ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

第二次大戦下のヨーロッパ - 2 ( 平和と安全は、努力の結果 )

2018-08-10 20:12:29 | 徒然の記

 昭和14 ( 1939 ) 年の9月、第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻から始まりました。笹本氏の著書から、その概要を紹介します。

 「新鋭爆撃機と大量の戦車隊による、いわゆる電撃戦によって、ドイツ軍は一週間でポーランド軍の主力を潰した。」「そのあとドイツ軍は、無人の荒野を行く勢いで、全ポーランドを席巻し、3週間でポーランド軍の抵抗は、終わってしまった。」

 「あまりに呆気ないポーランドの敗北について、ポーランドは作戦を誤った。」「全国戦線を守ろうとし、防衛陣が薄くなってしまった。もっと防衛戦を短くし、重点主義をとるべきだった。」「というような批評も、出てきたが、本当のところは、戦術や戦略がものをいう以前に、ポーランドの戦力はあまりに貧弱だったのである。」

 「ポーランド兵がいかに勇士とはいえ、槍と剣のみでは戦車には、かすり傷さえもおわすことができなかった。」「これが、ポーランド戦の実態である。」

 敗北の原因は、それだけではありませんでした。氏の叙述を読みますと、いざ戦争となれば同盟国といえども、あてにならないということが分かります。

 「英仏はポーランドとの同盟条約で、ポーランドが攻撃を受ければ、あらゆる手段によって、ポーランドに軍事援助を与えると約束していた。」「ところが英仏は、まるっきり動こうとしなかった。」

 「ドイツ軍の猛爆を受け、ポーランドがドイツの飛行場を爆撃し、少しでもポーランドへの空襲を、鈍らせてもらいたいという火急の訴えにも、英仏は応えなかった。」

 「それは、文字通りの見殺しだった。誰の目にも明らかな、同盟義務の違反だった。なぜ英仏は、ポーランドを助けようとしなかったのであろう。」「英仏はそれをやるだけの、空軍も地上兵力も、十分に持っていたのである。」

 「なぜかについては、戦後色々な説明や解釈が行われているが、英仏の責任ある筋からの答えというものは、ついに出ずに終わっている。」「つまり、うやむやにされたままなのである。」

 第二次大戦後に、チャーチルは偉大な指導者として、英国はもちろん、世界でも賞賛されますが、筆者は激動のヨーロッパで、実際に見聞した事実からそうなっているのか、詳しいことは分かりませんが、徹底したチャーチル不信を語ります。私には、こういう見方も新しい発見でした。

 結果から見ればチャーチルたちは、ポーランドをけしかけ、ドイツに挑戦させていながら、いざとなると見殺しにしたと氏は語ります。英仏は、最初からドイツと本気で戦う気は無く、初戦では傍観すると密約していたと言います。

 日米安全保障条約に限らず、現在でも各国は同盟を結んだり、条約を締結したりしていますが、いざとなった時どうするかは、自国の利益次第と歴史が教えています。

 知らない訳ではありませんでしたが、次の叙述を改めて肝に命じました。

 「スイスでも9月1日に総動員が行われ、人口の1割以上にあたる、43万人が召集された。国境地帯の警備が厳重になり、入国が難しくなった。」「市民生活にこれという変化はなかったが、となりの大国が戦争を始めたのだから、スイス国民も平然としてはおれなくなった。」

 「まさかスイスの中立が、開戦と同時に犯されるはずはあるまいというのが、大方の考えだった。」「しかし万一、攻め込まれるようなことがあれば、断固として戦うという決意は、ありありと見えた。」

 「5年8ヶ月の戦争を通じて、独仏どちらかが、戦略上スイスを通過する、つまり侵入を受ける危険がなかった訳でないが、スイス軍40万人を敵に回しては、割があわないという計算が、この冒険をたじろがせることになったようである。」

 「国民一人一人が、自分の国を誇りとし心から愛し、また満足しているスイスでは、」「国を守る気概は、指導者のお説教を待たず、国民の間から自然に生まれてくるのである。」「スイスの例は、国を守る気概というものが、上から押しつけられるものでないことを、教えている。」

 氏は当時の日本が、愛国心を上から押しつけていると、暗に批判しているのですが、今は別の押しつけがあります。敗戦後の日本は、国民が国に誇りを持てないような教育をし、国を愛することさえ罪悪だと教えています。

 スイスは、戦争に反対する永世中立国ですが、国民皆兵の国です。成年男子は、年に一回軍事訓練を受け、銃器の扱いも徹底的に教育されます。国境の河川や、峡谷には、目に見えませんが強力な爆薬が、あちこちに仕掛けられています。敵が来たら、容赦なく爆破し侵入を防ぎます。祖国防衛をここまで徹底しているから、スイスの中立が守られています。

