ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

千葉日報の努力は、尊い

2018-08-17 12:26:46 | 徒然の記

 8月16日の千葉日報の紙面は、「敗戦の日」のお祭り騒ぎでなく、両論併記の冷静な記事でした。 例年なら一面トップに、武道館で開かれる戦没者慰霊祭での、陛下の写真とお言葉が、大きな活字で飾られます。

 今年は、一面の大見出しと写真が、甲子園で活躍する地元木更津総合の、16強入りのニュースでした。その記事の隣に、千葉県での慰霊祭のニュースがありましたので、記事の見出しを、転記いたしましょう。

 「終戦73年 県忠霊塔に知事ら献花」「平成最後の夏 平和誓う。」「知事今年も靖国参拝」

 陛下のお写真と記事は、16面の半分で、例年のような扱いをせず、見出しの活字も大騒ぎしていません。私のように、1面と16面の記事を並べてみる読者がいれば、今年の千葉日報社の努力が、きっと分かります。参考までに、16面の陛下の記事の、見出しを転記いたします。

 「不戦の誓い 次世代へ継承」「陛下 長き平和に思い」「戦没者追悼式」

 昨年からだったと思いますが、マスコミが、「終戦記念日」という奇妙な言葉を使うのを止め、「終戦の日」と改めています。今年も、そうなっていました。これにだけでも、左翼思考の強いマスコミ界においては、大変革の一つだったと思います。おそらく、祝日でもないのに、記念日というのはおかしいという、国民の声が届き、「終戦の日」と変わったのだと思います。私はさらに、これを、「敗戦の日」という、客観的な言葉にして欲しいと願っています。

 そうなれば、マスコミ主導のお祭りでなく、国民が主体となった「大切な日」となり、静かに過去を見直す日となるはずです。反日の学者や政治家たちの中には、ドイツとの戦後処理を比較し、「ドイツに比べたら、日本の反省はとても足りない。」などと、未だに馬鹿な主張をしています。論理を第一とし、妥協を是としないドイツと異なり、「和をもって、尊しとなす」日本は、戦後の見直しが、ドイツと異なっていて、当然なのです。

 先日来の読書でご紹介しましたように、ドイツは「ヒトラー個人に責任を転嫁」し、国難を乗り切っただけなのです。ユダヤ人の虐殺や、民族浄化をしていないのですから、日本を、ドイツと同列に論じる方がおかしいのです。ナチスの責任者を死刑にしたり、重罪にし刑務所へ送ったり、日本が、ドイツと同じことをする必要はどこにもありません。

 自衛のため戦争だったのですから、日本の戦後処理の見直しは。むしろ一時的でもせよ、連合国の裁判で「犯罪人」とされ、処刑された人びとの名誉回復が、もう一度明確にされるべきと、考えます。その上で、私たちがやるべきことは、むしろ、敗戦後に、国を裏切った者たちの責任を、キチンと問うことではないでしょうか。

 今更刑を宣告したり、刑務所へ送ったりせず、日本人らしいやり方で解決すれば良いと、私は考えるようになりました。こうした裏切り者たちも、今になって思えば、GHQの権力者たちによる残酷な統治が、直接国民へ及ばないよう、間にいて軟着陸させたと、そんなこじつけができないでもありません。

 異論もあると思いますが、こうした恥ずべき変節漢たちについては、その名前を、世間に一定期間、正式に公表すれば、事足りるのでないかと考えます。その一部を、私は過去のブログで、「変節した学者」たちとして、まとめました。

 学者だけでなく、軍人、政治家など、範囲限定で見直しし、マスコミが公表すれば良いのです。そうすれば、「獅子身中の虫」も、「駆除すべき害虫」も自ずと消滅します。

 さてここで私は、説明なしに、武道館での陛下のお言葉と、一面の千葉県での慰霊祭の記事を、並べて紹介いたします。私の大切な息子たちと、訪問される方たちが、千葉日報社の「尊い努力」を発見されることを、祈ります。 

   [ 陛下のお言葉  ] (2018/08/15-12:12)

 「本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」

 「終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。」

 「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

    [ 千葉日報社の記事  ] (2018/08/16)

   「73回目の終戦の日となった15日、本県の戦没者を悼む、県忠霊塔で、」「県主催の拝礼、追悼式が行われた。」「戦争で兄二人をなくした、遺族会の丁子(ようろご)源次郎会長(84)は、」「どれほど時間が経とうと、(戦没者への)思いは一緒。」
 
 「祖国の安泰や家族の安寧を願っていた、戦没者に、」「心からの感謝を申し上げ、安らかにお休みになることを、お願いした、」「と語った。」
 
 「森田知事は、」「国民を守って欲しい、との思いで手を合わせた。」「戦争は、二度とあってはならない、」「世界が一つにならななければと、自分の出来る範囲で、」「伝えていきたいと、強調した。」 
 
  「森田知事は、追悼式後、報道陣に対し、」「同日朝、靖国神社を参拝したことを、明らかにした。」「森田知事は、伯父二人も戦死した。」「県民の代表として、英霊の御霊に頭を垂れるとともに、」「世界の恒久平和に、導いてもらいたいとの気持ちで、手を合わせた、」「と述べた。」
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第二次大戦下のヨーロッパ - 6 ( ルーズベルトと、スターリン )

2018-08-14 18:10:39 | 徒然の記

 笹本氏の著作の書評を、ヤルタ会談をもって終わりにしたいと思います。

 ヤルタ会談については、いろいろな本で読んでいますから少しは知っていますが、ここでも氏特有の意見が語られます。こんな見方もあるのかと、意外感に打たれましたので、息子たちのためその部分を記録しておきたくなりました。

 「1945  ( 昭和20 ) 年 2月 4日、ルーズベルト、スターリン、チャーチルの三人が、黒海のほとりの保養地ヤルタに集まった。」「対独戦争終結を目前に控えて、三巨頭の話し合いは一週間にわたって、行われた。」

 「ヤルタ協定が、民族自決という国際正義の大原則を踏みにじった、大国エゴイズムの産物であることはいまさら言うまでもない。」「この恥ずべき大国の取引に対してなされた幾多の抗議や非難が、今日までいささかの効果も挙げ得なかったことは、周知の通りである。」

 叙述は、最初から激しい批判で始まります。歴史的会談が、こういう調子で語られるのを読むのは初めてです。

 「私はここでもう一度、ヤルタの不正を摘発しようとは思わない。」「その代わり、ヤルタの背景をなした当時の戦局が、会談の主役だったルーズベルトとスターリンの取引に、決定的な影響を与えたという事実を指摘しておきたい。」「結論から先に引き出せば、当時の戦局は、ソビエトに明らかに有利だったということである。」

  ポーランド戦で大攻勢に転じたソビエト軍は、勢いに乗じてドイツ領深く攻め込み、首都ベルリンまで60キロの地点に迫っていました。しかし米英軍は、やっと進軍を開始したばかりで、ベルリンまでの距離は400キロありました。これから先は、氏の叙述を引用します。

 「ソビエト軍のあげた大戦果は、米英軍に強いショックを与えたが、それは政治的にも強い圧力を意味した。」「スターリンが、ちょうどこの時期にルーズベルトとの会談に応じたのは、十分に計算した上でのことだった。」

 「アメリカはまだ、対日戦争に明るい見通しを立てることができなかった。」「米国の首脳部は、日本との戦争はドイツを倒した後、18ヶ月は続くと判断していた。日本本土に上陸作戦をやるとすれば、50万の死傷者を出すと計算していた。」

 「その上日本は満州に、強大な兵力を持っているので、これを掃討するのも大仕事だとも考えていた。」「アメリカとしては、対独戦線終結次第、ソビエト軍の対日参戦がどうしても必要だと、考えざるを得なかった。」

 原爆実験の成功は、5ヶ月先のことでしたし、この時アメリカは、関東軍の戦力を実力以上に評価していました。ヤルタ会談に臨んだルーズベルトにとって、最大の課題は、スターリンから対日参戦の確約を取り付けることでした。私がこれまで読んだ本では、次のように書かれていました。

 「スターリンは日本との同盟を破り、戦争末期のどさくさで、卑怯な攻撃を仕掛けてきた。火事場泥棒のように、日本の領土を奪っていった。」

 野心家のスターリンが独断専行し、攻撃をしてきたとばかり思っていましたが、実際は、ルーズベルトによる強い要請だった訳です。

 「それで日本を降伏させることができれば、米兵50万の犠牲を出さずに済むし、その代償なら、ある程度の譲歩はやむを得ないと言うのが、ルーズベルトの考え方だったのであろう。」

