-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

庚申塔(続編)

2013-07-20 14:00:54 | 歴史

 また少し賢くなったと言いますか、まともに近づきました。素人である私は、文字が書かれている石造りの物は、全て「石碑」と考えていました。ところが、様々な本を読みますと、神様と仏様に関する文字が彫られているものは、「石仏」とされていましたので、私もそれに従います。今回、取り上げている「庚申塔」も石仏になります。もう一つ賢くなったのは、「オイヌ越え」の伝説で紹介しました万年同堂のことです。その万年堂は、道路拡張の際に移動したと説明しましたが、昨日、有路S氏に確認したところ、移動はしていないということでした。移動したのは、第一回目の「庚申塔」で畑沢にある三つ以外の庚申塔だそうです。楯岡高校の「郷土 Ⅱ」で記載しているように、畑沢には四つの庚申塔があるようです。その場所の大まかな位置について教えていただきましたが、この時期には草木が茂り確認できそうもありません。

 さて、確認している庚申塔の第二弾です。

 

 写真左の庚申塔は、中畑沢の五十沢へ向かう林道入り口にあります。複数の石仏と一緒に、林道工事のために2回移動しています。年号は「寛政十二庚申年」と読むことができます。まさに「庚申」の年に因んだものです。西暦1800年で、伊能忠敬が全国の測量を開始した年です。

 写真右の庚申塔は、清水畑(スズバタ)の先日紹介した湧き水を所有しているお宅の屋敷内にあります。こちらも2回ほど移動しているらしいとのことでした。これまで紹介しました合計三体の庚申塔の中で最も古いような感じですが、年号を読み取ることができませんでした。

 畑沢での庚申講は、中畑沢と下畑沢では早い時期に廃れたようですが、上畑沢では結構、遅い時期まで残っていたそうです。参考までに古殿では、尾花沢からの入口に昭和22年と昭和32年に建てられた庚申塔がありました。古殿では、昭和30年代も庚申講があったようですね。地域によって大きなひらきがあります。

 

 ところで、話が変わりまして朗報をお届けします。昨日、畑沢へ行く前に尾花沢市役所へ立ち寄り、歴史に詳しい職員に石仏について教えていただきました。その際に、尾花沢市内の石仏をすべて調査した資料を見せていただきました。石仏の大きさ、刻まれている年号、名称、形などが詳細に記述されていました。写真が付いているものもありました。これまで、私は素人なりにでも何とか畑沢の石碑・石仏を詳しく調べておく必要があるのではないかと責任を感じていましたが、この調査結果を拝見して、肩の荷が下りました。玄人による立派なものが既にあるのです。しかも、閲覧もさせていただけるとのことでした。ありがたいことです。それにしても、市内すべての石仏となると、一千は下らないのではないでしょうか。それをお一人で、休日を利用して調査されたということです。今回も私は頭が下がりました。今回、いろんなことを知るたび、いろんな人に会うたびに、私の頭は下がりっぱなしです。