ねこ庭の独り言

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日露戦争 - 4 ( 司馬遼太郎氏への反論 )

2018-08-26 19:43:00 | 徒然の記

 『坂の上の雲』の著者司馬遼太郎氏は、日清・日露戦争時の日本を肯定しますが、昭和の日本には疑問符をつけました。

  司馬氏の言葉を、紹介します。

 「私は、昭和十年から二十年までの、きわめて非日本的な歴史を光源にして、日本史全体を照射しがちな癖が、世間にあるように思えてならない。」 

 ある人物が、氏の言葉を解説しています。

 「 ごく単純化して言うと、明治維新の英雄たちが作り上げた明治国家、それは立憲制国家といえるが、それを昭和の軍が破壊したということになる。」「軍と言っても司馬が指弾するのは、参謀本部の参謀たちのことだ。」

 「この連中が、統帥権という超憲法的な権力を振りかざして、国家を私物化した。その結果日本は、国家としての体をなさなくなった。つまり国家として、合理的な行動が取れなくなった。」

 「そんな国家といえないものが、破滅するのは当たり前のことで、その当たり前のことが昭和という時代に起った。」

 と説明し、司馬遼太郎氏の言葉を紹介します。

 「繰り返して言うと、昭和の時代に起ったことは、日本の歴史においては特殊なことなのであり、それを基準にして日本史全体を語ろうとするのは、自分の趣味に合わない。」

 氏は昭和10年代の日本史を、特殊な例外として語りますが、古屋氏の著作を読むと、そうでないことが分かります。日本の指導者たちの考えは、下記の通り幕末以来一貫して変わらず、日本史に断絶はなかったというのが私の考えです。

  1. 日本の平和と安全のため、朝鮮は自主独立の国として存在すべきである。

  2. 小中華思想の朝鮮はみずから中国の属国に甘んじ、儒教の身分制を捨てず、国民全体の向上を考えようとしていない。 

  3. 事大主義の朝鮮は強いものに従う国是があり、中国がダメなら、白人国家のロシアや、アメリカという強国へなびいていく。

  4. いずれの場合でも朝鮮は、日本を侮蔑・嫌悪し心を開かない。

  5.   しかし日本は、朝鮮の独立を実現するためいかなる手段でも使う。

  明治、大正、昭和、そして、平成の今日において、この5項目の内一つでも変わっていることがあるでしょうか。

 朝鮮の人々は「日帝支配35年」、「横暴な日本の植民地支配」と言い、今も日本を憎悪していますが、これは単なる感情論でしかありません。現在では朝鮮の知識人が、自国の反日教育の嘘を暴露しています。「

 日本の統治が朝鮮の近代化に貢献したことは、認めなくてならないが、しかし日本は好きになれない。」・・と、これが現実です。

 朝鮮の人々は、小中華思想と儒教に邪魔され、日本の姿が見えません。白人の強国へなびくのは、有色人種特有の劣等感です。日本人にも似た感情がありますから、責める気はありません。

 朝鮮支援に熱を入れるあまり、神道の普及にまで力を入れ、日本は朝鮮人の反発を買いましたが、バカなことをしたものです。日本が親切心からしても、決して喜ばない民族なのに、なぜ見抜けなかったのでしょう。

   1. 夷狄に等しい未開の日本が、文明国である朝鮮に口出しするのは、許せない。

   2. 儒教の教えからして、親である中国をないがしろにし、兄である朝鮮を弟の分際で指図するのは許せない。
 
 前回も述べましたが、朝鮮人がこのような気持ちでいる限り、日韓の溝は埋まりません。八百万の神の住む日本と、もともと相容れない中華思想と儒教を信じる国は、仲良くできません。日本が許容しても、相手が拒絶します。

 話が横道に逸れましたが、私が言いたかったのは、司馬氏の考えは違っているのではないかということです。

 日清、日露戦争の時だけでなく、日本の政治家と軍人が信じた国是は、昭和の軍人にとっても同じです。「日本は朝鮮の独立を実現するため、いかなる手段でも使う。」という方針の通り、恫喝、讒言、殺人、破壊など朝鮮で行っています。

 古屋氏のように、その部分だけを取り上げれば、日本は悪辣な列強の仲間入りをし、朝鮮支配と満州侵略を進めたという話になります。

 ほとんどが事実ですから、反対もしません。日本の政治家や軍人を、ことさら弁護もしません。ただ氏のような反日の学者には、念押します。

 「当時の列強は、朝鮮や中国で何をしていましたか。」「日本のことを批判するのなら、イギリスやフランスやオランダやドイツ、ロシアのやったことも、」「同じように語るべきでしょう。」「武士道を重んじた日本の軍人や政治家の方が、彼らよりましなことをしていたのではありませんか。」

 ここで本論に戻り、著者に苦情を言うばかりでなく感謝もせねばなりません。

 当時の日本では、日英同盟を結ぶべきか、日露協商を締結すべきかで政界が分かれていました。仮想敵国がロシアであるという事実は不変でしたが、現実の政治をどう進めるかについては議論がありました。

 日露協商を進めていたのは伊藤博文と井上馨で、日英同盟に賛成していたのは山県有朋、加藤高明、桂太郎、小村寿太郎でした。二つの話が同時並行で進み、ロシアで交渉中の伊藤に対し待ったをかける電報が届くなど、この部分は、松岡洋右が同盟を結ぼうとソ連へ出かけた時と同じような、緊縛した情勢が叙述されています。

 明治政府内の対立を、今まで知りませんでしたから著者に感謝します。今ひとつ感謝したいのは、国際金融資本が、当時から暗躍していたという事実を教えてもらったことです。戦争をするには先立つものが資金ですから、金のない国は借金をしなくては動けません。

 具体的に金融資本の名前は書かれていませんが、ロシアにはフランスの金融資本、日本にはイギリスとアメリカの金融資本がついていました。高利の金を借し、いろいろと条件をつけますから、金融資本の力は侮れません。

 「金融資本こそが、世界の本当の支配者だ。」「表に顔を出さず、闇の世界に潜んでいる。」

 こうした陰謀論を唱える馬渕氏のような人がいますが、事実無根でもないとそんな気もしています。貧乏人ですから、桁外れのお金の話は分かりませんし、ブログの本論でないのでこのあたりで止めます。書評はやっと、56ページまで進みました。

 次回から、本論の日露戦争です。

コメント (2)
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