 広島と長崎への原爆投下の理由として、今でもアメリカは言います。

「米兵の犠牲が100万人と推定され、戦争の早期終結のため、原子爆弾の使用は有効であった。」

 氏の説明を読み、米国の強弁もまんざら嘘でなかったと納得させられました。

 しかし実際の原爆投下は、その必要がなくなった時期に行われ、ナチスのホローコスト以上の殺戮だと言う意見もあります。東京裁判では、米国側の弁護人ですら、原爆投下の責任を厳しく追及しています。

 こうした事実が、もっと国内で報道されていましたら、今も続く「終戦の日」の、偏った平和の祈りも、様変わりしていたはずです。米国人弁護人の主張は、途中から法廷のマイクが切られ、通訳も中止となり、裁判の正当性すら疑われる事態となりました。その後彼は、弁護人の資格を奪われて米国へ帰国し、間もなく交通事故のため死亡しています。

 今回のブログは、ヤルタ会談が主題ですから、これ以上の深入りを止め、氏の叙述に戻ります。

 「ヤルタ会談について書かれた本の数は、おびただしいものがある。」「その本を読んで気づくことの一つは、この会談の主役はルーズベルトとスターリンで、チャーチルは脇役に回ったと言うことである。」

 「ルーズベルトとスターリンは会談の間じゅう、お互いに緊密な態度を取り合ったが、チャーチルはどこか、のけ者にされた感がなきにしもあらずだった。」「それは、重要な問題は二人で決めればいいんだという、暗黙の了解があったことを思わせるが、」「それ以上に、この二人が大英帝国首相の、抜くべからざる反動性に、強い反発を覚えた結果でもあったろう。」

 私はこの叙述で、笹本氏の思想的立ち位置をやっと理解しました。チャーチルを厳しく批判する理由も分かりました。

 「ルーズベルトは、スターリンとチャーチルの間に立ってみると、自分がチャーチルよりは、むしろスターリンに近いところさえあると感じたに違いない。」

 ここで氏が言いたいのは、共産主義を理解しているルーズベルトと、反共のチャーチルの対比です。ルーズベルトは共産主義者でありませんでしたが、共産主義への理解がありました。

 今でも学校で教えられているのかどうか、知りませんが、1933年、アメリカが大恐慌に陥ったとき、ルーズベルトが対策として実施した、ニューディール政策があります。その一環として行われた、テネシー川流域の開発事業 ( T V A )は、社会主義思想を取り入れたものと教わりました。

 ルーズベルトは、チャーチルと違ってスターリンを嫌悪せず、戦争終結後も、互いに協力してやれる相手だと自信を持っていました。笹本氏は、そんなルーズベルトの指導する米国に親近感を持ち、スターリンにはもともと共感していたのです。

 「ルーズべルトがもっと長生きしていたら、冷戦は回避できたであろうし、すくなくとも、あれほど鮮烈に燃え上がることはなかったと考えられる。」

 「まず第一に、トルーマンのような強硬な反共論者を、大統領に迎えることなくて済んだ。」「次に、反共陣営の総大将であり、冷戦の巨魁であるチャーチルが、アメリカ中を回り、赤禍論をぶち歩くことを、ルーズベルトなら許さなかったであろう。」

 「鉄のカーテン」と言われる、冷戦構造を作ったのはチャーチルである、というのが氏の結論です。トルーマンを焚きつけ、世界に共産主義の危機を宣伝したのが、チャーチルだと嫌悪しています。それはちょうど、私が反日・左翼の日本人を嫌悪すると同じくらいの激しさです。

 あれから73年が経過した現在、チャーチルと笹本氏の、いずれが正しかったのでしょう。武力による威嚇と国民の弾圧を継続し、国民の自由を許さない中国や北朝鮮を見れば、答えは言うまでもありません。危険なのは、共産主義思想なのです。

 息子たちに言います。だからといって、日本や欧米諸国が危険な国でないと、言っているのではありません。双方比較した場合、より危険なのは社会主義思想の国と言っているだけです。

 安倍総理が独裁者だとか、国民弾圧の政治家だとか、反日野党のスローガンの拙さを見分ける賢さは、身につけて欲しいものです。

 話が飛びますが、北方領土の返還は、こうした歴史を知れば容易ではありません。安倍総理が、プーチン大統領と個人的に親しくとも、ロシア国民が許さないはずです。あの時スターリンは、十分の余力を持って対日参戦したのでなく、ドイツとの最終戦を終わるまで、内実は薄氷の戦いをしていたからです。

 ヤルタ会談で、スターリンが余裕たっぷりにルーズベルトと会談したのは、政治家特有の「騙し合い」でした。北方領土は、ロシアが、ドイツとの戦いで流した血を代償に奪ったのです。まして、アメリカの同意のもとでの領有となれば、日露の話し合いだけで終わると思えません。

 何かあれば、軍事バランスが崩れますから、大国は常に現状を変更することに、目を光らせています。三国干渉は日清戦争時の昔話でなく、現在も生きている「国際政治」です。思いがけない国が、思いがけないところから、妨害したり邪魔をしたりするのが国際政治だと、氏の本が教えてくれました。

 安倍総理が掲げる「憲法改正」しても、反対しているのが、中国や、韓国・北朝鮮だけであるはずがありません。同盟国であるアメリカも、ロシアも、日本が普通の国になることを喜ばないはずです。ブログの最初の日に取り上げた、笹本氏の言葉を、もう一度紹介します。

 「日独同盟というようなものも、詮じ詰めれば、やはり幻想の産物ではなかったのか ? 」「そう思うと孤立無援の日本が、にわかに心細く、思われてくるのだった。」

 国際政治を見てきた氏が、思わず漏らした感慨は、今も、そして今後も生き続けるはずです。孤立無援の日本・・それなのに、この日本を国内から崩壊させようとする、反日左翼の害虫たちがいます。まずはこの虫どもを退治しなくては、日本の明日がありません。

  お盆が、明日で終わります。ご先祖様にお供え物をし、慎ましい飾りをし、お祈りをしました。

 「ご先祖様、息子や孫たちをお護り下さい。」「私と家内は、適当な時に呼んでください。いつそちらに行っても、二人に後悔はありません。」

  日本のことや政治については、お祈りしませんでした。

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第二次大戦下のヨーロッパ - 5 ( 笹本氏の、ドイツ批判の見苦しさ )

2018-08-12 23:38:32 | 徒然の記

 今回はドイツの「伝統的東方政策」につき、笹本氏の著作から教えられたことを、紹介したいと思います。

 ドイツを理解するための、基本的知識でないかという気がします。

  「ここでもう一つ忘れてならない、重要なファクターがある。それは大国ドイツの存続のため、必要な食料と資源はこれを東方に求めなければならない、という考え方である。」

 「19世紀の末以来、ドイツの保守勢力にはこうした東方膨張政策があり、ナチス時代にあっても、資本家、軍部、保守政治家たちから、依然として強い支持を受けていたという事実である。」

 今年の4月、村瀬興雄氏の『ナチズム』を読み終えた時、氏の次の意見に注目しました。

 「西ドイツの政治家たちは戦争責任を逃れるために、ナチズムをヒトラー個人の異常性に帰したが、実際には、ドイツ保守思想のなかに連綿とつづく思考である。」

 ここでまた、笹本氏による同様の意見に接しましたので紹介します。

 「この膨張政策は、第一次世界大戦におけるドイツの戦争目的の、重要項目となっていた。」「1918 ( 大正7 ) 年の、ブレスト・リトフスク講和条約により、ドイツ軍がウクライナを占領し、さらにコーカサス地方まで支配の手を伸ばした事実こそが、この膨張政策を、露骨に表明するものだった。」

 「従ってソビエトを崩壊させ、ここにドイツ帝国の広大な植民地を得るという考え方は、なにもヒトラーの発明でなく半世紀も前から、ドイツ保守勢力の脳裏を離れなかった夢なのである。」

 この辺りから氏の批判は、ヒトラーだけでなく、ドイツ国民へも容赦なく向けられていきます。本が出版された当時のドイツでは、ナチズムに関する国内での議論が、やっと収まりかけた時ではなかったかと推察します。それぞれの家庭で、親と子、祖父母や孫を巻き込んだ激しい対立となり、多くの悲劇を生んでいます。

 確かにドイツは、戦争の責任をヒトラーとナチズムに転嫁し、国際世論を乗り切ったと、私は思います。しかし敗戦後の日本では、GHQの統治下で言論が封殺されていたとはいえ、戦争責任に関する「国民的激論」は、生じませんでした。

 その理由の一つは、かってブログで取り上げましたが、学者や文化人と言われる指導的人物たちが、節操もなく変節したところにあります。

 昨日までの天皇制賛美者が、敗戦となるや、平和と人権を尊重する民主主義の旗手となりました。GHQに積極的な協力をし、戦前の日本を否定攻撃し、国民をアメリカナイズしていきました。ですから、敗戦後の日本では、ドイツのような徹底した追求が行われませんでした。今からそれをすれば、変節した学者や文化人などが、自分の首を絞めることになります。

