高さが15センチメートル程度の蓋つきの小さな器です。鑑定団に出るような骨董品ではありません。単なる古くて傷んでいる陶器です。それでも、私には父親の思い出が一杯に詰まった懐かしい畑沢の生活を思い出させる大事な物です。
と言うのは、私が小さい時に囲炉裏で火にあたっていた時に、父がこの器について次のように話してくれました。
「昔、畑沢では炭を馬や牛の背中に積んで背中炙り峠を越えて、楯岡に売りに行っていた。売った代金でイカをたくさん買ってきた。そのイカを自宅に帰ってから調理して塩辛を作り、この器に入れて大事に食べていた」
ただ、それだけのことですが、私はこの器を見るたびに、その時の囲炉裏の情景を思い浮かべることができます。そして、父の話の中に背中炙り峠(現在の背炙り峠越えの県道ではない。)の大事な証言が含まれていたことを去年、初めて気づきました。
一つには、私が生まれる前は、昭和時代にも現在の自動車が通る背炙り峠ではなくて、江戸時代よりもずっと前から使われていた背中炙り峠越えの古道を人馬が盛んに通っていたこと。
二つ目には、そのころはまだ楯岡方面へ畑沢から炭を運んでいたこと。
三つ目は、生活に必要な魚などは楯岡から購入していたこと。
すなわち、畑沢では明治以降も背中炙り峠越え街道が大事な生活道路だったことが分かります。父からの話から既に50年以上の歳月が過ぎましたが、今頃になって気付くその私の鈍感さが悔やまれます。でも、「背炙り峠」と「背中炙り峠」が別のものであることを、去年になってから知ったのですからしょうがないのかもしれません。