 「戦争はダメです。」「人殺しはいけません。」「平和が一番だから、武器はいりません。」「平和憲法を守れば、世界が平和になります。」

 スイス人からみれば、現在の日本人はお人好しのバカにしか見えないはずです。スイス人だけでなく、外国人から見れば現在の日本は異様で、奇怪な一団でしかありません。笹本氏のような記者がいなくなり、日本中のマスコミが戦後70年間も、「平和教の念仏」を褒め称えたため、こんな風になってしまいました。

 日本最高の祭典が、やがて来る「終戦の日 ( 敗戦の日 )」の、追悼と反省の大合唱です。大きな活字が紙面を飾り、子供や老人を使い、「戦争の悲惨さを忘れるな」と、語らせたり、嘆かせたりします。

 「外国の軍隊が攻めて来たら、私は逃げます。」

 森永卓郎氏は著名な経済評論家ですが、悪びれもせずテレビで語ります。

「外国軍が攻めてきたら、僕は一杯やろうと言って、話し合って撃退します。」

 シールズという学生集団にいる一人が、テレビで意気軒昂でした。

 全てではありませんが、これが戦後日本人の一つの姿であり、マスコミが賞賛する「平和愛好者」たちです。自国の平和を守るため、訓練を積んでいるスイス国民には、理解不可能なはずです。努力なしに手に入る平和や安全は存在しないという、当たり前の思考が、日本人の中から薄れつつあります。

 笹本氏はこうした貴重な経験をし、帰国したのち、朝日新聞で何をしていたのでしょうか。朝日という巨大組織の中で、反日・左翼の大砂漠に埋没し、砂の一粒と成り果てたのでしょうか。

 そんなことは書かれていませんし、ブログの本題から外れてしまいます。明日からはまた氏の著作を元に、現在の日本を考察していきたいと思います。

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第二次大戦下のヨーロッパ ( 反日でなかった頃の、朝日の記者 )

2018-08-10 00:30:34 | 徒然の記

 笹本俊二氏著『第二次大戦下のヨーロッパ』( 昭和45年刊 岩波新書 )を、読了。

 氏についての情報を、最終ページの著者略歴から紹介します。

 「大正元年、台湾の基隆(きーるん)で生まれる。」「昭和10年、京都大学文学部卒業」「昭和13年から、昭和23年。」「昭和25年から昭和40年の間、二度にわたりヨーロッパに滞在。」

 「その間、朝日新聞、東京新聞などの特派員として、」「チューリッヒ、ブタペスト、イスタンブール、」「ベルリン、パリ、ボンなどの地にあった。」

 氏が生まれたのは、明治45年でもあります。この年の7月に明治天皇が崩御され、123代目に当たる大正天皇が即位されて、大正時代が始まります。

 隣国中国では、1月に孫文が南京で中華民国の成立を宣言し、臨時大統領になります。2月には、愛新覚羅溥儀が清皇帝を退位し、清国が無くなります。3月には袁世凱が、孫文に代わり臨時大総統に就任など、目まぐるしい動きがあり、日本では12月に西園寺内閣が総辞職し、桂内閣が成立しています。

 氏は激動の時代に生まれていると、言いたいところですが、私にしても生まれてすぐに日本が敗戦となり、満州から母に背負われ引き上げて来たので、驚きはしません。いつの時代に生まれても、人間は激動の時代に生きているのだろうと、そんな気がします。

 大事なのは、氏の著作が出版された年の方でしょう。昭和45年とは、どんな時代だったのか調べてみました。

  1月  第三次佐藤内閣成立

  3月  大阪万国博覧会開幕 (9月まで) 

      日航機よど号、ハイジャック事件

  4月  中華人民共和国、初の人工衛星 (東方紅1号) 打ち上げ成功

  7月  政府が閣議で、日本の呼称を「にっぽん」に統一することを決定

  11月   三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊にて割腹自殺

  12月  中国新華社通信が、「尖閣諸島は中国領」と報道

      ソ連の宇宙探査機が金星に着陸。他の惑星に着陸した初の探査機となる。

 私はこの頃、若手社員の一人として働いていましたから、ほとんどの出来事を覚えています。日本経済が成長し、とても忙しい日々でした。宇宙開発で米ソが競い、中国も人工衛星を成功させ、社会主義国が、資本主義国より優れていると思われていた時代でもあります。

 「にほん」でも、「にっぽん」でも、どちらでも正しい呼称と思っていましたが、政府が「にっぽん」と閣議決定していたとは、本日初めて知りました。それともう一つ、中国が尖閣諸島は自分の領土だと、こんな昔から主張していたことも初めて知りました。

 さてこの時期に、氏はなぜこの本を書いたのかということです。前書きと後書きので語っていたのに、漫然と読んでいました。書評のため、昭和45年の出来事を調べ、氏の思いが少し分かってきました。

