おねっと日記

日々の出来事を感じたままにつづります

がんばれ東北電力・東京電力応援メッセージ

2011年03月23日 | 暮らし

㈱アントレプレナーセンターは東北電力・東京電力への応援メッセージを集めております。
是非、多くの皆様の応援をお願いいたします!

【緊急企画第二弾】「がんばれ! 東京電力、東北電力!」
今まさに、命をかけて原発危機に挑んでいる東京電力・東北電力の社員のみなさんに向けて、応援メッセージを贈ろう!
100万人のエールを大募集いたします!
https://ssl.form-mailer.jp/fms/26ef8489143573

今こそ、夢と勇気と笑顔をみんなで共有しよう!

夢と勇気と笑顔たちよ、被災地に届け!!!

すべての人の心に届け!!!

福島正伸


春彼岸

2011年03月21日 | 暮らし

ガソリンがないのでお墓参りはあきらめました。
せめて、お花とおだんごだけは用意して(お一人様一パックという限定でした)父とふたり母の写真に手を合わせる春彼岸。

東北関東大震災の多くの犠牲者の方への思いも込めて手を合わせる日。

おりしも父は知り合いのご不幸で盛岡火葬場へ。
「受付もなく、誰もきていないご遺体がひっそり火葬されていたよ」
「きっと沿岸の方でしょうね」
こみ上げる悲しみと、これを乗り越えなければと奮い立つ気持ちが心の中で共存しながらの日々です。

主人は自宅待機にも耐えられなくなり50キロ程先の八幡平市の会社へ数少ないバスで出勤しました。
「仕事はすべてストップしているけれど、家にいるよりいいから」と。
日ごろ車での移動しかしていなかった主人は、会社の近くにあったバス停を今回初めて知ったそうです。
不便の中でのいろいろな発見。
これほど、目に入っていなかったいろんなものが、今、沢山目に入ってくる生活、とても貴重な経験をさせていただいております。
不自由がかえっていろんな事を豊かにさせてくれているのです。
こんな事を言えるのは、今、私たちはまだまだ恵まれているからなのです。
被災地の方々を思えば、あまりにも贅沢な話です。
この恵まれた環境に感謝しつつ、今日一日を大切に過ごしたいと思います。




田野畑村へ届けミルク

2011年03月21日 | 暮らし

長女が購入しておいたアレルギーのある赤ちゃん専用ミルクが、役に立つ時が来ました!
NPOアレルギー支援ネットワークの方が被災地へ届けてくださることになったのです。




たったひとつのミルク缶ですが、それを是非届けたいと言って待ち合わせ場所まで来てくださいました。
それならばと女性下着や衛生用品、布おむつに代用していただいても良いと思い、大判シーツを10枚、
ご迷惑にならなければとご提案したところ喜んで受け取っていただくことができほっと一安心。

大きな被災の支援はどんどん広がってはいるもののこのような少数の困っている人たちの事はどうしても埋もれてしまいがちです。
そんな中なんとか車のガソリンを満タンにし、現地へ向かおうとしている若いパパ(スタッフ?)に祈るような気持ちでささやかな物資をゆだねる事ができました。

◎被災地でアレルギーのお子さんの食べ物に困っている方はこちらをご覧下さい。
>>盛岡アレルギーっ子サークル「ミルク」


自転車が社会を動かす日々

2011年03月20日 | 暮らし

どこもかしこも2車線の道路は給油所に並ぶ車の長い列で1車線状態です。
残念なことに全国どこでも見られる光景になってしまいました。



ここで自転車の力が大いに発揮され、そのすばらしさをこんな時だからこそあらためて再認識。
盛岡市の自転車屋さんたちは放置自転車を修理して、被災地に届けたニュースが流れておりました。
このすばやい行動力には頭が下がります。
今や自転車が社会を動かしている、そんな光景です。
家族も自転車愛用者となり、自転車で移動してみると、こんなに近い距離も今までは車を使っていたんだとあらためて反省。
ガソリンの供給が復活しても、自転車での生活は出来る限りこれからも継続して行くつもりです。

「お、今のは震度4かもね」と普通に会話してしまっている暮らしも異常です。
以前は震度3くらいでもびっくりしてパニックになっていたはずなのに、余震がいまだ続く生活にも何と慣れてしまった家族です。
あまりにも大惨事を経験してしまうとこんなふうになってしまうのでしょう。