 笹本氏を朝日新聞に連れてきた、笠信太郎氏は真偽のほどは知りませんが、米国CIAの協力者だったとも、言われています。欧米の政界事情に通じた笹本氏が、笠氏につき何も知らないはずがないと、私は考えます。

 「確かに、ナチスの犠牲者となった人たちはいた。」「しかしそれは、キリスト教関係、社会民主党、共産党、労働組合などの、きわめて小さなグループだけだった。」「国民の多数は、ともかくもヒトラーの侵略政策を支持し、戦争遂行にも協力したのである。」

 敗戦後のドイツ国民の苦悩を知りながら、ここまで批判する氏の気持ちが私には理解できません。

 「従ってヒトラーが、膨張政策のシンボルともいうべき、対ソ侵略に乗り出した時、この連中は大いに歓迎したことなど、もろもろの事実を忘れる訳にいかない。」

 「ドイツを苦境に追い込んだ直接の原因が、対ソ戦の失敗であったことを考えれば、ドイツ社会で指導的地位を占めてきた、中産階級以上の層にとって、まさに自業自得と言わざるを得なかった。」

 氏のような批判もあるとは思いますが、中途半端な戦後処理をした日本人の一人である氏が、ここまで言う資格があるのかという疑問が生じます。

 「別の言葉で言えば、ビスマルクによるドイツ帝国統一以来、ドイツ国民は、心底からの平和愛好国民ではなかった、ということである。」「ヒトラーのような狂気じみた膨張論者を、指導者として迎える下地は、前から十分にできていたということであろう。」

 ユダヤ民族虐殺、アウシュビッツ収容所、冷酷な秘密警察など、ドイツの罪状は世界に知れ渡り、国民は負の遺産を背負い、後ろ指を指され罵られながら、敗戦後を生きています。

 聡明に見えた氏も、捏造の朝日新聞記者の一員となり失望させます。ヒトラーのドイツだけを語れば、氏の意見は嘘でありませんが、歴史をもっと長いスパンで眺めると、別の意見も出てきます。

 別の意見として紹介するのは、大正7年に出版された雑誌『日本及び日本人』に掲載された一文で、第一次世界大戦に敗れたドイツを評しています。ヒトラーが政権を取るのは日本で言えば昭和8年の話ですから、ヒトラーについて語っているのではありません。

 「われわれもまた、戦争の主たる原因がドイツにあり、ドイツが平和の撹乱者であったと考える。」「しかし英米人が、平和の撹乱者をもって、ただちに正義人道の敵となすのは狡獪なる論法である。」

 「平和を撹乱したドイツ人が、人道の敵であるということは、戦前のヨーロッパの状態が、正義人道に合致していたという前提においてのみ言いうることであるが、果たしてそうであろうか。」

 「ヨーロッパの戦争は、実は既成の強国と未成の強国との争いであった。現状維持を便利とする国と、現状破壊を便利とする国の争いである。」「戦前のヨーロッパの状態は、英米にとって最善のものであったかもしれないが、正義人道の上からは決してそうとは言えない。」

 「英仏などはすでに早く、世界の劣等文明地方を植民地に編入し、その利益を独占していたため、ドイツのみならず全ての後進国は、獲得すべき土地、膨張発展すべき余地もない有様であった。」

 「このような状態は人類機会均等の原則に反し、各国民の平等生存権を脅かすものであって、正義人道に反すること甚だしい。」「ドイツがこのような状態を打破しようとしたことは正当であり、かつ深く同情せざるを得ない。」

 これは近衞文麿公が、政治家になるずっと以前の若い頃に寄稿した一文です。若かったとはいえ、近衞公はよくも論文を寄稿したと、感心もしますし軽率さに呆れもします。当時はもちろんですが、現在でもこうした正論を誰も口にしません。欧米諸国の過去を批判することは、世界のタブーのままです。東京裁判への出頭命令が来たとき、自ら命を絶った悲劇の宰相の萌芽をここに見る気がします。

 もしかすると息子たちには、分かりにくかったのでないかと心配し、論点だけを整理しておきます。

 1. ドイツの膨張政策はヒトラーの独走でなく、ドイツの保守思想だということ。

 2. ドイツ国民は敗戦後から現在に至っても、十分に苦悩していること。

 3. 変節漢だらけだった日本が、ドイツ国民を口汚く批判するのは醜いということ。

 4. 膨張政策を未開国で暴力的に推し進めたのは、英仏蘭の列強であったこと。

 5. ドイツを責めるのなら、先行した英仏蘭も同時に責めなくてならないこと。

 6. 戦前の日本批判も感情的な偏見からでなく、国際社会の実情を踏まえた上でやらなくては、妥当性を欠くこと。

  笹本氏のような批判が戦後の日本にあふれたため、時間の経過とともに、反日・左翼思想の跋扈を許すようになったと考えます。笹本氏のような偏見で日本を語るなど、許してはなりません。私が言いたいのは、ここだけです。

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第二次大戦下のヨーロッパ - 4 ( 東條元首相の裁判での証言 )

2018-08-12 08:18:50 | 徒然の記

 有名な真珠湾攻撃は、1941年( 昭和16年)12月8日未明に行われ、日米戦争の火ぶたが切られました。

 これについて氏が、ヨーロッパで得た情報を紹介しています。

 「日米開戦が、ヨーロッパに大きなショックを与えたことは、言うまでもない。」「このニュースに、一番驚いたのがドイツである。新らしい敵、アメリカの登場、世界最強の国を敵に回すきっかけを作った、パール・ハーバーのニュースに、ドイツが、上はヒトラーから下は一般国民に至るまで、少しもたじろがなかったと言えば、偽りであろう。」

 「日本はえらいことをやってくれた、と迷惑を感じたのが、ドイツ人の気持ちだった。」「従ってドイツは、即時対米宣戦をやるべきかどうか、ドイツ指導層の中でも議論が分かれた。」

 「たとえばリッペントロープ外相は、日本は攻撃を受けず、自分の方から攻撃をしかけたのだから、ドイツは自動的に対米戦争に入る、条約上の義務はない、と即時参戦に反対を唱えた。」

 「ところがヒトラーは、即時に対米宣戦を布告した。」「アメリカが如何に強大な国であるかということを、この偏見で固まった独裁者は、まったく知らなかったのである。」

 チャーチルに対しても、ヒトラーに対しても、氏は辛辣な批評をします。ヒトラーが対米宣戦布告をしたのは、ソ連との戦いが初戦の勢いを失い、ドイツ軍総崩れの寸前まで追い込まれていたため、日本の力が欲しかったのかもしれません。それほど、日本の戦果は大きなもので、ヒトラーがアメリカだけでなく、ソ連への攻撃も期待するという、藁にもすがりたい状況にいたからだと私は考えます。

 今では年配の日本人も忘れていますが、真珠湾攻撃の日 ( 12月8日) は、「開戦記念日」と呼ばれ、祝日扱いをされていました。窮地にあったヒトラーが、日本の快進撃に期待したのも、分かる気がします。

 「一方イギリスでは、チャーチルが、パール・ハーバーの報を聞いて、これでわれわれは戦争に勝った、と喜びの声を上げたそうである。」「イギリスがいくら訴えても、実現の難しかったアメリカの参戦を、日本がやってくれたのだから、チャーチルが喜んだのは無理もなかった。」「アメリカが参戦した以上、勝利はこちちらのものだという確信は不動だった。」

 「最後に、私の住んでいたブタペストの反応ぶりを、紹介しておこう。」

「ハンガリーは、古くからの親日国である。」「ハンガリーが、パール・ハーバーの奇襲の成功に示した喜びは、他の枢軸国には見られぬ異常なものがあった。」「巷で愛国行進曲がはやり、若者たちの口笛がこのメロディーを奏でるのであった。」

 「日本の陸軍武官は、社交界のスターにされてしまった。」「枢軸国の最後の勝利をもたらすのは、ドイツでなく日本であるという神話が、ハンガリーでは信じられていたのである。」

 「ヨーロッパの真ん中にいる、たった一人のアジア民族という感傷から、ハンガリー人の見る日本は、バラ色に染め上げられていたと言うべきだろう。」

 ハンガリーがアジア系の民族国家で、親日国だったことは、本を読むまで知りませんでした。氏はヒトラーだけでなく、日本びいきのハンガリーもどうやら気に入らないらしく、やっと朝日の記者らしい立ち位置を見せはじめます。最初に読んだときは、素通りしていましたが、氏の叙述が私の感の冴えを裏付けました。

