でも経済力でも強大ですから、日本は「富国強兵策」を推し進めました。
 
 次は明治33年の義和団事件に際し、日本が列強から支援要請を受けた時の古屋氏の説明です。このような意見は、反日左翼学者の偏った決めつけでしかありません。
 
 「義和団と清国軍を叩くためには、列強の軍隊だけでなく、もっと強力な陸軍部隊が必要であった。」「それは、列強の一角に食い込もうとしていた日本にとって、願っても無い好機に違いなかった。」「この時の日本の指導者の関心は、義和団の蜂起そのものより、列強にいかに日本の力を認めさせるかという、問題に向けられていた。」
 
 氏は桂太郎の自伝から、その一部を紹介します。桂太郎の言葉そのものでなく、氏が編集した言葉です。
 
 「この時の陸軍大臣桂太郎は、今回のような、数カ国の連合軍が成立したことは歴史上初めてであり、また日本が、こうした同盟に参加するのも初めてである。この列強連合軍への参加こそ、将来東洋の覇権を掌握すべき端緒になるに違いないと、考えた。」
 
 氏の意見は敗戦後の東京裁判の上に立ち、日本の領土的野心を主張する考えにつながります。本来なら、東亜の秩序を守るため、日本と共に戦うべき中国がこの有様ですから、日本が頑張らなければ、アジアは列強に食い荒らされるままです。日本の指導者たちの苦悩に、氏は注意を払いませんが、この偏った姿勢は、現在の野党議員や反日活動家たちに受け継がれています。
 
 中国と朝鮮が信じている中華思想と儒教は、今では筋道だった理論でなく、憎しみ偏見が一つになった感情論になっています。
 
 加えて氏のような反日左翼の学者が無数にいて、日本国内から、敵対情報を発信しているのですから、日本の孤立は解消されません。
 
 「安倍は、外国で金をばらまいている。」「国民の税金を、無駄遣いしている」と悪口を言う人々は、歴史の知識が無いのだろうと思うことにしています。安倍氏の外交が成功しているのか、いないのか分かりませんが、簡単に結果がでるものでないと理解しています。安倍信者と叩かれるのは、こんな意見を言うからなのでしょうか。
 
 当時のロシアは満州に居座り、日本の生命線である朝鮮へ手を伸ばします。強い者へなびく事大主義の朝鮮は、日本を嫌悪しロシアに近づき、自国の保護を期待します。
 
 まだ25ページで遅々として進みませんが、それでもなんとなく、日露戦争の萌芽らしいものが見えてきました。本日はここまでとし、次回への英気を発揮するおまじないを言います。
 
   「このブログは、息子たちへ遺言だ。」
コメント (2)
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