日露戦争に突入するまで日本の政治家は、関係諸国と連携しつつ、ロシアを相手にギリギリの折衝を続けます。
古屋氏はこうした日本側の努力を、詳しく伝えてくれます。氏の説明を読んでいますと、つくづく考えさせられました。
1. 外交と軍事力は、車の両輪であること。
2. 軍事力のない外交は、国際社会では無力であること。
3. 軍事力の弱い国は、同盟を結ぼうとしても相手にされないこと。
4. 軍事力の弱い国が結ぶ同盟や条約は、相手国の属国的扱いの内容しかないこと。
そうなるどうしても、現在の日本について考えてしまいます。昨年末に、反日マスコミと野党が大騒ぎする中で、政府が有事関連三法を成立させましたが、中身は次の通りでした。
・ 武力攻撃事態法 ・ 自衛隊法(改正) ・ 安全保障会議設置法(改正)
簡単に言うと他国が攻めて来た時、速やかに対応できるように、自衛隊法の手直しと、軍事会議を開催できるようにするもので、攻撃してくる他国へ事前に対処できる法律ではありません。専守防衛に徹した、祖国滅亡論の上に立つその場しのぎの法律に過ぎません。
日清・日露の戦争時、あるいは第一次世界大戦の時なら、専守防衛の理屈でもなんとか国は守れました。しかし核兵器とミサイルが作られている現在では、やられる前に敵基地を叩かなければ、攻撃後では反撃能力も破壊されています。敗戦以来現行憲法のもとで、自民党の政治家さえ、亡国の「専守防衛論」を主張してきました。
日露戦争突入前の外交交渉は、別の名前を付ければ「外交戦争」です。どの国も軍事力を背景に、恫喝と妥協を繰り返し互いの腹を探りあいます。列強の仲間入りをしても、日本の国力はまだ他国に及ばず、外務大臣や外交官たちはよく対等に議論を戦わせたと、尊敬の念が湧いてきます。
陸奥宗光、加藤高明、小村寿太郎という、錚々たる外務大臣や大使を先輩に持ちながら、戦後の外務省はどうなったと言えば良いのでしょう。
「外交と軍事力は車の両輪である。」という国際社会の常識から逸脱し、憲法改正すら口にせず、安倍総理の足を引っ張っているのですから、理解を超えた存在となっています。自分のブログでは、「外務省」でなく「害務省」と呼んでいますが、氏の著作を読み、その感を深くしました。
「日英同盟の成立は,たしかにロシアに対する圧力となった。ロシアは,なんらかの形で、満州占領を終わらせる必要に駆られた。」「北京駐在のロシア公使は、清国に対し新しい提案を行った。」
撤兵を三年をかけて行い、撤兵後の満州における清国の兵力と装備は、ロシアに報告すること、外国兵を雇ってはならないことなど、様々な条件をつけました。撤兵しても、満州の利権は守ろうという考えです。
「この内容を知った日本は、すぐにイギリス、アメリカの両政府に知らせ、協力して、ロシアと清の取り決め成立を妨げようとした。」「日本は清国政府に対し、ロシアの撤兵は1年以内とし、軍備に関する制約は、ロシア撤退後は無効とすることなど、規定の変更を申し入れた。」
「イギリス政府はロシアに対し、すでに定めた以上の賠償金を取ろうとするのは、列国の協定に違反すると抗議した。」「清国政府に対しては、ロシアの銀行に利権を認めるのなら、イギリスも同様の利権を要求することになると通告した。」「アメリカ政府もまた、清国とロシアの双方に強硬な抗議を提出した。」
「ロシアとフランスは日英同盟について、表面上は賛成しながらも、清国における、両国の特殊権益が侵されるときは防御手段を取ると宣言した。」「しかしフランスには、イギリスとの戦争の意思がないため、この宣言は、露仏同盟の威信を保つという以上の意味はなかった。」
日米英三国の抗議を勘案し、ロシアが提出した条件により、新しい条約がロシアと清国で結ばれることとなりました。すべては、日英同盟の効果でした。
「イギリス政府は、この内容でもロシアに与える利益が大きいと、再修正を望んだが、小村外相は多少の不満があっても、ロシア軍を撤退させることが重要だと主張した。」
息子たちに教えたいことが、氏の叙述には沢山あります。
現在でも大国同士は、このようにして互いに水面下でせめぎ合っています。敗戦以後、軍事力を失った日本が、今は他国とどのような条約を結んでいるのでしょうかか。
書かれた文言だけでなく、交渉時の密約と言われるものを含み、米国との安全保障条約や相互地位協定など、果たしてどうなっているのでしょう。敗戦国となった当時の日本ですから、米国と結ばれた条約や協定が属国扱いになっていても、不思議はありません。
さらに言えば田中首相が、周恩来首相と交渉した日中平和条約も、この延長上にあります。田中首相は締結を急ぐあまり、中国に安易な妥協をし、今日の日中間の紛争の種を蒔いたと、こういう話も聞きました。単なる中傷と無視してきましたが、軍事力のない日本がする外交には、ほとんど期待のできないことが分かりました。
「自衛戦争だった」という戦前の大義を捨て、復讐裁判でしかなかった東京裁判を、外務省は受け入れ、「謝罪外交」の道を選んでしまいました。その結果、韓国による売春婦問題、中国による南京問題、靖国参拝への内政干渉など、反論の一つもせず、卑屈に謝り続ける日本となってしまいました。
外交の専門家という自負だけは持っていますが、戦後の外務省は世界に日本を晒し者にした元凶です。彼らは過去の歴史すら、本気で検証しませんし、国民の愛国心も踏みにじったままです。その元凶の一人が小和田恒氏であることも、公然の秘密です。
雅子さまの父君として外務省内に力を持ち、何かと噂のあるお方ですが、その上にいた自民党の政治家に注目しています。小和田氏を秘書として重用し、外務省で出世させたのは、故人となった福田赳夫元首相でした。親中派の走りの議員であり、雅子さまを皇太子殿下と結婚させたのも氏でした。子息の福田康夫元首相も、親に劣らない親中派議員です。
外務省を「害務省」に変えてた政治家や官僚を列挙し出せば、ブログに収まりません。本題を外れてしまいますので、今晩はここで一区切りをつけます。
書評はやっと63ページです。日露戦争について述べるつもりでしたが、ロシアが満州での居座りを続けますので、暫くは「外交戦争」の話になります。