 「その頃私に対して、朝日新聞で働くようにという話が東京で進み、春からはバルカン特派員として、仕事を始めるようになっていた。」

  ドイツがソ連との戦争で苦境に立ち、日本が真珠湾攻撃で戦果を上げている時、氏は朝日の特派員になりました。氏の経験と知識が、笠信太郎氏に買われたらしい書きぶりです。

 笹本氏のお陰で、日頃考えていたことの裏付けを得ました。分かりやすいように並べて描きます。

 〈 1.  反日左翼学者とマスコミの意見 〉

  ・ 大東亜戦争は領土的野心に駆られた日本が、軍事力でアジアを侵略した。

 〈 2.  氏の著作で得た別の情報 〉

  ・ 日本は戦争をやめたいと努力したが、欧米諸国の戦略に巻き込まれ、自滅の道へと追い込まれて行った。

 アメリカの参戦を願っていたのは、チャーチルだけではありませんでした。スターリンも、そして米国大統領のルーズベルト自身も、ドイツと日本を打ち負かしたいと考えていました。

 この三人が計画したのは、次の二つでした。

  ・「日本の講和を、邪魔すること。」

  ・「アメリカが参戦のキッカケを、日本自身に作らせること。」

 日本に負かされ続け、ともすれば日本との講和を考えそうになる蒋介石を叱咤し、支援したのはアメリカとイギリスでした。講和の道を探ろうとする近衛首相に戦争継続を具申し、邪魔したのは、ソ連スパイのゾルゲと協力していた朝日新聞の尾崎秀実記者でした。

 日本はズルズルと日中戦争の泥沼に嵌まり、座して死を待つよりと、対米戦争を決断しました。氏の本を読み、日本は米英ソの情報戦に負けたのだと納得しました。チャーチルの喜び方と、ルーズべルトとスターリンの意見がその裏付けでした。

 そうなりますと東京裁判で東条元首相が、「日本がやったのは、自衛のための戦争だった。」という証言が、強弁でなかったと理解できます。

  ブログを終わるにあたり、東条元首相の裁判での主張を、再度紹介したくなりました。日本だけを責める反日左翼の人間でなければ、心に響く言葉となるはずです。

 「終わりに臨み、恐らくこれが、当法廷の規則において許さるる、最後の機会でありましょうが、私はここに重ねて申し上げます。」

 「日本帝国の国策、ないしは当年に、その地位にあった官吏の採った方針は、侵略でもなく搾取でもありませんでした。」

 「一歩は一歩より進み、また適法に選ばれた各内閣は、それぞれ相受けて、憲法及び法律に定められた手続きに従い、これを処理して行きましたが、ついに我が国は、彼の冷厳なる現実に逢着したのであります。」

 「国家の運命を勘案する責任を持つ我々としては、国家自衛のために立つということが、ただ一つ残された途でありました。我々は、国家の運命を賭しました。しこうして敗れました。しこうして、眼前に見るがごとき事態を惹起したのであります。」

 「戦争が国際法上より見て、正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任如何との問題は、明白に分別できる、二つの異なった問題であります。第一の問題は、外国との問題であり、且つ法律的性質の問題であります。」

 「私は最後まで、この戦争は自衛戦争であり、現時承認せられたる国際法には、違反せぬ戦争なりと主張します。私は未だかって、我が国が本戦争を為したることをもって、国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、敗戦国の適法なる官吏たりし者が、国際法上の犯人となり、条約の違反者なりとして、糾弾せられるとは考えたこととてありませぬ。」

 「 第二の問題、すなわち敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし私の責任であります。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、真心より、進んでこれを負荷せんことを、希望するものであります。

        昭和二十二年十二月十九日 於東京 市ヶ谷 供述者 東條英機 」

 
  次回からは、笹本氏の著作へ戻ります。
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第二次大戦下のヨーロッパ - 3 ( バルカンの小国と日本 )

2018-08-11 18:34:19 | 徒然の記

 バルカン半島は、ヨーロッパの南東部にあり、ギリシア、アルバニア、ブルガリアなどの小国が沢山あります。現在では六つの国に分かれていますが、かってはユーゴスラビアという統一国家もその一つでした。

 ユーゴスラビアはその国際的位置から、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と、形容されるそうですが、私のような単一民族国家に暮らす人間には、想像できない複雑な国です。

 本日は、大国が戦争を始めると、間にある小国がどんな状況に置かれるかという事実を、息子たちに伝えたいと思います。時代が変わっても人間のやることは大して変わりませんから、反日左翼の政治家たちが言う「平和憲法絶対遵守」が、どれほど現実離れのした空論であるかを、説明したいと思います。

 昭和16 ( 1941 ) 年の3月に、ユーゴスラビア王国政府は、ドイツへの経済依存度の高さからドイツへの追従はやむなしとして、日独伊三国軍事同盟に加盟しました。これに反対し、ユーゴスラビアの中立を求める国軍がクーデターを起こし、親独政権が崩壊します。国軍を中心とする新政権は中立政策を表明し、三国同盟への加盟を維持すると表明する一方で、同盟としての協力義務を実質的に破棄し、中立色を明確にしました。 

  この時の状況を、氏が述べていますので紹介します。

 「ユーゴスラビアの寝返りに激怒したヒトラーは、ユーゴスラビアを攻撃するため、ハンガリーを通過しなければならなくなった。」「ヒトラーはハンガリーに対し、次のような趣旨のメッセージを送った。」

 「ドイツとの協定を、公然と破ったユーゴスラビアは、撃滅しなければならない。」「ドイツ軍の大部分は、ハンガリーを通過する必要があるが、戦闘の中心は、ハンガリー内では行われない。」「しかしこの際、ハンガリーも軍事行動を起こすことを要請する。」

 「ヒトラーから、この要請を受けたハンガリーの立場は、大変苦しかった。」「三国同盟の加盟国だったハンガリーは、ドイツに協力する義務を負っていた。」「しかしハンガリーは4ヶ月前に、ユーゴスラビアと、友好条約を結んだばかりである。」

 「摂政ホルティーをはじめ、テレキー首相など政府首脳の多くは、ドイツに好感を持っていなかった。」「元来自由主義者であるテレキーは、ユーゴスラビアとの友好条約を破ってまで、ヒトラーに忠義立てする気持ちは、毛頭なかった。」

 「ドイツ軍がハンガリー領に侵入し、ブタペスト通過を始めたその日、イギリスからの脅迫も受けた。」

 「ハンガリーが、ドイツのユーゴスラビア攻撃に味方するならば、イギリスはハンガリーに宣戦する。」「・・・進退窮まったテレキーは、その晩自宅で、ピストル自殺を遂げたのである。」

 「テレキーの自殺は、ハンガリー国民に強い衝撃を与えた。」「そして彼らは、自分たちの国がどんな状況に置かれているかを、おぼろげながら理解することができた。」

 「小国の悲運は、歴史に枚挙のいとまのないところであるが、これらはすべて大国のエゴイズムの所産であり、1970  ( 昭和45 )年代を迎えた今日においても、少しも変わるところはない。」

 ハンガリーのテレキー首相の悲運に関する、氏の率直な意見です。私は、氏の言葉の持つ重みを、お花畑の人々に知ってもらいたいと思います。列強がアジアを侵略していた時代、日本はバルカン半島の諸国のような小国でした。幕末から明治にかけ、小国の悲哀と危機感を経験したのが、私たちのご先祖でした。

 反日の朝日やNHKは、維新の政治家たちが、懸命に「富国強兵」と「殖産興業」に傾けた情熱を、軍国主義、植民地主義と言い攻撃します。NHKが、戦前を扱ったドキュメントを放映するときは、必ず日本の否定が伴います。

 「こうして日本は絶対天皇制を作り、国民を一つにまとめ、軍国主義国家としての道を、ひた走りました。」「自国の利益を第一とし、アジアの国々を侵略したのです。」

 幕末以来ご先祖様が、日本のためにしたことが、どうしてこんな簡単な解説で片づけられるのでしょう。当時のアジア諸国は、イギリスやオランダ、フランスなどの植民地となり、中国は彼らに領土のあちこちを切り取られていました。その中で日本が独立を守れたのは、ご先祖のお陰だったはずです。

 そこを国民に説明せず、否定ばかりをするNHKと朝日新聞を、どうして許せましょう。大国のエゴイズムは、21世紀の現在でも当時のままです。ヒトラーのドイツは消滅しましたが、習近平の中国やトランプのアメリカ、プーチンのロシアなど、武力を誇示する危険な指導者が沢山います。いつなんどき、戦争が始まっても不思議でない状況が、続いている時だというのに、「平和憲法を守れ。」「軍備は全廃せよ。」「安倍独裁を許すな。」「軍国主義の復活を許すな。」の大合唱は、どう考えても、異常です。

