昨日とは逆に、畑沢から村山市側を遠望した写真です。
私が雪降しをしている屋根の上から撮影したものです。中央に見える緩やかな曲線を見せている山は、背中炙り峠がある山です。現在の自動車が通る背炙り峠は、見えません。
古道は、まさにこの山の中央付近を少しくねりながら、ほぼ真っ直ぐに登っていきます。尾根にたどり着くと、そこから写真左側に少し水平に移動します。峠の乳母木地蔵に到着します。矢印で示しているのがその場所です。3本杉なのですが、畑沢側から見ると、あまりはっきりとは分かりにくいようです。これは、地蔵堂がある峠が、実は尾根の真上ではなくて、すこし村山市側になっているためです。
この山は、上畑沢は勿論のこととして、中畑沢や下畑沢からもはっきりと見ることができます。ただし、下畑沢の「向い(ムガエ)」は、熊野神社の山が視界を遮っています。畑沢にとっては、いろんな意味でも象徴的な存在だったと思います。畑沢のどこからでも見えるということは、逆に言えば、峠から畑沢方面を見下ろすと、ほぼ畑沢のすべてが見えるということになります。さらに、峠からは荒町、延沢及び霧山城を遠望することができます。このことは、野辺沢家を守る上でも重要な位置にあることが分かります。野辺沢量を襲う外敵が楯岡方面から現れた時は、いち早く狼煙で「霧山城」や下畑沢の「山楯」に知らせることができますし、霧山城で一大事があった時は、霧山城から狼煙を上げて峠の家臣たちに知らせることができます。昔、野辺沢家が、古道の峠に大きな「楯」を作ったことが納得できます。
その「楯」について、昨年の秋に調査する予定でしたが、何とも都合がつかなくて延期となっています。今年の春(雪が融ける5月)に専門家が実施してくださるということです。私も今のうちから楽しみにしています。