 本はヒットラーが近隣諸国を、次々と占領していくところから始まり、やがて米英ソ仏の連合国に惨敗し、自殺するまでの話です。日本についてほとんど書かれていませんが、心の底にはいつも日本があったのだと、理解しました。

  肝心の中身につきましては、明日からのブログとし、本日はこの本の出版の意図を、紹介します。

 「第二次世界大戦とは、当然のことであるが、もっぱら、ヨーロッパの戦争だったのである。」「ドイツ降伏の後遠いアジアでの戦争は、ヨーロッパ人の大多数にとっては、大した意味を持たなくなっていたのである。」

 「私や私の仲間の多くは、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争との間に、強い連帯性があると思い込んでいたものである。」「ヨーロッパの戦争が終わってみると、この連帯性というものが、少なくともヨーロッパ人の意識の中には、ほとんど存在してないことを、悟らないわけにはゆかなかった。」

 「と言うより、もともとそんなものは、実在しなかったのであり、」「どうやら、幻想だったのである。」「ヨーロッパの戦争が終わり、さっぱりした爽やかな、ヨーロッパ人の表情を見ていると、私には、このことがハッキリしてくるのだった。」

 「日独同盟というようなものも、詮じ詰めれば、やはり、幻想の産物ではなかったのか ? 」「そう思うと孤立無援の日本が、にわかに心細く思われてくるのだった。」

 これが、後書きで述べられた氏の思いです。順序が逆になりましたが、前書きでは次のように述べています。

 「きたる5月9日は、ヨーロッパに平和がよみがえってから、25周年にあたる。」「しかしヨーロッパでは今日なお、多くの問題が未解決のまま残っている。」「また、8月15日アジアは、平和回復25周年を迎える。」

 「周知の通り、アジアでも多くの問題が残っており、とくに日本にとっては、最大の問題である中国との関係が、片付いていない。」「片付いていないどころか、その解決の曙光さえ見えない。25年という長い年月の無為を、われわれは、深く恥じなければなるまい。」

 「小著によって、ヨーロッパ戦争を回顧する機縁を得る読者があれば、同時にアジアの戦争を想起され、われわれにとって、今大切なことは何であるかを、誠実に検討されるよう心から願いたい。」

  現在の朝日新聞や東京新聞は、醜いまでの反日の新聞社で、私は朝日と聞いただけで、嫌悪感を覚えます。笹本氏は同社の特派員ですが、反日記者ではありません。昭和45年という時代がそうだったのか、あるいは笹本氏個人がそうだったのか、一方的な日本批判をしません。

  ドイツを巡り、不仲なはずのイギリスとフランスが連帯し、思想的対立国でありながら、米英がソ連と手を組むなど、戦時中のヨーロッパにいて、厳しい現実を目の当たりにしていたから、冷静な思考ができたのでしょうか。

 「日本だけが間違った戦争をした。」「アジア諸国を侵略し、多大な被害をもたらした。」「日本こそが、世界平和の破壊者だった。」・・・現在では、朝日新聞を筆頭に、反日マスコミが大合唱しますが、昭和45年の記者は、そんな愚論は述べなかったようです。

 久しぶりに、素直な気持ちで読書ができた理由は、こうしたところにもありました。どうやら朝日新聞社は、昭和45年以降に、何か大きな社内的変動があったのかもしれません。

 息子たちには、父として言っておきましょう。

 「ヨーロッパの戦争を知ることは、日本の戦争を知ることにつながります。」「国際社会は、どんな有様をしているのか。」「大国と小国は、どのような関係になるのか。」「軍事を軽んじる国は、結局どうなるのか。」

 こうした事実を、氏の本が教えてくれます。もうすぐ来る、「毎年のお祭り ( 敗戦の日 ) 」でされる、マスコミの大合唱の愚かさがいやでも分かってきます。お前たちの子供が成人となり、結婚をし、家庭を持つ頃、父と母はもう居ないはずです。私がお前たちを愛するように、お前たちも、自分の子供が可愛くてならないのだと思います。

 それならば、子供が自分の国に誇りを持ち、愛せるようにしてやるのが親の務めでもあります。自分の国を愛せないような国民が、幸せになれるはずがありません。反日は間違いであるだけでなく、罪悪です。それもこの本が教えてくれます。

 何度も同じ繰り返しなので、父である私も少々億劫になっていますから、もう止めましょう。でもいつかきっと、お前たちが、本気でブログを読んでくれる日が来ると思えば、こんな楽しいことはありません。やはり子供は、いつまでも親の宝なのでしょうか。感謝していますが、子供たちの前では照れくさいから、こんなことは言いません。今晩は、山上憶良の歌で終わりといたしましょう。

   白銀も黄金も玉も、何せむに

     優れる宝 子にしかめやも

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