 日本が平和憲法を持ち、いくら戦争に反対しても、いったん周囲の大国がアジアで暴発すれば、他人事では済みません。自分の国を自分で守れない国の結末が、どうなるのか。氏の本は私たちに教えています。自分の国への愛も誇りもなくし、否定したり憎んだりする人間が多数を占めるような国は、他国に攻められるまでもなく、自ら滅んでしまいます。

 現在、72ページの部分の書評をしています。この分で行きますと、書評の終わりは盆明けとなるのでしょうか。私のブログを訪れる方は、どのように私を見ておられるのでしょう。毎日毎日本を読み、焦って愚にもつかない書評を書いていると、お思いでしょうか。

 私は少しも焦っておらず、明日にでも戦争があると騒いでいるのでもありません。私が見ているのは、50年100年先の日本ですから、今日明日の話をしているのではありません。

 元気な間に、自分の考えをブログにしておけば、私がいなくなった後、きっと息子たちが読んでくれると、むしろ楽しい日々を送っています。強情な私が、やせ我慢していると思われる方も、おられるかもしれません。しかし私は、自分の経験を大切にします。

 三年前の8月に、出雲の叔父の葬儀に出席し、30冊の本を遺品として分けてもらいました。このことは既にブログで語っていますから、詳しく述べませんが、私は叔父の本を読むことで叔父と対面し、対話をしました。生前は話らしい話をしなかったのに、読後の叔父は、私には大切なご先祖様の一人となっていました。

 三人の息子たちも、きっとそうなるはずと信じています。だから焦らず、慌てず、静かに日々を暮らしています。訪問される方に言われるとしたら、きっとこんな言葉でしょう。

 「あんたは、幸せ者よ。」「そして最後の最後まで、親バカでしたな。」

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第二次大戦下のヨーロッパ - 2 ( 平和と安全は、努力の結果 )

2018-08-10 20:12:29 | 徒然の記

 昭和14 ( 1939 ) 年の9月、第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻から始まりました。笹本氏の著書から、その概要を紹介します。

 「新鋭爆撃機と大量の戦車隊による、いわゆる電撃戦によって、ドイツ軍は一週間でポーランド軍の主力を潰した。」「そのあとドイツ軍は、無人の荒野を行く勢いで、全ポーランドを席巻し、3週間でポーランド軍の抵抗は、終わってしまった。」

 「あまりに呆気ないポーランドの敗北について、ポーランドは作戦を誤った。」「全国戦線を守ろうとし、防衛陣が薄くなってしまった。もっと防衛戦を短くし、重点主義をとるべきだった。」「というような批評も、出てきたが、本当のところは、戦術や戦略がものをいう以前に、ポーランドの戦力はあまりに貧弱だったのである。」

 「ポーランド兵がいかに勇士とはいえ、槍と剣のみでは戦車には、かすり傷さえもおわすことができなかった。」「これが、ポーランド戦の実態である。」

 敗北の原因は、それだけではありませんでした。氏の叙述を読みますと、いざ戦争となれば同盟国といえども、あてにならないということが分かります。

 「英仏はポーランドとの同盟条約で、ポーランドが攻撃を受ければ、あらゆる手段によって、ポーランドに軍事援助を与えると約束していた。」「ところが英仏は、まるっきり動こうとしなかった。」

 「ドイツ軍の猛爆を受け、ポーランドがドイツの飛行場を爆撃し、少しでもポーランドへの空襲を、鈍らせてもらいたいという火急の訴えにも、英仏は応えなかった。」

 「それは、文字通りの見殺しだった。誰の目にも明らかな、同盟義務の違反だった。なぜ英仏は、ポーランドを助けようとしなかったのであろう。」「英仏はそれをやるだけの、空軍も地上兵力も、十分に持っていたのである。」

 「なぜかについては、戦後色々な説明や解釈が行われているが、英仏の責任ある筋からの答えというものは、ついに出ずに終わっている。」「つまり、うやむやにされたままなのである。」

 第二次大戦後に、チャーチルは偉大な指導者として、英国はもちろん、世界でも賞賛されますが、筆者は激動のヨーロッパで、実際に見聞した事実からそうなっているのか、詳しいことは分かりませんが、徹底したチャーチル不信を語ります。私には、こういう見方も新しい発見でした。

 結果から見ればチャーチルたちは、ポーランドをけしかけ、ドイツに挑戦させていながら、いざとなると見殺しにしたと氏は語ります。英仏は、最初からドイツと本気で戦う気は無く、初戦では傍観すると密約していたと言います。

 日米安全保障条約に限らず、現在でも各国は同盟を結んだり、条約を締結したりしていますが、いざとなった時どうするかは、自国の利益次第と歴史が教えています。

 知らない訳ではありませんでしたが、次の叙述を改めて肝に命じました。

 「スイスでも9月1日に総動員が行われ、人口の1割以上にあたる、43万人が召集された。国境地帯の警備が厳重になり、入国が難しくなった。」「市民生活にこれという変化はなかったが、となりの大国が戦争を始めたのだから、スイス国民も平然としてはおれなくなった。」

 「まさかスイスの中立が、開戦と同時に犯されるはずはあるまいというのが、大方の考えだった。」「しかし万一、攻め込まれるようなことがあれば、断固として戦うという決意は、ありありと見えた。」

 「5年8ヶ月の戦争を通じて、独仏どちらかが、戦略上スイスを通過する、つまり侵入を受ける危険がなかった訳でないが、スイス軍40万人を敵に回しては、割があわないという計算が、この冒険をたじろがせることになったようである。」

 「国民一人一人が、自分の国を誇りとし心から愛し、また満足しているスイスでは、」「国を守る気概は、指導者のお説教を待たず、国民の間から自然に生まれてくるのである。」「スイスの例は、国を守る気概というものが、上から押しつけられるものでないことを、教えている。」

 氏は当時の日本が、愛国心を上から押しつけていると、暗に批判しているのですが、今は別の押しつけがあります。敗戦後の日本は、国民が国に誇りを持てないような教育をし、国を愛することさえ罪悪だと教えています。

 スイスは、戦争に反対する永世中立国ですが、国民皆兵の国です。成年男子は、年に一回軍事訓練を受け、銃器の扱いも徹底的に教育されます。国境の河川や、峡谷には、目に見えませんが強力な爆薬が、あちこちに仕掛けられています。敵が来たら、容赦なく爆破し侵入を防ぎます。祖国防衛をここまで徹底しているから、スイスの中立が守られています。

 「戦争はダメです。」「人殺しはいけません。」「平和が一番だから、武器はいりません。」「平和憲法を守れば、世界が平和になります。」

 スイス人からみれば、現在の日本人はお人好しのバカにしか見えないはずです。スイス人だけでなく、外国人から見れば現在の日本は異様で、奇怪な一団でしかありません。笹本氏のような記者がいなくなり、日本中のマスコミが戦後70年間も、「平和教の念仏」を褒め称えたため、こんな風になってしまいました。

 日本最高の祭典が、やがて来る「終戦の日 ( 敗戦の日 )」の、追悼と反省の大合唱です。大きな活字が紙面を飾り、子供や老人を使い、「戦争の悲惨さを忘れるな」と、語らせたり、嘆かせたりします。

 「外国の軍隊が攻めて来たら、私は逃げます。」

 森永卓郎氏は著名な経済評論家ですが、悪びれもせずテレビで語ります。

「外国軍が攻めてきたら、僕は一杯やろうと言って、話し合って撃退します。」

 シールズという学生集団にいる一人が、テレビで意気軒昂でした。

 全てではありませんが、これが戦後日本人の一つの姿であり、マスコミが賞賛する「平和愛好者」たちです。自国の平和を守るため、訓練を積んでいるスイス国民には、理解不可能なはずです。努力なしに手に入る平和や安全は存在しないという、当たり前の思考が、日本人の中から薄れつつあります。

 笹本氏はこうした貴重な経験をし、帰国したのち、朝日新聞で何をしていたのでしょうか。朝日という巨大組織の中で、反日・左翼の大砂漠に埋没し、砂の一粒と成り果てたのでしょうか。

 そんなことは書かれていませんし、ブログの本題から外れてしまいます。明日からはまた氏の著作を元に、現在の日本を考察していきたいと思います。

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第二次大戦下のヨーロッパ ( 反日でなかった頃の、朝日の記者 )

2018-08-10 00:30:34 | 徒然の記

 笹本俊二氏著『第二次大戦下のヨーロッパ』( 昭和45年刊 岩波新書 )を、読了。

 氏についての情報を、最終ページの著者略歴から紹介します。

 「大正元年、台湾の基隆(きーるん)で生まれる。」「昭和10年、京都大学文学部卒業」「昭和13年から、昭和23年。」「昭和25年から昭和40年の間、二度にわたりヨーロッパに滞在。」

