国際社会が弱肉強食の世界である事実を、もう一度復習します。
今も学校で教えているのかどうか、知りませんが、「三国干渉」という言葉があります。調べると次のように説明されています。
「三国干渉は1895年(明治28年)4月に、フランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国が、日本に対して行った勧告である。」「 日本と清国の間で結ばれた、下関条約に基づき日本に割譲された遼東半島を、清国に返還することを求める内容だった。」
日本と清国が結んだ条約に、関係のない国が干渉し、勝利の結果得た半島を清国へ返せというのです。相手は列強で、三国も一緒では太刀打ちできません。無念の思いをかみしめながら、日本は清国へ遼東半島を返還します。この時の事情を、古屋氏が説明しています。
「三国干渉は、極東への進出を望むロシアが、日本に先に満州へ進出されては不利と見て、ドイツ、フランスを誘ったものであった。」「三年後(明治31年)の3月、ドイツは清国に、山東半島の膠州湾を租借地として認めさせた。」
「同じ月にロシアが旅順と大連の租借を認めさせ、三国干渉で日本から取り上げた場所を、今度はロシアが自分のものにしてしまった。」「これに対抗して、イギリスが九龍半島と威海衛の租借を認めさせた。翌年11月には、フランスが広州湾を租借した。」
力に任せ、強国が好き放題をする・・、常に変わらない国際社会です。時代が進んだ今は、理知と正義が国際政治を貫き、昔のような大国の横暴は許されなくなっていると、世間ではそんなことをいう知識人がいます。
しかし私は違います。中国がする南シナ海の岩礁埋め立て工事や、アメリカによるイラク攻撃やアフガニスタン攻撃、ロシアによるクリミア半島攻撃など、弱い国は相変わらず強国になされるがままです。
国連の5大国による支配を見れば、世界がほとんど進歩していないと言う事実の方が、見えます。国連の加盟国は196ヶ国ありますが、常任理事国である米英露仏中の5大国が、世界政治の決定権を持っています。この不合理について、どの国も正面切って口にしません。
話を、氏の本へ戻します。ロシアの政治家ウィッテは、ヨーロッパと中国をつなぐ海上航路を支配するイギリスに対抗し、満州とロシアをつなぐシベリア鉄道の推進に力を尽くしました。
「イギリスは1899年(明治32年)、ロシアと鉄道協定を結び、ロシアの鉄道が南下するのを防ごうとした。」「その前年には清国に、揚子江沿岸の不割譲を約束させ、自国の勢力範囲を固めようとした。」「このように英露の対立を中心としながら、中国全土は、各国の勢力範囲に分割され始めていた。」
列強の中国侵略について、氏が説明しています。
「1899年(明治32年)の12月、アメリカ国務長官ジョン・ヘイが、」「列強に対し、〈門戸開放〉を要求したことは、中国分割競争の激しさを裏面から物語っている。」「それは分割に立ち遅れたアメリカが、中国市場からの締め出しを恐れたからであり、中国での勢力範囲、利益範囲を設定しようとする国々に対し、通商上の差別をしないようにという要求だった。」
「言い換えれば、勢力範囲を設けること自体を非難したものでなく、その門を閉じ、アメリカを閉め出さないようにして欲しいということであった。」「この言葉はのちに、他国の政治的併合や軍事的占領に対し反対する標語となったが、当時のアメリカは、1897年のハワイ併合に続き、1899年の米西戦争でフィリピンを占領、併合していたため、そちらに力をそがれていたからだった。」
これに付け加えるとすれば、1840年から2年間にわたり、イギリスと清国の間で行われたアヘン戦争です。アヘン密輸販売で巨利を得ていたイギリスと、アヘンを禁止していた清国が戦った戦争です。これなどは誰が聞いても、強国イギリスが弱い中国を侵略した戦争です。
こういう時期に日本は国際社会に顔を出し、列強に飲み込まれないよう、懸命な努力をしています。しかしここでも古屋氏は、違った形で日本を説明します。明治政府の持つ危機感に触れず、読者に違別の日本を描いてみせます。
「日本がこのような情勢の中で、どのような道を開いていくかは、はなはだ、難しい課題であった。」「まず、欧米の帝国主義列強と同じ道を辿ろうという、膨張主義が、国内世論の大勢を占めた。」「政府の当局者も、帝国主義という世界の大勢に遅れ、中国分割の分け前にありつけないことを恐れる点では、これらの世論と同様であった。」
日本の歴史を公平に見ようとする学者なら、こうした卑しい説明より、福沢諭吉の『脱亜論』に注目するのではないでしょうか。
「中国と朝鮮の二国は、儒教流から変わることがなく、西洋文明を取り入れようとしない。このままでは、西洋諸国の分割の対象となるかもしれない。」「日本は隣国の開化を待って、ともにアジアを興す余裕はない、」
明治政府が重要視していたのは、東亜の平和と安定でした。列強の侵略を防ぐため共に力を合わせるべき国は、中国と朝鮮でした。しかし聞く耳を持たない二国の説得に、時間を費やしていたら日本がどうなるか。もうその余裕はないと、断腸の思いで決別します。長年日本の師であった中国を、明治の元勲たちが情け容赦なく切り捨てたと語る氏に異議を唱えます。
「悪友を親しむ者は、悪名を免れられない、」「われわれは心中で、アジア東方の悪友を謝絶しよう。」
『脱亜論』で語られているのは、隣国だからと特別の思いで接するのを止め、列強がしているように、国益優先で考えていこうという自らへの言い聞かせです。
アジアの平和と安全だけでなく、日本の安全も侵す隣国は、悪友としか言えないと、自分を納得させています。言葉遣いの慎重さは、隣国への攻撃や侮蔑ではありません。別れの言葉を「謝絶」と使っています。謝って断絶するという複雑な心情です。
そこを省略し、日本が列強の真似をし帝国主義の道を進んだという意見を、反日左翼学者の捏造と解釈します。「中国分割の分け前にありつけないことを、恐れる点では、」という氏の説明は、生まれる余地がありません。
反日左翼学者の本を読んでいると、ついブログを続ける気力を失いそうになる時があります。しかしこの言葉が、気持ちを奮い立たせます。
「ブログは、息子たちへ残す遺産だ。」