昭和41年に尾花沢高校郷土研究部が「尾花沢伝説集」にまとめたものを投稿してきましたが、いよいよ、伝説特集は最終になりました。この伝説は、畑沢でも伝えられているようですが、尾花沢高校が調査したのは取上地区です。今回も伝説自体は、大変に短いのですが、畑沢に残っている石仏などとの関係も考えると、この人物は興味深いものがあります。スビタレの頭でもあれこれと回らざるをえません。これから一つのテーマについて、3回に分けて投稿します。第1回目は伝説そのもの、次回からは石仏も絡めてあれこれと勝手な考察を加えます。決してズホコグ(嘘をつく)気はないのですが、何分にも素人です。どこかの責任者ではありませんが、無知ゆえに、「結果的には」そういうこともあるかなあ程度に軽くご覧ください。
なお、伝説に出てくる人物は、既に遠い昔に家系が絶えているそうなので、匿名としないで伝説そのままに記載します。
25 吉右エ門清水 ―取上―(以下は原文のままです。)
昔畑沢に古瀬吉右エ門という者がいた。彼は豪農で尾花沢より畑沢まで四十八ヶ所の石橋を全部かけかえ、またその当日旅人のために、この地に清水(すず)を掘った。それから今もなおこの清水を「吉右エ門清水」と呼んでいる。
この清水がどこにあるかを尾花沢市の「取上」地内で探してみました。最初、一本松の所にある湧き水に目星をつけました。
私が尾花沢の模型屋さんへ、マブチモーターを自転車で買いに行くときには、その水を飲んでいました。雪が融けるのを待ちかねて、畑沢の幼友達と一緒に出掛けたものです。その時の幼友達は、既に二人も亡くなりました。本題に戻ります。ところが、その湧き水の近くのお宅からお聞きしましたところ「吉右エ門清水というのは聞いたことがない。それにここは新町であって、取上ではない」と教えてくださいました。さらに、「取上に湧き水があるのは、もう少し行って、橋の手前にある右側の家だ。そこは今でも水が湧いている」とのことでした。
早速、そのお宅へ伺いますと、「昔はこの湧き水を利用してトコロテンを食べさせるお店が開かれていたそうだ」と話してくださいました。きっとバスが通る前なのでしょう。常盤地区から歩いて尾花沢へ買い物などに出かけた時に、そのお店で一休みしていたものと思います。のどかな光景が思い浮かびます。取上地区には他に大きな湧き水がありませんので、これが「吉右エ門清水」かなと思います。いつものように、根拠は乏しいのですが。
ところで、道路工事により水量が減少したそうですが、それでも水量は多くて隠れた名水です。この湧き水の利用がなくなり、忘れ去られようとしているのがもったいなく感じられます。