 「その間、朝日新聞、東京新聞などの特派員として、」「チューリッヒ、ブタペスト、イスタンブール、」「ベルリン、パリ、ボンなどの地にあった。」

 氏が生まれたのは、明治45年でもあります。この年の7月に明治天皇が崩御され、123代目に当たる大正天皇が即位されて、大正時代が始まります。

 隣国中国では、1月に孫文が南京で中華民国の成立を宣言し、臨時大統領になります。2月には、愛新覚羅溥儀が清皇帝を退位し、清国が無くなります。3月には袁世凱が、孫文に代わり臨時大総統に就任など、目まぐるしい動きがあり、日本では12月に西園寺内閣が総辞職し、桂内閣が成立しています。

 氏は激動の時代に生まれていると、言いたいところですが、私にしても生まれてすぐに日本が敗戦となり、満州から母に背負われ引き上げて来たので、驚きはしません。いつの時代に生まれても、人間は激動の時代に生きているのだろうと、そんな気がします。

 大事なのは、氏の著作が出版された年の方でしょう。昭和45年とは、どんな時代だったのか調べてみました。

  1月  第三次佐藤内閣成立

  3月  大阪万国博覧会開幕 (9月まで) 

      日航機よど号、ハイジャック事件

  4月  中華人民共和国、初の人工衛星 (東方紅1号) 打ち上げ成功

  7月  政府が閣議で、日本の呼称を「にっぽん」に統一することを決定

  11月   三島由紀夫、市ヶ谷の自衛隊にて割腹自殺

  12月  中国新華社通信が、「尖閣諸島は中国領」と報道

      ソ連の宇宙探査機が金星に着陸。他の惑星に着陸した初の探査機となる。

 私はこの頃、若手社員の一人として働いていましたから、ほとんどの出来事を覚えています。日本経済が成長し、とても忙しい日々でした。宇宙開発で米ソが競い、中国も人工衛星を成功させ、社会主義国が、資本主義国より優れていると思われていた時代でもあります。

 「にほん」でも、「にっぽん」でも、どちらでも正しい呼称と思っていましたが、政府が「にっぽん」と閣議決定していたとは、本日初めて知りました。それともう一つ、中国が尖閣諸島は自分の領土だと、こんな昔から主張していたことも初めて知りました。

 さてこの時期に、氏はなぜこの本を書いたのかということです。前書きと後書きので語っていたのに、漫然と読んでいました。書評のため、昭和45年の出来事を調べ、氏の思いが少し分かってきました。

 本はヒットラーが近隣諸国を、次々と占領していくところから始まり、やがて米英ソ仏の連合国に惨敗し、自殺するまでの話です。日本についてほとんど書かれていませんが、心の底にはいつも日本があったのだと、理解しました。

  肝心の中身につきましては、明日からのブログとし、本日はこの本の出版の意図を、紹介します。

 「第二次世界大戦とは、当然のことであるが、もっぱら、ヨーロッパの戦争だったのである。」「ドイツ降伏の後遠いアジアでの戦争は、ヨーロッパ人の大多数にとっては、大した意味を持たなくなっていたのである。」

 「私や私の仲間の多くは、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争との間に、強い連帯性があると思い込んでいたものである。」「ヨーロッパの戦争が終わってみると、この連帯性というものが、少なくともヨーロッパ人の意識の中には、ほとんど存在してないことを、悟らないわけにはゆかなかった。」

 「と言うより、もともとそんなものは、実在しなかったのであり、」「どうやら、幻想だったのである。」「ヨーロッパの戦争が終わり、さっぱりした爽やかな、ヨーロッパ人の表情を見ていると、私には、このことがハッキリしてくるのだった。」

 「日独同盟というようなものも、詮じ詰めれば、やはり、幻想の産物ではなかったのか ? 」「そう思うと孤立無援の日本が、にわかに心細く思われてくるのだった。」

 これが、後書きで述べられた氏の思いです。順序が逆になりましたが、前書きでは次のように述べています。

 「きたる5月9日は、ヨーロッパに平和がよみがえってから、25周年にあたる。」「しかしヨーロッパでは今日なお、多くの問題が未解決のまま残っている。」「また、8月15日アジアは、平和回復25周年を迎える。」

 「周知の通り、アジアでも多くの問題が残っており、とくに日本にとっては、最大の問題である中国との関係が、片付いていない。」「片付いていないどころか、その解決の曙光さえ見えない。25年という長い年月の無為を、われわれは、深く恥じなければなるまい。」

 「小著によって、ヨーロッパ戦争を回顧する機縁を得る読者があれば、同時にアジアの戦争を想起され、われわれにとって、今大切なことは何であるかを、誠実に検討されるよう心から願いたい。」

  現在の朝日新聞や東京新聞は、醜いまでの反日の新聞社で、私は朝日と聞いただけで、嫌悪感を覚えます。笹本氏は同社の特派員ですが、反日記者ではありません。昭和45年という時代がそうだったのか、あるいは笹本氏個人がそうだったのか、一方的な日本批判をしません。

  ドイツを巡り、不仲なはずのイギリスとフランスが連帯し、思想的対立国でありながら、米英がソ連と手を組むなど、戦時中のヨーロッパにいて、厳しい現実を目の当たりにしていたから、冷静な思考ができたのでしょうか。

 「日本だけが間違った戦争をした。」「アジア諸国を侵略し、多大な被害をもたらした。」「日本こそが、世界平和の破壊者だった。」・・・現在では、朝日新聞を筆頭に、反日マスコミが大合唱しますが、昭和45年の記者は、そんな愚論は述べなかったようです。

 久しぶりに、素直な気持ちで読書ができた理由は、こうしたところにもありました。どうやら朝日新聞社は、昭和45年以降に、何か大きな社内的変動があったのかもしれません。

 息子たちには、父として言っておきましょう。

 「ヨーロッパの戦争を知ることは、日本の戦争を知ることにつながります。」「国際社会は、どんな有様をしているのか。」「大国と小国は、どのような関係になるのか。」「軍事を軽んじる国は、結局どうなるのか。」

 こうした事実を、氏の本が教えてくれます。もうすぐ来る、「毎年のお祭り ( 敗戦の日 ) 」でされる、マスコミの大合唱の愚かさがいやでも分かってきます。お前たちの子供が成人となり、結婚をし、家庭を持つ頃、父と母はもう居ないはずです。私がお前たちを愛するように、お前たちも、自分の子供が可愛くてならないのだと思います。

 それならば、子供が自分の国に誇りを持ち、愛せるようにしてやるのが親の務めでもあります。自分の国を愛せないような国民が、幸せになれるはずがありません。反日は間違いであるだけでなく、罪悪です。それもこの本が教えてくれます。

 何度も同じ繰り返しなので、父である私も少々億劫になっていますから、もう止めましょう。でもいつかきっと、お前たちが、本気でブログを読んでくれる日が来ると思えば、こんな楽しいことはありません。やはり子供は、いつまでも親の宝なのでしょうか。感謝していますが、子供たちの前では照れくさいから、こんなことは言いません。今晩は、山上憶良の歌で終わりといたしましょう。

   白銀も黄金も玉も、何せむに

     優れる宝 子にしかめやも

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猛暑の夏に笑いのプレゼント

2018-08-08 12:58:29 | 徒然の記

 8月1日の、千葉日報です。17(社会)面に、面白い記事が掲載されました。

 共同通信社を筆頭とする、偏向と捏造新聞の無視できない悪影響につき、私が懸命にブログで取り上げている時に、笑いのプレゼントが届きました。いつもの通り、見出しの言葉を転記いたしましょう。

 「新聞を読む児童生徒の割合と、テストの平均正答率」「全国学力テスト 全教科で相関」・・ここまでは、普通の大きさの字ですが、次は7~8倍の大活字です。

 「新聞読む子 正答率高」

 記事を目にし、それなら、子供に新聞を読ませなくてはと、本気で考える親が、生じるのかも知れません。しかも、文科省の分析結果だというのですから、一層その気にさせられます。

 このところ、買春犯の前川氏以来、子供たちに悪影響をもたらす不祥事続きで、文科省の分析も、世の親たちに権威があるのか、疑問ですが、数字の一覧表があり、新聞を読む頻度が、次の四段階に分けられています。

