ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

あまり、常識のない人

2018-08-07 22:53:37 | 徒然の記

  常識がありそうに見えるのに、話を聞かされると、非常識なことを言う人が、世間には沢山います。

 私も、他人から見れば、そう思われているのかもしれませんが、自分のことは、棚に上げておきます。そうしないと、本日のブログは、前に進みません。

 「毎日、政治のことばかり考えていたら、」「普通の暮らしができないでしょう。」「世界は広いのですから、視野も広く、趣味も広く持って、」「生きる喜びを、楽しまなくては、偏った人生で終わります。」

 おせっかいですが、親切心から忠告してくれる人に、私は逆らわないようにしています。私のブログで、政治が沢山取り上げられるといたしましても、私は1日24時間、1年365日、政治ばかりで、頭をいっぱいにしている訳がありません。

 今日は午後から、年に一度行われる、市の健康診断の結果を聞きに、家内と一緒に近所の病院へ行ってきました。かかりつけの病院で健診を受けても、費用が安くなるという、有難い制度です。明日からの予定は、運転免許更新前の、高齢者講習を、近くの自動車学校で受講すること、そのための予約を入れること。

 車の年次点検の日が近ずいているから、車をディーラーへ持ち込まなくてなりません。その予約も必要です。台風が近づいているので、全ては様子見です。

 月水金は、生ゴミの日で、火曜日は、紙と空き缶を出す日です。不燃物は金曜日で、空き瓶は、第一、第三火曜日です。全部仕分けし、市の指定するビニール袋に入れておかなくてなりません。野菜クズだけは、細かく裁断し、洗面所の外に置いたボックスに入れ、土と一緒に混ぜます。適度な水分と攪拌が大切なので、毎日捨てるたびにかき回します。三ヶ月もすれば、栄養価の高い土に再生するので、植木鉢に補充したり、庭に入れたりします。

 私たちは生きていますから、毎日三度の食事を作り、後かたずけもします。洗濯も、毎日やり、ベランダに干し、乾いたら取り込みます。夫婦の共同作業ですから、喧嘩をしたり、冗談を言い合ったり、趣味とは言えませんが、有意義な時間です。

 「自分たちで、自分たちのことができるんだから、」「有難いことよね。」

 何をするにも、他人の力を借りなくてはできない人を、沢山知っていますから、健康であることに感謝します。

 詰まらないことを、だらだらと述べていると思われるかもしれませんが、私たち夫婦には、どれひとつとして無駄な仕事はありません。私がパソコンに向かい、プログを書くのは、こうした作業の合間ですから、年金生活の老人の暇つぶしではありません。

  人それぞれなので、私はあまり、他人のやることに干渉いたしません。楽しくもないのに、私に忠告してくれた人のことを、なぜ思い出したかと言いますと、原因は昨日のブログでした。

 「共同通信の記事は、国民への挑戦 - 3」の中で、多摩大名誉教授の樋口裕一氏が、こう述べていました。

 「真偽が分からない情報が飛び交う中で、」「真実は一つと、思わない人が増えている。」

  この教授が何を専門にしているのか、私は知りませんが、こんな言葉を新聞に発表するのですから、常識を疑ってしまいました。少なくとも、学徒の道を歩いた経験のある者なら、軽々しく口にしない言葉です。

 いったい、真実とは、何なのでしょう。

 辞書を引き、ついでにネットの説明も参照しましょう。この先生が、どれほどイカサマの学徒だったかが、一目瞭然となります。あくびを殺してでも、読んでください。

 「真実とは、嘘や偽りでない、本当のこと。」「あるいは、まこと、真理。」「真実は、事実と同様で、」「皆が一致する、ひとつの場合もあり、」「人それぞれに、複数存在する場合もある。」

 数学、物理学、化学、地学、天文学、生物学など、自然科学の分野では、発見された法則や定理などが、「真実」と呼ばれますが、これは実験に裏付けられていますから、反対する人はいません。

 一方、社会学,政治学, 経済学,法学,社会心理学,教育学,歴史学,文化人類学など、社会科学の分野では、極論しますと、学者の数だけ「真実」があるということになります。1たす1が、2であるという事実は、歴史が移り変わっても不変ですが、社会科学での真実は、時代と共に変化します。

 「王様が人民を統治するのは、絶対の真理だ。」かっては、そう思われていた時代がありました。「マルクスの思想は、絶対の真理であり、真実だ。」と、そう信じられていた時代がありました。社会科学分野での真実は、時代が変わり、人々の思潮が変化すれば、真実でなくなる場合があります。

 学徒の経験を持つ者にとっては、常識です。わざわざ教えられなくとも、多くの人間は、それを常識として知っています。ですから私は、樋口氏は、常識のない人でないのかと、考えてしまい、あまり考えていくと、そんな教授を黙認している多摩大も、常識のない大学となりますし、講義を聞いている学生にも同情しなくてなりません。

 それでは気の毒なので、ネットの情報で、「真実」に関する別の説明を、引用いたします。

 「一般的には、他者との関係性を前提に、」「社会で合意し、共有できる、皆が一致する、」「より公的で、社会性を有する事柄を、真実と言う。」

 樋口氏の好きそうな、ややこしい説明ですが、私なりに要約しますと、

 「社会で、多くの人間が、正しいと同意していることが、真実である。」、ということです。樋口氏の頭の中では、今の日本では、「平和」「人権」「自由」「平等」という、思想が真実であると定義されているということです。もっと分かりやすく言いますと、反日・左翼思想が真実であり、軍事につながる保守思想は、すべて間違っている。と、言いたいのです。

 ネットの説明は、さらにこう述べています。

 「私的、かつ個人的な範囲では、他者と一致していなくても、」「その人物の主観という範囲で、真実と言えるが、」「人間が、社会的動物と言う前提がある以上、」「その真実は、他者との関係で、個人的主観が許されない場合は、」「真実ではなく、相手から見れば、嘘ともなりえる危険性を孕んでいる。」

 樋口氏が、いくら自分のいうことが「真実」だと言っても、多数の国民の共感がなければ、嘘になると述べています。鍵となるのは、一般国民の思潮なのです。多くの国民が、「右」と言えば、右が真実となり、「左」と言えば、左が真実となる傾向があります。ここが社会科学の思想の恐ろしさです。

 本当の学者なら、右であれ、左であれ、極論の危険性を語らなくてなりません。一方の思想に与し、国民を洗脳するのでは、教授の名がすたります。私などは、今は反日・左翼が幅を利かせ、大切な日本を台無しにしているから、反対していますが、もしも、保守が極論に走り、日本をダメにするようになったら、同様に反対します。

 それは、私の羅針盤が乱れているのでなく、羅針盤を見る能力のない人が、そう思うだけです。私の羅針盤の針は、常に一つの場所を指しています。

  1. 自分の国を愛すること。

  2. ご先祖様を敬うこと。

  3. 歴史を大切にすること。

 言葉は違っても、すべて一つのことです。息子たちに言います。樋口氏のような、偏った先生に騙されてはいけません。こういう人物は、「曲学阿世の徒」であり、「駆除すべき害虫」でしか、ありません。

コメント (2)
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