古屋哲夫氏著『日露戦争』( 昭和41年刊 中公新書 )を、読了。
なぜ、中国と韓国・北朝鮮は日本を憎むのか。これまでの読書のすべては、この疑問への答えを見つける旅でした。氏の著書の中に答えを発見し、納得しました。
著者の略歴が、巻末の裏扉にあります。
「昭和6年、東京に生まれる。」「昭和33年、東京大学大学院博士課程中退。」「現在、国立国会図書館勤務。」「専攻 日本近代政治史」
氏は昭和56年に京都大学教授となり、平成18年に75才で亡くなっています。全体としては強い反発なしに読みましたが、論調は私の嫌悪する反日・左翼の学者のそれでした。
現在のわが国と、中国、韓国・北朝鮮との揉めごとの出発点が、日露戦争以来生じたというのが氏の主張です。この意見に従えば、中国が捏造の南京事件や靖国参拝で、わが国への内政干渉を繰り返すのか。韓国が朝日新聞の捏造した売春婦問題で、執拗に日本攻撃をするのか。北朝鮮が罪もない日本人を拉致し、平然と拘束し続けるのか・・こうした疑問への答えが明確になります。
同時に私は、氏とは異なる意見を持っている自分も再発見しました。客観的事実を述べているように見えますが、氏も反日の学者の一人で、この著書も戦後に氾濫した、「悪書」の一冊に加えて良い気がします。8割の事実と2割の捏造・・これが反日の学者たちの意見です。事実が沢山語られますから、読者はつい全部が正しいという錯覚に陥ります。
それは本の書き出しの部分から、始まっています。
「明治33年 (1900年 ) 、中国で義和団が、列強の侵略に反対して立ち上がると、列強は共同で出兵し鎮圧したが、満州を占領したロシア軍だけは、そのまま居座ってしまった。」
「朝鮮を支配することが、欧米列強に対抗するための、最低の条件だという考え方は、明治維新以来日本の支配層に一貫したものであった。」
ロシアが満州を占領するとなれば、やがて朝鮮の独立が危うくなり、ひいては日本の安全が脅かされる。明治政府は、日本の手で一日も早く朝鮮の支配を確立し、満州にいるロシアを追い出さずにおれなくなった、と説明します。
間違った説明でありませんが、肝心の話が省略されています。氏の説明を読みますと、日本は初めから朝鮮の属国化を狙う、侵略国家だったとことになります。
東京裁判でアメリカが、日本の軍国主義と中国や朝鮮への領土的野心を弾劾し、好戦的な暴力国家だと断罪しました。この結論に結びつけたいのなら、氏の意見に矛盾はありません。
当時はイギリスがインドを、オランダがインドネシアを、フランスがインドシナを植民地としていた時代です。明治の元勲たちは、列強の侵略から日本を守るためには、中国や朝鮮との連携が不可欠と考えました。
福沢諭吉の『脱亜論』も、こうした情勢の中で世に出ています。同書の概略は、次のようなものです。
「中国と朝鮮の二国は、儒教流から変わることがなく、西洋文明を取り入れようとしない。」「このままでは、西洋諸国の分割の対象となるかもしれない。日本は隣国の開化を待って、ともにアジアを興す余裕はない、」
「むしろその列を脱して、西洋の文明国と進退を共にし、支那、朝鮮に接するの姿勢も、隣国なるが故とて特別の考慮に及ばず、西洋人がこれに接するの風に従って、処分すべきのみ。」
「悪友を親しむ者は、悪名を免れられない、」「われわれは心中で、アジア東方の悪友を謝絶しよう。」
列国による植民地化を恐れ、危機感を持ち、懸命に努力している日本は、最初は朝鮮や中国に、礼を尽くして話を持ちかけていました。しかし中華思想の中国と朝鮮は、禽獣に等しいとする日本を相手にしませんでした。
列強の危機が眼前にして、明治政府が取った政策が、日本防衛のための朝鮮支配でした。中華思想を脇へ置き、中国と朝鮮が共に列強の脅威を理解していたら、「日韓併合」も「満州国設立」もなかった可能性があります。
氏はこうした事情を語りませんので、軍国主義日本の話が独走します。危機を眼前にした明治政府は、頑迷な朝鮮に強圧的な対応をします。武力を背景にした、恫喝もしました。過去の文書から、激しいやり取りの部分だけを取り出し、説明すれば、読者は明治の元勲に幻滅し、朝鮮や中国に同情します。
これが、今も続いている反日左翼学者の日本叩きです。
中国や韓国・北朝鮮が日本を憎む今一つの理由は、日本の国内にいる反日左翼勢力が協力しているためです。一方的な情報を提供し、日本の過去を足蹴にしているのが氏のような学者たちです。