  1. ほぼ毎日読んでいる

  2. 週に、1~3 回程度読んでいる

    3. 月に、1~3 回程度読んでいる

  4. ほとんどまたは、全く読まない

 調査対象となったのは、中学生も小学生も、国語 A、国語B、算数 A、算数B、理科の5教科です。ではここで、記事の内容に入りましょう。

 「2018年度、全国学力テストの、」「児童生徒を対象にしたアンケートから、」「新聞を読む頻度と、テストの正答率との関係を、」「文部科学省が分析したところ、」「新聞を読む頻度の高い方が、」「頻度の低い子供に比べ、」「全教科で、平均正答率が高かった。」

 細かく分析し、新聞を読む子供の方が、正答率が高いと結論づけています。面倒なので、一覧表の数字を転記するのは止めますが、新聞が強調するほどの差は、現れていません。巧妙なマスコミの常套手法と言いましょうか、彼らの説明は、まったくの嘘ではありません。嘘混じりの、最もらしい正論とでも言えばいいのでしょうか。

 例えば、小学生の一段階の「ほぼ毎日読んでいる」子供と、四段階の「ほとんどまたは、全く読まない」の子の差は、国語 Aで、正答率がそれぞれ、78.8%と68.4%になっています。中学生も、小学生も、同じ傾向ですが、その差はすべて10%程度です。

 この差を、大差と見るのか、小差と見るかは、数字を受け止める者の判断です。私は、偏向新聞のもたらす、生徒への悪影響と比較すれば、10%程度の差は取るに足りないと考えてしまいます。反日、自虐、反政府という、捏造記事を読み、日本を足蹴にするような思想に汚されるくらいなら、子供は新聞を読まない方が賢明だと、私は即断します。

  しかしやっぱり、今回も、私より立派な肩書きを持つ、大学教授の意見が最後を飾っています。千葉大学の寺井正憲教授が、その人で、国語教育学の先生です。言っていることは、正論らしく聞こえますが、反日・左翼のマスコミの擁護をしているのですから、この人物も間違いなく「駆除すべき害虫」の仲間です。ご高説を拝聴いたしましょう。

 「小中学校いずれも、複数の情報を関連付けて、」「理解する力があるかを、見る問題が目立った。」「次期学習指導要領が、学びの力に挙げた力であり、」「要領の完全実施を控え、」「今後重視して欲しいとの、メッセージだろう。」

 氏の説明は、数字分析の解説でなく、こうしたデータを提供して文科省と、偏向マスコミの意図への忖度でしかありません。「今後重視して欲しいとの、メッセージだろう。」という話は、この数字からは導き出されません。

 「こうした問題は、正答率が低く、」「単独の文章を読むだけの、従来の授業では身につかない。」「複数の資料を示し、必要な情報を読み取って、」「組み合わせる指導が求められる。」

 「ただ資料を与えるだけでは、子供たちも、」「やり方が分からない。」「方法を例示できるよう、教員自身も、」「教材研究を、重ねる必要がある。」

  寺井教授の狙いは、最近文科省と新聞業界が力を入れている、「NIE」への世論誘導です。英語で、Newspaper in Educationと、いうらしく、ネットで調べますと、「学校等で、新聞を教材として活用し、」「興味や関心の幅を広げる、社会運動である。」と説明してあります。

 全国学童生徒のテスト結果の記事が、千葉日報の独自取材であるはずがなく、これも共同通信社による、「押しつけ配信記事」に決まっています。私は記事を読みながら、共同通信社の、「見え透いた記事」に、吹き出してしまいました。

 「共同通信社の記事は、国民への挑戦です。」・・本日もこのフレーズが、生きます。ついでに、私が考えた、今回の記事のタイトルを披露いたします。

 「猛暑の夏に贈られた、」「共同通信からの笑いのプレゼント」

 わが息子と、訪問され方に、何度でもお伝えしたい。共同通信社は、この同じ記事を、次のような地方紙に配信しています。これが、まともなマスコミのやることでしょうか。

  北海道新聞  室蘭民報  河北新報  東奥日報  デーリー東北

   秋田魁新報  山形新聞  岩手日報  福島民友新聞  ジャパンタイムズ
 
  東京新聞   下野新聞  茨城新聞  上毛新聞   千葉日報
 
   神奈川新聞  埼玉新聞  山梨日日新聞  信濃毎日新聞  新潟日報
 
  中日新聞   中部経済新聞  伊勢新聞  静岡新聞  岐阜新聞
 
  北日本新聞  北國新聞   福井新聞   富山新聞  北陸中日新聞

  日刊県民福井 京都新聞   神戸新聞   奈良新聞  大阪日日新聞

  山陽新聞   中国新聞   日本海新聞  四国新聞   愛媛新聞

  徳島新聞   高知新聞   西日本新聞  大分合同新聞 宮崎日日新聞

  長崎新聞   佐賀新聞   熊本日日新聞  南日本新聞  沖縄タイムズ

  琉球新報   スポーツ日本新聞東京  スポーツ日本新聞大阪

  報知新聞   日刊スポーツ新聞東京    日刊スポーツ新聞大阪
 
  ディリースポーツ  47NEWS
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あまり、常識のない人

2018-08-07 22:53:37 | 徒然の記

  常識がありそうに見えるのに、話を聞かされると、非常識なことを言う人が、世間には沢山います。

 私も、他人から見れば、そう思われているのかもしれませんが、自分のことは、棚に上げておきます。そうしないと、本日のブログは、前に進みません。

 「毎日、政治のことばかり考えていたら、」「普通の暮らしができないでしょう。」「世界は広いのですから、視野も広く、趣味も広く持って、」「生きる喜びを、楽しまなくては、偏った人生で終わります。」

 おせっかいですが、親切心から忠告してくれる人に、私は逆らわないようにしています。私のブログで、政治が沢山取り上げられるといたしましても、私は1日24時間、1年365日、政治ばかりで、頭をいっぱいにしている訳がありません。

 今日は午後から、年に一度行われる、市の健康診断の結果を聞きに、家内と一緒に近所の病院へ行ってきました。かかりつけの病院で健診を受けても、費用が安くなるという、有難い制度です。明日からの予定は、運転免許更新前の、高齢者講習を、近くの自動車学校で受講すること、そのための予約を入れること。

 車の年次点検の日が近ずいているから、車をディーラーへ持ち込まなくてなりません。その予約も必要です。台風が近づいているので、全ては様子見です。

 月水金は、生ゴミの日で、火曜日は、紙と空き缶を出す日です。不燃物は金曜日で、空き瓶は、第一、第三火曜日です。全部仕分けし、市の指定するビニール袋に入れておかなくてなりません。野菜クズだけは、細かく裁断し、洗面所の外に置いたボックスに入れ、土と一緒に混ぜます。適度な水分と攪拌が大切なので、毎日捨てるたびにかき回します。三ヶ月もすれば、栄養価の高い土に再生するので、植木鉢に補充したり、庭に入れたりします。

 私たちは生きていますから、毎日三度の食事を作り、後かたずけもします。洗濯も、毎日やり、ベランダに干し、乾いたら取り込みます。夫婦の共同作業ですから、喧嘩をしたり、冗談を言い合ったり、趣味とは言えませんが、有意義な時間です。

 「自分たちで、自分たちのことができるんだから、」「有難いことよね。」

 何をするにも、他人の力を借りなくてはできない人を、沢山知っていますから、健康であることに感謝します。

 詰まらないことを、だらだらと述べていると思われるかもしれませんが、私たち夫婦には、どれひとつとして無駄な仕事はありません。私がパソコンに向かい、プログを書くのは、こうした作業の合間ですから、年金生活の老人の暇つぶしではありません。

  人それぞれなので、私はあまり、他人のやることに干渉いたしません。楽しくもないのに、私に忠告してくれた人のことを、なぜ思い出したかと言いますと、原因は昨日のブログでした。

 「共同通信の記事は、国民への挑戦 - 3」の中で、多摩大名誉教授の樋口裕一氏が、こう述べていました。

 「真偽が分からない情報が飛び交う中で、」「真実は一つと、思わない人が増えている。」

  この教授が何を専門にしているのか、私は知りませんが、こんな言葉を新聞に発表するのですから、常識を疑ってしまいました。少なくとも、学徒の道を歩いた経験のある者なら、軽々しく口にしない言葉です。

 いったい、真実とは、何なのでしょう。

 辞書を引き、ついでにネットの説明も参照しましょう。この先生が、どれほどイカサマの学徒だったかが、一目瞭然となります。あくびを殺してでも、読んでください。

 「真実とは、嘘や偽りでない、本当のこと。」「あるいは、まこと、真理。」「真実は、事実と同様で、」「皆が一致する、ひとつの場合もあり、」「人それぞれに、複数存在する場合もある。」

 数学、物理学、化学、地学、天文学、生物学など、自然科学の分野では、発見された法則や定理などが、「真実」と呼ばれますが、これは実験に裏付けられていますから、反対する人はいません。

