ねこ庭の独り言

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溜まっている千葉日報新聞 - 2 ( 上原登志江さんの意見 )

2025-01-13 20:40:04 | 徒然の記

  令和6年12月16日 「特攻で戦死の兄忘れられず」 上原登志江さん

 最初の記事は、これです。誌面の4分の1 を占める大きな記事で、特攻出撃する兄と上原登志江さんの写真が2枚掲載されています。

  ・大声3回「さようなら」

 記事のタイトルが大きな文字で書かれています。登志江さんの写真には、ご本人が94才であることと松戸市在住であることが注書きされています。上品な顔立ちのご婦人は、千葉県松戸市の住民ですから同じ県民として関心が高まります。

 長い記事なので、書き出しの6行だけを紹介します。

 ・太平洋戦争中の1944年10月、旧日本軍はフィリピンで初めて特攻作戦を実行した。

 ・相手に体当たりする、無謀で決死の策に踏み切ってから80年。

 ・6千人以上に上ったとされる特攻戦死者のうち、22歳で戦死した学徒兵の上原良司は、敗戦を予見し、自身を「自由主義者」と称した遺書を残したことで知られる。

 ・「特攻は死刑みたいなもの」そう語る妹登志江さんは ( 94  松戸市 ) は、帰省した兄が家族に、「さようなら」と3回叫んだ大声が忘れられない。

 学徒兵の上原氏は、今日の日本の平和と繁栄のため命を捧げたご先祖ですから、記事を読むと胸に迫る思いがあります。兄を思う登志江さんが「特攻は死刑みたいなもの」と語る気持も、痛いほど分かります。

 この時私は 2年前の7月に特攻について書いた、「ねこ庭」の過去記事を思い出しました。記事を探しましたので、紹介します。

 ・大西瀧治郎中将は、大東亜戦争の末期「特攻隊」を創設した軍人として知られています。特攻隊を編制した直後、40名の隊員を前に、涙ながらに語った言葉をユーチューブで知りました。

 ・「特攻は統率の外道である。もう、戦争は続けるべきではない。」

 ・「ただこのまま、アメリカを本土に迎えた場合、歴史にみるインディアン、ハワイ民族のように、闘魂ある者は次々に各個撃破され、日本民族の再興の機会は永久に失われるであろう。」

 ・「しかし特攻により、敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができる。そのために特攻を行ってでも、フィリピンを最後の戦場にしなければならない。」

 ・だがこれは、九分九厘成功の見込みなど無い。では何故、見込みの無いこのような強行、愚行をするのか。」

 ・「ここに信じてよいことがある。」

 ・「いかなる講和になろうとも、日本民族が、まさに滅びんとする時にあたって、身をもって防いだ若者たちがいたという歴史が残る限り、500年1000年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう。」

 ・敗戦の決定した翌日に、中将が割腹自決をしたことは知っていましたが、このような訓示を述べていたのは知りませんでした。

 ・それまで私は、戦前の軍人の多くは常に神懸かりなことを言い、神州不滅を妄信し戦争をしたと教えられていましたので、成功の見込みの無い愚行と知りながら、未来の国民を信じて命を捨てた彼らを知り、強い衝撃を受けました。

 ・中将の言葉を読みますと、当時の軍人がすべて神がかりではなかったと分かります。特攻を外道と認めた将軍と、愚行と知りつつ特攻を志願した兵士たちがいたのです。

 ・彼らは何のために、そうしたのか。

 ・たかだか二十代の若者だというのに、国の行く末を思い、大切な家族を守ろうと、この決断をしたのです。彼らはやはり英霊と呼ぶに相応しい人々であり、自然と頭が下がり涙が湧いてきます。

 ・守るべきもののための死が犬死でも無駄死にでもないのは、後世の者が敵と戦うと彼らが信じているからで、彼らの死を無意味なものにしているのは、死を恐れない決意の尊さを切り捨てる、戦後の反日思想ではないのでしょうか。

 つまり上原登志江さんの弟良司氏が、この40名の特攻隊員の中にいた一人だったということになります。氏の言葉は、大ベストセラーになった『きけわだつみのこえ』に収められていると聞きます。

 本は読みましたが、氏がどのような遺書を残していたのか覚えていません。妹の登志江さんが「特攻は死刑のようなもの」と言われるのなら、そのような内容だったのかもしれません。

 大西中将がフィリピンで40名の特攻隊を創設し、訓示した時、氏のような思いを抱いていた隊員がいたのだと知りましたが、そうでない隊員もいたと推測しています。

 当時の世相を考えますと半分半分とは言いませんが、良司氏のように特攻に批判的な学徒がいて不思議はありません。「ねこ庭」が疑問を抱くのは、80年経った今になり、共同通信社がこのような記事を配信する意図にあります。

 大西中将の訓話に賛同した隊員と、氏のように批判的だった隊員が混在していたことを言わず、「特攻は死刑のようなもの」と一つの意見に集約する同社に不純な意図を感じます。

 少なくとも特攻隊の中に「賛否二つの意見」があった事実は、すでに「ねこ庭」が検討していますので、共同通信社の世論誘導の意図が隠しても見えます。

 次回はこれについて、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に説明いたします。

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