-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

青面金剛(しょうめんこんごう)

2013-07-21 09:50:01 | 歴史

 

青面金剛(しょうめんこんごう)      三猿(さんえん)

 これらの仏像も、これまで2回投稿しました「庚申塔」に密接に関係したものです。青面金剛は、庚申講の本尊だそうで、怖い形相で三尸(さんし)の虫を抑える神だそうです。青面金剛は、古殿、細野、六沢、鶴子でも見ることができるそうです。三猿は御存知のとおり、「見ざる、言わざる、聞かざる」を意味しています。三尸の虫の行動を制約しようとしているのでしょう。三猿の向って右側面に年号が刻まれていました。私は「○保九○○年」としか読めませんでしたが、前回のブログで紹介しました尾花沢市役所職員の方が調査された内容によりますと、「享保」と読んでおられました。享保九年(西暦1724年)は、徳川吉宗さんの享保の改革が行われていました。

 有路T氏によると、この石仏は下畑沢荒屋敷の「惣」何とかさんが建てたそうです。この人は中畑沢のお不動様も建てたというのですから、当時、かなりのお金持ちだったのでしょう。郷土Ⅱ(昭和45年楯岡高校社会部調査)の資料に「村方三役一覧」に「惣」の文字がある三役が出ています。享保19年の組頭に「惣七」、明治3年の百姓代に「惣四郎」です。石仏を建てたのは、惣七さんではないかと思います。この家は、現在、畑沢にはないそうです。

 畑沢にある青面金剛像は、三猿とは別々に建てられていますが、元々は三猿の上に青面金剛が載っているものだそうです。たびたびの道路工事による移転の時に、別々にしてしまったのでしょう。そこで、下のように写真を繋げてみました。このような本来の形に治したいのですが、勝手に私が手を加えることも気が引けます。それに、コンクリートで基部が固められています。

 これで、未確認の庚申塔を残して、庚申塔に関係する投稿は一段落ですが、私の無知さを暴露します。これまで、私は庚申塔をまともに見たことがありませんでした。つい、この間までは、「やすこうとう」と読んでいました。「庚」を家康の「康」と勘違いして、「やす」と読み、おまけに「申」を「甲」(こう)とまで読んでいました。江戸時代あたりのものだろうから、徳川家康を拝ませられていたのであろう。興味ない」とのテキトウな認識でした。ところが、実際に多くの方々から教えていただくと、まるで違う世界が見えてきました。畑沢の昔の生活が見えてきたのです。私が無駄に過ごした年月は何だったのでしょう。反省しきりです。