 一方、社会学,政治学, 経済学,法学,社会心理学,教育学,歴史学,文化人類学など、社会科学の分野では、極論しますと、学者の数だけ「真実」があるということになります。1たす1が、2であるという事実は、歴史が移り変わっても不変ですが、社会科学での真実は、時代と共に変化します。

 「王様が人民を統治するのは、絶対の真理だ。」かっては、そう思われていた時代がありました。「マルクスの思想は、絶対の真理であり、真実だ。」と、そう信じられていた時代がありました。社会科学分野での真実は、時代が変わり、人々の思潮が変化すれば、真実でなくなる場合があります。

 学徒の経験を持つ者にとっては、常識です。わざわざ教えられなくとも、多くの人間は、それを常識として知っています。ですから私は、樋口氏は、常識のない人でないのかと、考えてしまい、あまり考えていくと、そんな教授を黙認している多摩大も、常識のない大学となりますし、講義を聞いている学生にも同情しなくてなりません。

 それでは気の毒なので、ネットの情報で、「真実」に関する別の説明を、引用いたします。

 「一般的には、他者との関係性を前提に、」「社会で合意し、共有できる、皆が一致する、」「より公的で、社会性を有する事柄を、真実と言う。」

 樋口氏の好きそうな、ややこしい説明ですが、私なりに要約しますと、

 「社会で、多くの人間が、正しいと同意していることが、真実である。」、ということです。樋口氏の頭の中では、今の日本では、「平和」「人権」「自由」「平等」という、思想が真実であると定義されているということです。もっと分かりやすく言いますと、反日・左翼思想が真実であり、軍事につながる保守思想は、すべて間違っている。と、言いたいのです。

 ネットの説明は、さらにこう述べています。

 「私的、かつ個人的な範囲では、他者と一致していなくても、」「その人物の主観という範囲で、真実と言えるが、」「人間が、社会的動物と言う前提がある以上、」「その真実は、他者との関係で、個人的主観が許されない場合は、」「真実ではなく、相手から見れば、嘘ともなりえる危険性を孕んでいる。」

 樋口氏が、いくら自分のいうことが「真実」だと言っても、多数の国民の共感がなければ、嘘になると述べています。鍵となるのは、一般国民の思潮なのです。多くの国民が、「右」と言えば、右が真実となり、「左」と言えば、左が真実となる傾向があります。ここが社会科学の思想の恐ろしさです。

 本当の学者なら、右であれ、左であれ、極論の危険性を語らなくてなりません。一方の思想に与し、国民を洗脳するのでは、教授の名がすたります。私などは、今は反日・左翼が幅を利かせ、大切な日本を台無しにしているから、反対していますが、もしも、保守が極論に走り、日本をダメにするようになったら、同様に反対します。

 それは、私の羅針盤が乱れているのでなく、羅針盤を見る能力のない人が、そう思うだけです。私の羅針盤の針は、常に一つの場所を指しています。

  1. 自分の国を愛すること。

  2. ご先祖様を敬うこと。

  3. 歴史を大切にすること。

 言葉は違っても、すべて一つのことです。息子たちに言います。樋口氏のような、偏った先生に騙されてはいけません。こういう人物は、「曲学阿世の徒」であり、「駆除すべき害虫」でしか、ありません。

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共同通信の記事は、国民への挑戦 - 3 ( 恥を知らない通信社 ? )

2018-08-06 13:04:13 | 徒然の記

 7月30日、共同通信社が配信した千葉日報の記事です。記事のタイトルを紹介します。

 「強者は雑なうそをつく」「見え見えなのに、もやもや」「専門家に聞く」

 槍玉に上がっているのは、日大アメフト部の前監督内田正人氏です。大きな見出しの横に、氏の写真が掲載されています。「日大アメリカンフットボール部の、反則問題をめぐり、記者会見で質問に答える内田正人前監督。」「東京都千代田区」、という説明がついています。

 共同通信社が専門家として選んだのは、立正大名誉教授の齊藤勇氏と、多摩大名誉教授の樋口裕一氏です。

  記事の書き出しの文章を、紹介します。

 「大勢の前で見え見えの嘘をつき、ばれても悪びれもせず、しらじらしく言い訳を繰り返している。」「政治や行政、スポーツを巡る最近の不祥事に、そんなもやもやを感じている人も多いのでは。」「なぜ白黒はっきりしないのか。」「嘘と言い訳の専門家に、解説してもらった。」

 内田監督の顔写真は記事の内容に直接関係がなく、記事の中身は安倍政権批判です。齊藤教授の、意見を紹介します。

 「自分と同じくらい強い相手に嘘をつく場合、ばれた際のリスクを慎重に検討する必要がある。」「でも相手の立場が弱い場合、ばれても報復される恐れは小さい。ならばと、強者は雑な嘘をつくようになる。」

 「一連の不祥事が、一強の首相官邸や最強官庁の財務省で起きたのも、示唆的です。」「情報化が進み、様々な情報が記録、保存される現代は、嘘が簡単にバレる時代にもかかわらず、うそを認めない強者の振る舞いが、これまで以上に、目立っているのでは、と氏は読み解く。」

 読み解いてもらわなくても、これは同社による安倍内閣打倒記事だと分かります。氏は同社のお抱え学者の一人で、つまらない話なので無視していましたが、続く樋口教授の意見を読み気が変わりました。

 「真偽が分からない情報が飛び交う中で、真実は一つと思わない人が増えている。」「自分に不都合な事実はフェイクと切り捨て、自分好みの真実を語るトランプ大統領が象徴です。」

 「前財務事務次官のセクハラ問題で、現場の音声や、被害者の証言が表面化しながら、はめられたとの陰謀論が流れたのも根は同じと見る。」

 前事務次官は傲慢な人物なのでかばう気はありませんが、樋口氏の意見は専門家らしくない粗雑さです。

 告発している女性は、前事務次官との二人きりの会話を録音したり、週刊誌に売ったりする記者です。前次官もいかがわしい人物ですが、女性記者も似たようないかがわしさです。樋口教授は女性記者を庇っていますが、疑問を感じさせられます。

 「考え方や関心が近い似た者同士が、ネットなどを通じて結びつき、狭い人間関係の中で内向きに生きる傾向も強まっていると、氏は指摘する。」

 反日左翼の人間もネットの世界で同じことをしていますが、氏はそれについては言いません。ネトウヨと下品な言葉を使っていませんが、記事全体の流れで読者に示唆しています。

 「そうした世界の住人は、身内の利害に敏感な反面、世間一般のルールを破って批判されても、私は間違っていないと思いがち。」「仏頂面で会見に臨んだ、アメリカンフットボールの監督は、この種の人間かもしれない。」

 「人は誰でも、失敗する。」「説得力のある言い訳で共感されれば、失敗を前向きに乗り越えることもできる。」「逆に愚かな言い訳で失態を演じれば、人生が、狂ってしまいかねない。」

 樋口氏の意見は、内田監督の名前を言いながら安倍氏批判をし、ついでにネットを利用する保守の人間を軽蔑します。記事を読みながら、樋口氏の残りの人生が狂ってしまわないことを祈りました。

 しかしこうして読み返しますと、斎藤、樋口両氏の意見だけでなく、私のブログそのものに大した内容がありません。「共同通信社の記事は、国民への挑戦」と、ブログのタイトルに恥ずかしくなるほどのお粗末さです。削除しても良いのですが、恥の記念として残します。

 私は恥ずかしくて削除しようと思うのに、同社は恥ずかしく無いのでしょう。下記地方紙に配信しています。これが、まともなマスコミのやることでしょうか。

  北海道新聞  室蘭民報  河北新報  東奥日報  デーリー東北

   秋田魁新報  山形新聞  岩手日報  福島民友新聞  ジャパンタイムズ
 
  東京新聞   下野新聞  茨城新聞  上毛新聞   千葉日報
 
   神奈川新聞  埼玉新聞  山梨日日新聞  信濃毎日新聞  新潟日報
 
  中日新聞   中部経済新聞  伊勢新聞  静岡新聞  岐阜新聞
 
  北日本新聞  北國新聞   福井新聞   富山新聞  北陸中日新聞

  日刊県民福井 京都新聞   神戸新聞   奈良新聞  大阪日日新聞

  山陽新聞   中国新聞   日本海新聞  四国新聞   愛媛新聞

  徳島新聞   高知新聞   西日本新聞  大分合同新聞 宮崎日日新聞

  長崎新聞   佐賀新聞   熊本日日新聞  南日本新聞  沖縄タイムズ

  琉球新報   スポーツ日本新聞東京  スポーツ日本新聞大阪

  報知新聞   日刊スポーツ新聞東京    日刊スポーツ新聞大阪
 
  ディリースポーツ  47NEWS
 
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