そして、国民を守るために、福島原発事故の処理を命がけの任務を遂行している消防庁・自衛隊の方々。
ハイパーレスキュー隊の会見の言葉に涙をした人は多かったでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=7gzRFR-w6uU
彼らを支えたのは家族。
「日本の救世主になって下さい」とメールを返した奥様。
ただただ頭が下がるばかりです。

震災の早い復興を祈るばかりです。


支援の輪~靴下を編んで送ろう

2011年03月19日 | 暮らし

空を見上げて現地に向かって飛び立つヘリコプターに私の思いも託します。
「心はひとつですよ~」

まだまだ寒い被災地の方のために毛糸の靴下を編んで送る運動を展開しております。
下記のURLをご覧ください。
不来方日記(福島雪江さん)
http://purple.ap.teacup.com/applet/kozukata/20110319/archive

ガソリンもなく、移動手段もなく家で待機状態の私ですが、だからこそ、この編み物が出来るかもしれません。
まずは編んでみようと思います。


無事を確認しあう日

2011年03月18日 | 

 この北上山系の向こうには大津波の被害で壊滅的になっている岩手の沿岸地域があります。

やっと電話が通じて被災地の知人たちとの連絡が取れました。
声を聞いたらもう泣けて言葉になりません、よかった、本当に無事でよかった!
「そちらも大変でしょう」と、被災地の人が逆に私たちの生活を案じて下さるのです。
そして、
「私は身体が丈夫にできているから大丈夫です。長丁場になるでしょうから、この混乱が落ち着いてからの方が大変だと思います。」
宮古産業支援センターの岩間さんは気丈なまでにもしっかりとした口調で伝えて下さいました。
支援は長い時間を要するのだとあらためて実感。
支援物資を災害地の家族との行き来をしている人に直接ゆだねる方法をとっている人も増えました。
行政がまとめてくれている物資がとどくのを待っていられない現場を見かねてとにもかくにも早く届けたいという思いから。

そんな中多くの元気づけられる多くのサイトが立ち上がっております。
その中でも涙が止まらなくなるような、エピソードが下記に。
http://prayforjapan.jp/message/

今私に出来る事、一生懸命考えております。


物資不足な日々を受け止める

2011年03月16日 | 暮らし
どんなに不便を感じても沿岸の人達を思うとすっと恵まれてます。テレビでも都心での駅の長蛇の列の中のひとりが「被災地の方を思えばたいしたことありません」と。涙が出ました。
長崎の知人からも電話が。「あ~やっと通じたわ、声が聞けてよかった!」電話握りしめて二人で泣きました。
遠方の知人たちは食糧を岩手に送ろうと試みてくださった様子。それが叶わず落胆されて、その事を知ってもまた涙が止まらない私です。いろんな方々の暖かい心で胸が一杯になる毎日です。

震災5日目

2011年03月16日 | 家族
15日は父の83歳の誕生日でした。
恒例の誕生会は当然中止となり電話でのお祝いのみとなりました。
「おめでとう」私
「なんもめでたくないなあ」父
いろんな情報をインターネットで得たいのですが、最初の地震以来全く機能しなくなったパソコンです。かすかに携帯モードから得ているのですが、こちらも携帯がすぐフリーズしてしまいます。
(まいったなあ)
それでも沿岸の被災地を思えばそんなことは小さな事。早く医薬品が届くことを願います。

東日本大震災4日目

2011年03月14日 | 暮らし
ライフラインが復活したのですが、不安な夜には違いなく結局着の身着のままで寝てしまいました。
電力不足、ガソリン不足、灯油不足をどう乗り越えるか、最低限の暮らしを今後どう確保していくかが今の大きな課題。
「神様の戒めなのかもね」と主人。
人間の真の幸せとは何かを問われているような気がします。

何が出来るだろう

2011年03月13日 | 暮らし

3月11日午後2時46分発生の東日本大震災。やっと電気が開通した我が家で見たテレビの映像に愕然としてます。
インターネットは繋がらなくなっているので携帯投稿です。
名取市の知人ふたりも連絡とれず、宮古市の知人も連絡とれず、内陸にいる私達でさえ、家族との連絡にかすかな携帯電波に頼るしかない現実の中、今私達は被災されている方々に何が出来るのでしょう。
近くの消防学校のヘリポートからは何機ものヘリがずっと離発着してます。そして県外から応援のの救急車が直ぐ様病院へ搬送してます。何ができる?何かしなければ!